天使が空に帰って1年が経ちました
にゃんこが亡くなった昨年10月22日から1年が経ちました。
現在ブログはお休みしていますが、こうした大事な日や
月末記事については今後も普通に続けていこうと思います。
金魚さんが亡くなった6月4日は亡くなるまでの経緯であったり、
お互いの気持ちの触れ合いであったりを振り返ったりして、
ある種の大きなイベントとして過ごすのが習慣化していますが、
この10月22日に関してはそうした過ごし方は今のところは考えていません。
これは自分の中で10月22日という1日が心に刻まれているというより、
それ以降の「にゃんこのいない日々」のほうにより重みを感じていて、
この日だけが、この期間だけが特別という思いになり切れないからですね。
逆に言うと、今もなおにゃんこのいない日々にどこか慣れないままですし。
にゃんこの思い出はほんとにいろいろありますが、
やはり一番大きいのは家へと連れて帰って来たときですね。
この点については金魚さんとは大きく違う点ですね。
金魚さんは連れて帰ってきたときの思い出がやや薄くて、
逆に亡くなったときの記憶はものすごく重く残ってるのですよね。
にゃんこさんは亡くなるその日に関してはどこか覚悟がありましたからね。
かといって、時間が経ってもその痛みは消えてくれるわけではなかったですが。
にゃんこと出会ったのは18年前の9月8日の午前0時ぐらいでしたね。
当時はちょくちょく夜に散歩するということがあったのですね。
考えごとをしながら散歩すると頭がすっきりしましたので。
すると、ひたすら「みゃあ!みゃあ!」と延々と鳴き続ける仔猫がいたのです。
あんなにひっきりなしに鳴き続ける猫は他に見たことがありません。
たしかに野良猫でも仔猫は大人の猫に比べると鳴く頻度は高いですが、
それでも普通は人の気配を感じたら鳴くのをやめるものです。
でもこのにゃんこはそんなのお構いなしに何時間も鳴き続けてるのです。
これは最近になって改めて思ったことなのですが、
猫というのは喧嘩でもしない限りは普通は鳴かない動物なのだそうですね。
それが飼い猫になったり、人に懐いたりすると、
「鳴くことで人が反応する」ということをおぼえて鳴くようになるそうです。
とすると、この子はもともと飼い猫から生まれたのかもしれません。
飼い猫から生まれて、生後1ヶ月ぐらいに家から脱走してしまって、
ドブにはまってしまって出られなくなり、助けを呼ぶために鳴いていた、
というのが自分とにゃんこが出会ったときの真実だったのかもしれません。
だからあのときの鳴き声は「ただよく鳴く子だった」というのではなく、
全身全霊で緊急信号を発していたということだったように思います。
とにかくひっきりなしに鳴いていたので、「どうなってるんだ?」と思って、
声の聞こえる方向に耳をやると、どうも下のほうから聞こえてくるのですね。
それで「あ、これはドブにはまってるな」とわかり、
しかも数時間後に台風が来るという予報になっていたので、
台風が来たら確実にドブが増水してこの子は死んでしまう、
それを考えたら「助ける」以外の選択肢は頭からなくなりました。
そしていったん家に帰って懐中電灯や軍手を用意したうえで、
猫の鳴き真似をして呼び寄せ、保護して家に連れ帰ったのですね。
この家に連れ帰る途中も、家に着いてすみっこに隠れていたときも、
まだ延々と「みゃあ!みゃあ!」と鳴き続けていたのですよね。
おそらく7~8時間ぐらいはずっと鳴き続けていたように思います。
今思うと「すごい耐久力で鳴き続けていたのだな」と思うと同時に、
それだけ強い緊張感にさらされて、落ち着くのに時間がかかったのでしょうね。
要は鳴きやんだということは、「あ、このおうちは安心していいんだ」
とにゃんこが認識してくれたということですからね。
さすがにこのときほどではないですけど、よく鳴く子ではありましたね。
強制給餌をするようになってからも、お腹がすいたりすると、
僕が寝てるのにわざわざ耳元に来て「にゃーん!!」ですからね。
そして「はい、はい、わかりました、まんまやな」と起きるのです。
こうやってわがままをしてもらえるのもほんと幸せだったなと思います。

これはこのブログでは初公開になる仔猫時代の写真ですね。
おそらく全部1歳になる前のもので、
初代のガラケーで撮影したものなので写真も小さいです。
左上が一番古く、以降は中上→右上→左下→中下→右下の順です。
左上はほんとに初日に撮ったものですね。
9月8日の午前4時ぐらいの写真ではないですかね。
写真を画像掲示板に貼ってアドバイスをもらうために撮ったものでしたから。
猫を飼った経験がなかったので、人に聞かないとわからなかったので、
まずはそれを最優先にということで、撮った写真ですからね。
この写真の中では1枚目と2枚目がとりわけお気に入りですね。
ペットが亡くなると、亡くなったときのことばかりが頭を巡りますが、
こうして初めて出会った頃の写真を見て当時のことを振り返ると、
「そうか、この日から17年も生きてくれたんだよな」というふうに、
「生きてくれた時間の長さ」というものも感じることができますね。
たしかにどうやっても「にゃんこのいない日々」は重いのですよね。
でも17年も生きてくれたことも絶対に忘れちゃいけないのですよね。
そして17年間も自分にいろんな喜びや楽しさを与えてくれたことも。
ほんとこの子は天使のように自分のところに舞い降りてきてくれて、
そして17年間かけて役割を終えて帰って行った感じなんだろうなぁと。
でもそうは思っても、悲しいものはやっぱり悲しかったりするわけですが。

にゃんこの命日にはアレンジフラワーをお骨の壷の横に飾ることにしています。
右に見えるピンク色の布に包まれた壷がにゃんこのお骨の壷ですね。
これはにゃんこが亡くなった次の日に動物病院に連れて行ってあげたとき、
病院から帰ってきたときに先生がアレンジフラワーをにゃんこのために贈ってくれて、
そこから「にゃんこの記念日にはアレンジフラワーを送ってあげよう」
という気持ちになったからですね。
アレンジフラワーが家に来ると「あぁ、にゃんこの日が来たなぁ」という気持ちになります。
そして今日は偶然ではあるのですが、大泉緑地にくつろぎに行ってきました。
こうした大事な日に心が優しくなるような過ごし方をできたのはすごく良かったです。
そんな1日の中でふと思ったのですが、
金魚さんに対しては、亡くなってから辛い気持ちを抱えながらも、
「ずっと思い続けるから、天国から自分のことを支えていてほしい」
という思いが強くありましたが、この1年間、にゃんこに対しては
いなくなってしまってぽっかりと心に穴が開いたという思いばかりが強く、
お空に行ったにゃんことどう繋がり続けるかを考えられなかったのですよね。
でも今日、「あぁそうだ、いい意味で自分の心を支えるためにもっと
お空にいるにゃんこに頼らないとな」というふうに思うことができて、
「そうしないと、自分のもとから旅立ったことをいつまでも悔ませてしまうよな」
というふうに思いました。
にゃんこがお空に帰ったことによる空虚さは完全には消えないでしょうが、
いつもにゃんこが自分を優しい目でも厳しい目でも見ているぞ、という
そういう思いをこれからの1年は心に置いておかないといけないかなと感じました。
にゃんこさん、あまりにもフラフラな1年を過ごしてきた僕ですが、
どうかこれからもお空から僕のことを見て、その気持ちを支えてください。
今でもずっとずっと君のことを愛してますから。
現在ブログはお休みしていますが、こうした大事な日や
月末記事については今後も普通に続けていこうと思います。
金魚さんが亡くなった6月4日は亡くなるまでの経緯であったり、
お互いの気持ちの触れ合いであったりを振り返ったりして、
ある種の大きなイベントとして過ごすのが習慣化していますが、
この10月22日に関してはそうした過ごし方は今のところは考えていません。
これは自分の中で10月22日という1日が心に刻まれているというより、
それ以降の「にゃんこのいない日々」のほうにより重みを感じていて、
この日だけが、この期間だけが特別という思いになり切れないからですね。
逆に言うと、今もなおにゃんこのいない日々にどこか慣れないままですし。
にゃんこの思い出はほんとにいろいろありますが、
やはり一番大きいのは家へと連れて帰って来たときですね。
この点については金魚さんとは大きく違う点ですね。
金魚さんは連れて帰ってきたときの思い出がやや薄くて、
逆に亡くなったときの記憶はものすごく重く残ってるのですよね。
にゃんこさんは亡くなるその日に関してはどこか覚悟がありましたからね。
かといって、時間が経ってもその痛みは消えてくれるわけではなかったですが。
にゃんこと出会ったのは18年前の9月8日の午前0時ぐらいでしたね。
当時はちょくちょく夜に散歩するということがあったのですね。
考えごとをしながら散歩すると頭がすっきりしましたので。
すると、ひたすら「みゃあ!みゃあ!」と延々と鳴き続ける仔猫がいたのです。
あんなにひっきりなしに鳴き続ける猫は他に見たことがありません。
たしかに野良猫でも仔猫は大人の猫に比べると鳴く頻度は高いですが、
それでも普通は人の気配を感じたら鳴くのをやめるものです。
でもこのにゃんこはそんなのお構いなしに何時間も鳴き続けてるのです。
これは最近になって改めて思ったことなのですが、
猫というのは喧嘩でもしない限りは普通は鳴かない動物なのだそうですね。
それが飼い猫になったり、人に懐いたりすると、
「鳴くことで人が反応する」ということをおぼえて鳴くようになるそうです。
とすると、この子はもともと飼い猫から生まれたのかもしれません。
飼い猫から生まれて、生後1ヶ月ぐらいに家から脱走してしまって、
ドブにはまってしまって出られなくなり、助けを呼ぶために鳴いていた、
というのが自分とにゃんこが出会ったときの真実だったのかもしれません。
だからあのときの鳴き声は「ただよく鳴く子だった」というのではなく、
全身全霊で緊急信号を発していたということだったように思います。
とにかくひっきりなしに鳴いていたので、「どうなってるんだ?」と思って、
声の聞こえる方向に耳をやると、どうも下のほうから聞こえてくるのですね。
それで「あ、これはドブにはまってるな」とわかり、
しかも数時間後に台風が来るという予報になっていたので、
台風が来たら確実にドブが増水してこの子は死んでしまう、
それを考えたら「助ける」以外の選択肢は頭からなくなりました。
そしていったん家に帰って懐中電灯や軍手を用意したうえで、
猫の鳴き真似をして呼び寄せ、保護して家に連れ帰ったのですね。
この家に連れ帰る途中も、家に着いてすみっこに隠れていたときも、
まだ延々と「みゃあ!みゃあ!」と鳴き続けていたのですよね。
おそらく7~8時間ぐらいはずっと鳴き続けていたように思います。
今思うと「すごい耐久力で鳴き続けていたのだな」と思うと同時に、
それだけ強い緊張感にさらされて、落ち着くのに時間がかかったのでしょうね。
要は鳴きやんだということは、「あ、このおうちは安心していいんだ」
とにゃんこが認識してくれたということですからね。
さすがにこのときほどではないですけど、よく鳴く子ではありましたね。
強制給餌をするようになってからも、お腹がすいたりすると、
僕が寝てるのにわざわざ耳元に来て「にゃーん!!」ですからね。
そして「はい、はい、わかりました、まんまやな」と起きるのです。
こうやってわがままをしてもらえるのもほんと幸せだったなと思います。

これはこのブログでは初公開になる仔猫時代の写真ですね。
おそらく全部1歳になる前のもので、
初代のガラケーで撮影したものなので写真も小さいです。
左上が一番古く、以降は中上→右上→左下→中下→右下の順です。
左上はほんとに初日に撮ったものですね。
9月8日の午前4時ぐらいの写真ではないですかね。
写真を画像掲示板に貼ってアドバイスをもらうために撮ったものでしたから。
猫を飼った経験がなかったので、人に聞かないとわからなかったので、
まずはそれを最優先にということで、撮った写真ですからね。
この写真の中では1枚目と2枚目がとりわけお気に入りですね。
ペットが亡くなると、亡くなったときのことばかりが頭を巡りますが、
こうして初めて出会った頃の写真を見て当時のことを振り返ると、
「そうか、この日から17年も生きてくれたんだよな」というふうに、
「生きてくれた時間の長さ」というものも感じることができますね。
たしかにどうやっても「にゃんこのいない日々」は重いのですよね。
でも17年も生きてくれたことも絶対に忘れちゃいけないのですよね。
そして17年間も自分にいろんな喜びや楽しさを与えてくれたことも。
ほんとこの子は天使のように自分のところに舞い降りてきてくれて、
そして17年間かけて役割を終えて帰って行った感じなんだろうなぁと。
でもそうは思っても、悲しいものはやっぱり悲しかったりするわけですが。

にゃんこの命日にはアレンジフラワーをお骨の壷の横に飾ることにしています。
右に見えるピンク色の布に包まれた壷がにゃんこのお骨の壷ですね。
これはにゃんこが亡くなった次の日に動物病院に連れて行ってあげたとき、
病院から帰ってきたときに先生がアレンジフラワーをにゃんこのために贈ってくれて、
そこから「にゃんこの記念日にはアレンジフラワーを送ってあげよう」
という気持ちになったからですね。
アレンジフラワーが家に来ると「あぁ、にゃんこの日が来たなぁ」という気持ちになります。
そして今日は偶然ではあるのですが、大泉緑地にくつろぎに行ってきました。
こうした大事な日に心が優しくなるような過ごし方をできたのはすごく良かったです。
そんな1日の中でふと思ったのですが、
金魚さんに対しては、亡くなってから辛い気持ちを抱えながらも、
「ずっと思い続けるから、天国から自分のことを支えていてほしい」
という思いが強くありましたが、この1年間、にゃんこに対しては
いなくなってしまってぽっかりと心に穴が開いたという思いばかりが強く、
お空に行ったにゃんことどう繋がり続けるかを考えられなかったのですよね。
でも今日、「あぁそうだ、いい意味で自分の心を支えるためにもっと
お空にいるにゃんこに頼らないとな」というふうに思うことができて、
「そうしないと、自分のもとから旅立ったことをいつまでも悔ませてしまうよな」
というふうに思いました。
にゃんこがお空に帰ったことによる空虚さは完全には消えないでしょうが、
いつもにゃんこが自分を優しい目でも厳しい目でも見ているぞ、という
そういう思いをこれからの1年は心に置いておかないといけないかなと感じました。
にゃんこさん、あまりにもフラフラな1年を過ごしてきた僕ですが、
どうかこれからもお空から僕のことを見て、その気持ちを支えてください。
今でもずっとずっと君のことを愛してますから。
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