アルバム『BOLERO』の曲順の意味 / prologue / Mr.Children 深海・BOLERO歌詞意味解説

◎アルバム『BOLERO』にコンセプトはあるのか


『BOLERO』というアルバムは一般的に統一感がないと思われている。

もちろんコンセプトアルバムだった『深海』と比較すればそうなのは当然だが、
単純に一枚のアルバムとしてまとまりがなく、“Tomorrow never knows”以降のシングルと
『深海』以降に作られた新曲がバラバラに詰め込まれている印象がどうしても強い。

それゆえに『BOLERO』の曲順は意味のある繋がりだとは解釈されず、
かといって音楽的な結びつきを意識して繋げられたようにも見えない、
いったいどのような狙いで配置されたのかわからないと思われがちだ。

聴きやすく優しい歌詞のシングル曲が来たかと思えば、
次の曲では『深海』期以上にギスギスしたサウンドと歌詞が来るなど、
一枚のアルバムとして見るとあまりにも波が大きいという印象がある。

それゆえにどうしてもこの『BOLERO』というアルバムをはじめて見ると、
アルバム曲とシングル曲の雰囲気が分裂しているようにしか見えない、
異質なものを無理やり半分ずつ結合させたかのように見えてしまう。

そのような「一枚のアルバムとして」問題を抱える『BOLERO』なのだが、
果たして『BOLERO』というアルバムにはコンセプトらしきものはあるのか、
さらにはコンセプトに加えて曲順から意味を見出すことはできるのか、
あるいは単なる楽曲集として見るべきなのかを掘り下げていってみたい。

◎アルバム『BOLERO』のコンセプト


アルバム『BOLERO』のコンセプトについてはインタビューなどで
いくつか語られており、全くないと言えるものでないことはわかる。

しかし『深海』のように明確に一つのコンセプトが見えるものではなく、
複数の視点からコンセプトらしきものがいくつか見える感じに近い。

まず、アルバム『深海』の最終記事において深く触れたように、
桜井氏は「自分の体で生きるためにピュアな自分を殺した」
という意識を持っていた。

それゆえ、この意識が『BOLERO』の一つのコンセプトとなっている。
すなわち、「ピュアになることを諦めて、動物として生きよう」というものだ。

これは楽曲で言えば“ボレロ”的なコンセプトであると言っていいだろう。
あるいは“Brandnew my lover”などもこれに通じる価値観を持っている。

この点については『BOLERO』リリース時のインタビューでも桜井氏が答えている。

「だから『深海』までっていうのは、自分が死ぬか、ピュアな自分を殺して
生きていくのかの選択しかなくて、もう生きていくことを覚悟したあとなんですよ、このアルバムは。」
「(『何かをあきらめてしまったような。』と問われ、)そうですよ。(笑)
だから、自分がピュアのままでいられることを、あきらめたわけです。」[1]

もう一つは「とりあえず生きていくことにした」というものである。

アルバム『深海』のクライマックスにおいては、桜井氏は
本当に自らの死を選ぶのか、そうでないのかを迫られていた。

ただしそこで「生」を選んだとしても、夢も希望もないのは目に見えていた。

この「夢も希望もないけど、それでも生きていくことにはする」
というのもまた、この『BOLERO』のコンセプトにはなっている。

これは楽曲で言えば“ALIVE”的なコンセプトであると言っていいだろう。

これについても、『BOLERO』リリース時に桜井氏がインタビューで、
「次からどこに向けて歩こうかというか…それは、希望に向けてではないし、
夢を叶えるためでもなくて、ただ毎日毎日をただひたすら一生懸命生きてゆこうという。
テーマがあるとしたら、そこだけで。」[2]
などと答えている。

さらにはコンセプトは「ない」、ないしは「深海と同じ」というものまである。

たしかにコンセプトらしいコンセプトを考えながら作ったアルバムではないし、
『BOLERO』の曲ももともとは『深海』と同時期に作ったものが多い。

それゆえにこのようなコンセプトの表現も間違いではないわけである。

「(このアルバムのコンセプトはないのかと問われ)、うん、ないですね。
『深海』と『BOLERO』というのはコンセプトも比較されがちだけど、
言い方を変えればコンセプトも実は同じだと。曲を作った時期が同じだし。」[2]

このインタビューにおいて、中川氏は『BOLERO』の成立過程も含めながら、
「当初、今でいう『深海』と『BOLERO』は2枚組の予定だったからね。
そういう構想があったところからスタートしていたから。
やっぱり、その過程で2枚組というのは、ちょっと違うだろうと。
2、3ヶ月遅れでリリースするのも違うということになって、
今に至るわけだよね。そんなに、だからコンセプトも同じというのが正直なところかな。」
と答えている。

ただし、これらで答えられたコンセプトは多くが問題をはらんでいる。

それは、そのほとんどが「『深海』後のアルバムとしてのコンセプト」だからだ。

とりわけ“ボレロ”的なコンセプトと“ALIVE”的なコンセプトは、
「『深海』の後の新曲における桜井氏の心境」を表現しているが、
『深海』以前の曲も含む『BOLERO』のコンセプトとしてはなじまない。

本来アルバム『BOLERO』のコンセプトなるものを考えるのであれば、
それは「『深海』前の曲も『深海』後の曲も含むアルバムとしての
『BOLERO』のコンセプト」を指していないといけないはずだ。

しかし、これまでのインタビューではその答えはまだ得られていない。

◎新曲“Everything (It's you)”の謎


Everything (It's you)”の歌詞解説記事の中でも少し触れたが、
この曲には一つ大きな謎が残されたままになっている。

なぜもはや「愛」を信じることができなくなった桜井氏が、
ここに来て「理性的な人間としての理想の愛」を歌にしたのかだ。

『深海』『BOLERO』期には、「人間としての理想の愛」を書いた曲が3つある。

『深海』収録曲の“Mirror”、“名もなき詩”、そしてこの“Everything (It's you)”である。

しかし“Mirror”と“名もなき詩”は、『深海』というアルバムの物語において、
「“Mirror”のように美しく出会い、“名もなき詩”のように深く愛し合っても、
二人で暮らせば結局は“ありふれたLove Story”のような平凡な経過をたどり、
別れ(“手紙”)に至るのだ。」ということで、否定される位置付けに置かれた。

さて、一方の“Everything (It's you)”は『BOLERO』の1曲目に配置され、
ほぼ最後には対極的な意味を持つ“ボレロ”が置かれる構造になっている。

ここで鋭い人であれば、おそらくは気付くのではないだろうか。

「このアルバムは“Everything (It's you)”という『理性的な人間の理想』から、
“ボレロ”という『所詮動物でしかない人間の現実』へと堕ちていく物語なのではないか」
ということだ。

そうすれば、“Everything (It's you)”もまた否定される位置付けに置かれ、
“Mirror”や“名もなき詩”が置かれた位置との整合性も取ることができる。

果たしてそうなのか、この仮説をもとに『BOLERO』全体を見ていくことにしよう。

◎アルバム『BOLERO』の曲順の意味


さて、まずはあえてこれまで触れてきていなかった
アルバム最終曲の“Tomorrow never knows”に触れないといけない。

過去のWikipediaによると、桜井氏は“Tomorrow never knows”の曲順について、
「この曲はここ(アルバムの最終曲)に入れるしか収まりがつかなかった。
まぁボーナストラックとでも思ってください」
「これが答えか?と聞かれると、それはちょっと…」
とインタビューで答えたようだ。

ただこのときのWikipediaでは出典が記載されていなかったため、
どの雑誌が出典かわかる方がいればどうか教えてほしい。

とりあえず以降はこの発言は正しいものとして記事を進めていく。

すなわち、“Tomorrow never knows”はボーナストラックにあたるため、
アルバム本編の物語からは外して考えたほうがいいことになる。

そのため、“Everything (It's you)”から“ボレロ”までで考えていくこととする。

アルバムの最初を飾る“Everything (It's you)”では、これまでに述べたように、
「理性的な存在としての人間の理想の愛」を高らかに掲げる。

そんな理想を掲げた桜井氏であったが、“タイムマシーンに乗って”では、
「前略 宮沢賢治様 僕はいつでも 理想と現実があべこべです」[3]
と早速、その理想の通りに生きることができないことを語る。

続く「“雨ニモマケズ 風ニモマケズ” 優しく強く 無欲な男
“ソウイウモノ”を目指してたのに」[3]と“Everything (It's you)”で
描かれたような徹底して「無欲な男」にはなれないのだと語るのだ。

続く“Brandnew my lover”では、“タイムマシーンに乗って”で語った、
「理想と現実がどのようにあべこべなのか」をそのまま突き付けてくる。

すなわち、理想が“Everything (It's you)”であるのに、
現実は“Brandnew my lover”でただ快楽を貪っているのだ。

この理想と現実の乖離を受けて、続く“【es】 ~Theme of es~”では、
「『愛とはつまり幻想なんだよ』と 言い切っちまった方が
ラクになれるかもなんてね」[4]と愛そのものを信じるのを止めようと考える。

さらに続く“シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~”では、
人間とは「愛の神秘に魅せられ」ながらも、実際にやっているのは
「迷い込む恋(=エゴとエゴのシーソーゲーム)のラビリンス」でしかない、
という現実を突き付け、
「何遍も恋の辛さを味わったって 不思議なくらい人はまた恋に落ちてく」
と「恋のラビリンス」から抜け出すことができないことを示し、
それを「世界中の誰もが 業の深い生命体 過ちを繰り返す 人生」と示し、
人は「愛にたどり着けない愚かな存在である」と痛烈に断じるのである。[5]

“シーソーゲーム”は曲調こそかなりポップではあるが、
実際にはこうした非常にヘヴィなテーマ性を帯びていることは、
“シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~”の歌詞解説でも触れているので、
この記事を読んでいる方は、ぜひそちらにも目を通していただけるとありがたい。

そして“シーソーゲーム”で「愛とは幻想である」と断じた桜井氏は
“【es】”でいうように「ラクになれる」ことができたのだろうか。

しかし実際はそんなことはなく、「愛とは幻想である」と断じたことで、
さらに希望はなくなり、続く“傘の下の君に告ぐ”では、
愛さえも売り買いされ、屈折した欲望を抱える者達ばかりであることに絶望し、
「夢も希望もありゃしないさ」[6]とさらに夢を希望を失ってどん底へと沈むのである。

このあたりでアルバム『BOLERO』は死の影がチラついてくるが、
続く“ALIVE”では前曲の「夢も希望もないこと」を受け継ぎながらも、
「死にはせずに生きる」という決心をしたことを語っている。

アルバムの冒頭からここまで、「愛の理想と現実とそれに対する絶望」
によって深く悩んできた桜井氏だったが、このあたりで変化が訪れる。

続く“幸せのカテゴリー”では、答えは示さないながらも、
「最近はちょっぴり解りかけてるんだ
愛し方って もっと自由なもんだよ」[7]と何かを見つけたように語る。

ここには「“Everything (It's you)”のような人間の理想の愛だけでなく、
もっと別の愛のあり方を考えてもいいと思う」という意図が込められている。

そして“everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-”では、
混沌として動物的な本能で動く人間像を示し、
「それを嘆くのではなく、これをそのまま受け入れて愛せばいいのではないか」
という心境を示している。

“everybody goes”はもともと深い絶望の中で作った曲ではなく、
実際には“Tomorrow never knows”と同様にアルバムの物語の中から
外れてもおかしくなかったが、このように上手く入ることに成功したのである。

そして最後は“ボレロ”に到達し、“Everything (It's you)”で示した
「理性的な人間の理想の愛」を捨てて、そのかわり「動物的な本能のみの恋」
に愛しさを見出して、その対極の地に到達してアルバムは幕を閉じるのである。

このように『BOLERO』というアルバムは、
これまでメンバーも含めてほとんど語られることがなかったが、
実は明確に曲順に意味を持たされた作品だったのである。

とはいえ、曲全体がストーリーの一部としてはっきりと意味を持ち、
「ここしか置き場所がない」というのが明確であった『深海』に比べると、
「曲の歌詞の断片を繋げると一つの意味が見えてくる」だけの『BOLERO』は、
やはり『深海』のような明確なコンセプトアルバムとは言い難いだろう。

たとえば“幸せのカテゴリー”はアルバムの後半に置かれているが、
歌詞全体を見ると『深海』前を思わせる部分が多いということもあるなど、
曲順をある程度変えても意味としては通じる部分もあったりしてしまう。

そのため、この『BOLERO』の曲順は、
「“ボレロ”をこの数年間の結論にしたいと思っていた桜井氏が、
そこにあった楽曲を意味が成立するように並べた」
というものであったと言うことができるだろう。

ただ、それによって今まで単に散漫と思われていただけのアルバムが
「(最後の曲を除いて)全体を通して聴いて意味があるんだよ」
という意味が与えられたことはアルバムの価値を高めてはくれるだろう。

◎『BOLERO』と『深海』の関係


『BOLERO』の曲順の意味が分かってしまえば、
アルバム『深海』との関係性も自ずとわかるだろう。

まずこの『BOLERO』の曲順を見ると、
“ALIVE”から『深海』後の雰囲気が漂い出すことが明確に見える。

「ピュアな自分を殺すかわりに、自分の肉体を生かして所詮動物でしかない人間を見つめる」
というところへと、曲を追うごとに近づいていき、“ボレロ”で到達するのが見える。

そして『BOLERO』と『深海』の関係はインタビューで桜井氏が、
「『BOLERO』というアルバムの中の、(アルバム)『深海』というのは
ある一曲だと思うんですよ。『深海』と『BOLERO』の間のいろんなところに、
いろんな音楽を旅して、『深海』という一曲ですごく深くまで入り込んだ、
そういうある一曲のような気がするんですよ。」[2]
と語っているが、この『BOLERO』の曲順の意味を掘り下げた今ならば、
『深海』が『BOLERO』の中のどのあたりに位置しているかもはっきり見えるだろう。

“シーソーゲーム”の後か“傘の下の君に告ぐ”の後か、
このあたりに『深海』が一曲として存在することが見えてくる。

したがって、アルバム『BOLERO』の途中にそのまま『深海』を挿入するなら、
このどちらかの位置に入れるのが適切ということになるだろう。

あるいは別の言い方をするならば、
“シーソーゲーム”から“傘の下の君に告ぐ”のあたりにかけて、
その下に大きな『深海』が広がっていると言ってもいいだろう。

ただし『BOLERO』の楽曲と『深海』前、『深海』後の関係は、
他の解釈を取ることも可能で、より複雑さを帯びているため、
『深海』と『BOLERO』の曲の並べ方はこれだけが唯一の正解というわけではない。

無論、『深海』『BOLERO』期の最後の曲は“ボレロ”よりも、
“ALIVE”であってほしいという人も少なくないであろうし、
“ボレロ”が桜井氏にとって暫定的な気休めだったことを考えれば、
さらに他の曲の並び方を考えることの可能性も広がってはくるだろう。

◎アルバムタイトル『BOLERO』


このアルバムのタイトルの『BOLERO』が、“ボレロ”から来ているのは明らかだが、
これは別に「アルバムの結論的な位置付けが“ボレロ”だから」という意味ではなく、
「“ボレロ”のアレンジから、アルバムタイトルにふさわしいと考えられたから」である。

しかし一方で桜井氏は「このアルバムには本当はタイトルはいらないのかもしれない」
という思いが強かったのか、当時のインタビューでアルバム『BOLERO』について言及するときは、
「アルバム『BOLERO』、いや『BOLERO』じゃなくてもいいのかもしれないけど」、
のように注釈を置くような形で言及することが多かった。

当時の桜井氏の『BOLERO』のアルバムタイトルに対する引用もいくつか言及しておこう。

「なんでタイトルになったかといえば、この曲(“ボレロ”のこと)が、
こういうボレロ風にアレンジされたことで、このアルバムに更なる生命が宿った
気になったからです。ラヴェルのボレロの、ちっちゃい音のところから始まって、
どんどん加わる楽器も多くなって、という、それは、ミスター・チルドレンも
多くのものをこれからも巻き込んで前進していきたい、という思いと、
人生もまたしかりなのでは、という、この二つが重ね合わされています。そんな想いからですね。」[8]

「ボレロっていうのは、あのラヴェルの《ボレロ》っていう音楽があって、
アルバムの中に収録されている“ボレロ”があの曲のようなアレンジになっているんですね。
あのアレンジをしてあの曲が出来上がった時に、このアルバムに何か新しい生命が加わった
っていう感覚が強かったんですよ。でも、タイトルを決める時には、何にしようかとは迷っていて…
結局最後には自分を説得させるために、タイトルが決定したような感じなんですが(笑)。
このアルバムには、本当はタイトルなんていらないのかもしれないし。
…あの《ボレロ》というっていうのもそうだし、この“ボレロ”っていうのも、
最初、小っちゃいところから始まって、どんどんどんどんクレッシェンドしていく。
Mr.Childrenというのもそうでありたいし、人生もまたそうでありたいという想いが込められています。[2]

2つめのインタビューでは、タイトルに迷ったことであったり、
「本当はタイトルはいらないのかもしれない」という気持ちについても語られている。

そういう点からすると、このアルバムは『BOLERO』というタイトルでありながら、
同時に『無題』に近いニュアンスも持ったアルバムであるとも言えるのだろう。

◎アルバムジャケット


アルバムタイトルの『BOLERO』についてはインタビューで語られているが、
アルバムのジャケットに関しては特に言及されているケースは見られない。

しかしどのような背景からデザインされたかはおおむね想像することはできる。

“ボレロ”のドラミングをイメージしたスネアドラムを持った少女を主役に、
ドラムを叩くたびに少しずつ人生がクレッシェンドしていき、
それが“ALIVE”の「やがて荒野に 花は咲くだろう
あらゆる国境線を越え…」[9]という歌詞へと結びつくというものである。

“ALIVE”は“ボレロ”と同様にアルバムタイトルの候補でもあり、[8]
アルバムの象徴的な曲であったことを考えればありうる扱いであろう。

◎prologue - アルバムタイトル『BOLERO』への誘導路


“prologue”はサウンドを聴くとわかるように、
“ボレロ”と同様にオーケストラで録音されたものである。

言わば「ミニ・ボレロ」のような存在とも言えるもので、
アルバムの最終的な着地点とアルバムタイトルを連想させる、
という役割を持たせられた小曲となっている。

この“prologue”については、桜井氏がインタビューで、
「プロローグで始めるというのは小林(武史)さんのアイデア(笑)。
11曲目の“ボレロ”のアレンジを考えている時に出たアイデアでね。
アルバム・タイトルを匂わせつつ、感じを出しているよね。
小林さんはけっこうこういう誘導路作るのを得意としてますよね」
と語っている。

◎出典


[1] 『PATi・PATi』 1997年3月号より
[2] アルバム『BOLERO』 フライヤー pause 新星堂より
[3] “タイムマシーンに乗って”の歌詞より
[4] “【es】 ~Theme of es~”の歌詞より
[5] “シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~”の歌詞より
[6] “傘の下の君に告ぐ”の歌詞より
[7] “幸せのカテゴリー”の歌詞より
[8]『月刊カドカワ』 1997年4月号より
[9] “ALIVE”の歌詞より

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