自分の人生観と哲学 その5

こうして毎日「死にたい」と考えながら過ごしていた20歳の秋頃、
自分の中で「そこから脱出したい」という意識が強く出てきたのですね。

自分がいる心理状態の客観的な危険性に自分なりに気付いて、
「ここから何とかして出ないといけない」と思うようになったのです。

ただそこでもどうしても壁にぶつからざるをえないわけです。

「この絶望から脱出しようとするとして、
じゃあこれからの人生、自分は何に楽しさを見出せばいいの?
何を楽しめるものが、救いになるものがあるっていうの?」という、
価値観の変化による「楽しいと思えるものが見つからない」問題が横たわるのです。

ただこれはこの時期に何となく見えてきたのですよね。

「自分が20歳の大人という視点にこだわるからダメなのではないか。
思えば子どもの頃はもっといろんなことを純粋さを持って楽しめたじゃないか。
だったら、子どもの頃のような楽しさを大人でも手にすればいいじゃないか。」
というようなところにたどり着いたのですね。

要は自分が絶望していたことは、
いわゆる「大人の楽しみ」みたいに形容されるものだったわけです。

本当なら人間は成長するにつれて、大人になるにつれて、
より動物的だった子どもから理性的な存在になっていくべきなのに、
実際にはより欲望のタガを外して、より下品な物事の楽しみ方ばかり手にしてしまう、
そうした人間のあり方に対する絶望だったわけです。

「大人になったから、大人らしい物事の楽しみ方をしなければならない。
でもそんなものは楽しいどころか、人間の愚かさとしか思えない。」
と、自分はここでストップしてしまっていたわけですね。

そこを逆転させて「大人らしい物事の楽しみ方なんて捨ててしまえばいい。
いっそ子どもの価値観を取り戻して、子どもの頃にいくつか持っていた
純粋な物事の楽しみ方をできる大人になればいい」と考えたわけです。

もちろん子どもの物事の楽しみ方が全部純粋なわけではないです。
子どもであるがゆえの残酷さもありますし、良くない部分も多いです。

でも無邪気に探検したり、公園で遊んだり、ただ走り回ったり、
それも欲求の一つであることはたしかではあるものの、
「大人の楽しみ」のようなドロドロとした汚い欲望とは全くの別物です。

そうした物事の楽しみ方は大人だって、別にやったっていいはずです。

そう考えたときに、
「あぁ、今の自分にも物事を楽しむ方法はある」と気付けたのですね。

だからそうした発想に至ってまずやったことが、
近くの大きな公園に行ってのんびりと歩いて過ごしたり、
芝生の上に寝転んで延々と空を眺めたりすることだったのですよね。

子ども達が無邪気に遊んでるのを見たりするのも好きでした。

今でもときどき公園に出向いて一人でいろんなところを散歩したり、
花を見たり写真を撮るのが好きなのはそうしたところから来ています。

遊具で遊んでもいいのですが、さすがにそれは恥ずかしいですからね。
というか、大人になると遊具ってけっこう怖かったりしますからね。

そうした考えを得た後に帰省したときには、
子どものときに歩いた道が今どうなってるかを
一人で散歩しながら探検するなんてこともしましたね。

「あぁ、こういう楽しみ方でいいんだな」って思えましたね。

「人間は自分も含めてひどく愚かな存在だ」といった価値観は
これ以降も特に変わってはいないのですが、
「そんな絶望の淵に落ちた自分でもそれなりに何かを楽しむことはできる」
ということが大きな救いになったことは間違いなかったですね。

ただそうしてるうちに20歳の頃ほど極端にストイックではなくなりましたが。
根本的な哲学は当時と同じですが、良くも悪くも丸くなったところはありますね。

どうしても20歳のときほど強固な価値観だと、あまりに生きにくくもありますし。

ただやっぱり今でも「自分は完全に理性的な存在を目指したい」という意識や、
「自分が愛を実践するなら、無私の愛になるように徹底的に努める」という意識は
変わらず持っていますけども。

世の中の恋愛をひどく冷ややかな目で見てることなんかは変わらないですからね。

自分達の恋愛関係を神秘的な永遠の愛かのように称揚しつつ、
良くて数年しかもたないくせに
「自分のやってることは本当に愛と呼ぶに値するのだろか」
とは考えもせず、それを真に愛と呼べるものにしようとも努めない、
にもかかわらず自分のしてることを愛と呼ぶことはやめようとはしない、
という人間の行動については今もやっぱり軽蔑の念しか持ってないですし。

ただ自分は「だから愛なんて幻想なんだ」と言いたいわけではなく、
「それでも自分は無私の愛があると信じてそれを人間として実践したい」
とずっと願い続けてはいるのですけどもね。

そしてやっぱり先に述べた通り、「大人の楽しみ」的なものは腹の底から嫌悪してます。

キャバクラとかに行きたいと思う人の気持ちは1ピコメートルたりとも理解できませんし、
性接待的なものとか、興味がないどころかもし自分がそんなものを得たら
ひたすら自己嫌悪に駆られて「死にたい」としか思えなくなるでしょうね。

そういうものは「本当は欲しいと思うけど我慢してる」とかではなくて、
「そんなものを欲しいと思う人間になんて死んでもなりたくない」
という意識なのですよね。

今でもやっぱり自分の意識の根幹には、
「なんで人間は大人になるほど理性を磨くどころか、欲望まみれになっていくわけ?」
という強烈な疑問はありますからね。

たぶん原理的に言えば子どものほうが本能的で、
大人のほうが理性は成長してるはずなのですよね。

でもその理性を欲望を抑制する方向で使うどころか、
欲望を満たすため、増強させるために人間は使ってるのですよね。

やっぱりこういう生き方は自分としては愚かだとしか思えないのは変わらないです。

もう今更この記事で本音を隠しても仕方ないからストレートに言いますが、
70代とか80代にもなって精力増強剤とかバイアグラとか欲しがる奴等、
心底「頭腐ってんじゃねーの」としか思えませんからね。

せっかく年齢を重ねて無駄な欲望が減って行ってくれるにもかかわらず、
わざわざそれに抗して欲望を増強させようとするなんて自分には理解できません。

幸い自分は性欲がゼロといっていいぐらいの状態に達しつつあるので、
「やった!やっとそういう境地に達してきた!」と心から喜んでいます。

なんか記事の後半になって書きたいことをひたすら書き殴りましたが、
とりあえず今回の記事に関してはこのあたりで締めようと思います。

このシリーズそのものはたぶんもうちょっと続くと思いますが、
次の記事で何を書くかはちょっと頭の中で練りたいと思います。

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ラーメンのちょっとしたお話 麺編

みなさんは「ラーメンの麺の種類」というと、何を思い浮かべますでしょうか。

まずは細麺と太麺、そして縮れ麺とストレート麺、
あとは断面が丸いか四角いかぐらいだと思います。

もちろんこれらも麺を構成する要素として重要ではありますが、
実際には麺を語るうえでもっと知っておくべきポイントがあります。

いったい何が麺の食感を決めるのか、
そのあたりをとことん掘り下げていくのが今回の記事の趣旨です。

もしかすると前回のスープ編より目新しい内容は多いかもです。

◎麺の加水率 - 小麦粉100gに対し水何gを含むか


麺の食感を最も左右する要素、それが麺の加水率です。

加水率とは小麦粉100gに対し水を何g含むかを表します。
「全体の重量に対して」ではなく「小麦粉の重量に対して」なのがポイントです。

なので加水率30%なら、小麦粉100gに対して水が30gとなります。

最近はラーメンマニア的な人もけっこう増えてきているので、
この加水率という概念もよく知られるようになりつつあります。

加水率の低い麺を低加水麺、加水率が高い麺を多加水麺と呼びます。
なぜ「高加水麺」ではなく「多加水麺」なのかはちょっと謎です;

低加水麺と多加水麺の特徴をざっくり書くと次のようになります。

[低加水麺]
・質感はやや粉っぽい
・食感はパツパツ、ザクザクと歯切れがいい
・スープとの絡みは良い
・のびやすく、茹で時間も短めで済む
・小麦の風味は強めに出る
・太麺や極太麺にすることは比較的まれ

このタイプの麺が使われる代表格は博多豚骨ラーメンですね。
あの歯切れのいいパツパツとした食感がまさにこれです。

博多豚骨ラーメン以外でも、京都背脂醤油ラーメン、
セメント系の煮干ラーメンなども低加水麺がよく使われます。

[多加水麺]
・質感はみずみずしい
・食感はもちもち、プリプリと弾ける感じ
・スープをはじく傾向がある
・のびにくく、茹で時間が長め
・小麦の風味はやや控えめ
・太麺や極太麺にするのに向いている

多加水麺でまず思い浮かぶのは札幌味噌ラーメンでしょう。
味噌スープに負けない強い存在感とプリ感が印象的ですね。

それ以外では最近定着したつけ麺の麺の大半も多加水麺です。

つけ麺などに使われる極太麺はもちっとした食感が大事なので、
多加水麺は非常につけ麺などには向いているのですね。

慣れてくると、茹でる前の麺の色などからも
低加水なのか多加水なのかが判断できるようになります。

自分の麺の好みが加水低めか高めなのか、
そのあたりも知っておくと麺を選びやすくなりますね。

◎グルテン(小麦粉のたんぱく質)の含有量


小麦粉を麺にしたときの食感は、
その小麦粉に含まれているグルテンが大きく影響します。

小麦粉のグルテン含有量については、少ない方から
薄力粉、中力粉、強力粉となることはよく知られていますね。

そして中華麺には一般的にはグルテンの多い強力粉が使われます。

パスタも同様で、強力粉で作った麺はプリッとした食感になります。

もう少しグルテンが少なめの小麦粉が使われることもありますが、
あくまで例外的で基本的には中華麺は強力粉と考えていいでしょう。

「では中華麺の生地はどれも基本的にグルテンが多めで、
グルテンの量によって違いが出ることはあまりないのでは」
と思われるかもしれませんが、実はそうではありません。

強力粉の中でもさらにグルテンの多い小麦粉を求める方々もいるのです。

その際によく使われるのがオーストラリア産のプライムハード小麦です。
この小麦は非常にグルテンが多く、弾力を強く求める人に好まれます。

あくまで自分がこれまで食べてきた感想ではありますが、
プライムハードはやはりもちもち感などの弾力は一級品で、
そのかわり日本産小麦よりは香りは少し落ちる印象です。

弾力重視ならプライムハード、香り重視なら日本産小麦という感じですかね。

◎かんすい - かんすいには2種類ある!


「そもそも中華麺って他の麺と何が違うの?」と問うなら、
その答えは「麺の生地を練る際にかんすいを使うかどうか」となります。

このかんすいというアルカリ性の水分こそが中華麺を特徴付けるのですね。

かんすいが小麦粉のグルテンに作用することであの中華麺独特の食感が生まれます。

ここまでは漠然とどこかで聞いたことがある人が多いと思いますが、
実はかんすいには大まかに分けて2種類あるという話をここからします。

かんすいは「アルカリ性の水分」と先に言いましたが、
これはいったい何が水に溶けてアルカリ性になっているのでしょう。

答えは「炭酸ナトリウム」と「炭酸カリウム」の2種類の物質です。
大抵のかんすいはこの2つをミックスして作られています。

さて、ここからはややマニアックな情報となっていきますが、
この2つのかんすいにはそれぞれ次のような個性があります。

[炭酸ナトリウム]
・麺の色は比較的白め
・麺の食感はナチュラル
・麺はややのびやすい

[炭酸カリウム]
・麺の色は黄色くなる
・麺の食感はやや人工的なハリを持つ
・麺はのびにくい

一昔前の高速のサービスエリアやスーパーのフードコートなど、
あのあたりにあったいかにも庶民的なムードのラーメンの麺、
あれものすごく黄色くて表面のハリがかなり強めでしたよね。

あれは炭酸カリウム主体のかんすいを使っていたことによります。
麺がのびにくいので、良くも悪くも扱いは楽なのですよね。

それに対して最近のこだわりのラーメン屋さんなどでは、
炭酸ナトリウムを主体としたかんすいを使うことが多いです。

できるだけナチュラルな食感を表現したいためですね。

一昔前に比べるとやや白っぽい麺が増えているのはそのためです。

最近は「中国内モンゴルかんすい使用」をうたう店も多いですが、
このかんすいもまた炭酸ナトリウム主体のものとなっています。

◎その他の麺に作用する要素


ここまで麺の加水率、グルテン、かんすいについて触れてきましたが、
これら以外にも麺の食感や質感などに影響を与える要素があります。

ここではざっくりとそれらの要素について紹介していきましょう。

[卵]
麺に卵を入れて卵麺にすることもよく行われますね。

これはもちろん麺に卵の風味を与える目的もありますが、
食感もプリッとした弾力が強まるという利点があります。

そのためとにかく麺のプリ感などを強めたいときには、
卵を麺に加えるというのも有効な方法となっています。

また当然ながら麺に卵を加えると色は黄色くなります。

すなわち黄色い麺は必ずしも炭酸カリウム系かんすい使用とは限らず、
卵などの他の要素が原因で黄色くなっていることもあるのに要注意です。

[真空ミキサー]
小麦粉と水などをまぜて生地を作る際に、
真空状態を作って気泡が入らないようにするミキサーを
真空ミキサーと呼びます。

なぜそのような食感になるのかはまだ十分に解明されていませんが、
一般的には真空ミキサーによって作られた麺は、
みずみずしさが強く透明感があり、麺の密度感が強く、
なめらかでギュッと強さのある食感になる傾向があります。

[全粒粉、焙煎小麦など]
最近では普通の小麦粉以外に全粒粉などを使うお店も増えています。

これは食感というよりは小麦の香りを立てるためであることが多いです。

ただ全粒粉をあまり多く加えると麺の食感のコントロールが難しくなるので、
全粒粉による香りの演出と食感の維持を両立するには高い製麺技術が必要となります。


ということで、今回はラーメンの麺についてのうんちくでした。

2種類のかんすいなどについてはそこそこ新しい視点だったかもと思います。

もっともこれは決して自分が独自に調べたような内容ではなく、
あるラーメン屋さんのブログを読んで学んだことではありますが。

ということで、みなさんもぜひラーメンの麺への知見を得ていきましょう!(゚x/)

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ラーメンのちょっとしたお話 スープ編

◎ラーメンスープって何だろう


みなさんはラーメンのスープというとどんなものを思い浮かべますでしょうか。

醤油ラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメン、豚骨ラーメン、
豚骨醤油ラーメンとこのあたりを基本にしながら、
最近では鶏白湯ラーメン、煮干ラーメンなども思い浮かびそうです。

でもこれらのラーメン、というかスープの呼び名は
ラーメンスープの構成からいうと少々変なのです。

ラーメンのスープの種類というのはどのようにとらえればいいのか、
それをよりあらゆるラーメンに対して使えるような、
便利でなおかつ体系的なスープのとらえ方を解説していきます(●・ω・)

◎ラーメンスープ=スープ(だし)+タレ(かえし)


スープは大まかに分けると、
「肉・魚介・野菜などから取ったスープ」と、
「タレ(かえし)」の2つによって構成されます。

実際にはここに香味油も加わってきますが、
ここでは簡単のために香味油については割愛します。

「肉などから取ったスープ」だけでは肝心の塩味がなく、
このままだとラーメンのスープとしては使えません。

かつおだしや昆布だしだけではうどんスープにならないのと同じです。
ここに醤油であったり、何かしらの塩分を加えるものが必要です。

この塩分を加えるためのものが、いわゆるタレ(かえし)となります。

このタレにもいろいろ種類があり、
醤油ダレ、味噌ダレ、塩ダレなどの種類があります。

実はこのタレにも動物系の旨味や海鮮系の旨味を加えることが多いですが、
ここはわかりやすさを優先して、そのあたりについては考えないことにします。

そうすると、ラーメンのスープとは、
「どのようなスープを使ったか」と「どのようなタレを使ったか」という、
この2つの要素の組み合わせによって考えることができます。

◎どんなスープ(だし)があるか


ここでスープ(だし)に関する部分について掘り下げていきましょう。

ラーメンのスープのベースには多種多様なものが使われます。

代表的なのは鶏と豚ですが、かつおや昆布などの和風だしもよく使われますし、
煮干もポピュラーですし、最近は鯛などを使ったラーメンも増えています。

一口に醤油ラーメンや塩ラーメンといっても、
このスープに何の素材を使っているかで個性は大きく変わります。

そうすると、それらのラーメンを一口に全部
「醤油ラーメン」や「塩ラーメン」と呼んでしまっていいのか、
という疑問もちょっとばかり湧いてきます。

しかも現在では鶏や豚などの動物系スープと
かつおや昆布などの和風だしを別々に炊いて、
それを合わせるWスープ方式のお店も多くあります。

そう考えると、もう少しスープへの解像度を上げたくなりますね。

◎清湯と白湯


ラーメンのスープを語るうえで絶対に欠かせない要素があります。
それが清湯(ちんたん)と白湯(ぱいたん)というものです。

「あー、なんかややこしそうな話が出てきたな」
と思われるかもしれません。

でも実は全然そんなことはありません。

清湯は一言で言えば「澄んだスープ」のことです。
一般的な醤油ラーメンや塩ラーメンは清湯なわけですね。

一方で白湯は「白濁した濁ったスープ」のことです。
これは強火でじっくり煮込むことで油脂が乳化されてできます。

いわゆる豚骨ラーメンがこの白湯スープの代表格と言っていいでしょう。

豚骨スープというとこの白濁したスープが連想されますが、
豚骨を炊いて澄んだスープ(清湯)を作ることもできます。

なので、私達は普段「豚骨白湯スープ」を豚骨スープと呼びますが、
実際には「豚骨白湯」と「豚骨清湯」の2つのスープがあるわけです。

◎ラーメンスープの3要素 - スープ素材、清湯・白湯、タレ


ここまでの話を簡単にまとめると、
ラーメンのスープはおおむね次の3つの要素で考えることができます。

・スープの素材が何であるか(鶏、豚、魚介など)
・清湯か白湯か
・タレが何であるか(醤油、味噌、塩など)

この基本を押さえながら話を進めていきましょう。

◎従来のラーメンの種類分けに潜む罠


ここまでの話を聞いてくると、
従来のラーメンの分類が不完全であることに気付いてくると思います。

醤油ラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメンについては、
完全に「タレが何であるか」のみで分類されています。

ただ一般的には醤油ラーメンと塩ラーメンについては、
澄んだスープのことを指すことが多いので、
「清湯」+「タレが何であるか」の2要素での名付けとも言えるでしょう。

一方で味噌ラーメンについてはスープが清湯でも白湯でも、
ほとんど区別されることなく「味噌ラーメン」と呼ばれます。

これは完全に「タレのみでの分類」になっています。

さらに豚骨ラーメンを見ていくと、
これは「素材が豚骨」かつ「白湯スープ」を指していて、
今度はタレがどのようなものであるかが名前と無関係です。

これは鶏白湯ラーメンについても同様です。
「素材が鶏」かつ「白湯スープ」という観点からの呼び方です。

このように従来のラーメンの分類は、
タレの種類での分類 - 醤油、味噌、塩

スープの種類での分類 - 豚骨、鶏白湯
が混在してしまっています。

これではラーメンスープへの十分な理解ができないのも仕方ありません。

◎ラーメンはスープの3要素を全部考慮しよう


ラーメンスープが「スープ素材」「清湯・白湯」「タレ」の
3つの要素によって構成されていることを考えると、
スープを読み取ったり説明する際もこの3つ全部を押さえると
一気にその視野が広がり、わかりやすくなります。

・鶏清湯の醤油ラーメン
・鶏と魚介を合わせた清湯醤油ラーメン
・豚骨白湯味噌ラーメン(札幌味噌ラーメンは主にこれです)
・鶏白湯塩ラーメン

こんなふうにとらえると、スープの理解がより進みますね。

ところでいわゆる「豚骨ラーメン」のタレは何なのかですが、
醤油ダレと塩ダレの中間的なものと考えるといいです。

それゆえいわゆる「豚骨ラーメン」は「豚骨白湯ラーメン」とは呼べても、
「豚骨白湯+タレ名ラーメン」と呼びにくいという事情はあります。

もちろんこの3要素だけでは十分に表現できないときもありますが、
ここを押さえておくとラーメンをより理解しやすくなりますよ。

ということで、ラーメンスープに関する入門的なうんちくでした!(゚x/)モシリッ

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自分の人生観と哲学 その4

前回までの記事で自分が「人間とは理性的な存在を目指すべきだ」という
価値観に至るまでの過程を書きつつ、その副作用が生じてきたことに触れました。

自分が「まぁ人間なんて欲望で動いてるもんだし、自分もそうだし」と
それに疑問を持たずに受け入れているときは普通に見えていたものが、
「たしかに人間は欲望を持っているが、理性を持っているのだから、
生きていく中でそれを克服していくべきだ」という価値観に達すると、
その「普通に見えていたもの」が「人間がいかに愚かで欲望から脱することができないか」
を示すものとしてしか映らなくなっていってしまうのですね。

これは「その2」の記事でアルコールへの忌避感を持つようになったことで、
飲み会などで人が理性を飛ばしている姿を見ると苦痛をおぼえるようになった、
という話と根っこの部分では繋がっています。

「まぁ人間いろいろあるし、たまには理性のタガを外したくなるさ」と思っていれば、
別に他人がアルコールで理性を飛ばしていてもどうとも思わないわけですね。

でも「いかに理性的な存在になろうとするか」にのめり込むようになると、
その理性の飛んだ姿は「人は年齢を重ねても愚かさから逃れられない」という
現実をただただ突き付けられているようにしか感じず、絶望ばかりが募るのです。

こういう現象があらゆるところで起きるようになっていったのですね。

たとえばこのあたりの時期から、
自分はバラエティ番組などのテレビを見られなくなっていきました。

よくおぼえているのが、以前は普通に笑って見ていた
当時の人気番組だった「恋のから騒ぎ」が全く笑えなくなったのですね。

要は恋愛に関する馬鹿げた話を笑うような番組ですが、
「人間とは無償の愛を目指すべきであるはずなのに、
愛という言葉を弄んでるだけで実際には剥き出しのエゴの綱引きでしかなく、
永遠の無償の愛なんてものとは程遠いことしかできていない」
という価値観が生まれている自分には、もはや恋愛にまつわる与太話は
「いかに人間とは愚かか」を見せつけられてる気分にしかならなくなったのですね。

だからそれを笑い話にできる出演者の姿も、それを笑って眺める視聴者も
そうした構図全体がもう自分には耐え難いものになってしまったのです。

あらゆるテレビ番組についてそうした心境になったわけではないですが、
「以前は普通に感じたものに絶望する」という現象はどんどん拡大していきました。

そしてこうした現象が起きると、友人関係にも一定の問題が生じてきます。
それまで笑えた話が笑えなくなってくるみたいな現象が起きてきますからね。

ただそこは折り合いをつけるために、特に心境の変化はないように振る舞い、
以前の自分の“フリ”をすることに徹していたところがありましたね。

だから顔で笑って心は完全に冷え切っている、みたいなことが増えていきました。

でも19歳ぐらいのときにはだんだんとそれを隠せなくなっていってましたが。
それでもまだ他人から見れば「それなりに普通に見える」範疇だったとは思います。

その状態が一線を超え始めたのがちょうど20歳になったあたりでした。

このときに自分の環境が非常に大きく変わったのですよね。
なので、従来の人間関係などもリセットする機会を得たのです。

18歳から19歳にかけて、いかに自分の欲望と向き合うかなども努力し、
でもやっぱり自分も所詮人間なのでそれはあまり上手くいかないわけです。

そうしたこともあって、自分も含むあらゆる人間への絶望が深まっていて、
人間という存在であることが嫌になり、人間を全く信じられなくなっていました。

そういう状態で環境の変化が訪れれば、
当然ながら友人を作ろうなんていうことすら考えなくなります。

自分から孤独を選び、ほぼ人間関係をシャットアウトした状態に入っていきます。

先に価値観の変化から以前笑えたものを笑えなくなったということを書きましたが、
それに連動して「自分はいったい何を楽しめばいいのか」がわからなくなってきました。

20歳の大学生がやる遊びとして連想されるものは、
ことごとく「人間の欲望の発散に過ぎない」としか見えなくなり、
楽しめるどころか強烈な嫌悪の対象にしかならなくなってるわけです。

「じゃあそうすれば、自分は何を楽しむことができるのか」と
自分に問うたときに、何も答えが出なくなってしまったのですね。

こういう状態が加速すれば、行き着く先は希死念慮しかありません。

実際に20歳のときは「死にたい」ということしか頭にありませんでした。

先にも書いたように自分が人間という愚かな存在であることが耐えられなかったし、
自分以外の人間という存在に囲まれながら生きることにも耐えられなかったですからね。

この頃の自分は他人から見てもおそらくはっきりと危険な状態だったと思います。

もう24時間つねに目があからさまに死んでる状態でしたからね。

友人と電話してるときに「死にたい」って言ったら絶句されて、
そのときは「あれ、そんな変なこと言ったっけ」と思ってましたが、
それぐらい感覚が他の人とはズレてしまっていたのですよね。

自分でもおぼえてるのは夏休みに帰省してきたときに
兄の家の部屋の隅でただずっとうつむいていて、
何の用事もないのに3日ぐらいで独り暮らし先に戻ったときですね。

親族も含めて、とにかく人との関わりを避けたかったのでしょうね。

別に用事も何もなかったので夏休みの間ずっと大阪にいても良かったのに、
逃げるように3日ぐらいで独りでの生活に逃げ帰ったような感じでしたね。

このときに大阪の駅にいるときに電車が通過するときに
ふらふらと無意識に電車に近づきかけてハッとしたのですよね。

もう体が無意識に死を望んでいるという、そんな状態でした。

そんなメチャクチャとしか言いようのない状態でしたが、
こうした状態が進んだ18~20歳の時期に大きくプラスに変化したこともありました。

それは自分が他人やいろんな生き物にものすごく優しくなったことです。
人に対して心は閉ざしてるけど、優しさは明らかに大きく増しました。

これはもちろん「理性的な存在でありたい」という価値観からきたものですね。
言い換えれば「慈愛に満ちた存在でありたい」ということでもありますので。

これは今も続いていて、たとえば懐いてくれる近所の小学生姉妹に対して
やたらと優しくするのも、こうしたところが出発点にあるわけですね。

この後も自分の基本的な価値観に関しては変わらないものの、
この強烈な絶望と希死念慮からは脱出する方向に向かっていきます。

次回はそのあたりの心境の変化などについて書いていきたいと思います。

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幸せのカテゴリー / Mr.Children 深海・BOLERO歌詞意味解説

◎当時の妻への痛烈な決別のメッセージ


この“幸せのカテゴリー”もまたインタビューにおいて、
あまり真面目に歌詞の内容が語られていない曲の一つである。

言うなれば、ごまかして流すことが多いとも言えるのだが、
これは“虜”などと同様にプライベート色が強い歌だからだろう。

この曲は誰が見てもわかるように、
「関係が破綻寸前にある恋人への決別の歌」である。

そして「(詞や曲を書くのは)自己救済のためだけですよ、最近は」[1]
と当時語っていた桜井氏が、自身と無関係にこうした歌を書くことは考えにくい。

となると、この歌の対象は「当時の妻」以外にはありえないだろう。

それを考えると、ポップな曲調でありながら、かなり辛辣な歌でもあると言える。

◎強烈な当てつけにも見える“innocent world”風の歌詞


1番と2番のAメロに関しては、それほど奇抜な表現は見られない。
ごく普通に破綻寸前の恋人の様子を描いた歌詞と言っていいだろう。

また1番のサビについても、それほど踏み込んだ内容は見られない。

しかし2番のサビの「日のあたる場所に続く道」[0]というフレーズを見たとき、
“innocent world”の「陽のあたる坂道を昇る」[2]を連想した人は多いのではないだろうか。

まさか作詞者である桜井氏もこの共通性に気付かなかったとは思えず、
ある種の意図性を持ったうえでこのフレーズを選んだとしか思えない。

そしてこの歌の対象である当時の奥さんは、
かつてMr.Childrenが所属するトイズファクトリーの社員であり、
“innocent world”のタイアップを取るのに奔走した人物でもある。

その当時の妻にあえて、
「日のあたる場所に続く道 違う誰かと歩き出せばいいさ」[0]と突き放し、
「でも君といるのは懲り懲り」と続けるあたりは実に皮肉が込められている。

◎理想的だったはずの愛も夢も簡単に崩れるもの


しかし実はこの曲の歌詞の本当に重要な部分は
前半のAメロやサビのような直接的に当時の奥さんに向けた部分ではない。

その間にはさまれているBメロから見える、愛や夢に対する絶望の箇所である。

「“夢のような毎日が 手を伸ばせばそこに立ってる”
そんなふうに自分に 言い聞かせて過ごしてたけど」[0]

「限りなく全てが 上手くいってるように思ってた
幸せってあまりに もろく儚いものなんだね」[0]

これは単なる奥さんへの皮肉ではなく、
「理想的な愛を手に入れて、それは順風満帆であっても、
結局は愛や幸せというものは簡単に崩れるものなんだ」
という、『深海』期にも強く見られた価値観そのものである。

同時にこれは表面的には奥さんへの愛をテーマに書かれているが、
桜井氏が叶えた「ミュージシャンになるという夢」についても、
この2つの節と全く同じ感情を桜井氏は抱いていたであろう。

「夢を叶えれば、そこには夢のような日々があると思っていた」、
そして実際にミュージシャンとして全て上手く行っていたにもかかわらず、
夢を叶えた先には何もなく、幸せがもろく儚く崩れ去って行った、
そうした愛や夢、希望などの脆さへの絶望がここには映し出されている。

そしてこの曲は当時の奥さんとの実際の生活によって、
その愛や幸せのもろさというものを感じたというテーマであり、
『深海』後というよりは、“【es】”や“シーソーゲーム”と同様に、
愛や夢を信じられなくなり、『深海』へ向かう過程の歌と読むこともできるだろう。

◎間奏後に見えてくる『深海』後的な価値観


このように『深海』に至る過程としての側面が強い前半に対して、
間奏後の後半はむしろ『深海』後らしい価値観が強く打ち出されている。

『深海』前は「理想に近づくことができない人間と自らの愚かさ」や
「愛や夢への絶望」といったことがテーマになることが多かったが、
『深海』後になると、「純粋でいようとするほど死を望んでしまうから、
あえて純粋であることを捨て、ただの動物になってしまおう」
という価値観がより強く打ち出されるようになる。

間奏後の歌詞の「最近はちょっぴり解りかけてるんだ
愛し方って もっと自由なもんだよ」[0]というのも、
“Everything (It's you)”のような理想的な愛であったり、
「理性的な人間」としての愛とはまた違ったものとしての、
「人間としての枠を超えた動物的な愛でもいいんじゃないかな」
という当時の桜井氏の意図を読み取ることができる。

また「恋の旅路は続くんだね」という表現もまた、
“シーソーゲーム”などを通じて「恋」というものを
「愚かなもの」と断じていた桜井氏としては一見意外性があるが、
これが『深海』後の“ボレロ”に向かう側面であると考えると辻褄が合う。

◎なぜ「幸せのカテゴリー」なのか


この曲を聴いた人ならば、一度は疑問に思ったことがあるだろう。
なぜタイトルに「カテゴリー」という言葉が使われているのかである。

「カテゴリー」とは一般的に分類を表すものである。
それを考えれば、「さよなら幸せの分類」とはおかしな歌詞である。

しかし実は「カテゴリー」という言葉は哲学用語にもあり、
「人がものを考え認識するにあたって必ず従わなければならない形式
としての最も一般的な概念ないし分類語を意味する」[3]とある。

すなわち、桜井氏が歌詞に書いた「さよなら幸せのCategory」とは、
「幸せとはこうあらねばならないという概念から解放されよう」
という意味であったのだろう。

そう考えるとまた、このタイトルもまた『深海』後を示唆するものとなっている。

◎『BOLERO』の中での位置付け


『BOLERO』の流れの中の位置付けとしては、完全に曲の前半の『深海』前的な箇所は無視され、
後半やタイトルの「幸せや愛はこうあるべきといった考えを解体しよう」という部分が着目され、
これが「『人間らしくあらねばならない』から『動物的でもいいではないか』」という向きを示唆し、
本能的で混沌としながらもそれを前向きに受け止める“everybody goes”へと接続されている。

→ より詳しくは“アルバム『BOLERO』の曲順の意味”の記事へ

◎音楽的に見て


『BOLERO』のアルバム曲の中では「最もMr.Childrenらしい」と
形容されるのがこの曲であることは間違いないだろう。

それゆえ「アルバム曲の中としては浮いている」と感じる人もいるだろう。

しかしながら、歌詞などをよくよく見ていくと何か重いものが垣間見え、
ポップな中にヘヴィなものを仕込むこの時期の彼ららしさははっきりあるのだが。

実はこの曲を音楽的な部分で最も面白いのは、
当時この曲だけいやに多くのバージョンが作られていたことである。

桜井「これは、アレンジの方向性がいろいろと考えられる曲だったんですよ
(中川、ここで思い出し笑いする)。で、最初考えてたのより、もっと荒々しい方向に行こう、
ということで、このアレンジになったんですけどね。」
中川「この曲、最初は“オリエンタル・ヴァージョン”とかもあったんですよ。
それと今のヴァージョンと、もともとの桜井のアレンジがあったのかな。」[4]

田原「ロンドンで録ってきたんですけど、ものすごーくセッション的に作ってたんですよね。
だから、いろいろ試したんですよ。オリエンタル・バージョンとか、
スパンダー・バレエ(Spandau Ballet)の<トゥルー>[5]みたいなしつっこいバラード・アレンジとか。
それを小林さんに聴かせたら笑われたけどね。どうするんだ、これって(笑)。」[6]

そう考えると、イントロのギターに微妙にシタールっぽい雰囲気があるのは、
もしかすると「オリエンタル・ヴァージョン」の名残なのかもしれない。

Spandau Ballet風のヴァージョンはこの曲から全く想像がつかないので、
もしデモテープが残っているのであればぜひとも聴いてみたいものだが。

◎おわりに


曲としては『Atomic Heart』期を思わせるポップネスを持ち、
歌詞は表面的には穏やかながら実は皮肉がたっぷりこもっているなど、
異質さを強く持つと同時に、『BOLERO』期らしい皮肉さを持つ曲である。

そしてこの曲の最大の特徴は、前半は明らかに『深海』前的でありながら、
後半になると「動物的な存在になってしまおう」という意識が垣間見えるなど、
『深海』後的な部分が強まり、『深海』前と『深海』後のテーマを分けて
考えることがいかに難しいかを示す象徴的な曲にもなっている。

結局のところ、ある時期を超えれば急に『深海』後になるわけでもなく、
曲を作っていた時期そのものは『深海』も『BOLERO』も特に変わらないうえに、
『深海』前的な「愛や夢に絶望する過程」も、「人間の愚かさへの怒り」も、
「救いのための純粋さからの逃亡」も全てこの時期の桜井氏に同居していたものであり、
それらをくっきりと「この時期はこれだった」と分けるのは難しいということだろう。

あくまで私達が知ることができるのは、
「この曲においてはこの考えとこの考えが葛藤を起こしていた」
といった断片であり、それらを全て集めていくことによって、
『深海』『BOLERO』期の桜井氏の姿がはっきり見えてくるのだろう。

◎出典


[0] “幸せのカテゴリー”の歌詞より
[1] 『CDでーた』 1997年2月5日号より
[2] “innocent world”の歌詞より
[3] コトバンク「カテゴリー」より
[4]『月刊カドカワ』 1997年4月号より
[5] Spandau Balletの“True”のミュージックビデオより
[6]『WHAT's IN? ES』 1997年4月号より

【関連記事】
インデックス・はじめに / Mr.Children 深海・BOLERO歌詞意味解説

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綿麺 20周年! ブヒィ!ヤベース

綿麺がついに開店20周年を迎えました!
ということで、今年もお祝いの花を持って開店記念日の2月2日夜に訪問しました!

入口に「今日はつけ麺はありません」と書いてあったので、
「あぁ、今日は和風とんこつ狙いだから問題ないな」と思って入ると、
女将さんから「今日はサプライズのメニューがあるねん」と言われ、
券売機を見ると、なんとあの伝説の限定「ブヒィ!ヤベース」がありました!(`・ω・´)

この「ブヒィ!ヤベース」は綿麺の限定の中でも断トツの人気で、
最後に提供されたのは2019年の周年記念日だったので5年ぶりの登場です!

ただ5年前は自分のように周年祝いを持ってきた人のみの限定だったので、
ある程度広く提供されたのは2018年以来6年ぶりということになります!

「ブヒィ!ヤベース」って、全く知らない人が見ると変なネーミングですが、
これは要するに豚骨(ブヒィ)とブイヤベースをまぜた言葉なのですね!

すなわち「ブイヤベースと豚骨ラーメンを合体させた料理」なわけです!

これだけ聞くと「え、それっておいしいの」と思うかもしれませんが、
このラーメンがいかにすごいかを記事を通じてたっぷり語っていきます!

綿麺 20周年! ブヒィ!ヤベースとパン

ということで、「ブヒィ!ヤベース」のパン付きセットを注文しました!

◎スープ - トマト系パスタソースを分厚い豚骨スープが支える!


まずはスープですが・・・いやぁ、やはりこれは絶品ですね!(●・ω・)

一口目を食べたときは「あぁ懐かしい!」が真っ先に来ましたが、
食べ進めるうちに「やっぱりこれはすごいラーメンだ」という
圧倒される感覚がどんどんと強くなってきましたね!

「豚骨とトマトスープなんて合うの?」と思われるかもしれないですが、
これは単なる「豚骨ラーメンとトマトスープのたし算」ではないのです!

トマト系のパスタソースを普通に作ると、もちろんこれもおいしいのですが、
ベースとなるコクがやや弱く、あっさりとした仕上がりになりがちではあります!

なので、場合によってはそこにチキンスープなどを加えることで、
パスタソースに厚みやコクを加えるということは当然ありますよね!

そうした厚みと旨味とコクを加えるためのスープの部分を
豚の濃厚スープに担わせた、これが「ブヒィ!ヤベース」なのです!

そう考えると、これは「豚の厚みを兼ね備えたトマトパスタ系スープ」で、
どっしり系海鮮トマトパスタソースとしてイメージが湧いてきますよね!

なので、これは断じてミスマッチではなく、
イタリア料理のトマト系パスタスープの一つの正統進化形なのです!(=゚ω゚)

まずはオリーブオイルでガーリックを炒めて白ワインを加え、
そこにトマトソースを加えて海鮮具材などと絡めていきます!

実はもうこの時点で海鮮トマトパスタソースとして完成してるのですよね!

そしてここに濃厚な豚骨スープが加えられることによって、
コクと旨味が数段増してスープとして完全に仕上がるのですね!

そう考えてみると、これがおいしくないはずがないのです!

「コクが分厚くなった一級品の海鮮トマトソース」が
そのままスープになっているわけですからね!

◎トッピング - 海鮮具材ときのこはトマトスープとの相性抜群


具材は大ぶりの海老、イカ、あさり、鱈、しめじ、エリンギです!
上にパラパラとかけられているのはパセリですね!

この具材の組み合わせ、とにかくもう完璧と形容するしかないです!(*゚ー゚)

海老、イカ、あさり、鱈という海鮮具材がトマトスープに合わないはずがないです!

しかもどの具材もスープに海鮮の旨味を与えるという効果が高く、
スープとの相乗効果が申し分ないものとなっているのですよね!

旨味があふれるあさり、ふわっとやわらかくクセのない鱈、
プリッとした食感と旨味のあるイカ、どれも絶品です!

そしてこの中の主役は大ぶりの海老と言っていいでしょう!

やはり海老は大ぶりなものに限りますね!
食べたときに口の中に広がる旨味と食感の良さが違います!

この「ブヒィ!ヤベース」はいつも大ぶりの海老にこだわってますからね!
小さくするとどこぞのかーととかいうブロガーがうるさいからだそうですが!笑

そしてしめじとエリンギというチョイスも素晴らしいのですよね!

海鮮具材の独特の強い旨味とキノコの旨味って相性がいいのですよね!
それを選んでいるところにも綿麺の高いセンスを感じますね!

アクセントとしてこの2種のキノコも実にいい仕事をしてくれています!

綿麺 20周年! ブヒィ!ヤベース(麺)

◎麺 - デュラムセモリナを配合した自家製パスタ風中華麺


麺はなんとパスタに使われるデュラムセモリナ粉を配合した自家製麺です!

このこだわりですよ、だからこそこのラーメンはすごいのです!(=゚ω゚)

「パスタ風のスープと豚骨を合わせるのであれば、
麺のほうもパスタっぽい要素があったほうが合うのでは」
とは誰もが思うでしょうが、そこにきっちり答えてきてくれます!

しかも提供直前にガーリックオリーブオイルを麺にまぶすので、
これが風味を高め、さらに食感の維持などにも大きく貢献します!

こう見ると、このラーメンがいかにして上手く
ラーメンとパスタのスタイルを融合させているかがわかるかと思います!

その食感も絶品で、パスタに通じる弾けるようなプリ感が絶妙で、
麺そのものもおいしく、そしてスープとの相性も完璧なものです!

スープのコクが非常に分厚いのでこの太麺がよく合っており、
スープと麺がまさに対等な存在感によって引き立て合います!

◎パン - スープと絶妙に合うパン


そしてこの「ブヒィ!ヤベース」にはセットのパンが欠かせません!

このスープですから、もうパンと合うのは想像がつきますよね!

自分のオススメはパンをちぎったうえでスープに乗せてしまって、
ほどよくスープを吸ったところで箸でつまんで食べる方法ですね!

ちょっとお行儀が悪いかもですが、この食べ方がいいのですよ!

そしてこのセットのパンにはガーリックバターもついてくるので、
これをパンにつけて食べてももちろんいいですし、
ガーリックバターを少しつけてからスープを吸わせて、
両方のマリアージュを楽しむという方法もありますね!

また今回のセットでは特別に自家製燻製ハムもついてきました!

この「ブヒィ!ヤベース」と燻製ハムは絶対に合うと思っていたので、
これがセットとしてついてきたのは非常にうれしかったですね!

燻製ハムを少しスープにつけて食べるのももちろんいいですし、
スープを付けたハムをパンに乗せて食べるなんて方法もあります!

この食べ方のバリエーションもまた「ブヒィ!ヤベース」の魅力ですね!

◎まとめ - 創作系ラーメンの最高峰


この「ブヒィ!ヤベース」は創作系ラーメンの最高峰と呼んでいいでしょう!
これだけのクオリティを誇る創作ラーメンは他では見られないものです!

今の綿麺は限定ラーメンを出すことがあまりないので、
このラーメンに出会う機会は非常に少ないのですが、
食べられる機会があったら無理に時間を作ってでも食べに行くべき逸品です!

興味の湧いた方はぜひとも次の機会を逃さないでくださいね!(゚x/)モキヌー

お店の住所と地図 大阪府松原市松ヶ丘3丁目6-15

【関連記事】
自己流ラーメン 綿麺 総合メニュー

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サイケデリックロックができるまで 番外編

ここでは「サイケデリックロックができるまで」シリーズを書くうえで、
紹介候補に挙がったものの惜しくもボツになった4曲を紹介します。

今回は全7記事と大規模なシリーズになったこともあって、
候補に挙がった曲やバンドはけっこう多かったのですよね。

ただそれを多方面から見て紹介すべきかどうかを考えて、
その中でやむなく枠から外した曲がいくつかありました。

まずはThe Five Americansというバンドの"I See the Light"という曲です。
1965年の後半の段階でシングルとしてリリースされています。

The Five Americans - I See the Light (1965) [Garage Rock / Psychedelic Rock]


サイケを語るうえで難しいのは、ガレージロックとの境界線なのですよね。

この曲は間違いなくガレージロックではあるのですが、
サイケと呼んでいいのかどうかを厳密に考えるとやや迷いがあり、
「ガレージ系サイケの先駆的存在」として紹介するには
ちょっと難しいかなと思って枠からは外したのですよね。

オルガンの使い方はなかなかサイケに通じるものがあるのですが。

次はThe Associationというバンドが1966年3月にリリースした
"Along Comes Mary"というシングル曲です。

これもどうすべきかずいぶんと迷ったのですよね。

The Associationというバンドは一般的には
サンシャインポップ(Sunshine Pop)というジャンルで語られます。

このサンシャインポップはサイケデリックポップの兄弟的ジャンルで、
「サイケ感が薄まったソフトサイケ」みたいなスタイルなのですよね。

そしてこの"Along Comes Mary"はサンシャインポップとしてはやや激しく、
なおかつ"Mary"がマリファナを指しているなどドラッグソングなのです。

とすると、サンシャインポップとしてはサイケに近い存在なのですよね。

それゆえ迷ったのですが、音の系統はやはりサンシャインポップで、
サイケの中にはこの路線の純粋なフォロワーが特にいないこともあり、
時期はそこそこ早いもののサイケとして語る枠からは外しました。

The Association - Along Comes Mary (1966) [Sunshine Pop]


このいやに上品っぽいムードがサンシャインポップらしくもありますね。

続いて紹介するのもサンシャインポップ寄りのバンドのThe Cyrkleです。

ただThe Associationが「サイケと呼ぶのは難し」かったのに対して、
こちらのThe Cyrkleは曲によっては完全にソフトサイケと言えるものです。

「The Beach Boys系ソフトサイケのフォロワー」といった位置付けですね。

このバンドはSimon & Garfunkelのポール・サイモンから提供された
"Red Rubber Ball"というサンシャインポップを代表する曲で
全米2位を獲得し、シングルヒットを成功させてデビューします。

それに続けて同名のアルバム"Red Rubber Ball"をリリースし、
その中にはなかなかクオリティの高いサイケポップが多く含まれていました。

アルバムリリースも1966年6月30日と比較的早かったので、
「比較的早い段階で登場したThe Beach Boys系サイケのフォロワー」
として紹介するか迷いましたが、このアルバムはあまり売れなかったこともあり、
シングルが1曲有名なもののバンドそのものもマニア以外には無名だったため、
やむなく紹介枠から外したものです。

ただこのタイプのThe Beach Boys風ソフトサイケポップは
このバンドに限らずこの後かなり多く登場していくのですよね。

とはいえ、あまり売れなかったバンドのほうが多くはありましたが。

でもこの系統の音楽がものすごく好きという人はそこそこいると思います。
春にこういう曲を聴きながら公園の芝生で横になったら最高でしょうね。

The Cyrkle - Why Can't You Give Me What I Want (1966) [Psychedelic Pop]


最後に紹介するのはThe Turtlesの有名曲"Happy Together"です。
1967年1月にシングルリリースされ、全米1位を獲得しました。

系統としてはThe Beach Boys系サイケポップと言えるでしょうかね。

ファンタジー系サイケにも近くはありますが、クラシック色がなく、
こうした透明感重視のサウンドはThe Beach Boysぽくはありますね。

このThe Turtlesは以前にフォークロックとしても紹介していますね。

この曲は紹介枠に含めるかどうかかなり迷ったのですよね。

タイミング的にもこの曲の存在はインパクトはあったでしょうし、
フラワームーブメント的なキラキラとした雰囲気は強く持っている、
ではなんで外したかですが、単に流れの中で浮いてしまったからです;

1967年1月の雰囲気を表現するうえでは最適な曲の一つではあるのですが、
この曲の直接的なフォロワーがあまり見当たらないところもありましたし、
またこの曲はバンドメンバーが書いた曲じゃないのも引っかかりました。

でも最大の理由は記事を作るうえで浮いてしまったためですね。
ファンタジー系サイケの流れに入れるには少々流れが違いますからね。

でも時代の持つキラキラした雰囲気を感じ取るには最高の曲だと思いますね。

The Turtles - Happy Together (1967) [Psychedelic Pop / Psychedelic Rock]


ということで、この番外編の4曲の紹介をもって、
「サイケデリックロックができるまで」のシリーズは終了となります。

いやぁ、さすがにロックの歴史上最大のムーブメントなだけあって、
全7回+番外編とかなりの長編となりましたね。

でもその分だけきっちりと紹介できたかなという自負はありますね。

ということで、サイケデリックロックが形成されるまでの経緯でした!

【関連記事】
サイケデリックロックができるまで 番外編
サイケデリックロックができるまで 第7回
サイケデリックロックができるまで 第6回
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サイケデリックロックができるまで 第4回
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サイケデリックロックができるまで 第1回

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