グランジができるまで 第3回 ~脱Black Flag化とハードロックへの接近~

◎Soundgardenのメジャー契約の獲得とハードロックへの接近


Green RiverやSoundgardenといったグランジの元祖的なバンドの先導と
Sub Popの成立により、一気に「Black Flagチルドレン」的なサウンドが
シアトルのパンクシーンを彩り、黎明期のグランジはピークを迎えましたが、
1989年から1991年あたりにかけてシーンに大きな変化が生じてきました。

それが「Black Flagの『遅いハードコア』によって始まったグランジシーンが
Black Flag的なサウンドからの脱却を進めていく動きが生じた」ことです。

そしてその動きを先導したのもまたGreen Riverのメンバー達とSoundgardenでした。

まずはそのうちのSoundgardenの動きを見ていきましょう。

Soundgardenは1988年にアルバム"Ultramega OK"をリリースした後、
メジャーレーベルであるA&Mと契約を結びます。

一般的にはこれが最初のグランジバンドによるメジャーレーベルとの契約と言われます。

そして続くアルバムの"Louder Than Love"のレコーディングを開始しますが、
ここでSoundgardenは大幅な音楽性の変化を敢行します。

前作の"Ultramega OK"は明確に「Black Flagチルドレン」の流れにあり、
そこにBauhausなどのポストパンク的なニュアンスを加えていたものでしたが、
"Louder Than Love"では、一気にLed Zeppelin的なハードロックに接近します。

ただし決して「王道ハードロック」そのものといったサウンドではなく、
そこにはサイケデリックな強い粘り気や変拍子の多用など、
一筋縄ではいかない要素がふんだんに盛り込まれてはいましたが、
これが「グランジバンドの脱Black Flag化とハードロックへの接近」への
先鞭となったことは間違いないでしょう。

そこで、"Louder Than Love"からの代表曲を聴いてもらいましょう。

Soundgarden - Loud Love (1989) [Grunge]


この曲を「あえて分類するならパンクとハードロックのどちら」と問うなら、
おそらくほとんどの人は「ハードロックかな」と答えることでしょう。

黎明期のグランジにもLed ZeppelinやBlack Sabbathの要素は見られましたが、
それはあくまで「パンクを基盤としたサウンドの中に
Black Sabbathなどのハードロックの要素が見られる」というものであり、
そのサウンドの中心部にはパンクが据えられていましたが、
この"Louder Than Love"ではハードロック側に力点が移っています。

そもそもグランジはシアトルのパンクシーンで起こったことを考えると、
この変化はシーンそのもののあり方を動かしうるものでした。

◎Green Riverの分裂とMother Love Boneの誕生


次にもう一方のグランジの雄であったGreen Riverについて見ていきましょう。

Green RiverはJane's Addictionというバンドの登場によって岐路を迎えます。

このJane's Addictionはオルタナティブロックの新進気鋭と呼べるバンドで、
ポストパンク的な実験性、Van Halenなどにも通じる都市型メタル的な感性、
そこにファンクのグルーヴをミックスした新しいスタイルのバンドでした。

Green Riverの中でハードロック寄りのサウンドが好みであった
ストーン・ゴッサードやジェフ・アメンはこのJane's Addictionに感銘を受け、
そこにより接近した音楽性をGreen Riverに持ち込もうとします。

しかしパンク畑のマーク・アームはJane's Addictionに感銘を受けず、
その動きに反対したため、バンドの軋轢が強まって解散に至ります。

そしてパンク畑のマーク・アームはGreen River創立時のメンバーであった
スティーブ・ターナーと再合流し、Mudhoneyというバンドを結成します。

こちらはどちらかと言えばBlack Flag的な流れを継承するグランジバンドです。

それに対してハードロック寄りの感性を持っていた
ストーン・ゴッサードとジェフ・アメンは
グラムロック寄りの感性を持ったバンドだったMalfunkshunの
フロントマンであるアンドリュー・ウッドを迎えて、
Mother Love Bone(結成時の名前はLords of the Wasteland)を結成します。

ハードロック畑のメンバーが集まったことで、
Mother Love Boneのサウンドもまたハードロック色が強まります。

ただこちらも一筋縄ではいかず、Guns N' Roses的なハードロックに、
Jane's Addiction的なファンクネス、そしてアンドリュー・ウッドが持ち込んだ
The Doors的なほの暗いサイケ感にT.Rex的なグラムロックの感性が合わさるなど、
「ハードロックを基盤としつつもごった煮的なサウンド」が作り出されます。

いずれにしても、Soundgardenとほぼ同時期にグランジシーンから
「脱Black Flag化とハードロックへの接近」を見せるバンドが登場したわけです。

これもまた当時のグランジシーンに与える影響は非常に強いものでした。

そしてMother Love Boneもまたメジャーレーベルとの契約を獲得し、
1989年から1990年にかけてアルバムをリリースします。

ここでは、その中から代表曲とも言える"This Is Shangrila"を紹介します。

Mother Love Bone - This Is Shangrila (1990) [Grunge / Funk Metal]


ファンクを取り込んだ軽快なグルーヴも目立ちますが、
これもまた基盤は明確にハードロックであると言えるでしょう。

◎他のシアトルバンドによるハードロックへの接近


シアトルのグランジシーンのバンドによるハードロックへの接近は
これまで述べたSoundgardenやMother Love Boneに留まりませんでした。

Nirvanaとほぼ同時期にシアトルのグランジシーンに参入したTadも
アルバムを重ねるごとにハードロック色が強まり、Black Flag色も継承しつつも
1991年の"8-Way Santa"ではその両者を融合したサウンドを鳴らしました。

そしてこの「グランジバンドによるハードロックへの接近」に関して、
もう一つ欠かすことができないのがGruntruckというバンドです。

グランジシーンを代表するプロデューサーと言えばジャック・エンディーノがいますが、
このジャック・エンディーノがギタリストとして在籍していたバンドがSkin Yardで、
このバンドはGreen RiverやSoundgardenと並んで黎明期のグランジを支えました。

そしてこのSkin Yardのヴォーカリストであるベン・マクミランが
よりハードロック色の強いバンドを目指して結成したのがGruntruckでした。

このGruntruckはSkin YardやBlack Flag的なサウンドを一定程度受け継ぎつつも、
軸足はBlack Sabbath的なザクザクとしてヘヴィなハードロックとなっており、
彼らもまた「グランジバンドによるハードロックへの接近」への先鞭をつけました。

彼らの1990年の1stアルバム"Inside Yours"からの代表曲を紹介しましょう。

Gruntruck - Not a Lot to Save (1990) [Grunge]


同時期のSoundgardenやMother Love Boneに比べると、
「黎明期のBlack Flagチルドレン的なグランジ」の流れも感じますが、
そのサウンドの構成の主軸にあるのはやはりハードロック/メタルです。

◎「王道ハードロックへの接近」の究極系としてのTemple of the Dog


「シアトルのグランジバンドによる王道ハードロックへの接近」の
最高到達点とも表現しうるのがTemple of the Dogというプロジェクトです。

そしてここにもずっとグランジシーンを先導してきた
SoundgardenとMother Love Boneが深く関わってきます。

Mother Love Boneのフロントマンであったアンドリュー・ウッドは
1990年3月19日にヘロインのオーヴァードーズによって亡くなります。

そしてこれによってMother Love Boneは解散を余儀なくされます。

これを受けて、アンドリュー・ウッドのルームメイトであった
Soundgardenのクリス・コーネルがアンドリューを追悼する曲を作り、
Mother Love Boneのメンバーと共に彼を追悼するためのプロジェクトである
Temple of the Dogを立ち上げ、彼らは1991年にアルバムをリリースします。

驚くべきは、このTemple of the Dogで提示された音楽性でした。

SoundgardenもMother Love Boneもハードロックに接近はしながらも、
「一筋縄ではいかないオルタナティブな感性」を強く宿していましたが、
このTemple of the Dogでは追悼プロジェクトという側面もあってか、
徹底的に「王道でブルージーなハードロックサウンド」が示され、
オルタナティブな要素やBlack Flagの香りは全くありませんでした。

「グランジバンドによる脱Black Flag化とハードロックへの接近」が
最も顕著な形で現れたアルバムであったと言ってもいいでしょう。

それは実際に曲を聴いてもはっきりと感じ取ることができるでしょう。

Temple of the Dog - Say Hello 2 Heaven (1991) [Grunge]


◎Nirvanaによる「脱Black Flagチルドレン化」


ここまで「シアトルのグランジバンドによるハードロックへの接近」の動きを見てきましたが、
もちろん全てのシアトルバンドが同じ動きをしたわけではありません。

Green Riverの分裂によって生まれたパンクサイドのMudhoneyは
むしろパンク色を強め、Black Flagの流れも少なからず汲んでいました。

またシアトルのグランジシーンで大きな流れとなりつつあった
「ハードロックへの接近」とは異なる動きを見せた代表格がNirvanaでした。

Nirvanaは1990年頃にPixiesというオルタナティブバンドから多大な影響を受け、
従来の「Black Flagチルドレン」的なサウンドから脱却し、
「Pixies的なひねくれたポップネス」とヘヴィなグランジの融合を目指し始めます。

その中で生まれたのが1990年にリリースされた"Sliver"というシングルでした。

Nirvana - Sliver (1990) [Grunge]


1stアルバム"Bleach"で見せた「Black Flagチルドレン」的なサウンドはなくなり、
「Pixies的なオルタナ感をいかに取り入れるか」を模索したことがうかがえます。

このように「グランジバンドによるハードロックへの接近」とは違う動きもありましたが、
これもまた「グランジバンドによる脱Black Flag化」の一つの動きではありました。

このようにして1989年から1990年にかけて、シアトルのパンク/グランジシーンは
「Black Flagチルドレン」一色だった時期を超え、過渡的な状況を迎えていきます。

その中でもとりわけ主要な動きであった「グランジのハードロックへの接近」は
シアトルの音楽シーン全体にある地殻変動を起こしていくことになります。

「グランジができるまで」の第4回記事ではその地殻変動を見ていくことにします。

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テーマ : 洋楽ロック | ジャンル : 音楽

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