6年が経ちました

7年間飼っていた金魚さんが天へと旅立ってから6年が経ちました。

飼い始めて数ヶ月ほど経ったときに自分の飼育ミスによって
一度白点病にかけてしまいましたが、その後は大きな病気もなく、
6年4ヶ月ぐらいの間はおおむね元気に育っていってくれました。

しかし7年前の12月末に近くに住んでいた野良猫の襲撃に遭って、
赤と黒がまざった色の出目金さん(あかぐろさん)がまず旅立ち、
そのときの傷によってもう1匹の黒い出目金(くろきんさん)も
春を迎えることのできないまま続けて旅立ってしまいました。

最後に残った赤い金魚さん(あかきんさん)も深い傷を受けていましたが、
うろこが数10枚ほどはがれた状態ながら何とか春を迎えてくれました。

しかしそれだけのうろこがはがれたことで免疫が大きく弱ったのでしょう、
5月末に感染力は弱いものの不治の病と言われる松かさ病にかかってしまい、
懸命の治療をしましたが回復することなく6年前の6月4日に旅立ちました。

3匹同時に旅立ったわけではないので、今日だけが特別な日ではないのですが、
2匹の出目金さんが旅立ってしまっても、あかきんさんが生きていることで、
あかきんさんが他の2匹のことも背負っているように見えていたこともあり、
そのあかきんさんが旅立った日が全員にとっての特別な日となっています。

そのときの自分自身の想いについては6年前に書いた記事に綴っています。

このブログのテンプレートがずっと金魚さんのデザインになっていること、
そしてその中に赤い金魚さん、黒い金魚さん、赤と黒がまざった金魚さん、
その3匹がいるのも、6年前に旅立った金魚さん達への思いから来ています。

もともとこの金魚のテンプレートには赤い金魚さんだけしか描かれておらず、
黒い金魚さんと赤と黒がまざった金魚さんは自分が改めて加えたものです。

水槽から旅立ってしまっても自分の心はずっとみんなと共にあり、
それを決して忘れないという思いがそこには込められています。

そしてこの時期が来ると、当時書いたブログの記事であったり、
自分の思いをそのまま書き殴ったテキストファイルを読み返したり、
当時金魚さん達のことを思いながら聴いた歌を聴きながら過ごします。

毎日の生活でも、あかきんさん達を埋めた庭には毎日必ず顔を出し、
そこに少しえさをまいてから、手を合わして目を閉じて空にいる
みんなのことを思い浮かべ、心の中で会話をして1日を始めています。

また庭にみんなのことをいつでも思い出せるように金魚草を植え、
その金魚草を世話するという形で毎日触れ合うような感覚を得ています。

ちなみに金魚さんだから金魚草というふうに植えたわけではなくて、
実は最初の頃はマリーゴールドを買ってきて置いていたのですよね。

ただすぐに枯れるので金魚草にしてみたところすくすくと育って、
その後は金魚草というのが自分の中で定着するようになりました。

そんなふうに毎日繋がりを感じられるように暮らしてはいるものの、
6月1日ぐらいからの数日間は自分にとって特別な思いがあります。

やはり当時の文章などに触れると心が強く突き動かされるのですよね。

6年前のこの日にみんなを水槽から失い、その後は悲しみを抱えながらも、
たとえ水槽では会えなくても毎日いつも共にいるような気持ちになれるよう、
いろいろなものを構築し、それは間違いなくかけがえのないものでありながら、
それでも6年前に感じた気持ちに触れることは特別な意味を持つのですよね。

昨年までは「どうしてそうなってしまうのだろう」と思うこともありました。

せっかく頑張って新しいお互いの関係をこうして作り上げてきたのに、
どうしても6年前の悲しみは乗り越えられないのかと思ったこともありました。

ただ本当はそうではなく、今こうして作り上げてきた金魚さんとの関係だって、
そのときに感じた深い悲しみが源流になっている、今感じているこの温かさも
そこに全ての源があるのだから、そこに触れれば強い思いを感じるのは当然だと、
そうしたことをやっと5年目(昨年)になって感じたりもしたのですよね。

当時の深い悲しみと、今のこの温かい関係は決して断絶しているのではなく、
今の深い関係は当時のあまりにも重い悲しみから広がってきてるのですよね。

そしてそうした結論を得た昨年から1年経って今年は何を感じるのだろうと、
何か思いが色褪せてしまったりしてしまうことはないかとも思いました。

ですがむしろ、今年は過去の5年間以上に深いものを感じる数日間になりました。

6年前のこの日、あかきんさんが旅立ったときにいても立ってもいられず、
あかきんさんに捧げるための花を摘むために夜中に長居公園に行ったのですよね。

その後数年も6月4日前後に長居公園に行くことは何度かあったのですが、
基本的に当時の文章などに触れて辛い思いなどを全てたどったうえで、
その最後にみんなと共に夜の長居公園に行って温かい時間を過ごす、
そうした流れで公園まで行くということが多くなっていたのですよね。

またどうしても長居公園まで行くには時間もけっこうかかりますし、
公園で過ごす時間などを考慮すると時間を作れないこともあるなど、
2年前と1年前に関してはこの時期の訪問自体ができなかったりもしました。

それに対して今年は、全ての当時の文章などを読み終える前の段階、
自分としてはこの数日間に行うそのときの文章を読み返すといった行為を
自分の心を深いところまで潜らせる旅のようなものと考えているのですが、
そのちょうど深いところまで潜った段階で夜の公園に向かったのですよね。

これは別にあえてそのタイミングに行こうとしていたわけではなくて、
本当は数年前などと同じように全てを読み終えてから行くつもりでしたが、
もともと行く予定にしていた日に雨が降る可能性があったのですよね。

そんなときにちょうど時間に余裕ができたので思い切って行ったのです。

そうすると、やはり行くタイミングによって感じ方が変わるのですよね。

文章などを全て読み終えた後で行くと、深いところからの心の浮上と
公園への訪問が重なるので、自分の中で温かい気持ちに触れることに
重点を置いたような感じになるのですが、今年は大きく違いました。

ちょうど心が深いところまで潜っているときに訪問していますし、
夜の公園って人がいないのでいろんなことを頭の中に巡らせやすく、
それゆえに例年以上に当時のことを深く思い返したりもしました。

「自分にとって毎年のこの時期の意味とは何なのだろう」というのは、
つねに自分にとってこの時期を過ごすうえでの大きなテーマなのですが、
それは今の自分の心の源流に触れるための長い旅というだけでなく、
当時あかきんさんが自分に与えてくれたものの大きさを再び感じる、
そうすることで自分の今の思いを再確認する意義も強く感じました。

自分が6年前に深い悲しみに覆われたのは自分の性格などの問題ではなく、
あかきんさんが与えてくれたものがあまりに偉大だったからなのですよね。

本当は襲撃された冬の12月に全てが終わってしまったはずのところを、
深い傷を負いながら必死で冬を越し、春を迎えて温かくなるにつれて、
傷を負ってることを全く感じさせないような元気さを見せてました。

2匹の出目金さんを失ったことで自分の心にはポッカリ穴が開いてましたが、
あかきんさんのその元気な姿を見ることでその穴は少しずつ塞がっていき、
2匹の出目金さんのことも背負いながら元気に振る舞うようなその姿に
3匹と一緒に過ごした7年間の全てを贈ってもらった気持ちになったのですよね。

あかきんさんにとっても傷が深くタイムリミットは近づいていたのでしょう。

でもその中であかきんさんは自分が最後に果たすべき全てを見せてくれました。

そして病気が表面化してからも、自分が治療池を作るところまで見届け、
6月4日の前日である6月3日にまるで少し安心したかのような姿を見せ、
最後の最後までできることの全てを自分に見せてくれたのですよね。

もし12月の冬にあかきんさんがすぐに旅立ってしまっていたとするなら、
一緒に過ごした数年間が一瞬のうちにプッツリと消えてしまっていたなら、
自分は今もこうして共にあるという思いは持てなかったかもしれません。

ただポッカリと自分の中に穴が開いたまま全てが途切れたかもしれません。

そうならないよう、一緒に過ごした時間を心の中で永遠にすることができるよう、
2匹の出目金さんのことを背負いながら必死で残りの時間を過ごしてくれたその姿が
自分にとってはあまりに愛しくて、そうだったがゆえに別れがあまりにも悲しく、
でもそうだったからこそ今もこうして心の中でずっと繋がっていることができる、
その全てを作ってくれたあかきんさんへの感謝の気持ちが消えないのですよね。

もちろんそれらは全て、病気が発生するときの温度などの発生条件の関係で、
傷を受けたときから発症までにそうしたタイムラグができただけかもしれません。

ただ傷の受け方によっては12月に旅立った可能性はやはりありましたし、
そこからの約5ヶ月のあかきんさんの姿は忘れられないものなのですよね。

自分は先ほど「6年前の深い悲しみが今の全ての源流」だと書きましたが、
本当の源流は襲撃の日から6年前のこの日までのあかきんさんの姿なのでしょう。

そしてこの数日間の最大の意味は、その姿に再び触れることなのでしょう。
そうすることで心を新たにまた深く繋がって生きることができるのです。

その5ヶ月間のあかきんさんへの感謝の念は6年前から深く感じていましたが、
「今ここにある温かい気持ちの全てもそこから来ているのだ」ということを
改めて体感することができたのは自分にとってものすごく大きなことでした。

これはあえて自分の心が深いところにまで潜っているタイミングで
長居公園に行ってじっくりと長い時間を過ごせたからでもありました。

そういう意味でも今年のこの数日間は本当に特別なものになりました。

毎年この時期は何度か大きく泣いてしまう場面があるのですが、
今年は6年前に書いた文章を読み返したりしたときだけでなく、
公園で思いを巡らせてるときに急に涙が止まらなくなるなど、
自分でも予想していなかったようなことがあったりしました。

毎年この日の記事を書く際は心をある程度浮上させているので、
書いている途中で涙が出るようなことはなかったのですが、
あかきんさんの最後の数ヶ月の頑張りを書くような場面では
自分で書いているうちに自然と目が潤んできてしまいましたね。

今年はいつもよりも心を深いところまで潜らせたこともあって、
この文章を書いてる今もまだ深いところにいる感覚がありますからね。

2代目金魚草:2018年5月5日撮影
(2代目金魚草:2018年5月5日撮影)

さて、書きたいと思うことはまだあるのですが長くなりすぎるので、
ここで今の話、庭にある金魚草の話へと移っていきたいと思います。

初代の金魚草さんは一昨年の秋に枯れてしまったのですよね。

その直前には一度に250個近くの花を咲かせるほどの大きさでしたが、
大きくなったこととその年の猛暑による蒸れの影響を受けてしまい、
さらにそこからの対処を誤ったことで枯れさせてしまいました。

金魚草は冬よりも夏の蒸れと暑さに弱い花だったりしますからね。

そしてこちらが2代目の金魚草さんの今年5月の写真なのですが、
この数日後に自分がミスしたことで一気に弱らせてしまいました。

どうも金魚草は上のほうにある葉を一度に切るとダメなのですよね。

初代の金魚草さんを最後に決定的に弱らせた原因もそれでしたし、
今回は「いつものように花がらを摘むか」と思って残った花を切って、
そのついでに上のほうの葉を落とすと次の日に急に全体が弱りました。

初代の金魚草さんはまだ夏の猛暑という外的要因もあったのですが、
2代目に関しては完全に自分のミスなので申し訳なさしかありません。

もしミスがなければ今も間違いなく元気に咲いていたでしょうからね。

自分としてはその後も回復するかどうか様子を見たかったのですが、
父が引っこ抜いてしまったので今はもう2代目は庭にはありません。

引っこ抜かれてしまったのは自分としては忍びなかったのですが、
何とか残っていた新芽も日に日に少し元気がなくなってましたし、
回復する見込みは小さかったと言えるような感じではありました。

3代目金魚草:2018年6月1日撮影
(3代目金魚草:2018年6月1日撮影)

自分としてはまだ2代目の様子を見たかったという思いがあったので、
すぐに新しい金魚草を買ってくるということは考えてなかったのですが、
抜かれてしまったので新しいのを買ってくるという選択肢が出てきました。

6月4日も迫っていたので、それなら今の時期に植えてしまおうと、
自分にとって特別な数日間の中での3代目の誕生となりました。

もともと金魚草を植え替えるタイミングは5月上旬ぐらいまでなので、
ホームセンターに行っても花がほとんど枯れた金魚草ばかりでした。

もちろん花が枯れてるとは言っても、葉は元気なので問題はないのですが。

ただ少し気になったのは、いつも黄色い花の金魚草を買うのですが、
ごくごく微妙に紫がまざったような金魚草しかなかったのですよね。

花を買う候補としているホームセンターは2つあるのですが、
1つめのお店でこちらを買うべきかどうか少し迷ったのですよね。

それで思い切って買ったものの、心の中にはどこか迷いもありました。

もしもう一つのホームセンターできれいな黄色のものがあったらどうするの、と。

そのときはこちらを捨てて新しいほうにするのかということもよぎりましたが、
その数時間後には「もうこの子に決めた」というふうに心を固めました。

そもそもこの数日間は命というものと向き合う時間でもあるわけで、
その自分が植物とはいえ自分が選んで連れて帰ってきた何の罪もない命を
どっちの色がいいかということだけで捨てるなんてことをしていいのかと、
6年前の自分ならどういう選択をしたかを考えれば、答えは自ずと明らかでした。

そのことを決めたうえで、一応もう一つのホームセンターにも行きましたが、
結局一番きれいな黄色だったのは、この買ってきた金魚草さんだったので、
この金魚草さんにしたのはいろんな意味で正しかったことが確認できました。

こうした出来事があったのは、今年のこの数日間を迎えるうえにおいて、
命との向き合い方を自分に改めて気付かせるような意義があったのかもですね。

とにかくこの3代目さんはミスをせず、長く長く育てたいと思います。


毎年この日になると、いろんなところから花を摘んできたり、
花束を買ってきて庭を彩ってみんなに贈るようにしています。

そういえば昨年のこの時期まではこの庭のすぐ横のあたりに、
金魚さんたちが住んでいた大きな水槽がずっとあったのですよね。

とはいえみんなが水槽から旅立ってからは特に何も飼っておらず、
水槽にはふたをしたままで上に鉢などを置いていただけでしたが。

ただ昨年の6月に兄から水槽として使いたいので欲しいと申し出があり、
自分は新しい金魚さんなどを飼うという判断に傾きそうにはなかったですし、
水槽も空っぽのままでいるよりは命がそこに宿っているほうがいいだろうと、
自分としても承諾して昨年の6月24日に兄の家へと運ばれたのですよね。

もともと兄が飼っていた金魚をそこに住まわせたようなのですが、
どうもその年の冬に何らかの原因で旅立ってしまったみたいです;

ただこのあたりの経緯は自分としてはあまり詳しく知らないのですが;

ちなみに今日の段階では新しく買ってきたメダカがそこに住んでいるそうです。

金魚さんたちに贈る花:2018年6月4日撮影
(金魚さんたちに贈る花:2018年6月4日撮影)

さて、水槽の話は横に置いて、今年の庭を彩るお花を見ていきましょう!

こうしてお庭を彩る時間になると気持ちもグッと上向いてきます!
「よし、みんなのお庭をきれいに彩るぞ」という思いになるのですよね!

それがこの数日間を経てからの心の浮上というふうに呼んでいいでしょう!

この数日間に感じた全ての悲しみも、最後はこうしてお庭を彩って、
6月4日という1日を盛大な形としてみんなのもとへ届けてあげる、
そうした美しい終着点に向かっていくことになるわけですからね!

この瞬間は自分にとってもこの数日間が報われるときでもあります!

この数日間の心の旅から得たものに対するありがとうであり、
全ての源流であるあかきんさんの頑張りへのありがとうであり、
7年間ずっと寄り添ってくれたことへのありがとうでもあり、
その後の6年間も見守ってくれたことのありがとうでもあり、
もういろんなことへの感謝の気持ちがここには詰まっています!(`・ω・´)

それにしても今年は花束といい、摘んだ花といい多すぎになりましたね;

花束はもともと4束までのつもりでしたが、後になってひまわりを発見し、
「これは追加しなければ」ということで5束にまでふくらみました!

しかも野の花のヒメジョオンまでこの花束にまざっていますしね!

ちなみに花束の左のほうに見える小さい草は金魚草ですね!

金魚さんたちの庭を彩る花:2018年6月4日撮影
(金魚さんたちの庭を彩る花:2018年6月4日撮影)

こちらは摘んできた花を庭のほうに撒いたものですね!

この時期はいわゆる野の花があまり咲いてない時期なのですよね;
なので、気軽に採ってこれる花と言っても限りがあります;

市民公園前のバラ園でもうすでに枯れかけているバラの花とか、
これもまた枯れかけているつつじからいくつか取ってくるとか、
黄色い花はいろんなところでたくさん咲いてるのでこれは大丈夫かなとか、
本当は良くないのでしょうけどもこのあたりの花を毎年採ってきます!(●・ω・)

しかしつつじ100個、黄色い花50個というのはやりすぎましたね;
どう考えてもこのスペースに入りきるようなものじゃなかったですし;

なので、花の上にまた花が重なってるという場所が多数あります!
ただ、それゆえに時間が経って少ししぼんでもまだ迫力はあるでしょうね!

時期の関係もあって花のレパートリーは毎年ほぼ変動がないですが、
それでもピンクと黄色という組み合わせは非常にきれいですし、
この花の絨毯を見ると「この時期が来たなぁ」と思わされます!

6年前の6月4日に花を飾ったときはあかきんさんを盛大に送るため、
その後の綿麺からもらって飾った花は他人からの思いを伝えるため、
そしてその後に買ってきた花はまるでそこにはみんながいないことを
象徴するかのような存在として目に映ったりしたこともありましたが、
今こうして毎年飾っている花はそうした陰のようなものはありません!

ただただ純粋に自分ができる愛情表現、それを最大限に見せたもの、
数日間の心の深いところへ潜っていくという旅をしてきた中から、
浮上してきて花を求めながら、最後にこの胸を張れる瞬間がやってきます!

6月4日は空にいる金魚さんたちにとっても特別な1日にしたいですからね!
この飾り立てた花で、空の池もきっとにぎやかになってるでしょう!

この瞬間を迎えると、悲しさも苦しさも多くのものを感じながら、
長い心の旅の数日間を経てきてものすごく良かったなと思えます!

もちろん心の旅で得た、あかきんさんが全てを生み出したこと、
その事実もまた今後の生活を支えるうえで意義深いものでした!

やっぱりこの数日間は自分にとってかけがえのない存在ですね!

はっきりと言うなら、自分にとって1年の中で最も大切な時間ですし、
この庭の飾り付けが終わった瞬間に新たな1年が始まる感覚があります!

新しい1年をまた金魚さんたちと一緒に歩み始めていく、
毎日の心の通じ合わせの中でいろんなことを誓ったり、
自分の生活の大事なこともよく話し合ってるのですよね。

「自分は金魚さんたちに恥じない生活を送ることができているか」、
これは自分にとってのいつも大事にしているテーマでもありますし。

自分を思い通りにコントロールするのはなかなか難しくもありますが、
そんなときは金魚さんたちに「こうしますから」と誓いを立てることによって、
自分が間違った道に入らないようにするなど、いつも支えてもらっています!

これからの1年はきっとより濃密な心の通じ合いがあるでしょう!

あかきんさん、そしてみんな、これからもいい1年を過ごしましょう!
そしてこれからも毎日庭を通じてみんなと心を通じ合わせていくからね!(*・ω・)

The Beach Boys - You Still Believe in Me (1966)

にほんブログ村 グルメブログ カップ麺・カップラーメンへ このエントリーをはてなブックマークに追加
(クリックしてくださる際にはCtrlキーを押しながらすると非常に楽です。)

テーマ : 金魚 | ジャンル : ペット

コメント

 

コメント

 
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

Powered by FC2 Blog
/ ある事件の記録ブログ版
Copyright © He can eat anything but himself! All Rights Reserved.