にゃんこが空に旅立ちました (4/4)
(3 から続く)
そして改めて考えさせられたのは、
金魚さんを失ったときとの自分の感じ方の違いでした。
死に対しての感じ方を比較するのはいいことではないのですが、
ただこれは自分にとって避けて通れない話でもあるのですよね。
自分が死や命に対してどう向かい合っているのかという話でもありますから。
金魚さんを失ったときは、自分の感情を全くコントロールできず、
ただひたすら混乱の渦に巻き込まれてしまう感覚だったのですよね。
でもれいんちゃんに関しては、思い入れはものすごく強いにもかかわらず、
何度も泣きはしながらも、自分を完全に失ってる感覚とは違うのです。
今思うと、金魚さんを亡くしたときは、無念、悔しさ、申し訳なさ、
そうした思いに完全に自分の心が覆われてしまったのですよね。
襲撃されるのを防いであげることができなかった無念さと申し訳なさ、
そしてその5ヶ月後に病気を発症してから何もしてあげられなかったこと、
この「何もできなかった」ことへの申し訳なさから逃れられなかったのですね。
むしろ襲撃から約半年の間、生きてくれた赤い金魚さんに対しては、
襲撃のときに空っぽになってしまった自分の心の穴を埋めてくれて、
もう一度思い出が作れるように頑張ってくれたということもあって、
「自分は何もしてあげられず、金魚さんに助けてもらうばかりだった」
ということが感謝と申し訳なさばかりに結びついたのですよね。
その無念さはずっと引きずっていて、今も少なからず続いています。
だから金魚さんを失ったときには「ありがとう」という言葉しか出なかった、
そしてその「ありがとう」は「ごめんなさい」の裏返しでもあった、
そうしたことを今回改めて感じさせられることになったのですよね。
それに対してれいんちゃんのときは、今年の1月に大きな危機を迎え、
もしそこでそのまま失っていたら、きっと同じ感情に覆われたと思います。
でもそこから必死で、強制給餌の技術を1週間ぐらいで完全に身につけ、
1月中旬から始め、2月中旬にはそれだけで全ての栄養を賄えるとこまで来た、
そして10月22日までの約10ヶ月間、ずっと走ってくることができたのですよね。
先生によると、強制給餌以外でほぼ食べられない状態になってから、
状態が安定して体重が増加傾向に入るのは非常に珍しいそうです。
実際に1月のときには数日の間で亡くなる危険性がありましたし、
2月の最初の段階でも血液検査の数字は改善していなかったので、
この時点では「良くて2・3ヶ月」という状態だったのでしょう。
そして普通はここまで肝臓の状態が悪くなっていると、
強制給餌をしても嘔吐などが続いて上手くいかないことが多いそうです。
言うなれば、自分が必死で強制給餌をマスターして、
さらにカロリー計算などもして適切な給餌ができたことと、
れいんちゃんがあまり嘔吐することなく強制給餌を受け入れてくれて、
だんだんと体調が改善して、それに伴いさらに嘔吐が少なくなるという、
自分とれいんちゃんのお互いの努力でこの10ヶ月を走れたのですよね。
自分としても、れいんちゃんとしてもやれることはやり尽くせた、
もちろん可能であるならばそれをもっともっと長くしたかった、
でも可能な限り、れいんちゃんの体が許す限りのことはできたように思うのです。
だって肝臓には腫瘍があって、それはおそらく2年前の秋頃にはできていて、
そこから体重減少と食欲低下が始まっていて、腫瘍も大きくなってきていたのに、
強制給餌をしながらとはいっても、2年も頑張ることができたわけですからね。
寂しいし、悲しいし、思い出すたびにどうしても涙は出てしまうけど、
だけど無念さや「何もしてあげられなかった」という気持ちとは違う、
心のどこかに自負がある、そこが大きな違いにはなっているのですよね。
だから「ありがとう」という言葉だけしか出せなかった金魚さんのときとは違って、
出てくるのは「ずっと愛してるよ」という言葉なのですよね。
この10ヶ月間、強制給餌をしながられいんちゃんに何度「愛してるよ」と言ったか、
それと変わらず、「これからもずっとそうだ」ということを何より伝えたい、
だからそうした言葉が何より出てくるのだと思うのですよね。
れいんちゃんが亡くなった直接的な要因ははっきりとはわからないのですが、
おそらくは10月下旬の急な気温の低下が大きかったのでしょう。
すでに9月頃から体調は下降気味にあって、
食事量を確保することで何とか保ってはいたものの、
何かきっかけがあれば崩れてしまうギリギリのラインだったのでしょう。
そこで急に寒くなったことで、一気に崩れていったのでしょう。
気温変化や雨が体調に与える影響は先生からも聞かされていましたし、
葬儀の人も季節の変わり目に亡くなる子が多いことは触れていましたし、
実際に気温が急に下がったときににゃんこが寒いとアピールしてたので、
体調に大きく関わってくるぐらいの変化だったのでしょうね。
思い返すと、数年前はれいんちゃんの老後が、
れいんちゃんが亡くなる前の数ヶ月がどうなるのか、すごく怖かったのですよね。
れいんちゃんが少しでも体調を崩したり、怪我をするだけで、
いてもたってもいられなくなってパニック状態になってしまう自分が
そうした時期を耐えることなんてできるのかと思っていたのです。
そして亡くなる前に大きな病気などになればお金もかかる、
それがどのくらいになるのかも全く予想できなかったですからね。
でも実際に訪れたこの10ヶ月間はものすごく意義のあるものになりました。
たしかに毎日4~8回の強制給餌をするということは、
普通に考えれば大きな負担ではあるのでしょう。
でも実際に始めてからは、それは当たり前の日常になり、
そしてれいんちゃんに愛情を注げる大事な機会になったのですよね。
れいんちゃんのことが好きで好きでたまらない心配性の自分が
最後の最後に「もうゆっくり眠っていいんだよ」と思ってあげられたのは、
数年前の自分だったら全く想像できなかったことでしょう。
そしてれいんちゃんは最後まで本当に偉かったと思います。
普通だったら、死を迎えるときは、少しずつ体が衰弱して、
1~2ヶ月ぐらいかけて一つ一つできないことが増えていく、
そしてその中でトイレもできなくなりおしっこやうんちも
どうしても垂れ流しの状態になる子も多いと思うのですね。
でもれいんちゃんはたしかに食事は自力でできなくなったものの、
トイレに行けなくなったのは最後の12時間ぐらいだけで、
その間も決してそれを垂れ流すようなことはしなかったのですよね。
言い換えるなら、れいんちゃんは衰弱する姿は数日だけしか見せなかった、
衰弱することによって与える不安や負担は最小限にとどめてくれた、
急に訪れながらも、どこか温かさをもって見送ってあげられたのは、
そうしたれいんちゃんの最後の数日があったからこそでもありました。
17年間、2004年という遥か前からずっと一緒に暮らしてきたので、
今でも自分に染みついた習慣は抜けずに残っています。
つい「あの子は今どこの部屋にいるのかな」とふと思ったり、
部屋のドアは完全に閉めずにあの子が通れる隙間を必ず開けていたり、
ひざに何か感触をおぼえると「ん、あの子が乗りに来たか」と思ったり、
そのたびに「あぁ・・・」と思ってしまうことが何度もあります。
それはさみしくもあるのですが、
でもそうした習慣も無理に全部なくさなくてもいいのかもしれません。
見えないけど、見えない姿であの子はまだ家の中にいて、
いつものドアの隙間を通ったりしているのかもしれません。
そんなふうに思っていてもいいのかもしれないなと感じたりもします。
公開はしませんが、なきがらの写真も何枚か撮ってはいます。
それを見ると「この姿にもう触れることはできないんだ」と悲しくなると同時に、
たとえなきがらであっても、自分には愛しくて愛しくてたまらないのですよね。
ずっとずっと自分にとって、そこにいるのが当たり前の姿でしたからね。
ほんと何度思い返しても、この子との出会いは運命的だったのですよね。
猫は大好きだけど、猫を飼うことは意識していなかった自分を
ひたすら呼び続けて飼う決心をさせて保護へと導いていった
偶然のはずなのに、必然だと思えるような出会いでした。
まるでこの子は自分に飼われるために
空から降りて来たんじゃないかなんて思えてしまうほどに。
そしてそんな天使のような子はかけがえのない17年を僕にくれて、
後悔させないように最後の10ヶ月を一緒に走り抜けてくれて、
衰弱する姿をできるだけ見せないようにして眠るように旅立っていった、
それはまるで金魚さんのときに自分が感じた苦痛を少しでも感じなくても済むように、
そんな愛情をたくさん感じさせてくれる数日であり、10ヶ月であり、17年間でした。
れいんちゃんは間違いなく世界一のにゃんこでした。
この子以上に愛しいにゃんこは二度と出会うことはないでしょう。
この子を一生、これからも愛していくことは自分の責務だと思っています。
愛しくて愛しくてたまらない、かけがえのない17年間を本当にありがとう。
僕を見つめて「にゃあ!」と大声で鳴いてわがままを言うあの可愛い姿は絶対に忘れません。
そして改めて考えさせられたのは、
金魚さんを失ったときとの自分の感じ方の違いでした。
死に対しての感じ方を比較するのはいいことではないのですが、
ただこれは自分にとって避けて通れない話でもあるのですよね。
自分が死や命に対してどう向かい合っているのかという話でもありますから。
金魚さんを失ったときは、自分の感情を全くコントロールできず、
ただひたすら混乱の渦に巻き込まれてしまう感覚だったのですよね。
でもれいんちゃんに関しては、思い入れはものすごく強いにもかかわらず、
何度も泣きはしながらも、自分を完全に失ってる感覚とは違うのです。
今思うと、金魚さんを亡くしたときは、無念、悔しさ、申し訳なさ、
そうした思いに完全に自分の心が覆われてしまったのですよね。
襲撃されるのを防いであげることができなかった無念さと申し訳なさ、
そしてその5ヶ月後に病気を発症してから何もしてあげられなかったこと、
この「何もできなかった」ことへの申し訳なさから逃れられなかったのですね。
むしろ襲撃から約半年の間、生きてくれた赤い金魚さんに対しては、
襲撃のときに空っぽになってしまった自分の心の穴を埋めてくれて、
もう一度思い出が作れるように頑張ってくれたということもあって、
「自分は何もしてあげられず、金魚さんに助けてもらうばかりだった」
ということが感謝と申し訳なさばかりに結びついたのですよね。
その無念さはずっと引きずっていて、今も少なからず続いています。
だから金魚さんを失ったときには「ありがとう」という言葉しか出なかった、
そしてその「ありがとう」は「ごめんなさい」の裏返しでもあった、
そうしたことを今回改めて感じさせられることになったのですよね。
それに対してれいんちゃんのときは、今年の1月に大きな危機を迎え、
もしそこでそのまま失っていたら、きっと同じ感情に覆われたと思います。
でもそこから必死で、強制給餌の技術を1週間ぐらいで完全に身につけ、
1月中旬から始め、2月中旬にはそれだけで全ての栄養を賄えるとこまで来た、
そして10月22日までの約10ヶ月間、ずっと走ってくることができたのですよね。
先生によると、強制給餌以外でほぼ食べられない状態になってから、
状態が安定して体重が増加傾向に入るのは非常に珍しいそうです。
実際に1月のときには数日の間で亡くなる危険性がありましたし、
2月の最初の段階でも血液検査の数字は改善していなかったので、
この時点では「良くて2・3ヶ月」という状態だったのでしょう。
そして普通はここまで肝臓の状態が悪くなっていると、
強制給餌をしても嘔吐などが続いて上手くいかないことが多いそうです。
言うなれば、自分が必死で強制給餌をマスターして、
さらにカロリー計算などもして適切な給餌ができたことと、
れいんちゃんがあまり嘔吐することなく強制給餌を受け入れてくれて、
だんだんと体調が改善して、それに伴いさらに嘔吐が少なくなるという、
自分とれいんちゃんのお互いの努力でこの10ヶ月を走れたのですよね。
自分としても、れいんちゃんとしてもやれることはやり尽くせた、
もちろん可能であるならばそれをもっともっと長くしたかった、
でも可能な限り、れいんちゃんの体が許す限りのことはできたように思うのです。
だって肝臓には腫瘍があって、それはおそらく2年前の秋頃にはできていて、
そこから体重減少と食欲低下が始まっていて、腫瘍も大きくなってきていたのに、
強制給餌をしながらとはいっても、2年も頑張ることができたわけですからね。
寂しいし、悲しいし、思い出すたびにどうしても涙は出てしまうけど、
だけど無念さや「何もしてあげられなかった」という気持ちとは違う、
心のどこかに自負がある、そこが大きな違いにはなっているのですよね。
だから「ありがとう」という言葉だけしか出せなかった金魚さんのときとは違って、
出てくるのは「ずっと愛してるよ」という言葉なのですよね。
この10ヶ月間、強制給餌をしながられいんちゃんに何度「愛してるよ」と言ったか、
それと変わらず、「これからもずっとそうだ」ということを何より伝えたい、
だからそうした言葉が何より出てくるのだと思うのですよね。
れいんちゃんが亡くなった直接的な要因ははっきりとはわからないのですが、
おそらくは10月下旬の急な気温の低下が大きかったのでしょう。
すでに9月頃から体調は下降気味にあって、
食事量を確保することで何とか保ってはいたものの、
何かきっかけがあれば崩れてしまうギリギリのラインだったのでしょう。
そこで急に寒くなったことで、一気に崩れていったのでしょう。
気温変化や雨が体調に与える影響は先生からも聞かされていましたし、
葬儀の人も季節の変わり目に亡くなる子が多いことは触れていましたし、
実際に気温が急に下がったときににゃんこが寒いとアピールしてたので、
体調に大きく関わってくるぐらいの変化だったのでしょうね。
思い返すと、数年前はれいんちゃんの老後が、
れいんちゃんが亡くなる前の数ヶ月がどうなるのか、すごく怖かったのですよね。
れいんちゃんが少しでも体調を崩したり、怪我をするだけで、
いてもたってもいられなくなってパニック状態になってしまう自分が
そうした時期を耐えることなんてできるのかと思っていたのです。
そして亡くなる前に大きな病気などになればお金もかかる、
それがどのくらいになるのかも全く予想できなかったですからね。
でも実際に訪れたこの10ヶ月間はものすごく意義のあるものになりました。
たしかに毎日4~8回の強制給餌をするということは、
普通に考えれば大きな負担ではあるのでしょう。
でも実際に始めてからは、それは当たり前の日常になり、
そしてれいんちゃんに愛情を注げる大事な機会になったのですよね。
れいんちゃんのことが好きで好きでたまらない心配性の自分が
最後の最後に「もうゆっくり眠っていいんだよ」と思ってあげられたのは、
数年前の自分だったら全く想像できなかったことでしょう。
そしてれいんちゃんは最後まで本当に偉かったと思います。
普通だったら、死を迎えるときは、少しずつ体が衰弱して、
1~2ヶ月ぐらいかけて一つ一つできないことが増えていく、
そしてその中でトイレもできなくなりおしっこやうんちも
どうしても垂れ流しの状態になる子も多いと思うのですね。
でもれいんちゃんはたしかに食事は自力でできなくなったものの、
トイレに行けなくなったのは最後の12時間ぐらいだけで、
その間も決してそれを垂れ流すようなことはしなかったのですよね。
言い換えるなら、れいんちゃんは衰弱する姿は数日だけしか見せなかった、
衰弱することによって与える不安や負担は最小限にとどめてくれた、
急に訪れながらも、どこか温かさをもって見送ってあげられたのは、
そうしたれいんちゃんの最後の数日があったからこそでもありました。
17年間、2004年という遥か前からずっと一緒に暮らしてきたので、
今でも自分に染みついた習慣は抜けずに残っています。
つい「あの子は今どこの部屋にいるのかな」とふと思ったり、
部屋のドアは完全に閉めずにあの子が通れる隙間を必ず開けていたり、
ひざに何か感触をおぼえると「ん、あの子が乗りに来たか」と思ったり、
そのたびに「あぁ・・・」と思ってしまうことが何度もあります。
それはさみしくもあるのですが、
でもそうした習慣も無理に全部なくさなくてもいいのかもしれません。
見えないけど、見えない姿であの子はまだ家の中にいて、
いつものドアの隙間を通ったりしているのかもしれません。
そんなふうに思っていてもいいのかもしれないなと感じたりもします。
公開はしませんが、なきがらの写真も何枚か撮ってはいます。
それを見ると「この姿にもう触れることはできないんだ」と悲しくなると同時に、
たとえなきがらであっても、自分には愛しくて愛しくてたまらないのですよね。
ずっとずっと自分にとって、そこにいるのが当たり前の姿でしたからね。
ほんと何度思い返しても、この子との出会いは運命的だったのですよね。
猫は大好きだけど、猫を飼うことは意識していなかった自分を
ひたすら呼び続けて飼う決心をさせて保護へと導いていった
偶然のはずなのに、必然だと思えるような出会いでした。
まるでこの子は自分に飼われるために
空から降りて来たんじゃないかなんて思えてしまうほどに。
そしてそんな天使のような子はかけがえのない17年を僕にくれて、
後悔させないように最後の10ヶ月を一緒に走り抜けてくれて、
衰弱する姿をできるだけ見せないようにして眠るように旅立っていった、
それはまるで金魚さんのときに自分が感じた苦痛を少しでも感じなくても済むように、
そんな愛情をたくさん感じさせてくれる数日であり、10ヶ月であり、17年間でした。
れいんちゃんは間違いなく世界一のにゃんこでした。
この子以上に愛しいにゃんこは二度と出会うことはないでしょう。
この子を一生、これからも愛していくことは自分の責務だと思っています。
愛しくて愛しくてたまらない、かけがえのない17年間を本当にありがとう。
僕を見つめて「にゃあ!」と大声で鳴いてわがままを言うあの可愛い姿は絶対に忘れません。
<<チャパグリ カップ | ホーム | にゃんこが空に旅立ちました (3/4)>>
leaves先生、こんばんは。
本当にありがとうございます。
自分の中の一つの区切りとして、
必ずこうした文章は書くようにはしているのですが、
やはり書くときはものすごく辛い思いになりますね。
特にお別れの瞬間の場面を思い出すと自分でも泣いてしまいます。
自分は猫好きながらも、親が「猫は好きだけど飼わないことに決めている」
と言っていたので、ずっと飼おうとは思わなかったのですよね。
でもこの子だけは、自分が助けないといけないという使命感に駆られ、
「助けるのであれば飼おう」と迷うことなく決断したのですよね。
なんだか不思議な力に押されるようなお互いの出会いでした。
今はこう、ずっとさみしさを感じてるわけではないのだけど、
ふとこれまでのように「あれ、今あの子はどこだっけ」と思ったり、
自然とトイレがあったところに目をやってしまったり、
「ん、あそこにいるのかな」みたいに気にかけてしまったり、
そんなことを感じた瞬間にどうしてもさみしくなりますね。
できれば、いつかオーダーメイドでぬいぐるみを作ってもらいたいですね。
20万近くかかるみたいですが、それでもやっぱり作りたい思いがあります。
あの愛しい姿にまだ会いたいという思いがどこかにあるのですよね。
それでは、温かい言葉を本当にありがとうございました。
本当にありがとうございます。
自分の中の一つの区切りとして、
必ずこうした文章は書くようにはしているのですが、
やはり書くときはものすごく辛い思いになりますね。
特にお別れの瞬間の場面を思い出すと自分でも泣いてしまいます。
自分は猫好きながらも、親が「猫は好きだけど飼わないことに決めている」
と言っていたので、ずっと飼おうとは思わなかったのですよね。
でもこの子だけは、自分が助けないといけないという使命感に駆られ、
「助けるのであれば飼おう」と迷うことなく決断したのですよね。
なんだか不思議な力に押されるようなお互いの出会いでした。
今はこう、ずっとさみしさを感じてるわけではないのだけど、
ふとこれまでのように「あれ、今あの子はどこだっけ」と思ったり、
自然とトイレがあったところに目をやってしまったり、
「ん、あそこにいるのかな」みたいに気にかけてしまったり、
そんなことを感じた瞬間にどうしてもさみしくなりますね。
できれば、いつかオーダーメイドでぬいぐるみを作ってもらいたいですね。
20万近くかかるみたいですが、それでもやっぱり作りたい思いがあります。
あの愛しい姿にまだ会いたいという思いがどこかにあるのですよね。
それでは、温かい言葉を本当にありがとうございました。
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>やれることはやり尽くせた、
もちろん可能であるならばそれをもっともっと長くしたかった、
でも可能な限り、れいんちゃんの体が許す限りのことはできたように思うのです。
これは大きいですよね。本当にれいんちゃんは幸せだったと思います。
人と人との出逢いは大切だけど、人と動物との出逢いもある種奇跡であり、とても大切な瞬間だと思う。
やり切った気持ちはあると思うけど、それでも大切な家族との別れ・・・まだまださみしさが続くと思うけど、身体壊されないように、早く元気になってくださいね。
ご冥福をお祈りいたします。