ボレロ / Mr.Children 深海・BOLERO歌詞意味解説

◎最初は全く意図がつかめなかった


当時リアルタイムでこの『BOLERO』のアルバムを購入したとき、
それが本当に正しい解釈であったかどうかは別としたうえで、
どの曲も歌詞からある程度のイメージを描くことができたのだが、
この“ボレロ”だけが自分の中で宙に浮いていたことをおぼえている。

たとえば“タイムマシーンに乗って”や“Brandnew my lover”などは、
明らかに『深海』の流れを汲んだ、社会などへの絶望を見ることができる。

しかしこの“ボレロ”は明確な形で何かへの絶望は描かれてはいないが、
音も雰囲気も明らかに『深海』を受け継いだ何かを感じさせられたのだ。

かといって、恋愛を描いてはいるが明らかに“Everything (It's you)”のような
ラブソングと形容できるものとは別のものを書いてるようにしか見えなかった。

暗いが明確に絶望的ではなく、何か確信めいたようなエネルギーを持っている、
しかし決してそれは“Tomorrow never knows”のような真に前向きなものではない、
この「本当にどこを向いているのかがわからない」、“ボレロ”が奇妙だったのだ。

「この“ボレロ”の本当の意図は何だろう」という謎は長い年月残ったままであった。

◎所詮動物でしかない人間に愛しさを見出せないか


この曲の謎が解けたのは、『深海』『BOLERO』期の楽曲をより詳しく知ろうと、
当時のインタビュー記事を集め始めた時期に読んだ、この桜井氏の言葉であった。

「ていうか、逆に最後の“ボレロ”っていうところなんかは……要するに如何に人間とか、
恋をするっていうのは──そういうすべてのことが『なんて愚かか』と思って。
それは悲観してるのではなく、それだから愛しいって思うんですよ。
そう想えるようになったっていうか。
だから“ボレロ”っていう歌をストレートで真面目な恋の歌ってとるかもしれないんだけど、
僕にとっては『真面目に愚かに恋をしてる男が愛しい』っていう、
そういう風な気持ちで書いてるんですよ。」[1]

桜井氏の絶望の経過をたどっていくと、まず「人間とはいかに愚かか」
というところに突き当たっていく。

それを明確に描いたのが「愛という理想を掲げながら、実際にはエゴの綱引きしか
できない人間という存在」を書いた“シーソーゲーム”であった。

そしてこの時期を通じて桜井氏はある一つの考えが自分の中で大きくなり始める。
それが「人間など所詮は動物に過ぎないのではないか」という考えである。

これは「es」という人間の動物的情動を頼りにし始めたときから生まれ始め、
“シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~”のジャケットでも皮肉的に描かれている。

その後はたびたび桜井氏の中で「所詮は動物でしかない人間」の概念が表れてくる。

それが最も顕著に表れたのが『深海』の中の“マシンガンをぶっ放せ”であったし、
とりわけ「純粋になれない人間」への苦悩に対して「どうせ人間なんて動物なんだから、
不純になってしまえばいいんだよ」という形で浮上してくることが多かった。

言わば、「所詮動物でしかない人間」は桜井氏の絶望の源泉の一つであり、
それと同時に「純粋になれない人間と自分」の苦悩の逃避先でもあった。

そこに変化が生じたのが『深海』で、このアルバムにおいては、
中盤まで「どうあがいても人間は純粋になどなれないんだ」と歌いながらも、
最終盤に再び「それでも純粋でありたい」と願うがゆえに死へと向かうことで、
「死を選ぶくらいであれば、純粋でありたい自分を殺そう」と決意し、
これが『BOLERO』期へと向かう一つの原動力となったのであった。

それゆえ「もう不純であることを認めよう。人間なんてただの動物なのだから」
という意識は『BOLERO』期になって、よりその比重は大きくなっていくのだが、
それでもやはりそれが「純粋になれない人間」の逃避という側面は大きかった。

そこで桜井氏は「所詮動物でしかない人間」を逃避先としてとらえるのではなく、
「動物としての人間に何とか愛しさを見出すことができないか」と考えたのだ。

そう、その意識が結実したのがこの“ボレロ”の歌詞だったのである。

◎“Everything (It's you)”の対極にある歌詞


“ボレロ”という曲の意図は“Everything (It's you)”と比較すると明確に見えてくる。

“Everything (It's you)”という曲は、「理性的な存在である人間」、
としての「理想の愛」に100%完全に寄り添って書かれたものであった。

それは言い換えれば、「純粋でありたい人間」の立場から書かれた曲である。

それに対して“ボレロ”という曲は、「動物としての人間」としての
「恋(愛ではない)」に寄り添い、そこに愛しさを見出した曲である。

おわかりだろうか。この2つの曲は、置かれた立場が完全に対極的なのである。

「所詮動物でしかない人間」からの視点では“Brandnew my lover”なども同様であるが、
あの曲の中から「動物としての人間への愛しさ」を見出すのはさすがに難しい。

しかしながら、この曲はその「動物でしかない人間」に対して、
ある種の力強さを見せながら、それを肯定する姿を見せてくる。

“ボレロ”の歌詞をよく見ればわかるのだが、ここには「理性」がないのだ。

「心なんてもんの実体は 知らんけど」[0]とまで言ってしまうぐらいに、
「自覚的な心」からも遊離してしまった存在がここには描かれている。

「身体中が君を 求めてんだよ」[0]という表現が実に顕著であるが、
もはや心を超えて、「身体的本能」だけでこの主人公は動いているのである。

「まるで病」[0]で、相手のこと以外は何も考えることができず、
「悩める世界全体の一大事も 無関心でいられちゃう」[0]ほど自己の制御から離れている。

そして何より顕著なのが、桜井氏がたびたび口にするようになっていた
「人間なんて動物なんだから、本能のままに生きてしまえばいいんだよ」
という、そうした「動物的本能だけで生きる人間」の姿が
「感情をむき出しにして 朝から晩まで 裸のまんまで 暮らしたい」[0]
「本能のまんま 自由にして 夜のベランダで 裸のまんまで 暮らしたい」[0]
というところに明確に描き出されている。

まさにこれは「所詮動物でしかない人間」の究極的な到達点であった。

あるいは“【es】 ~Theme of es~”のときに苦悩を抱えつつ描かれた
「Oh なんてヒューマン 裸になってさ 君と向き合ってたい」[2]
の行き着いた先であったと言っていいのかもしれない。

◎これで本当に桜井氏は葛藤から解放されたのか


「人間の愚かさ」を出発点に大きな苦悩に苛まれ続けて、
「純粋になることができない人間」であることに苦しみ、
それゆえに「所詮動物でしかない人間を受け入れよう」と考え、
この“ボレロ”によって桜井氏はその到達点に達したかのように見える。

しかしそれで、本当に桜井氏はこの『深海』『BOLERO』期の葛藤から解放されたのか。

残念ながら、その答えははっきりとしていて、
この“ボレロ”における結論が桜井氏を本当に救うことはなかった。

桜井氏がこの“ボレロ”で葛藤から抜け出たわけではないことは、
この曲の歌詞以上にミュージックビデオが雄弁に語っているだろう。

Mr.Children - “ボレロ” Music Video


『深海』の象徴でもあった椅子という存在に倒れるようにもたれかかり、
その呪縛に縛られながら歌う姿に「葛藤からの解放」は微塵も感じられない。

しかも『深海』の椅子のモデルが電気椅子であったことを考えれば、
今もなお自らを刑罰にかけながら椅子でもがいているかのようである。

結局のところ、“ボレロ”が示すことができたのは、
「所詮動物でしかない人間」に対する「最大限好意的な解釈」でしかなかった。

もっともこうした暫定的な結論に過ぎないものであっても、
当時の桜井氏にとっては多少の救いになっていたのかもしれない。

しかし決して、根本的な救いにはなっていなかったこともまた事実なのだ。

◎音楽的に見て


この“ボレロ”は曲名からもすぐにわかるように、
音楽的にはラヴェルの「ボレロ」をモデルとしている。

ただ桜井氏のインタビューを見るに、曲の原形を書いたときから
ラヴェルの「ボレロ」をイメージしていたというわけではなくて、
編曲するうえで小林武史氏とのやり取りなどを通じて、
「ラヴェルのボレロのようなサウンド」にたどりついたようである。

そうした経緯について桜井氏はインタビューで、
「最初、アレンジしてる時に、まず第一アレンジを演ってみたんですよ。
でも、どうも違うと思って、小林さんに言ったんです。『もっとこんなのやりたいんですよ、
シンバルがジャーンと鳴って、ストリングスがもっと入ってて、
ティンパニーがバーンと入ってて……』って。そしたら、『それってオーケストラじゃん』って(笑)。
じゃあ、たとえばラヴェルのボレロを違うリズムにして……って言われて、いいなと思って、
小林さんにシミュレートお願いしてね。で、後日出来たの聴いたら、
俺の思ってたのとは違ったんだけど、すごくよかったんですよ。」[3]

また、この曲はオーケストラが演奏しているのだが、そのことについて田原氏が
「この曲では、フル・オーケストラに演奏してもらってるんですよ。
渋谷の『オーチャード・ホール』というところだったんですけど」[4]
と語っている。

◎おわりに


この曲の最大の存在意義は“Everything (It's you)”とは対極的なものが、
アルバムのほぼ最後に配置されているという事実にこそあるだろう。

そしてこの“ボレロ”はそれが本当に桜井氏を救ったかどうかとは別に、
「所詮動物に過ぎない人間」という観念を強く抱いていた桜井氏にとって
「一つの最終到達点と感じられる結論」であったことも事実なのである。

さて、この事実と“Everything (It's you)”のテーマ性を並べると、
すでに勘の良い人はあることに気付いているのではないだろうか。

次回はついにそれらをもとに『BOLERO』のアルバムコンセプトに迫っていこう。

◎出典


[0] “ボレロ”の歌詞より
[1]『ROCKIN'ON JAPAN』 1997年6月号より
[2] “【es】 ~Theme of es~”の歌詞より
[3] 『WHAT's IN? ES』 1997年4月号より
[4] 『月刊カドカワ』 1997年4月号より

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