【es】 ~Theme of es~ / Mr.Children 深海・BOLERO歌詞意味解説
◎夢をかなえた先にあったのは、「長いレールの上を歩む旅路」でしかなかった
“【es】 ~Theme of es~”は曲がそれなりにポップであるがゆえに、
歌詞の持つ重々しいテーマが伝わりにくくなってしまっているが、
アルバム『深海』と近接した存在であることを意識しながら、
その真意を読み取ろうとすると、かなり重いものであることがわかる。
前作にあたる“everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-”は
もともとその一つ前の“Tomorrow never knows”のB面曲として作られた[2]ので、
テーマ的に前作にあたる“Tomorrow never knows”に目を向けると、
そこでは痛みを描きつつも「誰も知ることのない明日へ」[1]向けて、
「夢を描こう」[1]と極めて前向きなトーンで歌詞が綴られている。
それに対し、“【es】 ~Theme of es~”では歌詞の始まりからして、
「Ah Ah 長いレールの上を歩む旅路だ」[0]と平坦と単調さが強調されている。
アルバム『BOLERO』のインタビューで桜井氏は、
「僕は音楽で成功するっていう夢に向けて、10代の頃からずーっとそれだけを
目がけてやってきたところがあって、じゃあそこに行き着いた時に何があったかといえば、
そこにはやっぱり描いていたような夢があったわけでもなく。そこで一度絶望している」[3]
と語っているが、“【es】 ~Theme of es~”のテーマの根幹にあるのは、
この「夢をかなえた先には、結局は何もなかった」という事実であった。
どんな人生であれ普通の人生を送ってしまえば、それが「長いレール」のようになるのは
決して珍しいことではない。しかし大きな夢をかなえようとする者は、多くの場合は
それを目指してかなえることによって「普通とは違う人生」が手に入ると夢を見るであろう。
しかしそう願い、実際にそれを手にした桜井氏の目に映ったものは
「長いレールの上を歩む旅路」[0]でしかなかったのだ。
この「夢なんてかなえたって、何の意味もなかったんじゃないか」という思いは、
「栄冠も成功も地位も名誉も たいしてさ 意味ないじゃん」[0]の叫びに顕著に表れている。
このときすでに、桜井氏にとって「夢」は「自分を突き動かすもの」ではなくなっていたのだ。
◎夢だけでなく、愛もまた幻想なのではないだろうか
アルバム『深海』『BOLERO』期の主要なテーマに「愛とは幻想に過ぎない」というものがあるが、
その萌芽がすでにこの“【es】 ~Theme of es~”の中に「『愛とはつまり幻想なんだよ』と
言い切っちまった方がラクになれるかも」[0]という形で登場している。
そして後の『深海』などで「愛とは幻想だ」と実際に言い切る方向に向かうのはご存じの通りである。
「夢」への絶望に比べると、この時期に「愛とは幻想である」という
考えに向かった理由は明確ではないが、当時の奥さんとの間に不和が生まれ、
不倫に向かっていったことなども関係していることは間違いないだろう。
当時の奥さんがMr.Childrenが所属していたレコード会社(トイズファクトリー)の
社員であったことはよく知られているが、Mr.Childrenが売れるために奔走した奥さんにとって、
「夢をかなえた先に何もなかったことに絶望している」桜井氏を理解するのはおそらく難しく、
このあたりもお互いがわかりあえない理由であったのではないかと推察はできる。
◎自らを突き動かせるものが、もはや「es」しかなかった
「夢」も「愛」も自らを突き動かせるものでなくなったとするなら、
人はどうやって自分のことを前に進めればいいのだろうか。
そうした悩みの中で、桜井氏はある精神分析学の概念に出会う。それが「es」であった。
「es」(イドとも言う)は、人の中で最も無意識の領域にあるもので、
人の本能的な欲求や生理的な衝動の源泉としてとらえられている。
すなわち、桜井氏は「もう自分のことを夢や愛で突き動かすことはできなくても、
人間にはesがある限り、それを源泉として前に進むことができる」と考えたのである。
これは言い換えるなら、「夢や愛に価値を見出せなくなり、自らを突き動かすうえで、
人間の最も本能的な衝動であるesにしか頼ることができなくなっていた」
ということでもあった。
ただ人間の無意識にある衝動の源泉にしたがって、
「長いレールの上を」「風に吹かれ バランスとりながら」「流れるまま進もう」[0]
とするしかなかったのである。
◎人間の作った概念に果たして意味はあるのだろうか
しかし「es」に頼ることは、桜井氏にとって非常に危険な道でもあった。
「愛」や「夢」といった、人生を豊かにするために人が作った概念を信じられなくなり、
「es」という動物的な本能にしか頼れないとなったならば、ある疑念が湧き上がってくる。
「結局人間は動物に過ぎず、愛や夢のような人が作った概念は無意味なのではないか」、
あるいは「愛や夢という理想に手が届くほど、人という存在は立派ではないのではないか」、
という疑問である。
こうして愛や夢などの「価値があるとされたもの」に価値を見出せなくなり、
「所詮は動物でしかない人間」と「人が描き上げた理想」の狭間に取り込まれ、
桜井氏は徐々にアルバム『深海』へと歩みを進めていくことになる。
◎人は愚かだと思い始めつつも、まだ信じる心が残っている
アルバム『深海』『BOLERO』期には「人とは愚かな存在である」という
観念が少なくない曲に表れているが、この曲からはその傾向は伺えつつも、
それでもまだ「人を信じたい」という思いが少なからず残っている。
このあたりは「甘えや嫉妬やズルさを抱えながら誰もが生きてる
それでも人が好きだよ」[0]というあたりに見て取ることができる。
この点については、もうすでに『深海』への歩みを進めつつも、
まだそこに完全には沈んでいなかった桜井氏の姿を見ることができる。
◎おわりに
「桜井氏はなぜ急にesなどという精神分析学の概念を持ち出したのだろう」、
これは“【es】 ~Theme of es~”を聴いたときに誰もが思ったであろう。
しかしそれは決して思い付きでも、単に精神分析学をかじろうとしたのでもなく、
自らを突き動かす存在を失ってしまった桜井氏が、必死にあがいてたどりついたものであった。
そしてそれは先にも触れたように、『深海』への、地獄への入口でもあった。
ここから桜井氏は、自らも不倫の渦の中に飲み込まれていきながら、
「人と自らの愚かさ」を悩み抜きながら、それを乗り越えんとあがいていくことになる。
◎出典
[0] “【es】 ~Theme of es~”の歌詞より
[1] “Tomorrow never knows”の歌詞より
[2] 『【es】 Mr.Children in 370 DAYS』 角川書店 1995年4月1日より
[3] アルバム『BOLERO』 フライヤー pause 新星堂より
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