にゃんこが空に旅立ちました (2/4)

(1 から続く)

そんなにゃんこの状態に少し妙だと感じたのは10月9日のことです。

病院に連れて行くときは、いつも大声でにゃーにゃーと鳴くのですが、
大声で鳴いているはずが、微妙に声の出方が悪いように感じたのです。

ただこの時点では、まだちょっと不思議に感じたぐらいでした。

そして強い危機感をおぼえたのは10月15日の夜のことでした。

やはり鳴き声が小さくなっていることが気になり、
そこからいろいろと頭を巡らせると、
少しずついろんな活動性が落ちてきていることに気付いたのです。

今思うと、9月ぐらいの段階から少しずつ変化が出ていました。

以前は強制給餌を終えてネットから出すと、
必ず早足で2階に上って僕の部屋で待っていました。

しかしそうしないときが9月頃からときどき見られるようになり、
その頻度が日を追うごとにだんだんと高くなってきていました。

またトイレの失敗や、それまでならしないおしっこのミスが
9月に入ってからだんだんと見られるようになっていました。

今考えると、特に変だったのは僕の布団におしっこをしたことでした。

猫という動物は自分が寝床だと認識してる場所ではトイレをしないそうです。
トイレのミスをするとしても、寝床以外の場所でするのが普通だそうです。

それなのに、にゃんこ自身も寝床に利用している僕の布団で
9月だけで2回もおしっこをしてしまったのですよね。

このときは「年老いてきたし仕方ないだろうな」としか思いませんでしたが、
それまでと比べていろいろな機能が衰えてきてる表れでもあったのでしょう。

またお風呂場でペタンと座っていることや、
今のテーブルの上でお腹を置いて座ることが増えてきました。

そしてその頻度は日を追うごとにだんだんと高まってきました。

これもこのときは「暑いのかな」ぐらいに軽く考えていましたが、
おそらくはこれも状態の悪化を示唆していたのでしょう。

というのも、猫は死期が近づくと冷たいところに行きたがるそうです。
少しずつそうした傾向が出てきていたということなのでしょう。

単に絶対的な暑さの問題であれば、そうした行動は最も暑い8月に出るはずが、
実際には9月以降に徐々に増えるという点で奇妙なところがありましたので。

「自分の考え過ぎだろうか」「気のせいなのだろうか」と思いながらも、
この10月15日の夜にはそうしたことを感じて強く不安になっていました。

またこのあたりで急に室温が下がりましたが、
にゃんこは「寒い寒い」とアピールしていて、
こたつをすぐに出してあげたところちゃんと入っていたので、
「いや冷たいところに行きたがるというのは思い過ごしかな」
と思えるところもありました。

10月18日にも病院に連れて行きましたが、
この時点では確実に言えることはまだ鳴き声が小さいことぐらいで、
そこまで死期が近づいていると言えるようには見えなかったので、
特別は対処はしてもらわずに、いつも通りの治療を受けました。


しかしこの週に入ってから、急速ににゃんこの状態に変化が出てきました。

日に日に鳴き声は小さくなり、次第ににゃーんと鳴けなくなり、
良くて「にゃ、にゃ」と小さな声を出すだけで、
僕に対して積極的に鳴くこともなくなっていきました。

そして最大の変化は足腰が急に弱っていったことでした。

というか、実際には9月から徐々に弱っていたのでしょう。

強制給餌の後に2階に上らなくなってきたのも、
2階に上るのがだんだんと辛くなってきたからだったのでしょう。

この週に入ってからは明らかに足腰が立たなくなってきて、
ピンと足を立てることが難しくなり、
歩くのも徐々によたよたとしてきて、
普段はもうペタンと座っていることが増えてきました。

そしてこれまでは嘔吐は空腹時か、うんちの直後のみでしたが、
この週に入ってからそれとは違うタイミングでの嘔吐が出てきました。

多い回数ではなかったものの、これまでと明らかに変化が出ていました。

日に日に活動性は弱まり、2階にはほぼ上ってこなくなり、
上ってくるときも明らかにそれまでよりも時間がかかって、
かなり苦労しながら階段を上っているのがわかりました。

自分はこの子のことについてはひどく心配性なので、
いつもであればこうした変化が出れば急いで病院に連れていくのですが、
このときに関してはなぜかそうした思いは出てきませんでした。

今年に入ってからは、これまでに何度も死を覚悟してきましたし、
つねにそれを意識してきた自分にとって、
このとき起きていたことはいわゆる一時的な変化であったり、
治療できるような新しい病気が出てきたのとは全く違う、
もう対処はできない、来るべき時が来たことを理解していたのだと思います。

もう病院でしてもらえることは全てしてもらっていましたし、
新しい病気にかかった気配はない、急速に状態は落ちたものの、
それは9月から延長線上にあって、治せるものではないと感じていました。

10月21日にはほぼ自分でトイレにも行けなくなってきて、
一度抱っこしてトイレに連れて行ったものの、
トイレの砂の上でも足を立てられずペタンと座ってしまう、
「あぁ、もうこういう状態まで来たのだな」と感じました。

そして夕方以降はもうトイレにも行かなくなり、
これ以上は自分で排便することもできない気配でした。

ただそれでも強制給餌は頑張って受け入れてくれていました。

もうこの状態だったら、強制給餌も全て吐き出してもおかしくないはずです。
でも、全く苦労する素振りは見せず、あげた分は自然に食べてくれました。

そして10月22日の夜明け前と午前中に強制給餌をしたときは、
ネットの中で足を立てることはできずペタンと座っていて、
目も半分閉じている感じで、うつらうつらとしていました。

でもそんな状態なのに、強制給餌は時間もかからずきれいに食べてくれました。

だけどそのときに見せていた眠るような仕草は、
もう普通の眠りではない、永遠の眠りを示唆していることはわかっていました。

でも自分もすでに覚悟はできていて、
最後の強制給餌の後には、「おやすみなさい」という思いを込めてこたつに入れてあげました。

そしてその約3時間後に、れいんちゃんはこたつの中で硬くなっていました。

でも不思議とそのときには涙は出ませんでした。

「これ以上は無理をしなくていいんだよ」という思いがあったので、
無事に旅立たせてあげられたことに安堵した面もあったと思います。

ただ仕事前の時間だったので、感情を抑えてもいたとは思います。

硬くなったれいんちゃんはすぐに2階の自分の部屋に連れて行って、
僕の布団の上で寝かせてあげました。


家に帰ってきてれいんちゃんを撫でてあげると、
生きていたときとは違う、ふわっとした感じはなくなり、
冷たく、硬くなってしまったことを強く感じました。

目は開いていたので、抱っこしてあげながら見つめてあげると、
それまで我慢していたものが決壊して涙が止まらなくなりました。

飼い主であっても、
なきがらの姿や生きているときとは違う雰囲気の目を嫌がる人もいるそうです。

でも自分はその硬く冷たくなった体も、
開いている目も愛しいという以外の気持ちは感じませんでした。

冷たくなってもまだいつものように自分の目を見つめてくれる、
そして自分もまだこの子の目を見つめてあげることができる、
そうした時間をまだ少しでも過ごせることへの感謝しかありませんでした。

(3 に続く)

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