ロックの歴史 第2回(1970年代)

前回の「音楽の歴史 第1回」記事では、サイケデリックムーブメントまで語りましたが、
このムーブメントはどのようにして終息し、そしてそこからどのような音楽が生まれたのでしょう!

シーンがサイケデリック一色に染められた時代が終わりを告げていくとともに、
ロックはサイケデリックをベースに様々な方向性へと分化していきました!

ここではまずその「サイケデリック後」の流れをつぶさに見ていきましょう!(`・ω・´)

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◎音楽の分化とサイケデリックムーブメントの終焉(70年代中盤まで)


急速に広がっていったサイケデリックムーブメントだったが、1969年あたりからその勢いが徐々に終息に向かっていくことになる。LSDがブームとして広がることによって社会問題と見なされるようになったことから規制が強化され、LSDの入手は困難になっていく。また、このサイケデリックムーブメントを利用する形で支持を広げていたカルト宗教的な活動をしていたチャールズ・マンソンが1969年に女優のシャロン・テート殺害事件を起こしたこともムーブメントへの打撃となった。さらに1970年から1971年にかけて、サイケデリックムーブメントを主導したJimi Hendrix、Janis Joplin[ジャニス・ジョップリン]、The DoorsのフロントマンであるJim Morrison[ジム・モリソン]が相次いで死去したことも、ムーブメントを終息へ向かわせる大きな要因となった。

また一方でミュージシャンの間からも、サイケデリックロックを超えて新たな音楽を生み出そうとする動きがいろいろと出てきていた。その1つの潮流はサイケデリックムーブメントによる複雑な音楽を生み出すという流れへの反動として、音楽のシンプル化やルーツ志向を強めるような動きであった。

サイケデリックロックムーブメントにおいて、よりヘヴィでブルーズロックからの影響が強く、ギターを中心とした音の組み立てをしていたヘヴィサイケ系のミュージシャンであったJimi Hendrix、Eric Clapton[エリック・クラプトン]率いるCream[クリーム]、後のストーナーロックの源流ともなったBlue Cheer[ブルー・チアー]、またサイケデリックムーブメントの中でもよりストレートなロックを指向していたSteppenwolf[ステッペンウルフ]などを基盤としながら、シンプルでブルージーでありながら攻撃性をより強めた音楽が生み出されていくことになる。

その端緒となったのは同じくサイケデリックムーブメントの中で活動していたThe Yardbirds[ヤードバーズ]から生まれたLed Zeppelin[レッド・ツェッペリン]であった。彼らが提示したサウンドはハードロック(Hard Rock)と呼ばれるようになり、新たな音楽スタイルとして広がりを見せていく。またこうした動きに呼応して、もともとはアート色の強いサイケデリックロックバンドであったDeep Purple[ディープ・パープル]も1970年のアルバム"Deep Purple in Rock"で大きな方向転換を見せ、ハードロック色を強めていくことになる。また、サイケデリックロックの持っていたドラッグ色を強く継承しながら、ヘヴィでズルズルと引きずるようなサウンドを提示したBlack Sabbath[ブラック・サバス]も大きな人気を確保していくこととなる。

またそれとは別にルーツ志向を強めた音楽も浮上してくることとなる。1960年代後期からルーツ色の強いサウンドを鳴らしていたThe Band[ザ・バンド]やCreedence Clearwater Revival[クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル]などからの影響を基盤に、カントリーやブルースの要素を取り込んだ、土の香りのするサウンドがアメリカ南部を中心に広がりを見せ、これらはサザンロック(Southern Rock)と呼ばれるようになる。The Allman Brothers Band[オールマン・ブラザーズ・バンド]、Lynyrd Skynyrd[レーナード・スキナード]、ZZ Top[ズィーズィー・トップ]などがその中から大きな人気を確保していく。これらのバンドは基本的にシンプルな音楽性を指向していたことが多いが、サザンロックの代表格であったThe Allman Brothers Bandなどはジャズなどの複合的な音楽性をロックとミックスさせることも多く、彼ら自身は「俺達のことは南部出身のプログレバンドだと思ってくれればいい」と発言するなど、必ずしも音楽性をひとくくりにできるものではない部分もあった。

また、フォークやカントリーの要素を盛り込んだロックを鳴らしたEagles[イーグルス]や、Buffalo Springfieldなどでの活動後にシンプルなフォークロックに回帰したNeil Young[ニール・ヤング]なども、ルーツ志向の流れの1つとしてとらえられるだろう。

さらにThe ByrdsやGrateful Dead、The Rolling Stonesといったバンドも60年代後半から70年代初期にかけて、カントリーロックやブルースなどの要素を強めたアルバムを何枚もリリースするなど、以前から活動していたバンドの間にもルーツ志向の流れが広がっていった。

こうしたシンプル志向の動きが起きてくる一方で、サイケデリックムーブメントの特色であったアート色や実験性をさらに深めていこうとする動きも生まれてきた。

サイケデリックロックの持っていたアート性をより強調することで生まれたのが、アート色が強くもシンプルでクリアなサウンドを特徴としたグラムロック(Glam Rock)だった。グラムロックは派手なビジュアルを重視することにも特徴があり、David Bowie[デヴィッド・ボウイ]やもともとはサイケデリックフォークを演奏していたTyrannosaurus Rex[ティラノサウルス・レックス]が改名して生まれたT. Rex[T. レックス]、Roxy Music[ロキシー・ミュージック]などによって広められていくことになった。

そしてサイケデリックロックの持っている音楽性を最も強く継承して生まれたのがプログレッシブロック(Progressive Rock)だった。オルガンなどを多用するサイケデリックロックの特性をおおむね受け継ぎ、複雑な音楽構成やアルバム全体で1つのコンセプトを表現することによって、その名前の通り進歩的=プログレッシブな音楽を生み出していく。もともとサイケデリックロックバンドだったPink Floyd[ピンク・フロイド]を中心に、Yes[イエス]、King Crimson[キング・クリムゾン]、Emerson, Lake & Palmer[エマーソン、レイク&パーマー](ELPと略されることが多い)、Genesis[ジェネシス]、Rush[ラッシュ]などのバンドがここから浮上してくる。また、ポップ色がかなり強いもののElectric Light Orchestra[エレクトリック・ライト・オーケストラ](ELOと略されることが多い)もこのラインで語られることがしばしばある。

◎音楽の複雑化とそれに対する反発とパンクロックムーブメント(70年代後半)


ハードロックはその後も広がりを見せ、イギリスではQueen[クィーン]、アメリカではAerosmith[エアロスミス]やKiss[キッス]、さらにオーストラリアではAC/DC[エーシー・ディーシー]などのバンドが新たに大きな人気を得て、シーンの拡大に寄与していく。また、Cheap Trick[チープトリック]などのハードロックの要素とポップなメロディをミックスさせた、パワーポップ(Power Pop)というスタイルを指向するサウンドもこの方面から浮上してくるなどの動きも起きた。一方でLed Zeppelinが5枚目のアルバム以降、プログレッシブロック的な複雑な指向性を取り入れていくことなどを通じて、ハードロックが本来持っていたシンプルな攻撃性が薄れていくという動きも生じてくることになる。

こうしたメインストリームのシーンの動きとは別に、アメリカのニューヨークなどのアンダーグラウンドシーンではより新たな音楽性を模索する動きが出てきていた。グラムロックをベースによりストレートな攻撃性を指向した音楽を生み出したNew York Dolls[ニューヨーク・ドールズ]はそうした動きを如実に示すものでもあった。また、60年代後期から活動していたIggy Pop[イギーポップ]率いるThe Stooges[ストゥージズ]はシンプルでストレートな攻撃性を炸裂させた"Raw Power"(ロー・パワー)というアルバムをリリースする。またガレージロックをよりシンプルで攻撃的なサウンドとして提示したMC5[エムシーファイブ]はこうした流れを先取りするものでもあった。さらにニューヨークの地下シーンらしいアート感覚と前衛的な攻撃性をミックスさせたPatti Smith[パティ・スミス]もこれらの流れに大きな影響をもたらしていくこととなる。

こうした流れに呼応して、ニューヨークの地下シーンではプログレッシブロックなどとは対極的な、あえて極端なシンプルさを指向したロックが生み出されていく。その大きなきっかけを生み出したのがRamones[ラモーンズ]で、彼らの1stアルバムは「初のパンクロックアルバム」と呼ばれることとなる。

この流れをイギリスにも派生させたいと考えていたNew York Dollsのマネージャーであったマルコム・マクラーレンはロンドンへと渡り、Sex Pistols[セックス・ピストルズ]の結成に尽力する。New York Dollsのサウンドからさらに余計な部分をそぎ落としたような彼らのサウンドとその攻撃的なメッセージはイギリスで大きな人気を得て、パンクロック(Punk Rock)が大きなムーブメントとして動き出していくこととなる。

アメリカでは地下シーンのみでの広がりにとどまっていたが、イギリスではパンクロックムーブメントが拡大し、Sex Pistolsからの影響を受けながらThe Clash[クラッシュ]、The Damned[ダムド]、The Jam[ジャム]、Buzzcocks[バズコックス]などのバンドが生まれていくこととなった。

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今回はサイケデリックムーブメント後のロックの分化現象、
それに伴う音楽の複雑化とそれに対する反発から生まれたパンクロックの誕生、
そこまでを一気に見ていきました(●・ω・)

そしてこのイギリスでのパンクロックの隆盛もまた、
パンクと従来のロックに対して様々な影響をもたらしていきます!

次回の記事ではそのあたりのさらなる音楽の変化と深化について触れていきます!

それでは、今後もぜひちょっとした雑学感覚でロックの歴史をお楽しみください!(゚x/)

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テーマ : 洋楽ロック | ジャンル : 音楽

コメント

 
おはようございます。かーとさんの造詣が深過ぎて(論文と言っても言い過ぎではない)ついて行くのが大変ですが、70年代に見るロックの攻撃性には頷くものがあります。往時は学生運動も盛んでしたが、これを音楽に託した若者も多かったのでないでしょうか?

70年代の多様性は雨上がりの大地に芽を出す多様な植物を連想させます。自分としては断片的ですが、三大ロックバンドに目が向きます。影響を受けたバンドは多いのでないでしょうか?

音楽に世相風刺を託す。これは往時も今も変わっていない方向性と捉えています。もちろん、そうでない私情に満ちた曲も在りますが、世間にアピールするならば前者は欠かせない気がします。名を成したグループの多くはそのような含み(こんな世の中に誰がした?という明確な主張)があった気がします。

音楽は人の心を動かしますが、彼ら(著名なロックバンド)は多くの若者をシンパシーに至らしめる実力と魅力を備えていたと考えています。セックス・ピストルズなどは王室、政府、大手企業etcを攻撃した過激な曲も多かったですが、ものの見事にコンセンサスに訴えるものがありました🎯

自分も随分と権力に抗った身ゆえ、彼らには共感を抱きます。Rストーンズのミック・ジャガーの吐き捨てるポエムもゾーンの一つです。

◎まとめ◎
お陰様で本日も知見にあふれた記事に触れさせて頂きました。かーとさん、今週もいい週✨になることを祈念しています。ありがとうございます。


横町さん、こんばんは。

非常に熱の入った温かい言葉、本当にありがたいです。
これまでのコメントをいただければ、記事を書いた自分としても非常にうれしいです。

>70年代に見るロックの攻撃性には頷くものがあります。

たしかに70年代はロックの攻撃性が花開いた時期でもありました。

60年代の段階でガレージロックなどが攻撃的なサウンドを展開していましたが、
60年代中期以降はどちらかと言えば攻撃性よりも実験性を重視する感じで、
それがLed Zeppelinをはじめとするハードロック勢の台頭によって、
「ロックは攻撃的であるべき」という考えが大きく広がりましたね。

そしてしばしばハードロックの対極として考えられるパンクロックですが、
これもまた「攻撃的なロックの復権」ともとらえることができますよね。

こうしたスタンスはそれ以降の時代にも大きな影響を与えていますね。

>往時は学生運動も盛んでしたが、これを音楽に託した若者も多かったのでないでしょうか?

横町さんのおっしゃる通り、おそらくこうした動きもかなりあったのでしょうね。

60年代のサイケデリックムーブメントも社会運動と密接に結びついてましたし、
ロックの持つ「解放の姿勢」は人々に大きな勇気を与えたように思います。

そしてそれはパンクロックの誕生によってさらに決定的になったでしょうね。

>70年代の多様性は雨上がりの大地に芽を出す多様な植物を連想させます。

60年代後期にあらゆるグループがギュッとサイケデリック方向にまとまりつつ、
様々なバンドが音楽的な実験を試みてきたことが、
横町さんのおっしゃるように、70年代に多様な形で花開いてきたと言えそうですね。

一方は60年代の音楽への反動としての色合いもあり、
また一方では60年代の音楽をさらに深化させる動きであったり、
様々な形で新しい音楽が生まれてきた時代でしたね。

>三大ロックバンドに目が向きます。影響を受けたバンドは多いのでないでしょうか?

とりあえずThe Beatles、The Rolling Stones、The Whoの3バンドと解釈しますね。

この中だとThe Whoはパンクロックへの直接的な影響が非常に強かったようです。

たとえばSex PistolsもThe Whoの曲をたびたびカバーしていましたし、
初期のThe Whoのシンプルかつストレートなサウンドはパンクにも繋がったのでしょうね。

The Beatlesは70年代後期以降に非常に多くの影響を受けたバンドが台頭していますね。

また後々に語ることにはなるのですが、80年代のアンダーグラウンドシーンでは、
サイケデリックな要素を再び取り入れようとする動きが少なからず出てきて、
それらのバンドはほぼみんなThe Beatles、The Beach Boys、The Velvet Underground
の影響下にいたといっても過言ではないほどでした。

The Beatlesのすごさはこうしたフォロワーの多さからも実感できますね。

The Rolling Stonesも60年代のリバイバル的なサウンドを志向するバンドが
しばしば「あ、これは間違いなくストーンズからの影響だな」という
サウンドを見せる場面が多くありますね。

このように「どのバンドがどのバンドに影響を受けたか」といった視点を加えて、
時代の縦の繋がりを意識しながら音楽を聴くのも非常に楽しいのですよね。

一方では感覚として音楽を楽しみ、もう一方では頭や知識でもそれを楽しむ、
これらが合わさったときに音楽の楽しさが倍増するという感覚があります。

すみません、少々熱く語ってしまって申し訳ないです;

これまでは音楽の話題を語ってもなかなか誰も乗ってくれなかったので、
今こうして横町さんが積極的に話題に乗ってくれるのが本当にうれしいのです。

なので、本当に感謝しています。

>音楽に世相風刺を託す。これは往時も今も変わっていない方向性と捉えています。
>もちろん、そうでない私情に満ちた曲も在りますが、世間にアピールするならば前者は欠かせない気がします。
>名を成したグループの多くはそのような含み(こんな世の中に誰がした?という明確な主張)があった気がします。

>音楽は人の心を動かしますが、彼ら(著名なロックバンド)は多くの若者をシンパシーに至らしめる実力と魅力を備えていたと考えています。
>セックス・ピストルズなどは王室、政府、大手企業etcを攻撃した過激な曲も多かったですが、ものの見事にコンセンサスに訴えるものがありました

これはもう私も横町さんの意見に完全に同意いたします。

ロックの歴史を眺めてみると、音楽と世相風刺はほんと一体なのですよね。

60年代のサイケデリックムーブメントはまさに社会運動の一つでしたし、
それ以前のボブ・ディランのフォークによる社会風刺もそうでしたし、
横町さんのおっしゃるようにSex Pistolsなどのパンクロックは
社会風刺とは切っても切れない存在と言うことができますからね。

一見社会問題とは縁が薄そうに見えるハードロックの分野でも、
実はけっこう社会的な問題を扱うケースが見られるのですよね。

やはりロックバンドにはどこか社会的な視点、
あるいは「何くそ」というような反骨精神を求めたくなりますね。

>自分も随分と権力に抗った身ゆえ、彼らには共感を抱きます。Rストーンズのミック・ジャガーの吐き捨てるポエムもゾーンの一つです

たしかに横町さんがロックに惹かれる理由の一つが、
ロックの持つ反骨精神でもあるのでしょうね。

私もまたそうした反骨精神に惹かれる一人でもありますね。

そういったテーマの曲も今後また扱っていきたいです。

それでは、素晴らしいコメント、本当にありがとうございます。

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