にゃんこが空に旅立ちました (1/4)

にゃんこが10月22日に空に旅立ちました。

17年前の9月8日に保護してこの家にお迎えしたので、
17年と1ヶ月半の間、この子のことを飼っていたことになります。

保護したときにおよそ生後1ヶ月だったので、
年齢としては17歳と2ヶ月半ぐらいになります。

本名はれいんちゃんだったのですが、両親は別の名前で呼んでいて、
自分も家ではほぼ「姫ちゃん」と呼んでいることが多かったので、
本当の名前がよくはっきりしていない感じにはなっていますが。

ただ病院などではれいんちゃんと呼ばれていたので、
れいんちゃんと呼ばれることがなかったわけではないのですが。

自分は別にもともと猫をどうしても飼いたいと思っていたわけではなく、
17年前の9月8日の午前0時ぐらいにたまたま気晴らしに散歩していたのですね。

すると道路よりも下のところから引っ切り無しに鳴く仔猫の声が聞こえたのです。

「これはどうもドブのところに迷い込んでしまってるみたいだ」と思い、
またこの日は数時間後には台風が来て大雨になることがわかっていたので、
ここで助けない限りはドブは増水してその子は確実に死んでしまう、
それを見捨てる気にはなれず、懐中電灯や軍手を取るために家に戻り、
この子を助けるためにその場所へとまた戻ってきたのですよね。

もちろんこのとき、ドブから助けたうえで近くに放すこともできました。

でもなぜか、このとき「この子は助けることができたらそのまま連れて帰る」
という決心が自分の中で完全に固まっていて、動くことはありませんでした。

今思えば、そのとき他の仔猫とは比べ物にならないぐらいに鳴き続けていたこの子と、
台風が近づいていて放っていくことができなかったこと、その日にたまたま散歩したこと、
自分とこの子の出会いは運命的なものと行っていいものだったのかもしれません。

そして無事に保護することに成功し、家へと連れ帰り一緒の生活が始まりました。

「れいん」と名付けたのは、雨の日に助けたこと、
そして自分の好きな猫好きのミュージシャンの名前がレインだったこと、
この2つを合わせて「れいん」としたのでした。


れいんちゃんの健康に少し不安が出てきたのは2年前の秋頃でした。

でもその頃は自分は何も気付いておらず、夏の検査では体重も血液検査も良好で、
その次の春までは変化が出ていることにはほとんど気付いていませんでした。

ただこのあたりから、少しご飯の吐き戻しの回数が増えてはいたのですが。

そして次の春(1年前の春)に体重を量ると3.8kgまで減っていたのですよね。
2年前の秋の段階では4.4kgまで増えていたので、急に0.6kg落ちたことになります。

今年の2月の検査で肝臓に腫瘍が見つかりましたが、
おそらくは2年前の秋からその次の春の間ぐらいにできていて、
それによって徐々に食欲の低下や嘔吐が起き始めていたのでしょう。

その春の病院での診察の際に体重低下について指摘を受けたので、
そこからは厳密に食事量管理を行い、量を増やすことに努めました。

それによって夏にかけて4.2kgまで体重が回復していきましたが、
そこからは再び低下傾向に入り、10月ぐらいにはさらに食事量が減り、
それをウェットフードによって補うという形になっていきました。

そして昨年の12月末にはウェットフードを食べる量も減ってきて、
ドライフードも含めて全体の食事量が危険水域へと入りました。

猫は他の動物と異なり、食事量が大幅に減ったときの状態悪化が激しいのです。

というのも、猫は絶食が約36時間、あるいは食事量の少ない状態が続くと、
肝臓に脂肪が急速に集まって脂肪肝となり、黄疸などが出始めてしまい、
そこから数日の間に命を落としてしまうという危険が出てきてしまいます。

他の動物の場合は、食事量が危険な状態にまで減ってきても、
急速に危険にはならず、体重が減少して衰弱してくる感じですが、
猫という動物はそうした余裕がほとんどないのですよね。

今年1月の最初に病院を受診した際の血液検査は非常に悪く、
「連れてくるのが遅かったかもしれない」と先生にも言われ、
下手すればもう数日で亡くなるという危険な状態でした。

しかしこの段階ではまだ自分は強制給餌に踏み切る覚悟はできておらず、
病院の先生に頼んで食欲増進剤の処方によって凌ごうとしました。

それによって2・3週間ほどは何とかやり過ごすことはできましたが、
それでも食事量は少なく、徐々に食欲増進剤の効果もなくなってきました。

ただこの食欲増進剤に頼っていた時期に、少しだけシリンジによる
強制給餌を試してみると、意外に上手くいきそうな感じだったのですよね。

今年1月の最初は食欲増進剤と禁じ手であるかにかまぼこのおやつで凌いでましたが、
その間に少しずつ強制給餌の割合を増やして、そちらへの移行を進めていました。

しかし2月最初の血液検査も非常に悪い数字であったため、
血液検査に悪い影響を与えるかにかまぼこはこの段階でストップし、
食欲増進剤は継続しながらも強制給餌の割合を大幅に増やしました。

そして2月中旬の検査で肝臓に腫瘍が見つかり、
この頃には食欲増進剤の効果も切れてきつつあったので取りやめ、
もう完全に強制給餌のみに移行するということになりました。

1月から2月中旬頃までは本当に状態が悪く、
毛も艶がなくなり、嘔吐することも少なくはなく、
元気もなくいつも自分の部屋で僕に引っ付いてばかりいました。

れいんちゃんはもともと肝臓の血液検査の数字があまり良くなく、
一定程度の負担が肝臓にずっとかかってしまっていたのでしょう。

それが肝臓の腫瘍とそれによる食欲低下につながったのでしょう。


そんな厳しい状況でしたが、2月下旬からは状態が上向いてきました。

この段階で出せる薬は完全にベストなものを処方してもらい、
また食事も療養食にしたことで最良なものにしたのですよね。

そして食事も強制給餌のみなので余計なものは与えなくなり、
さらに食事量も安定し、それによって状態が良くなってきました。

3月から6月ぐらいにかけて体重も増加して、
1月最初には3.5kgまで落ちていたのが4.2kgまで上がりました。

これ以降は太り過ぎてもいけないので、安定するように心がけ、
それからは体重は4.05~4.20kgの間で推移するようになりました。

そして7月の血液検査では1・2月に比べて数字も良好になり、
以前ほどではないものの、1・2月よりは家での活動性も上がり、
それなりに安定した状態になってきたことがわかりました。

(2 に続く)

にほんブログ村 グルメブログ カップ麺・カップラーメンへ このエントリーをはてなブックマークに追加
(クリックしてくださる際にはCtrlキーを押しながらすると非常に楽です。)

テーマ : | ジャンル : ペット

コメント

 
おはようございます。
そうなんですか、ご愁傷様です。

獄激辛麻婆の記事のころ、記事アップが
なんか遅れたりしていたのでどうしたのかな?
と思っていたのですが、その頃はいろいろ
厳しい状況で取り込んでられたのでしょうか・・・。

かけるいい言葉は自分には見当たりませんが、
とにかく疲れをお出しにならないように・・・。
おはようございます。

そうだったんですね。
寂しいですね。
でも
とっても大切にされていて
にゃんこさん 幸せだったと思います。

ご冥福をお祈り申し上げます。
こんにちは。

人間でいうと84歳~ですから天寿を全うしたと言って良いと思います。
毛皮を着替えてきっと帰ってきます。
そのときは見つけてあげてください。
たういさん、こんばんは。
ありがとうございます。

そういえばたういさんと少し前にお会いしたときに、
たういさんが「覚悟は持っておいたほうがいいよ」
と言っておられましたが、
あの日の時点では自分はまだそこまで危機感がなくて、
そこからほんの3週間でこの日が訪れたのですよね。

10月22日からこの記事を書くまでの間、
何事もなかったかのように平静を装って
振る舞うのがしんどいところはありましたね。

10月22日からのバタバタした日は一段落はついたので、
さみしくはありながらも、いったんは休めそうです。

それでは、温かい言葉をありがとうございました。
まうさん、こんばんは。
こちらではおひさしぶりです。

ついにこの日がやってきてしまいました。

まうさんとブログで出会ってから10年ぐらいになるとは思いますが、
振り返るとその間ずっとにゃんこは僕のそばにいてくれたのですよね。

17年間、全てが完璧な接し方ではなかったと思いますが、
少なくともこの10ヶ月間、大きな病気を抱えながら、
にゃんこと二人三脚で全力で駆け抜けられたと思います。

それでは、温かい言葉をありがとうございました。
右頭さん、こんばんは。
ありがとうございます。

そうなのですよね、17歳というと人間では84歳、
人間に換算するとうちの親よりも高齢になっていて、
家の中では完全に最年長の存在になっていました。

来たときは小さくて完全に赤ちゃんだったのに、
すっかりと育って老いたのだなと思わされますね。

もう少し長く生きさせてあげたかったという思いはありますが、
猫も人間と同じように年を取れば病気を患うものですし、
完ぺきとは言えないながらも、全力で介護できたと思います。

まだ不思議とあの子が家の中にいるような感じなのですよね。
それだけあの子が残してくれたものが大きかったのだと思っています。

それでは、温かい言葉をありがとうございました。
17年もれいちゃんと過ごされて、お別れは寂しく悲しいですね。
家も10年飼ってたワンコを亡くした時は暫くは立ち直れませんでした。
カートさんも、暫くは辛い日がつつくと思いますが、一日でも早く立ち直ってくれることを願ってます。

れいちゃんのご冥福を心よりお祈りします。
モモユニさん、こんばんは。
ありがとうございます。

ペットを飼っていると、ものすごく愛おしいと同時に、
いつかは別れが来るので、そのときがものすごく辛いですよね。

モモユニさんもモモちゃんのときに辛い思いをされたのですね。
特に若くして亡くなると、「助けてあげたかった」という思いが
強く残ってしまうだけに、飼い主としてもすごく引きずりますよね。

昨年の12月下旬以降は毎日覚悟との戦いだったように思います。

いつ亡くなってもおかしくない、そんな中であらゆる手を尽くしましたが、
そこから10ヶ月・・・少しでも長生きさせられたのか、
そうは言えないのか自分でもわからないですが、お別れのときがきました。

今もまだれいんちゃんが家のどこかにいるような、
17年も一緒にいただけにそんな感覚が残っています。

それでは、温かい言葉をありがとうございました。
雨の日に運命的に出会え
かーとさんに17年間も大切にされ
旅立たせてもらえた「れいん」ちゃんは
幸せだったと思います。

ご冥福をお祈り申し上げます。
pekoさん、こんにちは。
ありがとうございます。

こうしてお別れがきてしまったことはすごく寂しいですが、
自分が17年前のあのときに保護してしなければ助かっていなかった、
今年に入ってからの10ヶ月間も強制給餌していなければ助かっていなかった、
そうしたことを考えると、できることはしてあげられたのかなと思います。

最後の数日もものすごく苦しむようなことにはしなくて済んだ、
急ではあったものの眠るようにして旅立たせてあげられた、
そして同時にできるだけ自分に心配をかけない形で旅立ってくれた、
そうした旅立ちの迎え方はお互いに幸せだったのかもしれません。

それでは、温かい言葉をありがとうございました。

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog
/ ある事件の記録ブログ版
Copyright © He can eat anything but himself! All Rights Reserved.