自分の人生観と哲学 その2

第1回記事では原始仏教の価値観が自分に与えた影響について見てきました。
その中でも「生老病死」が自分に与えた影響は極めて多大なものでした。

◎人間とは何か - ホモ・サピエンス


人間は他の動物とは何が違っていて、何が人間ならではの個性を作っているのか、
これは昔から多くの哲学者の人達が考えていたことです。

その中で有力な考えとされたのが、
人間を「ホモ・サピエンス」ととらえるというものです。

これは平たく言うと「理性を持った存在」という意味です。

私はこれを聞いたとき、目からうろこが落ちるような気持ちになったのですね。

「人間を人間たらしめているものは理性なのか」と。

◎人間の目指す道とは理性を高めることだ


この「人間だけが理性的な存在である」という考えと、
原始仏教の「煩悩からの解放を目指すべき」という考えが自分の中で結びついたのですね。

「煩悩からの解放」と「理性を高めること」はおおむね同一方向の考えですからね。

人間はたしかに理性を持っていますが、極めて不完全な存在です。

理性を持ってはいるものの、それを超えるほどの強い欲望も持っています。

ただ人間だけが理性的な存在であると考えるのであれば、
人間が生きるうえで本当の意味で目指すべきものは
「欲望を克服し、100%理性的な存在になること」なのではないかと。

こうした考えがだんだんと自分の中で完成していったのですね。

ただこれは倫理の授業でそれを学んですぐにそうなったわけではないです。

後の記事で紹介するよりインパクトのある出来事などもあって、
おおよそ18~19歳ぐらいでそのような考えが確立されていきました。

◎人間とは考える葦である


これは余談なのですが、他に自分に強い影響を与えた
哲学者の言葉としては「人間とは考える葦である」があります。

けっこう人間って、考えて考えて考え抜くことを軽視しがちなのですよね。
「考えるより行動しろ」みたいなことってよく言われますし。

この言葉から得たのは、結局人間は考えられることにこそ価値があって、
何かをひたすら突き詰めて考えることは決して無駄ではないということですね。

それゆえ普段から何かをひたすら思いつめるような人間になりましたが、
「人間とは考える存在である」を胸に留めて考えることを大事にしています。

◎なぜ自分はアルコールを飲まないのか


次の主要な話題に移るにはちょっと残りの行数が少なすぎるので、
余談にはなりますが今回の記事と関係する話を書くことにします。

私はしばしば「自分はアルコールは飲まない」と明言していて、
実際に誰かと出かけるときでもアルコールは全く飲みません。

ここまで記事を読んできた人なら想像がつく人ももう多いでしょうね。

自分がアルコールを飲まないのは決して飲めないからではないのです。

アルコールの効用は端的に言えば「理性を麻痺させる」ことです。

「理性を麻痺させてより本能をむき出しにして、本能的な存在になる」、
「人間の目標とは理性的な存在になることだ」と考えている
私がそれをするわけがないのですよね。

「なんで理性的な存在として生まれてきたのに、
その大事な理性をわざわざ自分から麻痺させないといけないのだ」
と思うから、自分はアルコールを飲まないのです。

だから当然のことですが、違法かどうかと関係なくドラッグにも全く興味はありません。
ドラッグをテーマにしたロックは好きですし、話題にもしますが、ドラッグへの関心はないです。

まぁしかしこんなことを書いたら、
「こいつは何とも気むずかしい奴だなぁ」とは思われるでしょうね。

でもそれが自分なのでどうしようもないのですよね。

このアルコールとの向き合い方はもともとはシンプルな信念でしたが、
あるときに30人ぐらいの飲み会に参加したときに痛烈に確信させられたのですよね。

自分はもちろんこうした信念を持っているのでアルコールは飲みませんでしたが、
周りの人達の理性が飛んでいる姿を見て強烈に絶望的な感情に襲われたのです。

もう言葉が出ないぐらいに気持ちが沈んでしまったのですね。

そのときに本気で確信したのですよね。

「今の自分はもう普通(の俗世間的な人間)とは全く違うものになってしまったんだ」と。

そういうこともあって、今でもそこそこ大人数の飲み会はひどく苦手ですね。

次回の第3回記事では、自分に強烈な影響を与えたある人物(?)について話していきます。

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テーマ : ひとりごとのようなもの | ジャンル : 日記

コメント

 
人それぞれ主義主張があって、みんな違うから面白いよねー。若いころは理想とか自分の中に戒律みたいなものがあったりもしたけれど、今はほぼこだわりがないかもだわ( ´艸`)もうね、人間も動物も鳥も菌類も大して変わらないのじゃないかと( ´艸`)わがままなミトコンドリアに支配されて生きているわ!
鳥天さん、こんにちは!

たぶん自分の中には「ただ生きるだけだったら○んだ方がまし」みたいな価値観というか、「生きている以上は何か生まれ落ちたがゆえの意義のある生き方をしないといけない」みたいな価値観が根っこにあるのでしょうね。絶対的な人生の意味なんてものは存在しないけど、「人間であるがゆえにするべきこと」みたいなものがあるという意識があって、そういうものがあると気付いたのであれば、それを目指すことなくただ生きるわけにはいかないというか、そんな考えがあるのでしょうね。

だから自分の中では「こう考えて生きればもっと楽になるよ」みたいな発想は全くなくて、「ただ生きること」には意味を見出せないというか、それゆえにこうまるで修行僧みたいな価値観になっていくところはあるのでしょうね。たまに頭をよぎることはあるんですよ、もっと「ただ普通に生きるみたいな生き方を考えてみたらどうか」みたいなことは。でもそれが頭の中に浮かぶと、「そういう生き方することになんて価値なんてある?」という疑問が湧いてきてしまって、やっぱりいつもの価値観のところに着地するんですよね。

自分でもわからないところがあるので、これも自問自答しつつ書いているんですけど、たぶん「生きることには意味も価値もない」というのが厳然たるものとして自分の中に完成しているので、「その中で何かしらの人間としての意義ある人生を考えねばならない」みたいな、そんな発想が自分の中にあるような気がします。

ではでは、コメントありがとうございました!
かーとさま
おっしゃる通り人間がほかの動物と大きく違うのは理性、知性ですね。

理性を高めるのは重要なことですね。肉食をたった数年間、その前は普通に飲んでたアルコールも絶ちました。ここからは私が経験から感じたことです。そこでなにか得られるものがあったか?アルコールをやめその時間は普通の思考ができるので効果はありますね。しかしその時間に何してたか、瞑想などに費やすつもりでいてもそんなにはできないんですよ。結局、悩んで買ったビデオをいじったり音楽鑑賞など趣味の時間、ある時期クラシックに結構のめりこみました。

実は楽しむ趣味も欲望ですね。飲まないでいるけどそのかわりなにをしてるんだと自問自答もしました。肉食を絶つのは生き物に対して慈愛の精神に間接的につながるのでそれなりにいいことだとは思いました。しかし音楽鑑賞などはやっぱり快を求める行為です。結局はなんだかんだ言っても無意識のうちに欲望に支配されてるんですね。

出家しても難しい、欲望はついて回り断ち切れないものともんもんとしながら30歳くらいになるといわゆる少し丸くなり、肉食、アルコール絶ちもやめました。心の奥深くでは「どう生きるべきか」は意識してましたが、欲望の上に人間は成り立ってる、これはまぎれもない事実と徐々に変わっていったのです。その前はずっと独身でいるつもりでしたがあるきっかけから30代前半に結婚もしました。結婚後は責任が生じるわけですから変わりざるを得ません。これ以降は行動としては一般人になっていきましたね。ただ心の奥深くではずっと意識し続けてましたが。

長々と自分のことばかり書いてしまいすみませんが30代前半まではこんな感じでした。また次回書きます。
(コメント入力が不調でした)
とら次郎のとうちゃんさん、こんばんは。

完全な意味で「欲望をゼロにして理性のみで生きる」というのは不可能ですよね。それはもう食欲と睡眠欲からは絶対に逃れられないことから証明はされていますしね。そしてとら次郎のとうちゃんさんのおっしゃるように、実は特に汚れてないと見える行為への欲求もまた欲望であることは間違いないのですよね。自分だとグルメや音楽鑑賞などが特に該当しますが、それを求める行為だって欲望であることは事実ですからね。

だからたぶん自分が求めているのは完全な意味での「欲望からの解放」というよりは、「ある種の汚れた欲望群からの解放」なのだろうと思います。もっともこの汚れている/汚れていないの峻別は非常に難しいものではあるのですが。このあたりの話は「その4」や「その5」で出てくるのですが、自分は欲望から解放されようとしたときに、「いったい今の自分は人生の中で何を楽しむことができるのだろう」という壁にぶつかったのですね。そのときの答えになったのが(それはそれで実際には欲望ではあるのだろうけど、)ピュアな欲求のみを楽しみにして生きようということだったのです。

どのみち人間が完全に理性100%になることはできない、だからと言ってそこで出すべき答えが「どうせ欲望から逃れられないんだったらドロドロの欲望に完全にまみれてしまえばいいじゃん」とも思えない、その中で「できるだけピュアな欲求のみを楽しみにすることによって生きていこう」とそういうような自分の中での意識の変化のプロセスがあったのですね。このあたりは「その4」や「その5」で書こうと思っています。

>(コメント入力が不調でした)

どうもfc2ブログのコメント入力が不調になることが多いと他の人からも聞いたのですが、そういうときはfc2をいったんログアウトしてからログインし直すと改善することが多いようですよ。私も一度その現象になったときにこれで改善しましたので。

それでは、今日も真摯なコメントをありがとうございました。

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