自分の人生観と哲学 その1

自分が人生というものを、あるいは人間のあるべき姿というものを
どのように考えているのかについて記事にしていこうと思います。

言葉にすると非常に長いので1記事だけでは終わらせず、
一つのシリーズとして連載していこうと思います。

読者の方はうすうす感じられているところがあると思うのですが、
私の人生観はかなりねじれているというか、普通ではないようなのですよね。

それは自分でもそれなりに自覚しているのですが、
今はもうこのブログの話題から制限を取っ払ったので、
そうしたこともそのまま吐き出して行ってしまおうと思います。

◎原始仏教からの影響


私の人生観の少なくない部分は高校時代の倫理の授業で学んだ
様々な哲学者や宗教者からの影響というものがあります。

ただ倫理を学んですぐに人生観が変わったかというとそうでもなく、
最初はあくまで「なるほどなぁ」ぐらいに思っていたものが、
その後にさらに別のインパクトのある出来事などを通じて
過去に学んだ知識が身になっていったというところが大きいです。

またそうした過去の哲学を学ぶ中で、
自分がすでに漠然と考えていたこととの一致を見て、
「これだ!」というふうに確信を深めたことなどもあります。

その中で、私が最も強い影響を受けたものの一つが原始仏教の価値観です。

私は個人的には日本に伝わっている大乗仏教にはほぼ関心はないのですよね。

というのも、宗教というのは人に伝道していく中で
どうしても一般的な俗世間の人に合わせて変質していくので、
そうした「俗世間に合わせた宗教」にあまり意義を感じないのです。

また、私は宗教のいわゆる「宗教らしい部分」への関心も薄いです。

要は「神はいるのかどうか」「人は死んだら何になるのか」という類の話です。

私が本当に強い関心を抱いているのは「人はどう生きるべきか」という、
宗教における哲学的要素の部分なのですね。

◎人間の根源的な苦としての「生老病死」


原始仏教の哲学的要素の中で私に決定的な影響を与えたのが、
「人生の根源的な苦は『生老病死』である」という考えでした。

いや、これはもともと自分の中に漠然とあった考えが
この教えによって「これだ!」と思えたとも言えます。

「人間の苦とは生(生きる・生まれる)老(老いる)病(病気になる)死(死ぬ)」、
非常にシンプルな考えです。

これ、「生」以外はごくごく普通の話でしかないのですよね。

人間というもの、老いること、病気になること、死ぬことは辛いものです。
そんなのは誰かに言われなくても誰でもそう思っているでしょう。

問題はこの4つの苦の最初に「生」が位置付けられていることです。

これは「生きること自体が苦である」と考えてもいいですが、
「全ての苦の源泉は『生』である」と言ったほうがより適切でしょう。

これこそが自分の中に深く突き刺さり、自分の人生観の根幹となっています。

すなわち「人生とは苦」なのです。「苦痛を背負った旅」そのものなのです。
人間は生まれてきたがゆえに全ての苦を背負わねばならないのです。

「生が苦だと言うなら、じゃあ死ねば楽になれるじゃないか」と思うかもしれません。

しかしこの世に生まれ落ちてしまったら、
今度は生きる中での最大の苦は「死」になってしまうのです。

だから人間は死を避けて生に執着してしようとしまう。
生が全ての苦の根源であるにもかかわらずです。

この板挟みの中で苦しむことことが人生なのだと、そう突き付けられたのですね。

余談になりますが、こうした人生観なので
私は個人としてはかなり強固な反出生主義です。

他の人に対して「そうあるべきだ」と言うつもりはないですが、
私自身はどうあっても「子どもを作る」という選択肢を取ることはないです。

生という苦を我が子に与えるだなんてことは私には絶対に出来ません。

◎煩悩と悟り


人間は何ゆえ苦しむのか、原始仏教においてはその答えを
「煩悩によって何かに執着するがゆえに苦しみが生じる。
その執着を自分から解き放てばいい」というふうに考えます。

煩悩というとわかりにくいので、欲望と言い換えればまぁいいでしょう。

何かを欲しい、何かを手放したくない、そういう意識があるから、
それが手に入らなかったときに、それを失ったときに苦しむのだと、
それならば何かに対する執着そのものを捨てればいいと考えるわけです。

さすがにこれをそのまま飲み込むことは自分にはできなかったですが、
「人間が目指すべき姿とは、欲望から解放された姿である」
という価値観を自分の中に生む大きなヒントにはなりました。

食欲と睡眠欲は満たさないと死んでしまうのでやむをえないとして、
それ以外の欲望は本来は捨て去る方向に向かうべきなのだと。

これを100%遂行して生きるというのはおそらく不可能でしょうが、
この価値観と他の哲学的な考えが融合することによって、
自分の人生観や哲学の根幹をなす部分が作られていると言っていいでしょう。

大げさに言えば、煩悩を解き放った境地、
すなわち悟りの境地のようなものを心のどこかで目指してはいるのですよね。

「ラーメン旨いとか言ってる俗物が何を言ってるんだ」と言われてしまうかもですが。

ちょっと長くなってきたので、続きは第2回の記事に委ねることにします。

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テーマ : ひとりごとのようなもの | ジャンル : 日記

コメント

 
人それぞれ、いろいろな考えがあっていいよね。鳥天はなすがままと言うか、猫でも鳥でも牛でもいいんだけれど、生き物の生きる姿がお手本かな。がむしゃらにただひたすら生きる、春が来れば歌いペアを探して彷徨い、年老いたら静かに日向ぼっこしながら時を待つ。野生的人生観( ´艸`)
かーとさま
人生観、死生観に関する考え方ですね。
私も若いころあることがきっかけで仏教に関心をもちある時期書物を読み漁りました。いろいろ考えることがありました。その後自分の健康問題からさらに人生を見つめなおすこととなりました。やはりこういうことはある出来事がきっかけになるようですね。

生老病死は自分の生き方に関する問いですね。若いころ私も自分のことで結構考えました。若さの特権というか悩むんですね。関心はどう生きるかですね。「人間が目指すべき姿とは、欲望から解放された姿である」ここに至るのは世俗に暮らす一般人にはむずかしいですね。出家しても煩悩に悩まされる僧侶も多いようですし、でも私も恥ずかしながら少し追及しました。瞑想もたまにしたり肉食を断ったこともあります。

ところが若いときはなおさら欲望が増すんですよね。前からカメラやビデオいじりが趣味でしたからどうしても目が行ってしまって。買おうか、物欲は捨て去るべきかと1年くらい悩んで買ってしまったビデオデッキもありました。それ以前の話で会社で普通に仕事をしていること自体が俗事ですから悩んでしまうわけです。電気メーカーだったんですが物欲を助長させる仕事ではないかと。自己矛盾をずいぶん感じてましたね。すると仕事が身に入らなくなって大変でした。

私の経験ばかり述べてしまい、申し訳ありませんがかーとさんもいろいろと考えていたんですね。そういうのは私も十分理解できますよ。

PS 前回のコメント、youtubeの楽器クイータは間違いでクイーカでした。すみませんでした。
鳥天さん、こんばんは!

人間は理性を持っているけど、
ときどき動物のほうが純粋なところがあるよなぁと感じますね。

人間の愛情って長く続かないことが多いけど、
動物が他者に向ける愛情って本当に揺るがないですからね。

人間になる中でそういうものが失われたりもしてるんだよなぁ、
なんてことを思ったりもします。

自分自身はあまり動物的に生きたいという気持ちはないのですが;

ではでは、コメントありがとうございました!(゚x/)
とら次郎のとうちゃんさん、こんばんは。

仏教そのものに強い関心を持っているわけではないのですが、
「人生において何が苦となるのか」「人はどう生きるべきか」
という点において、自分から見て一つの「答え」だと思えるもの、
それを提示してくれたという思いは今でも強く持っていますね。

こうした問題について考えると、
必然的に「人間はどう生きるべきか」という壁にぶつかりますよね。

こうしたことを考える前は
漠然と「一般的に幸せと考えられる生き方をしたい」と思っていましたが、
「じゃあ何が幸せなのか」「その幸せな生き方とは人間のあるべき姿なのか」
というような問いが出てきて、難しいことになってきますよね。

>ここに至るのは世俗に暮らす一般人にはむずかしいですね

食欲や睡眠欲のようにどうあがいても解放されえぬものはありますが、
人間が理性的な存在であろうとしたときに解放されるべきもの、
というのを自分の中で見出してそこから解放されたい思いはありますね。

性欲から解放されたいというのはずっと思っていたのですが、
最近実際にそこから解放された感じになっているので、
もうこれは一生それを貫いていこうと思っていたりします。

>それ以前の話で会社で普通に仕事をしていること自体が俗事ですから
>悩んでしまうわけです。電気メーカーだったんですが物欲を助長させる
>仕事ではないかと。自己矛盾をずいぶん感じてましたね。

生きることそのものが煩悩や欲望と密接に結びついているので、
完全な世捨て人にでもならない限りは完全な解放は無理ですもんね。

どこかでバランスは取らざるはえないのだけれども、
その中で追求できるものは追求していきたい思いがありますね。

とら次郎のとうちゃんさんも似たような悩みを抱えておられたのですね。

こうした話をすると、
「こいつは難しい奴だなぁ」と思われてしまうのが怖いのですが、
とら次郎のとうちゃんさんには真正面から受け止めてもらい、
そのことには深く感謝しています。

それでは、これからもどうぞよろしくお願いいたします!
新年のあいさつが、やたらと遅くなり、申し訳ないです。
まあ、ボクらしいといえばそれまでですが。

なかなか難しいことを考えていますね。
お気楽極楽を目指すボクにはちょっと難しい。
でも、言わんとしていることはなんとなくわかる気がします。
ボク、今はいろいろ大変な時期だけど、苦しいときや納得できないときは、それも人生に"感謝"だ゛って思うことにしています。意識して思う。それが大事かなと。
それはそうと、今年もよろしくお願いします。
焼き鳥おうじさん、こんばんは!

年末年始、焼き鳥おうじさんもかなり大変そうでしたね;

どうも焼き鳥おうじさんの一年は今年も大変になりそうで、
今からおうじさんが体を壊されないか心配だったりしますが;

どうかご無理はなさらないでくださいね。
とはいっても、親の世話は誰かがせざるをえないですからね・・・。

自分はいつも難しいことを考えるくせがついてますね;
「考えてこそ人間だ」みたいに思っているところもありますし。

人生に感謝という気持ちを持てるところには行けなさそうです;

ただどうせ生きるしかないのなら、
お互いにそこで生じる苦しみを少なくできるように支え合おう、
とはつねづね思っていますね。

それでは、今年もよろしくお願いいたしますね。

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