デルモ / Mr.Children 深海・BOLERO歌詞意味解説
◎モデルの女性にたとえて自分のことを歌った曲
“Everything (It's you)”のシングルのB面として収録された曲。
この“デルモ”は表面的には「モデルとして有名になった女性が
自らの幸せについて考える歌」となっているが、
実際には「桜井氏が自分のことを有名になったモデルになぞらえながら、
その辛さや幸せについての葛藤を吐露した曲」ととらえるのが妥当であろう。
桜井氏もインタビューで「デルモに置き換えて自分のことを歌ってるところも
けっこうありますからね。Bメロの“いつも自己管理~”とか」[1]と答えている。
また同じインタビューで「(詞や曲を書くのは)自己救済のためだけですよ、最近は」[1]
と答えていることからも、自分の置かれた環境と無関係に書いた曲ではないことがわかる。
そこさえ読み取ることができれば、歌詞のトーンはほぼ一貫しており、
歌詞全体のテーマを読むのはそれほど難しくない曲と言えるだろう。
歌詞の構成を見ると、Aメロでは普通にモデルの女性を描きながら、
それ以外の箇所では自分をモデルの女性に重ねた内容となっている。
◎夢をかなえた先にある人生は本当に幸せなのか
この曲のテーマも“【es】 ~Theme of es~”に近く、
「夢をかなえた先にある人生は本当に幸せなのか」
ということを自問自答する歌詞となっている。
この曲の主人公として登場する女性は
「東京─パリ間を行ったり来たりして
順風満帆な20代後半だね」[0]と書かれているように、
モデルとして大きな成功を収めた設定となっている。
しかし彼女はモデルとしての夢をかなえながらも、
「寂しいって言ったら ぜいたくかな かいかぶられて いつだって
心許せる人はなく 振り向けば一人きり」[0]
と、幸せを感じるどころか、有名になった代償を負わされ、
それゆえに孤立感をおぼえている様が描かれている。
もちろんこれは「成功して有名になりたい」と思っていたが、
その夢がかなった先には本当に幸せと呼べるものはなく、
「Mr.Childrenの桜井和寿」をひたすら背負わされることになった、
桜井氏自身の姿をこの曲の主人公の女性を通じて描いたものである。
その心情は『BOLERO』後のインタビューにおいても、
「Mr.Childrenの桜井としてはみんな知ってるじゃないですか。その中にいると、
そうじゃない自分とのバランスが全然とれなくなってきちゃって。もう毎日が
Mr.Childrenの桜井和寿になっていく生活が、どうも自分には不向きのような気がして」[2]
と語られている。
こうした「かなえた夢であったはずの仕事が楽しめなくなる様子」は、
先に紹介した“フラジャイル”でも「ロックで愛する家族を養ってんだ」[3]とあったが、
その2年後に書かれたこの曲では「華やかな様であって 死んだ気になりやってんだ」[0]となり、
桜井氏の内面的な絶望感がより深まっていることが露わになっている。
◎「幸せ」ってつまり何なのよ
大きな夢を追うものは、その夢を手にしたときに、
他の人よりも幸せな人生を手にできるはずだと思っているものだろう。
しかし主人公の女性も桜井氏も夢をかなえた先に
「本当の幸せ」なるものを見出すことはできなかった。
そうすると、必然的に次のような疑問が浮かんでくることになるだろう。
「普通の人生と今の人生、果たしてどっちが幸せだったのだろう」と。
そこで主人公の女性は「夢をかなえた自分の人生」と
「ありきたりだけど幸せだとされる人生」の比較を始める。
そして「恋」「結婚」「子供作っちゃえば」[0]といった、
「普通の女性の幸せとされるもの」を思い浮かべ、
今の自分と比較しながら「幸せって何なのだろうか」と自問自答するのだ。
しかし主人公は決してどちらがより幸せなのかの結論は出さない。
その姿からはむしろ「本当の幸せなどあるのだろうか」という意識すらうかがえる。
この「幸せ」に対する葛藤について、桜井氏はインタビューで
「本当に幸せになるっていうのは無理に近いことなんじゃないかって思う」[1]
と答えている。
夢をかなえた先に幸せな人生が用意されてるということはなく、
かといって普通の人生を送ればより幸せになれるとも限らない、
明確に言葉にこそされていないものの「幸せもまた幻想である」
といった虚無感すら感じられる地点へと着地していく。
◎「夢をかなえた先にあった大人時代」は子ども時代より幸せだったのか
この“デルモ”には音楽的にも歌詞のうえでも極めて印象的な部分がある。
純和風的な雰囲気の「母の優しき面影を 追いかけて唄う ふるさとの子守唄」[0]という箇所だ。
中学生や高校生になると、多くの人が「大人になって新しい人生を手にする自分」を想像し、
それに胸を膨らませるが、この曲の主人公の女性も、そして桜井氏自身もまた
夢をかなえた先に、むしろさみしさを抱え郷愁の念に駆られる結果となっている。
こうした「夢への絶望の先に故郷への思いが湧き上がってくる姿」は、
“フラジャイル”でも「生まれた故郷を振り返ってんだろ」[3]と語られていた。
そこから垣間見える「子ども時代のほうが幸せだったのではないだろうか」
という思いは、この曲のテーマである「幸せとは何なのか」をさらに深く問うている。
◎「水泳大会のおりも政夫」に特に意味はない
“デルモ”を語るうえでどうしても話題にせざるをえないのが、
歌詞の最後に登場する「水泳大会のおりも政夫」[0]である。
「これはさすがにただのおふざけだろう」と誰もが思っているように、
桜井氏も「最後の最後に身内のウケ狙いで付け足したら評判がよくて」[1]
と、単なるおふざけであることを明かしている。
もっとも「まだまだ若いの」[0]のあたりから歌詞の持っている
シリアスなムードが急に弱まり、その最後に「おりも政夫」が登場するので、
この4行全体が歌詞としてはおまけに近い存在と言っていいのかもしれない。
◎音楽的に見て
音楽的にはいかにもジャミロクワイ[4]からの影響が強く感じられるが、
最初の段階からジャミロクワイを意識して作ったわけではないらしい。
桜井氏によると「最初は打ち込みでハウス(ミュージック)っぽい音だったんだけど、
それをやめてジャミロクワイみたいにしようってことで」[1]とのことである。
◎おわりに
「モデルとして成功を収めた女性の人生」という形式を採ってはいるものの、
テーマとしては“【es】 ~Theme of es~”で書かれた「夢をかなえた先にあるもの」
をさらに押し進め、「夢と幸せの関係」や幸せそのものを問う内容となっている。
こうしたテーマの曲は『深海』『BOLERO』期の中でもあまり多くは見られないので、
当時の桜井氏の幸せに関する価値観を知ることができる貴重な曲だと言えるだろう。
◎出典
[0] “デルモ”の歌詞より
[1] 『CDでーた』 1997年2月5日号より
[2] 『ROCKIN'ON JAPAN』 1997年6月号より
[3] “フラジャイル”の歌詞より
[4] ジャミロクワイの“Virtual Insanity”のミュージックビデオより
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