虜 / Mr.Children 深海・BOLERO歌詞意味解説
◎桜井氏と(当時の不倫相手であった)吉野美佳氏との複雑な恋愛事情
『深海』『BOLERO』期のインタビュー記事を買い集めていた頃、
『深海』期の頃の桜井氏の不倫相手であった吉野美佳氏の情報を探し、
吉野美佳氏に関する当時の週刊誌の記事を読んだことがあった。
そのときに私はいやに奇妙な感覚をおぼえたのを記憶している。
そこに書かれている吉野美佳氏の人物像があまりにも
“虜”で描かれている女性と酷似していたからだ。
一方で『深海』のインタビューにおいて、この“虜”に関しては、
桜井氏はあからさまに不真面目に答えているのも印象的であった。
もうここまで書けば、お気付きになられる人も多いだろうと思う。
この“虜”はまさに当時の桜井氏と吉野氏の関係をモチーフに描いたものなのだ。
『深海』の流れを見ていくと、“シーラカンス”は主人公が桜井氏自身だったが、
それ以降は「ある一人の男性の物語」を桜井氏は俯瞰的な視点から歌う立場であった。
“手紙”から“名もなき詩”までは、一組の男女を主人公として描いていたし、
“So Let's Get Truth”以降の曲もそのときの一人の男性の物語として書かれていた。
果たしてそれは何のためであったのかをここで思い出してみよう。
それは聴く者に対して以上に、自分自身に対して、
「果たして愛というものは信じることができるものなのか」
を問うためであった。
そしてそれを“手紙”から“ゆりかごのある丘から”まで徹底して問うてきて、
そこで得た「愛とは何か」を背負ったうえで、桜井氏は自分の恋愛へと戻ってきたのだ。
◎あまりにも生々しい桜井氏と吉野氏の感情のせめぎ合い
当時の吉野美佳氏の男性関係は極めて奔放で、有名人や会社社長などを中心に、
複数人と同時交際し、その中で桜井氏とも出会って不倫関係に至ったようだ。
そして2人は「不倫ではあるが真剣な交際」に移ろうとしていったのだろう。
その中で、桜井氏は当時の吉野氏に別の交際者と別れることを要求したのである。
その関係を生々しく描いたのが、
「金曜日に奴に会ってきたろう? 簡単に別れ切り出せたの?
どうだったんだ 把握していたい 最低な君を」[0]
の部分である。
この“虜”は束縛癖のある危ない男の恋愛の歌だとよく言われるが、
実際にはそんな軽いものではない、もっとドロドロした現実の恋愛の曲なのだ。
しかし実際には吉野氏には桜井氏に伝えていた以上に同時交際者がいたのだろう。
そうした噂を聞いたときの感想を歌ったのが、
「親友から聞いた噂によりゃ 相当癖のある女だって事
なんだってんだ!! 分かってやしない 最新の君を」[0]
だったのではなかろうか。
そして吉野氏については、学生時代の友人が、
「大人しい子でどちららと言うと目立たない、印象の薄い子」
だったと答えている。
それゆえ吉野氏は中高生時代はあまり友達のいない少女だったのだろう。
そう、この部分の歌詞はまさにその彼女の過去を書いたものなのだ。
「優しさに飢えて見えるのは多分 卑屈な過去の反動
孤独な少女を引きずってんだろう」[0]
それにしてもよくもここまで生々しい歌詞を書いたものだと思う。
◎どうやってこの関係を「真実の愛」などと呼べようか
桜井氏はここまで『深海』を通して、徹底的に「愛は本当にあるのか」を問うてきた。
そして「“Mirror”のように美しく出会い、“名もなき詩”のように深く愛し合った二人ですら
二人で暮らせばいとも簡単に関係が壊れ、“手紙”のように別れに至る」という痛烈な現実も見てきた。
そして一人戦場に出て必死に生き延びても、帰ってくればもはや女性は他の男性のもとへ行き、
「それも仕方ないよ」と言われてしまう、都合のいい道徳ぶりも“ゆりかごのある丘から”で見てきた。
もはや『深海』から出せる結論は、「どんな恋愛ですら何の意味も価値もない」であろう。
ましてや吉野氏は複数の男性と同時交際し、それらを整理するのにも手間がかかり、
そして何より桜井氏は自らの妻を裏切りながら不倫関係で彼女と交際してるのである。
果たしてこの恋愛を『深海』が与える教訓をも超える「真実の永遠なる愛」と呼べるだろうか?
まさかそんなはずはないのである、この2人の不倫関係はここまで『深海』で描かれた
他の恋愛関係よりよっぽどひどい、“ありふれたLove Story”のほうが遥かにマシである。
そしてそのことは誰よりも桜井氏自身が理解していたであろう。
そもそも桜井氏は聴く者以上に、自分自身に対して、
「俺のしている恋愛なんて信用するに値しないんだよ」
と『深海』の全ての曲を通して言い聞かせてきたのだ。
しかし、それでも桜井氏はうめくようにこう歌ってしまうのだ。
「愛を信じたい」[0]
◎信じられるはずのない「愛」を信じた先にあるのは「死」
もう客観的な事実としては桜井氏と吉野氏の恋愛は「信じるに値しないもの」なのだ。
それでもなお、その「愛」と呼ぼうとするものにすがろうとする先に何があるのか。
それは一つ、「死」しかないのだ。
それを桜井氏はわかっていたからこそ、“虜”は曲の中盤から、
天国に誘われるようなサウンドと共に、
「Take me to heaven, give me your love」[0]と歌い続けられるのだ。
これは直訳すれば「天国に連れて行ってくれ、君の愛を俺にくれ」となるが、
むしろ「死ぬことになってもいい、それでも君の愛が欲しいんだ」
と訳したほうがその意図がより読み込めるだろう。
そしてこの恋愛の先に「死」しかないと悟った桜井氏は、
「寝ても覚めても 君が離れない 虜となって天国へと昇ろうか」[0]
と歌いながら曲が終わっていくのである。
この“虜”以降の曲から「死の香り」がすることは小林武史氏も語っている。
「あのアルバムをコンサートで通してやることは、例えば後半の『ゆりかご~』
から『虜』あたりで、ひとつのピークがある。コンサートに集まった人達は、
そこで、“生きてる実感”を得ようとする。でも、曲があのあたりにくると、
“生”と背中合わせに、“死”というものと、すれ違うような感覚になって、会場はシーンとなる。」[1]
◎『深海』の中での位置付け - 桜井氏の物語への復帰と「死の三部作」の始まり
“ゆりかごのある丘から”をもって、物語の語り手としての桜井氏の役割は終わり、
それまで『深海』で歌ってきたことを踏まえて自身の人生の話へと戻ってきたのである。
そしてこの“虜”では、これまで「愛など信じられるものではない」と
歌ってきながらも、自らは「愛を信じたい」と矛盾をきたしてしまい、
「信じられぬものを信じる先」として「死」が見えてきたのである。
それゆえ、この“虜”以降の3曲は実質的に「死の三部作」と呼べるだろう。
こうした“虜”以降の楽曲における葛藤は、
「だから一つはものすごく愛を過信してる自分が居て、
一方に過信してる自分にこっちのことを言い聞かせてる自分が居て」[2]
というようにインタビューでも共通することが語られている。
“ゆりかご”までは「過信してる自分にこっちのことを言い聞かせてる自分」だったが、
両者の葛藤が“虜”から「死の三部作」にかけて大きくなっていくとも言えるだろう。
◎音楽的に見て
この曲はジャニス・ジョップリン[3]のイメージをメインに据えながら、
アニマルズの「朝日のあたる家」[4]からの影響も含めたとのことである。[5]
おおむね60年代中期から70年代初期にかけての少しサイケの香りもする
ブルージーなロックを目指したというふうに考えていいだろう。
たしかにアニマルズの「朝日のあたる家」を聴くと雰囲気の近さを感じる。
こうして見ると、『深海』は音楽的な統一感を感じられる作品ながら、
実際には主に60~70年代について幅広いサウンドを有しているのがわかる。
曲の後半ではゴスペル的な女性のヴォーカルが非常に印象的だが、
これはある結婚式に行ったときに歌っていたゴスペルシンガーの方に声をかけ、
レコーディングに参加してもらい、1テイクでOKが出されたものだそうだ。[6]
◎おわりに
「この恋愛を続ける先には『死』しかない」、そう悟った桜井氏はどうするのか。
それらが語られていくのが、続く“花 -Memento-Mori-”と“深海”なのである。
“花 -Memento-Mori-”には「死を想え」というサブタイトルがつき、
“深海”ではダイレクトに死が語られる、いずれも「死の香り」のする曲だ。
『深海』の最深部に向かいながら、桜井氏はどのような結論にたどりつくのか。
◎出典
[0] “虜”の歌詞より
[1] 『ROCKIN'ON JAPAN』 1996年8月号より
[2] 『月刊カドカワ』 1997年6月号より
[3] ジャニス・ジョップリンの“More Over”のオーディオより
[4] アニマルズの“朝日のあたる家”のミュージックビデオより
[5] 『月刊カドカワ』 1996年7月号より
[6] 『PATi・PATi』 1996年7月号より
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leaves先生、こんばんは!
「深海」はアルバム全体として1曲みたいになっているので、
1つ1つの曲は地味に感じられてしまうところはありますね!
「アルバム一つとして雰囲気を聴く感じ」でしたからね!(●・ω・)
せっかくですから、これを機会に「深海」を引っ張り出してきて、
記事を読みながら聴いてみると一気に雰囲気が変わるかもですよ!
とはいえ、曲のストーリーが逆順に並んでいるところなどは、
ほんと誰かに解説してもらわないと気付かないでしょうしね!
ではでは、コメントありがとうございました!(゚x/)
「深海」はアルバム全体として1曲みたいになっているので、
1つ1つの曲は地味に感じられてしまうところはありますね!
「アルバム一つとして雰囲気を聴く感じ」でしたからね!(●・ω・)
せっかくですから、これを機会に「深海」を引っ張り出してきて、
記事を読みながら聴いてみると一気に雰囲気が変わるかもですよ!
とはいえ、曲のストーリーが逆順に並んでいるところなどは、
ほんと誰かに解説してもらわないと気付かないでしょうしね!
ではでは、コメントありがとうございました!(゚x/)
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その当時もあまり好きなアルバムではなかったように思いますね。
そういう意味のあるアルバムだったのー?!ってかーとさんの記事読んでびっくりだけど曲に記憶がないからピンと来なかったです(o´∀`;o)。
ミスチル、深いぜ!