7年が経ちました
2005年の夏から7年間飼っていた3匹の金魚さんが
空へと旅立ったその日から7年が経ちました。
もともとは2005年の夏に行ったお祭りの金魚すくいの際にもらった
2匹の赤い金魚と2匹の黒い出目金さんで、赤い金魚のうちの1匹は
連れて帰ってきた10日後ぐらいにすぐに旅立ってしまったのですが、
残りの3匹はそこからずっと長く元気に暮らしてくれたのですよね。
赤い金魚さんのことはあかきんさんと呼び、2匹の出目金さんは
1匹が3歳ぐらいの頃に徐々に赤と黒が混じるようになってきたので、
その子をあかぐろさん、もう1匹をくろきんさんと呼んでいました。
そうした平和な日々が壊れてしまったのは2011年の12月の終わり頃でした。
その1年ぐらい前から、近所にものすごく性質の悪い野良猫がいて、
その猫に2011年の12月末に金魚さんが住む水槽が襲撃されたのです。
今思えばその危険性を感じさせる猫に対してもっと強い警戒心を持って、
水槽に網をかけるなどの措置を取っていればと悔やんだりもするのですが、
それまで6年以上、先住の金魚さんも含めて10年以上何も起きなかったので、
そのようなことが実際に起きる可能性を全然予見できていませんでした。
その猫は今では近くの家で世話されながら外飼いの猫となっていますが、
数年前にはうちの猫もその猫の攻撃を受けて大怪我したこともあります。
3匹の金魚さんが旅立ったのはみんな同じ日だったというわけではなく、
襲われたその日にあかぐろさんが、くろきんさんもそのときの傷が原因で
冬を越すことができずに旅立ち、唯一あかきんさんだけが春を迎えました。
あかきんさんは数10枚のうろこがはがれながらも、春には元気を取り戻し、
「この子だけは元気でいてくれている」と思わせる日々を届けてくれましたが、
やはり傷は深かったため免疫が弱り、それがゆえに5月末に病気にかかってしまい、
懸命の治療をしたものの助けることはできず6月4日に旅立ってしまいました。
その日から7年、思えば金魚さんたちを飼っていたのは厳密には約6年9ヶ月なので、
もうその日から流れた時間のほうが金魚さんがいた時間より長くなったのですよね。
「もうあの日からそんなにも経ってしまったのか」と思うのと同時に、
あのとき「いつか悲しみとともにあの子たちへの思いも薄れてしまうのでは」
と不安に思いましたが、こうして7年経ってもこの時期を大切に過ごせている、
自分のあの子たちへの思いが色褪せていないことには安堵するところもあります。
今も1日が始まるときに、庭のあかきんさんたちを埋めた場所に向かい、
目を閉じて心の中で軽く会話を交わすことは毎日欠かしていないですしね。
たしかに肉体はそばにはいなくなりましたが、心は今もともにあります。
ブログのデザインが金魚さんなのも、もちろんそこに理由があります。
「いつもともにいることを感じていたい」という思いからなのですね。
6月4日はそんな特別な日ということもあり、毎年この時期がやって来ると、
当時書いたいろんな文章を読み返したり、庭を飾るための花を買ってきたりと、
当時の思いに触れることで、自分の気持ちを新たに確認する日々を過ごします。
当時の文章などに触れるとどうしても毎年何度かは涙を流してしまう、
そんな自分にとって悲しみがよみがえってしまう日々でもあるのですが、
この時期は温かな気持ちと、神聖な感覚を与えてくれる日でもあります。
何か不思議なものに包まれているような、そんな感覚になるのですよね。
この時期は6月4日に向けて自分の中でやるべきと決めていることも多く、
忙しい時期と重なったりするとたしかに時間的に大変でもあるのですが、
悲しくもあり大変でもあるのに、この空気の中にもう少しとどまっていたい、
そうした思いにさせてくれる、自分にとって1年の中で最も大切な日々です。
当時の文章を読み返したり、7年前のあの日の夜にあかきんさんに捧げる花を探しに行った
長居公園に夜に訪問したり、そうした行動を通じて自分の心を深いところへ潜らせるのですが、
昨年と一昨年のこの時期にものすごく深いところにまで心が潜っていったのに比べると、
今年はもう少し落ち着いた気持ちの中でこの時期を過ごした感覚がありましたね。
3年前まではこの時期の意味をまだ自分でつかみかねてる感覚がありましたが、
一昨年に今の自分の心の源流に触れるための旅としての意義に改めて気付き、
昨年は全ての始まりであるあかきんさんが残したものの価値を強く再確認するなど、
6月4日という日の持つ意味をより深く見られるようになってきましたね。
時間が経って思いが薄れるどころか、そうしてこの時期の意義を問い直すことで、
1年1年この時期の価値や意味をより深く感じるようになってきてもいますね。
金魚さんとの生活は、襲撃された2011年の冬に事実上終わったとも言えるのですが、
でもそこから6月4日までの5ヶ月間にこそ、その間のあかきんさんの頑張りにこそ、
今の自分と今に繋がる全てが詰まっているといっても過言ではないのですよね。
もしあの瞬間に全て終わってしまっていたら、事実を受け止めることすらできず、
決して忘れはしないものの、今と同じような結びつきは持てなかったことでしょう。
あかぐろさんはそのなきがらすら見つけられず弔ってあげることさえできなかった、
くろきんさんは水槽の底で朽ちた姿こそ見つけ、埋めてあげることはできたけど、
いったいいつの日に空へと旅立っていったのかも知ることができなかった、
そしてどちらの子に対しても襲撃の日以降、新しい思い出も作ることができず、
何の治療すらもしてあげられず、そのまま自分の手の中から消えていきました。
そんな中あかきんさんは冬を越え、満身創痍でありながら春にもう一度元気な姿を見せ、
自分とみんなの間で育んできた輝いていた頃の日々を2ヶ月ながら再び送らせてくれて、
回復はさせてあげられなかったものの、2匹にもしてあげたかった治療の機会もくれて、
最後にこの6月4日という特別な日を自分に残す形で旅立って行ってくれたのですよね。
襲撃されてしまった日に、近いうちに別れが来ることは決まってしまっていたのでしょう、
でも近く別れが来るという中で、最良の残りの日々と最後の日を自分に与えてくれた、
あかきんさんが見せてくれたこの5ヶ月にはただただ深い感謝をするほかありません。
そう思えば、この6月4日はそんなあかきんさんを讃えるための日でもあるのでしょう。
そして近く終焉を迎えてしまうことが決まってしまったあの襲撃を受けた日に、
あかきんさんがあかきんさん自身に課した使命を果たし終えた日でもあるのでしょう。
6月4日という自分にとってこの上なく重い日は、あかきんさんの最大の贈り物でもあったのでしょう。
特別な日というものがあることが、お互いをより強く結びつけていることは間違いないですから。
ただ、それゆえにあかきんさんにばかり無理をかけたという思いも湧きはしますが。
そして今年の日々は5月の月末記事で触れた親子のことと切り離せないものになりました。
実はこの金魚さんたちと出会ったお祭りはこの親子と3人で行ったものなのですよね。
なので、金魚さんたちは自分とこの親子との思い出の存在でもあるわけです。
今年のこの時期に夜の長居公園に訪問したときも、まず思いを巡らしたのは、
このおかあさんと娘さんと密に交流していた時期の思い出のことでしたし。
ただそんなふうに単にお互いの関係性などに交わりがあるというだけでなく、
今年のこの日々に再び触れ直した「あかきんさんがくれた5ヶ月の意味」は、
まさに今後のこの2人と自分とのあり方を示すものでもあったと思うのですよね。
あかきんさんがくれた5ヶ月というのは、死というものに直面したうえで、
与えられた残りの時間をいかに過ごしていくのかということでもあり、
そしてそれを通じて相手にこれからに意味のあるものを残すことであり、
死に直面しながら生きるからこそ残せるものがあるということでもあり、
この問題に対する自分への道しるべを示してくれてもいるのですよね。
そう考えると、あの日からもう7年もの月日が流れているにもかかわらず、
あかきんさんから教えられることはまだまだたくさんあるのですよね。
6月4日に向けてやるべきことが多い日々を迎えるということもあって、
2人へのコンタクトを一時的に控えていたところもあったのですが、
この日を境に自分なりの関わり方を始めていくところでもありますし、
そのうえでものすごく大事なことを教えられたような思いもします。
あらゆる面において、自分にとってこの時期が意義深いことを再確認させられます。

(庭の金魚草:2019年5月12日撮影)
さて、少しずつ明るい話へとスポットを当てていきたいと思いますが、
昨年の6月に庭に植えた金魚草さんは勢い良く満開を迎えました!
この金魚草さんは3代目にあたりますが、育ちがものすごく早いのですよね。
一昨年の4月に植えた2代目はその1年後も花の数はほんの10個程度で、
その1ヶ月後には自分のミスもあって枯れてしまうことになりましたが、
この3代目の金魚草はたったの1年で一気に150個以上も花を咲かせています!
さすがに初代金魚草の全盛期の花の咲き方には及ばないものの、
2年目でこの咲き方は間違いなく誇れるレベルのものと思います!
色が純粋な黄色ではなく、濃い色になっている部分が散見されますが、
これは枯れているのではなく、もともと黄色と紫がまざっているのです。
金魚さんにたとえるなら、2色がまざっていたあかぐろさんみたいな感じですね。
ただこの金魚草さんはもともとは不安な出だしだったのですよね。
というのも買ってきてすぐの時期には少しだけ花は咲いたのですが、
本来は花の時期であるはずの秋になっても全く花は咲くことなく、
「この金魚草は花が咲かないタイプなのだろうか」と思いましたからね。
でも実際には秋に花が咲かなかったことが大きく功を奏したのですよね。
金魚草は花を咲かせるときにものすごく体力を使ってしまうようで、
花が咲いてくるとその分だけ葉っぱが一部枯れたりするのですよね。
でもこの金魚草さんは秋に花を咲かせずに葉と茎を大きく育てたので、
この春になって一気にため込んでいた力を爆発させたのですよね。
そう考えると、花を咲かせない時期というのも大切なのでしょうね。
今は5月に続いて第2弾が咲いてますが、いっそまたちょっと休んで、
来年のために力を蓄えてくれてもいいかもなんて思ったりもします。
ちなみにこの金魚草さん、最もメインである茎が斜めになっていて、
よくよく見るとものすごく変わった方向に伸びていってるのですよね;
たしか昨年の夏や秋頃は雨のたびにあっちにこっちにと傾いてしまって、
棒を立てたりして支えてはいたのですが、いつのまにか斜めに定着して、
そのまま安定しながら伸びていくという変な経緯をたどっています;
ちょっとこの金魚草さんは色も含めて変わりものなのかもしれませんね。
ところで「金魚さんのかわりに金魚草を植えた」と見えるかもですが、
実は金魚草を植え始めたのは7年前のこの日より1年以上後なのですよね。
もともとは金魚さんの庭にそなえる目的でマリーゴールドを
買ってきていたのですが、毎回すぐに枯れてしまっていたので、
「じゃあ名前も近いし金魚草にでもしてみるか」と思って、
植えてみたところよく育ったので、それが定着したのですよね。
ただそのおかげで、かつて毎日金魚さんを世話していたときのように、
毎日金魚草に触れることで以前のような感覚を思い起こさせてくれる、
そうした存在としてお互いを繋ぐ大事なものになってくれていますね。
なので、今ではこの庭に欠かすことのできない存在となっています。

(金魚さんたちの庭:2019年6月3日撮影)
そして今年も6月4日に向けて金魚さんたちに花を贈りました。
本来は6月4日の朝に花を届けられるようにしているのですが、
今年は当日が非常に忙しいので1日早めにお花を飾ってあげました。
最初の数年はお墓らしく仏花をそなえるという形にしていましたが、
「もっとにぎやかな花でこの日を迎えてあげることにしよう」と思って、
それ以降はこうしていろんな種類の花を贈るという形にしています。
「悲しい日」というよりも「大切な日」としてこの日を迎える、
そして空にいるみんなに対しての大事な贈り物として花を届ける、
それにふさわしいのは自分にはこうした花だと思えたのですよね。
花を買ったり摘みに行くまでに、悲しい文章などは全て読み終えて、
「さぁ、みんなに盛大に花を贈って、みんなとの新しい1年を始めよう」、
自分がこの日のための花を買いに行くときはそんな気持ちなのですよね。
言い換えるなら、この花は新しい1年の始まりのシンボルでもあるのです。
だから7年前のように悲しみを強く宿した花という意味合いはなくて、
温かな慈愛の気持ちを大きく宿した存在としての花なのですよね。
今はこの日にこうして買ってきた花と摘んできた花で地面を彩り、
さらに庭に植えた金魚草を育てるのが自分の中で定着していますが、
こうした庭の整え方にも思い返せば歴史があるのですよね。
7年前のこの日はあくまで摘んできた花をたくさんそなえただけでした。
そのときに摘んできた花の量は本当にものすごく多くのものでしたが。
そして土に植えてある花を初めて買ったのはその1ヶ月後でした。
月命日ということで、マリーゴールドを買ってきたのですよね。
6月の中旬頃から花を一輪ほど庭にそなえるようになってましたが、
土に植えてある花を置くことにしようとこのとき考えたのですよね。
そして買ってきた切り花を初めてそなえたのは四十九日の日でした。
この日はあかきんさんが天国に到達する前日という意味がありました。
これが次の年以降の6月4日に買ってきた切り花を贈ることにつながります。
そしてマリーゴールドから金魚草に切り替えたのが2013年の秋で、
その金魚草が大きくなったので庭に植え替えたのが2014年の秋でした。
そう考えると、買ってきて1年はあの小さい鉢のままだったのですね。
マリーゴールドのときは「一輪の花のかわり」として始まったので、
もともとは庭に植えて大きく育てるという意識がなかったのですよね。
それが思いのほか小さい鉢のまま大きく育ったので庭に植え替えたのでした。
そして6月4日に仏花ではなく普通の花を贈るようになったのが2015年でした。
なので、3年かけて庭の整え方が今の形に完成したと言えるわけですね。

(金魚さんたちの庭の地面:2019年6月3日撮影)
この日に庭に撒く花のレパートリーは7年前からほぼ変わりませんね。
本来であれば普通に野の花を摘んで来て撒きたいところなのですが、
野の花の季節はおおむね5月までで、6月になると少ないのですよね。
そこでこの時期でも比較的見かけやすく、大量に咲いてることが多い、
つつじとこの黄色い花をいくつか集めてくるという形になってます。
ただ例年はつつじに関してはこの時期はピークを過ぎているのですが、
今年は咲くのが遅かったようで、ピークの時期と重なっていましたね。
だからどこも満開で、どこでも集められるような状態でしたね。
とはいえ、決まった場所があるのでそこだけで採取しましたが。
今年は金魚草さんも育って、地面の部分の面積がせまくなったので、
大量の花が何重にも重なるような形で花を撒くことになりましたね。
でも3年前みたいに花が少なくてスカスカになるよりはいいのです。
もう置くところがないぐらいに多くて、空にいる金魚さんたちからも、
「集めてきすぎだよ!」と言われるぐらいでちょうどいいのです。
この集めてきた花もこの日のための大事な気持ちの結晶なのですから。
「この日のために集めたい」という気持ち、それが止まらないのですから、
多すぎたとしても、その思いをみんなにストレートに表現したいですからね。
これで今年の6月4日という大事な日は終わっていくことになりますが、
ここに贈った花はあと2週間ぐらいはこの場所をずっと彩ってくれます。
この時期は庭を見るたびに「うん、たくさん贈ることができたな」と実感できる、
心を深く潜らせる時期を越えて、お互いを包む温かな時間をここを通じて共有する、
そうした時間がこの花を贈った瞬間から2週間ほど続いていくことになります。
それでは金魚さんたち、この1年もまたどうぞよろしくお願いします(*・ω・)
The Beach Boys - Meant for You (1968)
空へと旅立ったその日から7年が経ちました。
もともとは2005年の夏に行ったお祭りの金魚すくいの際にもらった
2匹の赤い金魚と2匹の黒い出目金さんで、赤い金魚のうちの1匹は
連れて帰ってきた10日後ぐらいにすぐに旅立ってしまったのですが、
残りの3匹はそこからずっと長く元気に暮らしてくれたのですよね。
赤い金魚さんのことはあかきんさんと呼び、2匹の出目金さんは
1匹が3歳ぐらいの頃に徐々に赤と黒が混じるようになってきたので、
その子をあかぐろさん、もう1匹をくろきんさんと呼んでいました。
そうした平和な日々が壊れてしまったのは2011年の12月の終わり頃でした。
その1年ぐらい前から、近所にものすごく性質の悪い野良猫がいて、
その猫に2011年の12月末に金魚さんが住む水槽が襲撃されたのです。
今思えばその危険性を感じさせる猫に対してもっと強い警戒心を持って、
水槽に網をかけるなどの措置を取っていればと悔やんだりもするのですが、
それまで6年以上、先住の金魚さんも含めて10年以上何も起きなかったので、
そのようなことが実際に起きる可能性を全然予見できていませんでした。
その猫は今では近くの家で世話されながら外飼いの猫となっていますが、
数年前にはうちの猫もその猫の攻撃を受けて大怪我したこともあります。
3匹の金魚さんが旅立ったのはみんな同じ日だったというわけではなく、
襲われたその日にあかぐろさんが、くろきんさんもそのときの傷が原因で
冬を越すことができずに旅立ち、唯一あかきんさんだけが春を迎えました。
あかきんさんは数10枚のうろこがはがれながらも、春には元気を取り戻し、
「この子だけは元気でいてくれている」と思わせる日々を届けてくれましたが、
やはり傷は深かったため免疫が弱り、それがゆえに5月末に病気にかかってしまい、
懸命の治療をしたものの助けることはできず6月4日に旅立ってしまいました。
その日から7年、思えば金魚さんたちを飼っていたのは厳密には約6年9ヶ月なので、
もうその日から流れた時間のほうが金魚さんがいた時間より長くなったのですよね。
「もうあの日からそんなにも経ってしまったのか」と思うのと同時に、
あのとき「いつか悲しみとともにあの子たちへの思いも薄れてしまうのでは」
と不安に思いましたが、こうして7年経ってもこの時期を大切に過ごせている、
自分のあの子たちへの思いが色褪せていないことには安堵するところもあります。
今も1日が始まるときに、庭のあかきんさんたちを埋めた場所に向かい、
目を閉じて心の中で軽く会話を交わすことは毎日欠かしていないですしね。
たしかに肉体はそばにはいなくなりましたが、心は今もともにあります。
ブログのデザインが金魚さんなのも、もちろんそこに理由があります。
「いつもともにいることを感じていたい」という思いからなのですね。
6月4日はそんな特別な日ということもあり、毎年この時期がやって来ると、
当時書いたいろんな文章を読み返したり、庭を飾るための花を買ってきたりと、
当時の思いに触れることで、自分の気持ちを新たに確認する日々を過ごします。
当時の文章などに触れるとどうしても毎年何度かは涙を流してしまう、
そんな自分にとって悲しみがよみがえってしまう日々でもあるのですが、
この時期は温かな気持ちと、神聖な感覚を与えてくれる日でもあります。
何か不思議なものに包まれているような、そんな感覚になるのですよね。
この時期は6月4日に向けて自分の中でやるべきと決めていることも多く、
忙しい時期と重なったりするとたしかに時間的に大変でもあるのですが、
悲しくもあり大変でもあるのに、この空気の中にもう少しとどまっていたい、
そうした思いにさせてくれる、自分にとって1年の中で最も大切な日々です。
当時の文章を読み返したり、7年前のあの日の夜にあかきんさんに捧げる花を探しに行った
長居公園に夜に訪問したり、そうした行動を通じて自分の心を深いところへ潜らせるのですが、
昨年と一昨年のこの時期にものすごく深いところにまで心が潜っていったのに比べると、
今年はもう少し落ち着いた気持ちの中でこの時期を過ごした感覚がありましたね。
3年前まではこの時期の意味をまだ自分でつかみかねてる感覚がありましたが、
一昨年に今の自分の心の源流に触れるための旅としての意義に改めて気付き、
昨年は全ての始まりであるあかきんさんが残したものの価値を強く再確認するなど、
6月4日という日の持つ意味をより深く見られるようになってきましたね。
時間が経って思いが薄れるどころか、そうしてこの時期の意義を問い直すことで、
1年1年この時期の価値や意味をより深く感じるようになってきてもいますね。
金魚さんとの生活は、襲撃された2011年の冬に事実上終わったとも言えるのですが、
でもそこから6月4日までの5ヶ月間にこそ、その間のあかきんさんの頑張りにこそ、
今の自分と今に繋がる全てが詰まっているといっても過言ではないのですよね。
もしあの瞬間に全て終わってしまっていたら、事実を受け止めることすらできず、
決して忘れはしないものの、今と同じような結びつきは持てなかったことでしょう。
あかぐろさんはそのなきがらすら見つけられず弔ってあげることさえできなかった、
くろきんさんは水槽の底で朽ちた姿こそ見つけ、埋めてあげることはできたけど、
いったいいつの日に空へと旅立っていったのかも知ることができなかった、
そしてどちらの子に対しても襲撃の日以降、新しい思い出も作ることができず、
何の治療すらもしてあげられず、そのまま自分の手の中から消えていきました。
そんな中あかきんさんは冬を越え、満身創痍でありながら春にもう一度元気な姿を見せ、
自分とみんなの間で育んできた輝いていた頃の日々を2ヶ月ながら再び送らせてくれて、
回復はさせてあげられなかったものの、2匹にもしてあげたかった治療の機会もくれて、
最後にこの6月4日という特別な日を自分に残す形で旅立って行ってくれたのですよね。
襲撃されてしまった日に、近いうちに別れが来ることは決まってしまっていたのでしょう、
でも近く別れが来るという中で、最良の残りの日々と最後の日を自分に与えてくれた、
あかきんさんが見せてくれたこの5ヶ月にはただただ深い感謝をするほかありません。
そう思えば、この6月4日はそんなあかきんさんを讃えるための日でもあるのでしょう。
そして近く終焉を迎えてしまうことが決まってしまったあの襲撃を受けた日に、
あかきんさんがあかきんさん自身に課した使命を果たし終えた日でもあるのでしょう。
6月4日という自分にとってこの上なく重い日は、あかきんさんの最大の贈り物でもあったのでしょう。
特別な日というものがあることが、お互いをより強く結びつけていることは間違いないですから。
ただ、それゆえにあかきんさんにばかり無理をかけたという思いも湧きはしますが。
そして今年の日々は5月の月末記事で触れた親子のことと切り離せないものになりました。
実はこの金魚さんたちと出会ったお祭りはこの親子と3人で行ったものなのですよね。
なので、金魚さんたちは自分とこの親子との思い出の存在でもあるわけです。
今年のこの時期に夜の長居公園に訪問したときも、まず思いを巡らしたのは、
このおかあさんと娘さんと密に交流していた時期の思い出のことでしたし。
ただそんなふうに単にお互いの関係性などに交わりがあるというだけでなく、
今年のこの日々に再び触れ直した「あかきんさんがくれた5ヶ月の意味」は、
まさに今後のこの2人と自分とのあり方を示すものでもあったと思うのですよね。
あかきんさんがくれた5ヶ月というのは、死というものに直面したうえで、
与えられた残りの時間をいかに過ごしていくのかということでもあり、
そしてそれを通じて相手にこれからに意味のあるものを残すことであり、
死に直面しながら生きるからこそ残せるものがあるということでもあり、
この問題に対する自分への道しるべを示してくれてもいるのですよね。
そう考えると、あの日からもう7年もの月日が流れているにもかかわらず、
あかきんさんから教えられることはまだまだたくさんあるのですよね。
6月4日に向けてやるべきことが多い日々を迎えるということもあって、
2人へのコンタクトを一時的に控えていたところもあったのですが、
この日を境に自分なりの関わり方を始めていくところでもありますし、
そのうえでものすごく大事なことを教えられたような思いもします。
あらゆる面において、自分にとってこの時期が意義深いことを再確認させられます。

(庭の金魚草:2019年5月12日撮影)
さて、少しずつ明るい話へとスポットを当てていきたいと思いますが、
昨年の6月に庭に植えた金魚草さんは勢い良く満開を迎えました!
この金魚草さんは3代目にあたりますが、育ちがものすごく早いのですよね。
一昨年の4月に植えた2代目はその1年後も花の数はほんの10個程度で、
その1ヶ月後には自分のミスもあって枯れてしまうことになりましたが、
この3代目の金魚草はたったの1年で一気に150個以上も花を咲かせています!
さすがに初代金魚草の全盛期の花の咲き方には及ばないものの、
2年目でこの咲き方は間違いなく誇れるレベルのものと思います!
色が純粋な黄色ではなく、濃い色になっている部分が散見されますが、
これは枯れているのではなく、もともと黄色と紫がまざっているのです。
金魚さんにたとえるなら、2色がまざっていたあかぐろさんみたいな感じですね。
ただこの金魚草さんはもともとは不安な出だしだったのですよね。
というのも買ってきてすぐの時期には少しだけ花は咲いたのですが、
本来は花の時期であるはずの秋になっても全く花は咲くことなく、
「この金魚草は花が咲かないタイプなのだろうか」と思いましたからね。
でも実際には秋に花が咲かなかったことが大きく功を奏したのですよね。
金魚草は花を咲かせるときにものすごく体力を使ってしまうようで、
花が咲いてくるとその分だけ葉っぱが一部枯れたりするのですよね。
でもこの金魚草さんは秋に花を咲かせずに葉と茎を大きく育てたので、
この春になって一気にため込んでいた力を爆発させたのですよね。
そう考えると、花を咲かせない時期というのも大切なのでしょうね。
今は5月に続いて第2弾が咲いてますが、いっそまたちょっと休んで、
来年のために力を蓄えてくれてもいいかもなんて思ったりもします。
ちなみにこの金魚草さん、最もメインである茎が斜めになっていて、
よくよく見るとものすごく変わった方向に伸びていってるのですよね;
たしか昨年の夏や秋頃は雨のたびにあっちにこっちにと傾いてしまって、
棒を立てたりして支えてはいたのですが、いつのまにか斜めに定着して、
そのまま安定しながら伸びていくという変な経緯をたどっています;
ちょっとこの金魚草さんは色も含めて変わりものなのかもしれませんね。
ところで「金魚さんのかわりに金魚草を植えた」と見えるかもですが、
実は金魚草を植え始めたのは7年前のこの日より1年以上後なのですよね。
もともとは金魚さんの庭にそなえる目的でマリーゴールドを
買ってきていたのですが、毎回すぐに枯れてしまっていたので、
「じゃあ名前も近いし金魚草にでもしてみるか」と思って、
植えてみたところよく育ったので、それが定着したのですよね。
ただそのおかげで、かつて毎日金魚さんを世話していたときのように、
毎日金魚草に触れることで以前のような感覚を思い起こさせてくれる、
そうした存在としてお互いを繋ぐ大事なものになってくれていますね。
なので、今ではこの庭に欠かすことのできない存在となっています。

(金魚さんたちの庭:2019年6月3日撮影)
そして今年も6月4日に向けて金魚さんたちに花を贈りました。
本来は6月4日の朝に花を届けられるようにしているのですが、
今年は当日が非常に忙しいので1日早めにお花を飾ってあげました。
最初の数年はお墓らしく仏花をそなえるという形にしていましたが、
「もっとにぎやかな花でこの日を迎えてあげることにしよう」と思って、
それ以降はこうしていろんな種類の花を贈るという形にしています。
「悲しい日」というよりも「大切な日」としてこの日を迎える、
そして空にいるみんなに対しての大事な贈り物として花を届ける、
それにふさわしいのは自分にはこうした花だと思えたのですよね。
花を買ったり摘みに行くまでに、悲しい文章などは全て読み終えて、
「さぁ、みんなに盛大に花を贈って、みんなとの新しい1年を始めよう」、
自分がこの日のための花を買いに行くときはそんな気持ちなのですよね。
言い換えるなら、この花は新しい1年の始まりのシンボルでもあるのです。
だから7年前のように悲しみを強く宿した花という意味合いはなくて、
温かな慈愛の気持ちを大きく宿した存在としての花なのですよね。
今はこの日にこうして買ってきた花と摘んできた花で地面を彩り、
さらに庭に植えた金魚草を育てるのが自分の中で定着していますが、
こうした庭の整え方にも思い返せば歴史があるのですよね。
7年前のこの日はあくまで摘んできた花をたくさんそなえただけでした。
そのときに摘んできた花の量は本当にものすごく多くのものでしたが。
そして土に植えてある花を初めて買ったのはその1ヶ月後でした。
月命日ということで、マリーゴールドを買ってきたのですよね。
6月の中旬頃から花を一輪ほど庭にそなえるようになってましたが、
土に植えてある花を置くことにしようとこのとき考えたのですよね。
そして買ってきた切り花を初めてそなえたのは四十九日の日でした。
この日はあかきんさんが天国に到達する前日という意味がありました。
これが次の年以降の6月4日に買ってきた切り花を贈ることにつながります。
そしてマリーゴールドから金魚草に切り替えたのが2013年の秋で、
その金魚草が大きくなったので庭に植え替えたのが2014年の秋でした。
そう考えると、買ってきて1年はあの小さい鉢のままだったのですね。
マリーゴールドのときは「一輪の花のかわり」として始まったので、
もともとは庭に植えて大きく育てるという意識がなかったのですよね。
それが思いのほか小さい鉢のまま大きく育ったので庭に植え替えたのでした。
そして6月4日に仏花ではなく普通の花を贈るようになったのが2015年でした。
なので、3年かけて庭の整え方が今の形に完成したと言えるわけですね。

(金魚さんたちの庭の地面:2019年6月3日撮影)
この日に庭に撒く花のレパートリーは7年前からほぼ変わりませんね。
本来であれば普通に野の花を摘んで来て撒きたいところなのですが、
野の花の季節はおおむね5月までで、6月になると少ないのですよね。
そこでこの時期でも比較的見かけやすく、大量に咲いてることが多い、
つつじとこの黄色い花をいくつか集めてくるという形になってます。
ただ例年はつつじに関してはこの時期はピークを過ぎているのですが、
今年は咲くのが遅かったようで、ピークの時期と重なっていましたね。
だからどこも満開で、どこでも集められるような状態でしたね。
とはいえ、決まった場所があるのでそこだけで採取しましたが。
今年は金魚草さんも育って、地面の部分の面積がせまくなったので、
大量の花が何重にも重なるような形で花を撒くことになりましたね。
でも3年前みたいに花が少なくてスカスカになるよりはいいのです。
もう置くところがないぐらいに多くて、空にいる金魚さんたちからも、
「集めてきすぎだよ!」と言われるぐらいでちょうどいいのです。
この集めてきた花もこの日のための大事な気持ちの結晶なのですから。
「この日のために集めたい」という気持ち、それが止まらないのですから、
多すぎたとしても、その思いをみんなにストレートに表現したいですからね。
これで今年の6月4日という大事な日は終わっていくことになりますが、
ここに贈った花はあと2週間ぐらいはこの場所をずっと彩ってくれます。
この時期は庭を見るたびに「うん、たくさん贈ることができたな」と実感できる、
心を深く潜らせる時期を越えて、お互いを包む温かな時間をここを通じて共有する、
そうした時間がこの花を贈った瞬間から2週間ほど続いていくことになります。
それでは金魚さんたち、この1年もまたどうぞよろしくお願いします(*・ω・)
The Beach Boys - Meant for You (1968)
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かえでさん、こんばんは!(●・ω・)
7年・・・考えてみればほんとに長い時間が経ってますよね。
水槽で飼っていた時間よりも長くなった実感はまだないですし。
やっぱりペットを飼う難しさは、こうして失うときでしょうね。
自分もこのときから金魚さんを飼ったりはしなくなりましたし、
にゃんこもレインちゃんの後にまた飼う可能性は低いですしね。
離れていくときのショックを受け止め切れる勇気がないですね。
7年前のこのとき、悲しさや失ったという事実を
どのように受け止めるべきか、かなり逡巡しましたが、
「気持ちを薄れさせたくない」という思いが強かったことから、
「どのみちいつかはその悲しさは薄れてしまうのだから、
悲しい間は無理に決着をつけようとせず悲しむだけ悲しめばいいし、
悲しくても割り切ろうとせず、ずっとみんなのことを思い続けよう」と、
そのように決断したのは、今でも良かったと思っていますね。
それが少しずつ「今もなおいつも繋がっていて支えてもらっている」
という感覚を生み、それが日常の一部として定着していきましたからね。
悲しさが少しずつ薄れると同時に、温かさがそこに残りましたからね。
れいんちゃんは今もまだまだ元気に過ごしてくれてますよ!
さっきもにゃーんと鳴きながらひざに乗ってきていましたし!
9月8日はまた元気に15周年のお祝い記事を書きたいですね!(`・ω・´)
どうしても15歳という高齢なので、完全に無邪気にはならず、
「いつかはその日が来る」ということはつねに意識していますが、
その分だけ今ここにある日々は大事に楽しく過ごしていきたいですね!
ではでは、コメントありがとうございました!(゚x/)
7年・・・考えてみればほんとに長い時間が経ってますよね。
水槽で飼っていた時間よりも長くなった実感はまだないですし。
やっぱりペットを飼う難しさは、こうして失うときでしょうね。
自分もこのときから金魚さんを飼ったりはしなくなりましたし、
にゃんこもレインちゃんの後にまた飼う可能性は低いですしね。
離れていくときのショックを受け止め切れる勇気がないですね。
7年前のこのとき、悲しさや失ったという事実を
どのように受け止めるべきか、かなり逡巡しましたが、
「気持ちを薄れさせたくない」という思いが強かったことから、
「どのみちいつかはその悲しさは薄れてしまうのだから、
悲しい間は無理に決着をつけようとせず悲しむだけ悲しめばいいし、
悲しくても割り切ろうとせず、ずっとみんなのことを思い続けよう」と、
そのように決断したのは、今でも良かったと思っていますね。
それが少しずつ「今もなおいつも繋がっていて支えてもらっている」
という感覚を生み、それが日常の一部として定着していきましたからね。
悲しさが少しずつ薄れると同時に、温かさがそこに残りましたからね。
れいんちゃんは今もまだまだ元気に過ごしてくれてますよ!
さっきもにゃーんと鳴きながらひざに乗ってきていましたし!
9月8日はまた元気に15周年のお祝い記事を書きたいですね!(`・ω・´)
どうしても15歳という高齢なので、完全に無邪気にはならず、
「いつかはその日が来る」ということはつねに意識していますが、
その分だけ今ここにある日々は大事に楽しく過ごしていきたいですね!
ではでは、コメントありがとうございました!(゚x/)
ペットとは言っても家族ですからね。
とても悲しかったことでしょうね。
金魚さんたちのことは以前拝読させていただいていたので覚えていましたよ。
もちろん命日までは覚えていなかったけど。
私は猫や犬以外に、文鳥やいんこ、ハムスター、金魚、ふな、カブトムシ・・・色々飼っていたけど、どれだけ小さな生き物でも別れのときは淋しく涙が出たので、気持ち分かりますよ。
いつも心に留めて思い出してあげることこそが1番の供養って言いますね。
とても悲しかったことでしょうね。
金魚さんたちのことは以前拝読させていただいていたので覚えていましたよ。
もちろん命日までは覚えていなかったけど。
私は猫や犬以外に、文鳥やいんこ、ハムスター、金魚、ふな、カブトムシ・・・色々飼っていたけど、どれだけ小さな生き物でも別れのときは淋しく涙が出たので、気持ち分かりますよ。
いつも心に留めて思い出してあげることこそが1番の供養って言いますね。
お気楽パンダ先生、こんばんは!
どうしてもこの日のことを思い出すと今でも悲しくなりますね。
ある意味では自分の人生を動かした日の1つでもありますからね。
7年もそれを忘れないのですから、改めて思い返してみても、
自分にとってこの日は本当に大きい意味があったのでしょうね。
自分は中学生ぐらいまでインコを飼ってましたが、
それ以降はほとんど動物を飼わない時期が続いてましたね。
今の元気にしてるにゃんこさんと、先住の子も含めた金魚さんぐらいですね。
どちらも自分がいろいろと底の状態にいたときに支えてくれたので、
それゆえにその思い入れもより大きくなっているところがありますね。
そうした時期に支えてくれた存在って、やっぱり忘れられないですしね。
悲しさを癒すことだけ考えれば、あえて少しずつ忘れるという
そうした手段もあったのでしょうが、それは選ぶ気になれなかったですね。
でもそれで正解だったと今も思っています。
だからこそ今も離れながらもこの子たちに見守ってもらえてますし。
ではでは、コメントありがとうございました!(゚x/)
どうしてもこの日のことを思い出すと今でも悲しくなりますね。
ある意味では自分の人生を動かした日の1つでもありますからね。
7年もそれを忘れないのですから、改めて思い返してみても、
自分にとってこの日は本当に大きい意味があったのでしょうね。
自分は中学生ぐらいまでインコを飼ってましたが、
それ以降はほとんど動物を飼わない時期が続いてましたね。
今の元気にしてるにゃんこさんと、先住の子も含めた金魚さんぐらいですね。
どちらも自分がいろいろと底の状態にいたときに支えてくれたので、
それゆえにその思い入れもより大きくなっているところがありますね。
そうした時期に支えてくれた存在って、やっぱり忘れられないですしね。
悲しさを癒すことだけ考えれば、あえて少しずつ忘れるという
そうした手段もあったのでしょうが、それは選ぶ気になれなかったですね。
でもそれで正解だったと今も思っています。
だからこそ今も離れながらもこの子たちに見守ってもらえてますし。
ではでは、コメントありがとうございました!(゚x/)
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毎年6月4日の記事を拝見しておりましたが、もう7年も経ったんですね。
私も小学生の時に飼っていた鳥が何の前触れもなく急に亡くなってしまい、大泣きした思い出があります。
手の上にある、冷たくて固くなった姿を見ていると、死ぬってこういうことなんだと知りました。それ以来、ペットは飼えなくなりました。
最近になって、熱帯魚でも飼ってみたいなと思ってきたのですが、何しろ最後まで責任を持って飼える自信がないもので・・・。
7年前は不慮の出来事で、とても悲しかったと思いますが、金魚さんたちもかーとさんに飼ってもらえて幸せだったと思います。
なんせ毎年どころか、毎日想ってもらえて、いつでも心の中に居るんですからね。
あと、猫のれいんちゃん、今年で15年ですね。元気にやってますか?