ロックの歴史 第6回(2000年代前半まで)
前回の「ロックの歴史 第5回(1990年代前半)」までで、
1991年からのオルタナティブロックムーブメントを紹介しましたが、
その「オルタナティブ後」のシーンの変遷を今回は見ていきます!
オルタナティブロックの流れを受け継ぎつつ、
同時に90年代前半の音楽への反動という側面も持つ、
そうした音楽がいろいろと浮上してくることになります!
-------------
Nirvanaの大きなヒットは、それまでアメリカではあまり広がることのなかった、パンクを直接的なルーツとするバンドが強く認知されたことでもあり、パンク色の強いサウンドが受け入れられやすくなる素地を作ったという側面も持っていた。その一方で、グランジやオルタナティブロックの隆盛によって、メインストリームの音楽シーンがダークでシリアスなムードに覆われることとなったため、その反動としてポップで明るい曲調を求めるようなニーズも徐々に高まりつつあった。
そうした流れの中から、グランジからの影響を一定程度受けながらも、ポップで受け入れやすさを持ったパンクバンドが90年代中期からアメリカで浮上してくることとなる。Green Day[グリーン・デイ]のヒットを皮切りに、The Offspring[オフスプリング]、Rancid[ランシド]などのバンドがヒットを飛ばしていく。また90年代後半から2000年代にかけて、新たにBlink-182[ブリンク182]やSum 41[サム41]などのバンドがシーンを活性化させていった。パンクロックはもともと社会的でシリアスなテーマを取り入れることが多かったが、これらのバンドはもっと楽観的なテーマ性を持っていたのも大きな特徴であった。そのため、従来のパンクファンからは嫌われることも少なくなかった。これらのバンドはポップパンク(Pop Punk)と呼ばれることになる。ただし、Green Dayは後に"American Idiot"(アメリカン・イディオット)で社会的なテーマを大きく扱うなど、つねにポップなテーマだけを維持していたわけではなかった。
また、イギリスでもオルタナティブロックの波は訪れてはいたものの、グランジはアメリカほど強く受け入れられていたわけではなかった。そうした中からThe Beatlesを代表とする60年代のイギリスのロックとパンクロックなどをミックスし、オルタナティブな要素を持ちながらイギリス的なポップ感覚を持ち合わせたサウンドとして、ブリットポップ(Britpop)と呼ばれるジャンルが浮上してくる。その最大の立役者となったのはOasis[オアシス]で、リリースしたアルバムが続けざまにイギリスで巨大なセールスを記録していき、さらにBlur[ブラー]やSuede[スウェード]やPulp[パルプ]といったバンドもヒットを飛ばしていった。この時期はアメリカとイギリスのシーンの乖離が激しく、グランジがイギリスでそれほど受け入れられなかった一方で、ブリットポップもまたアメリカではそれほど浸透することはなかった。
ブリットポップではないものの、イギリスではRadiohead[レディオヘッド]が革新的な音楽を模索する動きを見せていた。彼らの3rdアルバムである"OK Computer"(オーケー・コンピューター)は極めて高い評価を受け、エレクトロニカの要素を取り入れていくバンドが増える大きなきっかけを生み出した。
しばしば1994年に起きたNirvanaのカート・コバーンの死去をもってグランジムーブメントが終息したと言われるが、実際のところはそれ以後もグランジの勢いは少なからず維持されていた。Pearl Jam、Soundgarden、Stone Temple Pilots、The Smashing Pumpkinsなどの主要なバンドはその後も大きなヒットを飛ばしており、また新たなバンドとしてイギリス出身のBush[ブッシュ]やオーストラリア出身のSilverchair[シルヴァーチェアー]などが注目を集めていた。また、カート・コバーンの妻であるコートニー・ラヴによるHole[ホール]もカートの死後に大きな成功を収めている。
一方で1996年あたりになると、グランジそのものといった音を鳴らすバンドの数は減っていき、そのかわりに「グランジ直系のサウンドではあるものの、歌モノとしての要素が強まっている」バンドがシーンに数多く浮上してくることになる。その最大のきっかけとなったのはCreed[クリード]であろう。Creedはいかにもグランジ直系といったサウンドで、もし90年代初期に登場していればほぼ間違いなくグランジにくくられたと言えるような音楽性を持っていた。その音楽性はPearl JamとStone Temple Pilotsに非常に近く、そこにAlice in ChainsとMetallicaの91年のアルバムをミックスしたような、典型的な90年代ヘヴィロックサウンドであった。このCreedのヒット以来、グランジ直系のサウンドも「グランジ」そのものとは呼ばれることはほとんどなくなり、ポストグランジ(Post-Grunge)の中にくくられることが一般的になっていく。こうした流れからは、Nickelback[ニッケルバック]、Staind[ステインド]、3 Doors Down[スリー・ドアーズ・ダウン]、Puddle of Mudd[パドル・オブ・マッド]などが浮上してくる。90年代中期までもLiveやCollective Soulなど、ポストグランジと呼ばれるバンドはあったが、Creed以降はジャンル名こそ同じであるものの、その性質は大幅に変化したと言っていいだろう。
また、一方で90年代中期までのポストグランジをさらにポップ化したようなサウンドも浮上してくる。その代表格として挙げられるのがMatchbox Twenty[マッチボックス・トゥエンティ]である。彼らのヒットによって、ポストグランジは「グランジ直系の歌モノ系ロック」から「グランジの香りがするポップロック」まで幅広いものを指す用語へと変化していくこととなった。このラインからはLifehouse[ライフハウス]などのバンドも浮上している。
また、90年代中期からはオルタナティブメタルバンドであったKornを起点に新たな音楽が浮上してくることになる。Kornは前身バンドがファンクメタルだったこともあり、アルバムを重ねるにつれてラップの要素を高めていくことになるが、このラップとヘヴィな重低音サウンドをミックスしたスタイルが支持を集めていくこととなった。こうしたサウンドはニューメタル(Nu Metal)やラップメタル(Rap Metal)と呼ばれるようになり、Limp Bizkit[リンプ・ビズキット]の登場に伴って、一気にメインストリームの中心へと躍り出ていくことになった。さらにSlipknot[スリップノット]やLinkin Park[リンキン・パーク]などもこのラインから浮上してくる。この時期のヘヴィロックはポストグランジ、ニューメタル、オルタナティブメタルなどが混在しており、しかもそれぞれの境界も曖昧であった。たとえばStaindやGodsmack[ゴッドスマック]などはポストグランジであるとともに、ニューメタルとしても語られることがあった。また、ラップとメタルの融合はファンクメタルでも行われていたが、それらがよりダイレクトな形でニューメタルに取り込まれたこともあり、ファンクメタルはその後急速に収束していくこととなった。
こうしてダークなサウンドではありながらもエンターテインメント色が強いニューメタルや、グランジ本来の激しさを失ってしまったポストグランジがシーンの中心を占めるようになったことに対して強い不満をおぼえる動きも表面化してくることになる。90年代後期頃からグランジやパンクのストレートな攻撃性を受け継ぎ、60年代ガレージロックのような荒々しさを内包したガレージロックリバイバル(Garage Rock Revival)/ポストパンクリバイバル(Post-Punk Revival)といった動きが浮上してくる。The White Stripes[ホワイト・ストライプス]を先頭にThe Strokes[ストロークス]、The Libertines[リバティーンズ]、Jet[ジェット]などのバンドがこの中から浮上してくることとなった。
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1991年からのオルタナティブロックムーブメントによって、
音楽シーン全体がシリアスでダークなムードに覆われましたが、
そうした流れを受け継ぎつつもいろいろな変化が起きてきました!
さて、それでは2000年代以降はどうなっていくのかということですが、
実はこの「ロックの歴史」シリーズは今回で終わりだったりします;
というのも、これ以降のロックのシーンの変遷をあまり詳しく追ってなくて、
流れをイマイチ把握しきれていないというのが最大の理由です;
いずれこのあたりの時代についても把握できれば記事にしたいですが、
とりあえずこれで1960年代から2000年代の始まりまでは紹介できたので、
これでそれなりに歴史の流れを読み取ることはできるかなと思います!
今後もここで紹介した様々なロックのスタイルに関する記事を書いていくので、
この「ロックの歴史」シリーズと合わせて読んでくださると幸いです!
【関連記事】
・ロックの歴史 第6回(2000年代前半まで)
・ロックの歴史 第5回(1990年代前半)
・ロックの歴史 第4回(1980年代のアンダーグラウンドシーン)
・ロックの歴史 第3回(1980年代のメインストリームシーン)
・ロックの歴史 第2回(1970年代)
・ロックの歴史 第1回(1960年代)
1991年からのオルタナティブロックムーブメントを紹介しましたが、
その「オルタナティブ後」のシーンの変遷を今回は見ていきます!
オルタナティブロックの流れを受け継ぎつつ、
同時に90年代前半の音楽への反動という側面も持つ、
そうした音楽がいろいろと浮上してくることになります!
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◎ポップパンクの浮上とイギリスにおけるブリットポップ(90年代中盤)
Nirvanaの大きなヒットは、それまでアメリカではあまり広がることのなかった、パンクを直接的なルーツとするバンドが強く認知されたことでもあり、パンク色の強いサウンドが受け入れられやすくなる素地を作ったという側面も持っていた。その一方で、グランジやオルタナティブロックの隆盛によって、メインストリームの音楽シーンがダークでシリアスなムードに覆われることとなったため、その反動としてポップで明るい曲調を求めるようなニーズも徐々に高まりつつあった。
そうした流れの中から、グランジからの影響を一定程度受けながらも、ポップで受け入れやすさを持ったパンクバンドが90年代中期からアメリカで浮上してくることとなる。Green Day[グリーン・デイ]のヒットを皮切りに、The Offspring[オフスプリング]、Rancid[ランシド]などのバンドがヒットを飛ばしていく。また90年代後半から2000年代にかけて、新たにBlink-182[ブリンク182]やSum 41[サム41]などのバンドがシーンを活性化させていった。パンクロックはもともと社会的でシリアスなテーマを取り入れることが多かったが、これらのバンドはもっと楽観的なテーマ性を持っていたのも大きな特徴であった。そのため、従来のパンクファンからは嫌われることも少なくなかった。これらのバンドはポップパンク(Pop Punk)と呼ばれることになる。ただし、Green Dayは後に"American Idiot"(アメリカン・イディオット)で社会的なテーマを大きく扱うなど、つねにポップなテーマだけを維持していたわけではなかった。
また、イギリスでもオルタナティブロックの波は訪れてはいたものの、グランジはアメリカほど強く受け入れられていたわけではなかった。そうした中からThe Beatlesを代表とする60年代のイギリスのロックとパンクロックなどをミックスし、オルタナティブな要素を持ちながらイギリス的なポップ感覚を持ち合わせたサウンドとして、ブリットポップ(Britpop)と呼ばれるジャンルが浮上してくる。その最大の立役者となったのはOasis[オアシス]で、リリースしたアルバムが続けざまにイギリスで巨大なセールスを記録していき、さらにBlur[ブラー]やSuede[スウェード]やPulp[パルプ]といったバンドもヒットを飛ばしていった。この時期はアメリカとイギリスのシーンの乖離が激しく、グランジがイギリスでそれほど受け入れられなかった一方で、ブリットポップもまたアメリカではそれほど浸透することはなかった。
ブリットポップではないものの、イギリスではRadiohead[レディオヘッド]が革新的な音楽を模索する動きを見せていた。彼らの3rdアルバムである"OK Computer"(オーケー・コンピューター)は極めて高い評価を受け、エレクトロニカの要素を取り入れていくバンドが増える大きなきっかけを生み出した。
◎ポストグランジへの移行とニューメタルの勃興(90年代後半から2000年代前半)
しばしば1994年に起きたNirvanaのカート・コバーンの死去をもってグランジムーブメントが終息したと言われるが、実際のところはそれ以後もグランジの勢いは少なからず維持されていた。Pearl Jam、Soundgarden、Stone Temple Pilots、The Smashing Pumpkinsなどの主要なバンドはその後も大きなヒットを飛ばしており、また新たなバンドとしてイギリス出身のBush[ブッシュ]やオーストラリア出身のSilverchair[シルヴァーチェアー]などが注目を集めていた。また、カート・コバーンの妻であるコートニー・ラヴによるHole[ホール]もカートの死後に大きな成功を収めている。
一方で1996年あたりになると、グランジそのものといった音を鳴らすバンドの数は減っていき、そのかわりに「グランジ直系のサウンドではあるものの、歌モノとしての要素が強まっている」バンドがシーンに数多く浮上してくることになる。その最大のきっかけとなったのはCreed[クリード]であろう。Creedはいかにもグランジ直系といったサウンドで、もし90年代初期に登場していればほぼ間違いなくグランジにくくられたと言えるような音楽性を持っていた。その音楽性はPearl JamとStone Temple Pilotsに非常に近く、そこにAlice in ChainsとMetallicaの91年のアルバムをミックスしたような、典型的な90年代ヘヴィロックサウンドであった。このCreedのヒット以来、グランジ直系のサウンドも「グランジ」そのものとは呼ばれることはほとんどなくなり、ポストグランジ(Post-Grunge)の中にくくられることが一般的になっていく。こうした流れからは、Nickelback[ニッケルバック]、Staind[ステインド]、3 Doors Down[スリー・ドアーズ・ダウン]、Puddle of Mudd[パドル・オブ・マッド]などが浮上してくる。90年代中期までもLiveやCollective Soulなど、ポストグランジと呼ばれるバンドはあったが、Creed以降はジャンル名こそ同じであるものの、その性質は大幅に変化したと言っていいだろう。
また、一方で90年代中期までのポストグランジをさらにポップ化したようなサウンドも浮上してくる。その代表格として挙げられるのがMatchbox Twenty[マッチボックス・トゥエンティ]である。彼らのヒットによって、ポストグランジは「グランジ直系の歌モノ系ロック」から「グランジの香りがするポップロック」まで幅広いものを指す用語へと変化していくこととなった。このラインからはLifehouse[ライフハウス]などのバンドも浮上している。
また、90年代中期からはオルタナティブメタルバンドであったKornを起点に新たな音楽が浮上してくることになる。Kornは前身バンドがファンクメタルだったこともあり、アルバムを重ねるにつれてラップの要素を高めていくことになるが、このラップとヘヴィな重低音サウンドをミックスしたスタイルが支持を集めていくこととなった。こうしたサウンドはニューメタル(Nu Metal)やラップメタル(Rap Metal)と呼ばれるようになり、Limp Bizkit[リンプ・ビズキット]の登場に伴って、一気にメインストリームの中心へと躍り出ていくことになった。さらにSlipknot[スリップノット]やLinkin Park[リンキン・パーク]などもこのラインから浮上してくる。この時期のヘヴィロックはポストグランジ、ニューメタル、オルタナティブメタルなどが混在しており、しかもそれぞれの境界も曖昧であった。たとえばStaindやGodsmack[ゴッドスマック]などはポストグランジであるとともに、ニューメタルとしても語られることがあった。また、ラップとメタルの融合はファンクメタルでも行われていたが、それらがよりダイレクトな形でニューメタルに取り込まれたこともあり、ファンクメタルはその後急速に収束していくこととなった。
こうしてダークなサウンドではありながらもエンターテインメント色が強いニューメタルや、グランジ本来の激しさを失ってしまったポストグランジがシーンの中心を占めるようになったことに対して強い不満をおぼえる動きも表面化してくることになる。90年代後期頃からグランジやパンクのストレートな攻撃性を受け継ぎ、60年代ガレージロックのような荒々しさを内包したガレージロックリバイバル(Garage Rock Revival)/ポストパンクリバイバル(Post-Punk Revival)といった動きが浮上してくる。The White Stripes[ホワイト・ストライプス]を先頭にThe Strokes[ストロークス]、The Libertines[リバティーンズ]、Jet[ジェット]などのバンドがこの中から浮上してくることとなった。
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1991年からのオルタナティブロックムーブメントによって、
音楽シーン全体がシリアスでダークなムードに覆われましたが、
そうした流れを受け継ぎつつもいろいろな変化が起きてきました!
さて、それでは2000年代以降はどうなっていくのかということですが、
実はこの「ロックの歴史」シリーズは今回で終わりだったりします;
というのも、これ以降のロックのシーンの変遷をあまり詳しく追ってなくて、
流れをイマイチ把握しきれていないというのが最大の理由です;
いずれこのあたりの時代についても把握できれば記事にしたいですが、
とりあえずこれで1960年代から2000年代の始まりまでは紹介できたので、
これでそれなりに歴史の流れを読み取ることはできるかなと思います!
今後もここで紹介した様々なロックのスタイルに関する記事を書いていくので、
この「ロックの歴史」シリーズと合わせて読んでくださると幸いです!
【関連記事】
・ロックの歴史 第6回(2000年代前半まで)
・ロックの歴史 第5回(1990年代前半)
・ロックの歴史 第4回(1980年代のアンダーグラウンドシーン)
・ロックの歴史 第3回(1980年代のメインストリームシーン)
・ロックの歴史 第2回(1970年代)
・ロックの歴史 第1回(1960年代)
<<ロックをジャンルの視点から語る意義 | ホーム | にゃんこが旅立ってから2年が経ちました>>
こんばんは。洋楽に造詣の深いかーとさんに対して、内容的にはとても着いて行けないのですが、この年代(90年代中盤から2000年代前半)に入ってくると、自分が世帯を持った時期であり、子育てが忙しく久しく洋楽から遠ざかっていた時代でした。
但し、それはゼロという意味ではなく、このころはカーオーディオで70年代や80年代の洋楽ばかりを聞いていた記憶があります。
空白の時期とも言えますが、その後はEminemのNot AfraidやThe WeekndのSave Your Tearsなどが自分の耳に留まり、ブログにリンクしています。自分の場合、洋楽は第一印象で決めるほうなので、このようなコメントしかできません。大変申し訳ございません。😖💧第7回は2010年代前半となるのでしょうか?是非ノウハウをご教示頂きたいと存じます。
◎まとめ◎
お陰様で本日も知見にあふれた記事に触れさせて頂きました。かーとさんのおはからいに感謝しています。ありがとうございます。
但し、それはゼロという意味ではなく、このころはカーオーディオで70年代や80年代の洋楽ばかりを聞いていた記憶があります。
空白の時期とも言えますが、その後はEminemのNot AfraidやThe WeekndのSave Your Tearsなどが自分の耳に留まり、ブログにリンクしています。自分の場合、洋楽は第一印象で決めるほうなので、このようなコメントしかできません。大変申し訳ございません。😖💧第7回は2010年代前半となるのでしょうか?是非ノウハウをご教示頂きたいと存じます。
◎まとめ◎
お陰様で本日も知見にあふれた記事に触れさせて頂きました。かーとさんのおはからいに感謝しています。ありがとうございます。
とら次郎のとうちゃんさん、こんばんは!
1980年代のメインストリームの洋楽が好きな方ってやはり多いですよね!
当時は間違いなく洋楽と日本との距離が非常に近い時期で、
日本のCMなどでも洋楽が頻繁にかかっていましたからね!(●・ω・)
それに対して90年代に入ると洋楽と日本の距離が遠くなり、
また日本の音楽シーンが洋楽とはほぼ正反対な方向に動き、
洋楽は洋楽好きの人以外はあまり触れなくなった印象があります!
とはいえ、90年代好きである私も実はリアルタイムのリスナーではなく、
2000年代に入ってからNirvanaやMetallicaに触れたことをきっかけに、
90年代の音楽を聴くようになったという経緯ではあるのですが!
もともとはそうして90年代の音楽ばかりを聴くようになって、
その中で「これらのバンドはどういう音楽に影響を受けたのだろう」となって、
他の年代の音楽にもどんどん手を出していったという経緯がありますね!
90年代のロックを起点に横の繋がりと縦の繋がりをもとにして、
いろいろと知見を広げていったというような感じでしたね!
90年代のロックについてNirvanaの存在が大きかったのは間違いなく、
カート・コバーンの死去が一定の影響を与えたのもたしかですね!
80年代好きの人は90年代の音楽に距離感を感じている人も多いので、
Nirvana以降はあまり聴いていないというケースもよく聴きますね!
80年代のハードロックというとBon Jovi、Van Halen、Def Leppard、
Motley Crue、Guns N' Roses、Skid Rowあたりがメインなのですかね!
>世の中では投稿に無関係のコメントは受け付けないとか杓子定規に固まってる方もいるようですが、
>私はそういうのは一向に気にしませんのでなんでも気軽にコメント頂いて構いません。
>話題が広がることはコミュニケーションでものすごく大事だと思っています
ブログのコメント欄への考え方は人それぞれではありますので、
自分としてはコメントするときはそこの管理人さんの考えに沿って、
それに合わせたコミュニケーションができればと思っています!
とら次郎さんのコメントへの考えもこうしてお聞かせいただいたので、
それに合わせて今後もコメントしていきたいと思っています!
ではでは、コメントありがとうございました!(゚x/)
1980年代のメインストリームの洋楽が好きな方ってやはり多いですよね!
当時は間違いなく洋楽と日本との距離が非常に近い時期で、
日本のCMなどでも洋楽が頻繁にかかっていましたからね!(●・ω・)
それに対して90年代に入ると洋楽と日本の距離が遠くなり、
また日本の音楽シーンが洋楽とはほぼ正反対な方向に動き、
洋楽は洋楽好きの人以外はあまり触れなくなった印象があります!
とはいえ、90年代好きである私も実はリアルタイムのリスナーではなく、
2000年代に入ってからNirvanaやMetallicaに触れたことをきっかけに、
90年代の音楽を聴くようになったという経緯ではあるのですが!
もともとはそうして90年代の音楽ばかりを聴くようになって、
その中で「これらのバンドはどういう音楽に影響を受けたのだろう」となって、
他の年代の音楽にもどんどん手を出していったという経緯がありますね!
90年代のロックを起点に横の繋がりと縦の繋がりをもとにして、
いろいろと知見を広げていったというような感じでしたね!
90年代のロックについてNirvanaの存在が大きかったのは間違いなく、
カート・コバーンの死去が一定の影響を与えたのもたしかですね!
80年代好きの人は90年代の音楽に距離感を感じている人も多いので、
Nirvana以降はあまり聴いていないというケースもよく聴きますね!
80年代のハードロックというとBon Jovi、Van Halen、Def Leppard、
Motley Crue、Guns N' Roses、Skid Rowあたりがメインなのですかね!
>世の中では投稿に無関係のコメントは受け付けないとか杓子定規に固まってる方もいるようですが、
>私はそういうのは一向に気にしませんのでなんでも気軽にコメント頂いて構いません。
>話題が広がることはコミュニケーションでものすごく大事だと思っています
ブログのコメント欄への考え方は人それぞれではありますので、
自分としてはコメントするときはそこの管理人さんの考えに沿って、
それに合わせたコミュニケーションができればと思っています!
とら次郎さんのコメントへの考えもこうしてお聞かせいただいたので、
それに合わせて今後もコメントしていきたいと思っています!
ではでは、コメントありがとうございました!(゚x/)
横町さん、こんばんは。
>この年代(90年代中盤から2000年代前半)に入ってくると、自分が世帯を持った時期であり、
>子育てが忙しく久しく洋楽から遠ざかっていた時代でした。
そういえば横町さんが90年代の洋楽に言及する機会は少ない印象はありますね。
80年代の洋楽ロックと90年代の洋楽ロックは
オルタナティブロックムーブメントによって断絶しているところがあって、
それが80年代洋楽好きの人にとってとっつきにくい要因になったところはあったと思いますね。
そして日本のCMなどでも洋楽ロックを扱う機会が減っていきましたし、
そのあたりと横町さんの生活スタイルの変化の重なりも影響したのでしょうね。
>その後はEminemのNot AfraidやThe WeekndのSave Your Tearsなどが自分の耳に留まり、ブログにリンクしています。
その後にこうした新しいミュージシャンにも手を伸ばしている
そのあたりの新しいものに挑戦する姿勢に感銘を抱きます。
人間はどうしても新しいものに興味を持ちにくいところがありますが、
その中でも新しいものを取り入れる姿勢というのは大事ですよね。
このあたりの姿勢は自分も大事にしていきたいと思います。
>第7回は2010年代前半となるのでしょうか?
実はこの「ロックの歴史」シリーズは今回が最終回なのです。
というのも、2010年代に入ると自分がロックのシーンの変遷を把握しきれておらず、
どのような動きが起きていたのかをよく理解していないのですよね。
2010年代以降もロックを聴かなくなったということはないのですが、
主にそれまで好きだったバンドの新譜ばかりを追う傾向になっていますね。
もし2010年代以降のロックに強く興味を持つ機会があれば、
そのあたりを掘り下げて第7回以降の記事を書くこともあるかもしれません。
ですが、洋楽ロックについて掘り下げるのは今回が決して最後ではなく、
まず今回の「ロックの歴史」を書くうえでの背景になった部分に触れつつ、
ここで紹介した様々なジャンルをより詳しく解説していこうと思っています。
「ロックの歴史」シリーズでは音源を用いず文章だけで解説しましたが、
今後は実際に音楽を紹介しつつ解説する機会が増えてきますので、
音で体感できるという点ではよりとっつきやすくなるかもしれません。
今後とも多くの人から読む価値があると思える記事を書いていきたいです。
そしていつも読んでくださっている横町さんには大いに感謝しています。
それでは、コメントありがとうございました。
>この年代(90年代中盤から2000年代前半)に入ってくると、自分が世帯を持った時期であり、
>子育てが忙しく久しく洋楽から遠ざかっていた時代でした。
そういえば横町さんが90年代の洋楽に言及する機会は少ない印象はありますね。
80年代の洋楽ロックと90年代の洋楽ロックは
オルタナティブロックムーブメントによって断絶しているところがあって、
それが80年代洋楽好きの人にとってとっつきにくい要因になったところはあったと思いますね。
そして日本のCMなどでも洋楽ロックを扱う機会が減っていきましたし、
そのあたりと横町さんの生活スタイルの変化の重なりも影響したのでしょうね。
>その後はEminemのNot AfraidやThe WeekndのSave Your Tearsなどが自分の耳に留まり、ブログにリンクしています。
その後にこうした新しいミュージシャンにも手を伸ばしている
そのあたりの新しいものに挑戦する姿勢に感銘を抱きます。
人間はどうしても新しいものに興味を持ちにくいところがありますが、
その中でも新しいものを取り入れる姿勢というのは大事ですよね。
このあたりの姿勢は自分も大事にしていきたいと思います。
>第7回は2010年代前半となるのでしょうか?
実はこの「ロックの歴史」シリーズは今回が最終回なのです。
というのも、2010年代に入ると自分がロックのシーンの変遷を把握しきれておらず、
どのような動きが起きていたのかをよく理解していないのですよね。
2010年代以降もロックを聴かなくなったということはないのですが、
主にそれまで好きだったバンドの新譜ばかりを追う傾向になっていますね。
もし2010年代以降のロックに強く興味を持つ機会があれば、
そのあたりを掘り下げて第7回以降の記事を書くこともあるかもしれません。
ですが、洋楽ロックについて掘り下げるのは今回が決して最後ではなく、
まず今回の「ロックの歴史」を書くうえでの背景になった部分に触れつつ、
ここで紹介した様々なジャンルをより詳しく解説していこうと思っています。
「ロックの歴史」シリーズでは音源を用いず文章だけで解説しましたが、
今後は実際に音楽を紹介しつつ解説する機会が増えてきますので、
音で体感できるという点ではよりとっつきやすくなるかもしれません。
今後とも多くの人から読む価値があると思える記事を書いていきたいです。
そしていつも読んでくださっている横町さんには大いに感謝しています。
それでは、コメントありがとうございました。
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1960年代からのロックの変遷についてすごい詳細にかかれていますね。
1990年代Nirvanaのボーカルの死去というのが大きな一つの区切りだったんですね。Nirvanaはもちろん名前は知ってますがほとんど聞いてないんですよ。
私は1980前半が青春時代でそのころ聞いたいてハードロックで嗜好が固まってしまい他はほとんど知りません。
Nirvanaの意味は涅槃ですね。有名な曲を聞いてみるとなんとなくですが仏教的なもの極楽浄土への傾倒というのが感じられますね。
さて私へのブログ、コメントいただきありがとうございます。ネコが主役で自分はほとんど登場しておりません。世の中では投稿に無関係のコメントは受け付けないとか杓子定規に固まってる方もいるようですが、私はそういうのは一向に気にしませんのでなんでも気軽にコメント頂いて構いません。話題が広がることはコミュニケーションでものすごく大事だと思っています。