11月が終わりました!
母の介護から再入院で混乱しまくった11月も終わりました!
さて、最近のこのブログと言えばおおむねこの3つなのですよね!
・自分の無気力/過眠問題
・ブログ休止についての話題
・母の状態についての話題
今月はこの月末記事を除くとブログを2回だけ更新していて、
一方は母の話題、一方はブログ休止の話題だったのですよね!
ということで、今回はまず無気力問題のところから始めたいです!
まず10月の頭ぐらいにまた無気力/過眠状態に入ったのですが、
「これはヤバイ」と考えたことで改善に取り組んだのですよね!
そこでのキーワードはとにかく「起きろ!」ということに尽きました!
無気力過眠状態に入るまでは、24時間起きて24時間寝るという、
これはこれでどうなんだと言えるような状態だったのですが、
これは「24時間という起きる時間を確保することで活動的にしたい」
という狙いもあって、そこは悪くなかったと思うのですよね!
でもって、そうなったきっかけの一つはブログだったのですよね!
普通に1日の生活を送るとブログを書く時間が上手く取れなかったり、
でも24時間あればそうしたことで困ることがなくなるというわけです!
でも今はブログが休止状態で、書くといっても1ヶ月に数記事程度です!
となると、休みの日に24時間起きるなどすると余剰時間ができるのです!(●・ω・)
ここをいかに活用するかが今後の無気力問題の一つの鍵になるでしょう!
実際には11月の中でブログとは別のウェブ活動のほうにおいて、
やりたかったことを一つ形にするなど成果も挙げられていて、
無気力問題からの脱出は徐々に進んでいるとは言えそうです!
この余剰時間でもたもたすると「あーまた寝るかなー」とかなるので、
「やれることはあるんだから徹底的にそれをやれ!」というふうに、
自分のお尻をビシビシと叩くというふうに何とか頑張っています!
まぁ、それだけでなく母の介助の手伝いとかも入ってくるので、
「休みだからと言って寝てばかりも無理だな」とかもなったり、
いずれにしても悪いサイクルから抜けるようにはなってますね!
逆に介助で忙しくなりすぎたりするのもそれはそれで心配ですが;
そしてこの無気力問題で大きかったのはにゃんこの一周忌ですね!(^・ω・)
この1年間はある意味では「死について考え尽くして、
にゃんこの死をいつも考えて悩んでいること」が
この子にとっての一つの供養のような思いもあったのですよね!
でも今年の10月22日に1周忌を迎えたときに少し見えるものが変わって、
「このままだったら、お空にいるにゃんこを悔ませてしまうんだろうか」
というふうに思うようになったのですよね!
「私が空に帰ってしまったらお兄ちゃんが上手く動けなくなってしまった」と、
そういつまでも思わせてしまっていいのだろうかと思ったのですよね。
いつまでも「にゃんこがいないと何もできない自分」のままでいいのかと、
それがカッと自分の目を覚まさせてくれたところは間違いないくありました。
「にゃんこがいない中での新しい生活」を空にいるあの子に見せてあげるのが、
あの子に対する最大の恩返しなのではないかと考えるようになってきました!
もっとも母のことがあるので、「死」は相変わらず重要なテーマですが;
ブログ休止についての考察は前回記事がもう完結編だと思います。
おそらくこれ以上頭をひねってもあれ以上のものは出ない気がしますね!
この1年の間にブログの中で何があったのかを考えていくと、
結局はああした結論に至るしかなかったように思います。
「死」というテーマと、そこから来た自分を出したいという思い、
一方で起きたそれまでのブログが続けられなくなってきた問題、
そしてもう一つ、他のウェブ活動をより充実させたいという思い、
このブログがそれらの答えになりきらなかったのでしょうね。
ただブログを休止してからもありがたいと思うことはあって、
たとえばブログ村とかで少数とはいえ今も来てくれる人がいたり、
記事更新をするとブログ村から来てくれる人はそこそこいるのですよね。
「え、もうカップ麺のブログじゃないのにいいのかな」と
むしろこっちが恐縮してしまうところもあるのですが、
それでも来てくださる人には強い感謝の念を持ってますね。
そして今月最大の事件だった、前回の退院からたった2週間での
母の再入院でしたが、今回は退院も早く30日に戻ることになりました!
ただ喜んでばかりはいられないというのが正直なところですね;
なんせ前回は退院してから2週間で再入院になった記憶があるわけです。
当然「また同じようになったどうしよう」と考えるようになりますし、
2週間ってことはなくても、今までよりは再発しやすいだろうと思いますし、
安定した日々が今後は戻ってくる、とはちょっと思いにくいのですね。
これまでの何度かの入退院を振り返ると、
入退院のたびに肺が少しずつ弱る、おそらく肺が少しずつ壊れる、
そういうことが繰り返されてきたので、それは今回もそうなのでしょう。
だからこそ今回は入院の際にまずHCUへと入ったわけですからね。
「今の肺の状態を考えれば、COPD増悪も軽視できない」という判断でしょうから。
そう考えると、再入院したときは「今後は入院が頻繁に続くかもしれない」
と思いましたが、むしろもう入院はあと2,3回が限界なのかもしれません。
そのあたりになると、もう血液から二酸化炭素が抜けなくなる段階に入り、
普通の治療では回復させられないという領域に入るように思うのですね。
そう考えると、運良く入院せずに数ヶ月過ごせた場合はいいのですが、
そうでもない限りは余命は数ヶ月という覚悟は必要なのでしょうね。
「覚悟しつつ、できる限りのことはしてあげる」、
これはにゃんこのときにも同じことは考えましたが、
母に関してもそういうときが来たということでしょう。
相変わらず悩み深い日々ですが、どうか12月もどうぞよろしくお願いいたします。
Alice in Chains - Sunshine (1990) [Grunge]
さて、最近のこのブログと言えばおおむねこの3つなのですよね!
・自分の無気力/過眠問題
・ブログ休止についての話題
・母の状態についての話題
今月はこの月末記事を除くとブログを2回だけ更新していて、
一方は母の話題、一方はブログ休止の話題だったのですよね!
ということで、今回はまず無気力問題のところから始めたいです!
まず10月の頭ぐらいにまた無気力/過眠状態に入ったのですが、
「これはヤバイ」と考えたことで改善に取り組んだのですよね!
そこでのキーワードはとにかく「起きろ!」ということに尽きました!
無気力過眠状態に入るまでは、24時間起きて24時間寝るという、
これはこれでどうなんだと言えるような状態だったのですが、
これは「24時間という起きる時間を確保することで活動的にしたい」
という狙いもあって、そこは悪くなかったと思うのですよね!
でもって、そうなったきっかけの一つはブログだったのですよね!
普通に1日の生活を送るとブログを書く時間が上手く取れなかったり、
でも24時間あればそうしたことで困ることがなくなるというわけです!
でも今はブログが休止状態で、書くといっても1ヶ月に数記事程度です!
となると、休みの日に24時間起きるなどすると余剰時間ができるのです!(●・ω・)
ここをいかに活用するかが今後の無気力問題の一つの鍵になるでしょう!
実際には11月の中でブログとは別のウェブ活動のほうにおいて、
やりたかったことを一つ形にするなど成果も挙げられていて、
無気力問題からの脱出は徐々に進んでいるとは言えそうです!
この余剰時間でもたもたすると「あーまた寝るかなー」とかなるので、
「やれることはあるんだから徹底的にそれをやれ!」というふうに、
自分のお尻をビシビシと叩くというふうに何とか頑張っています!
まぁ、それだけでなく母の介助の手伝いとかも入ってくるので、
「休みだからと言って寝てばかりも無理だな」とかもなったり、
いずれにしても悪いサイクルから抜けるようにはなってますね!
逆に介助で忙しくなりすぎたりするのもそれはそれで心配ですが;
そしてこの無気力問題で大きかったのはにゃんこの一周忌ですね!(^・ω・)
この1年間はある意味では「死について考え尽くして、
にゃんこの死をいつも考えて悩んでいること」が
この子にとっての一つの供養のような思いもあったのですよね!
でも今年の10月22日に1周忌を迎えたときに少し見えるものが変わって、
「このままだったら、お空にいるにゃんこを悔ませてしまうんだろうか」
というふうに思うようになったのですよね!
「私が空に帰ってしまったらお兄ちゃんが上手く動けなくなってしまった」と、
そういつまでも思わせてしまっていいのだろうかと思ったのですよね。
いつまでも「にゃんこがいないと何もできない自分」のままでいいのかと、
それがカッと自分の目を覚まさせてくれたところは間違いないくありました。
「にゃんこがいない中での新しい生活」を空にいるあの子に見せてあげるのが、
あの子に対する最大の恩返しなのではないかと考えるようになってきました!
もっとも母のことがあるので、「死」は相変わらず重要なテーマですが;
ブログ休止についての考察は前回記事がもう完結編だと思います。
おそらくこれ以上頭をひねってもあれ以上のものは出ない気がしますね!
この1年の間にブログの中で何があったのかを考えていくと、
結局はああした結論に至るしかなかったように思います。
「死」というテーマと、そこから来た自分を出したいという思い、
一方で起きたそれまでのブログが続けられなくなってきた問題、
そしてもう一つ、他のウェブ活動をより充実させたいという思い、
このブログがそれらの答えになりきらなかったのでしょうね。
ただブログを休止してからもありがたいと思うことはあって、
たとえばブログ村とかで少数とはいえ今も来てくれる人がいたり、
記事更新をするとブログ村から来てくれる人はそこそこいるのですよね。
「え、もうカップ麺のブログじゃないのにいいのかな」と
むしろこっちが恐縮してしまうところもあるのですが、
それでも来てくださる人には強い感謝の念を持ってますね。
そして今月最大の事件だった、前回の退院からたった2週間での
母の再入院でしたが、今回は退院も早く30日に戻ることになりました!
ただ喜んでばかりはいられないというのが正直なところですね;
なんせ前回は退院してから2週間で再入院になった記憶があるわけです。
当然「また同じようになったどうしよう」と考えるようになりますし、
2週間ってことはなくても、今までよりは再発しやすいだろうと思いますし、
安定した日々が今後は戻ってくる、とはちょっと思いにくいのですね。
これまでの何度かの入退院を振り返ると、
入退院のたびに肺が少しずつ弱る、おそらく肺が少しずつ壊れる、
そういうことが繰り返されてきたので、それは今回もそうなのでしょう。
だからこそ今回は入院の際にまずHCUへと入ったわけですからね。
「今の肺の状態を考えれば、COPD増悪も軽視できない」という判断でしょうから。
そう考えると、再入院したときは「今後は入院が頻繁に続くかもしれない」
と思いましたが、むしろもう入院はあと2,3回が限界なのかもしれません。
そのあたりになると、もう血液から二酸化炭素が抜けなくなる段階に入り、
普通の治療では回復させられないという領域に入るように思うのですね。
そう考えると、運良く入院せずに数ヶ月過ごせた場合はいいのですが、
そうでもない限りは余命は数ヶ月という覚悟は必要なのでしょうね。
「覚悟しつつ、できる限りのことはしてあげる」、
これはにゃんこのときにも同じことは考えましたが、
母に関してもそういうときが来たということでしょう。
相変わらず悩み深い日々ですが、どうか12月もどうぞよろしくお願いいたします。
Alice in Chains - Sunshine (1990) [Grunge]
(クリックしてくださる際にはCtrlキーを押しながらすると非常に楽です。)
テーマ : ひとりごとのようなもの | ジャンル : 日記
ブログのあり方についてまだ考えてみる
ブログを休止することを決め、すでに休止に入っているこのブログですが、
今でも「このブログはどうあるべきだったのだろうか」とよく考えています。
そして今年たどってきたブログの経過とは何だったのか、
そうしたことをいろいろと考えたりします。
このブログの進むべき道はいくつもあったと思います。
(1)現状を維持し、アクセス数増加も望まずカップ麺ブログとして継続する
(2)カップ麺ブログとして継続しつつ、アクセス数アップを模索する
(3)続けることを最優先し、カップ麺以外の記事も取り入れていく
(4)「自分自身」をブログに出すことに力を入れ、それと現状をミックスしていく
(5)(4)をさらに進行させ、カップ麺が減ってでも「自分自身」を強く打ち出していく
(6)カップ麺以外でアクセス数が稼ぎやすいテーマを取り入れて変化をしていく
たぶん今年1月時点での読者の人達が望んでいたのは(1)でしょう。
「そのままのブログ」で進んでいくのがおそらく一番だったのでしょう。
一方で自分は昨年10月のにゃんこの死を抱え、死について考えることが増え、
そうした「生々しい自分自身」を表現したいという意欲が強まっていきます。
その結果、このブログは1月あたりから(4)のような道をたどるようになります。
それが最も反映されたのが「Mr.Children『深海』『BOLERO』」シリーズでした。
これが結果的にアクセスにも結びつき、(4)と(6)のミックスになれば、
ブログは変化しつつも休止ではなくソフトランディングできたかもしれません。
ただ(6)の効果は小さく、かといって(6)を単独で目指すほど、
この時点においては「ブログでのアクセス」へのモチベーションはありませんでした。
逆に読者の立場からすると、「(2)はできなかったの?」と感じるでしょう。
自分はアクセス数至上主義者ではなかったもののどこかでアクセスは気にしていた、
ならその折衷的なアイデアとして(2)はありえたはずなのです。
ですが、(2)は物理的に不可能で完全に詰んでいたのですよね。
要は「(1)のままであり続けるか、変化していくかしかない」状態だったのです。
というのも、カップ麺ブログはSEO的に非常に強いブログがすでに3つあり、
今更このブログがWordpressなどに移転してSEOに力を入れたところで、
かなうはずがないし、「今更そんなことしたくもなかった」のですね。
そうなると、理想は(4)の道を続けて「自分自身」をブログに打ち出しつつ、
それをさらに前に進める(5)の道ぐらいしか残っていなかったのですね。
しかしこれは5~6月ぐらいの段階でだんだんと頓挫していきます。
「Mr.Children『深海』『BOLERO』」シリーズの筆の進みも遅くなり、
それ以外の部分で自分自身を強く打ち出す企画を出すこともできず、
(1)へと戻っていき、(1)を続けるのも苦しくなり(3)へと移行します。
一見すると、ブログが休止に至った一つの大きな原因は、
カップ麺を安定的に継続して食べるリズムがだんだん崩れ、
パンの記事などを取り入れないと続けられないようになり、
それが読者とのニーズで乖離が生まれ休止に追い込まれた、
とも言えるのですが、このブログはもともと今年の1月から
変化を模索していて、それによるマイナスは受け入れるつもりだったのです。
だから「変化に伴うアクセスなどの何らかのマイナス」は直接の要因ではなく、
また自分がブログ休止の決断をしたのは「完全に続けることだけが目的化していて、
これ以上は続けても意味がない」と気付いたところにあったのを考えると、
本当の休止の理由は「必要な変化を完遂できなかった」ことだったのでしょう。
やっぱり何度考えてもあのとき休止を決めたことは間違いとは思えず、
今年1月から自分自身を生々しく表現すると考えたことも間違いとは思えない、
とすると、ここから導かれる結論は一つしかなくなるのですよね。
それは「模索はしたけど生々しくなり切れなかったこと」こそが本当の失敗だった、と。
もう自分が2022年にブログを続けるには、その変化によって
これまでの殻を打ち破るということが必須だったのでしょう。
だけどそれが頓挫してだんだんと元の(1)に戻って行ってしまって、
さらには「ただ続いてるだけ」と(3)にまで漂流していってしまった、
本当は変化を見据えた時点で「いずれはカップ麺ブログではなく、
自分自身を素直に出すブログにする」と腹を括るしかなかったのです。
でもそこまでの勇気を持てなかったのが、この1年間だったのでしょう。
再び休止を決めたあたりの時点での心境に戻って考えると、
「もしこの延長線上でブログを続けていった場合、
自分自身もこのブログも『自分』からどんどん離れて行ってしまう」、
そういうことを自分は感じ取ったんじゃないかと思うんですよ。
あそこまで自分とブログが乖離するようになってしまうと、
ブログを続ける中において自分らしさを追求できなくなるし、
ブログの中から自分自身を表現することもだんだんできなくなる、
「それだったら休止しよう」ということだったように思います。
そこで軌道修正の道が見つかればそれで良かったのでしょうが、
ある意味で休止を決めたタイミングは
「自分とブログが離れて行ったピークの瞬間」だったのでしょうね。
それを食い止められる唯一の道が「休止」だったのでしょう。
うちのブログは自分が望むか望んでなかったかにかかわらず、
結果的に「カップ麺ブログ」として運用されていたわけですが、
では「カップ麺ブログでなくなったこのブログ」は何かと問えば、
それは「自分自身の素を出すことのできる場所」なのですよね。
皮肉なことですが、ブログを休止したことによって、
今年1月から求めていたものが手に出来たわけです。
それはある意味ではさみしいことではあるのですけれども。
継続的なブログ更新とそれを両立できるのが理想できたからね。
でも理想とは完全に同じではなくても、
良くも悪くも今のここも自分には十分に意味のある場所になりました。
もちろんこれをもうちょっと再構築したいという思いはありますが。
でも当分の間はこんなふうに自分が今考えていることや、
自分の素をそのまま出すための場として使いたいと思っています。
せっかくやっと自分自身とブログが一つに戻ったわけですからね。
Pearl Jam - I'm Open (1996) [Grunge]
今でも「このブログはどうあるべきだったのだろうか」とよく考えています。
そして今年たどってきたブログの経過とは何だったのか、
そうしたことをいろいろと考えたりします。
このブログの進むべき道はいくつもあったと思います。
(1)現状を維持し、アクセス数増加も望まずカップ麺ブログとして継続する
(2)カップ麺ブログとして継続しつつ、アクセス数アップを模索する
(3)続けることを最優先し、カップ麺以外の記事も取り入れていく
(4)「自分自身」をブログに出すことに力を入れ、それと現状をミックスしていく
(5)(4)をさらに進行させ、カップ麺が減ってでも「自分自身」を強く打ち出していく
(6)カップ麺以外でアクセス数が稼ぎやすいテーマを取り入れて変化をしていく
たぶん今年1月時点での読者の人達が望んでいたのは(1)でしょう。
「そのままのブログ」で進んでいくのがおそらく一番だったのでしょう。
一方で自分は昨年10月のにゃんこの死を抱え、死について考えることが増え、
そうした「生々しい自分自身」を表現したいという意欲が強まっていきます。
その結果、このブログは1月あたりから(4)のような道をたどるようになります。
それが最も反映されたのが「Mr.Children『深海』『BOLERO』」シリーズでした。
これが結果的にアクセスにも結びつき、(4)と(6)のミックスになれば、
ブログは変化しつつも休止ではなくソフトランディングできたかもしれません。
ただ(6)の効果は小さく、かといって(6)を単独で目指すほど、
この時点においては「ブログでのアクセス」へのモチベーションはありませんでした。
逆に読者の立場からすると、「(2)はできなかったの?」と感じるでしょう。
自分はアクセス数至上主義者ではなかったもののどこかでアクセスは気にしていた、
ならその折衷的なアイデアとして(2)はありえたはずなのです。
ですが、(2)は物理的に不可能で完全に詰んでいたのですよね。
要は「(1)のままであり続けるか、変化していくかしかない」状態だったのです。
というのも、カップ麺ブログはSEO的に非常に強いブログがすでに3つあり、
今更このブログがWordpressなどに移転してSEOに力を入れたところで、
かなうはずがないし、「今更そんなことしたくもなかった」のですね。
そうなると、理想は(4)の道を続けて「自分自身」をブログに打ち出しつつ、
それをさらに前に進める(5)の道ぐらいしか残っていなかったのですね。
しかしこれは5~6月ぐらいの段階でだんだんと頓挫していきます。
「Mr.Children『深海』『BOLERO』」シリーズの筆の進みも遅くなり、
それ以外の部分で自分自身を強く打ち出す企画を出すこともできず、
(1)へと戻っていき、(1)を続けるのも苦しくなり(3)へと移行します。
一見すると、ブログが休止に至った一つの大きな原因は、
カップ麺を安定的に継続して食べるリズムがだんだん崩れ、
パンの記事などを取り入れないと続けられないようになり、
それが読者とのニーズで乖離が生まれ休止に追い込まれた、
とも言えるのですが、このブログはもともと今年の1月から
変化を模索していて、それによるマイナスは受け入れるつもりだったのです。
だから「変化に伴うアクセスなどの何らかのマイナス」は直接の要因ではなく、
また自分がブログ休止の決断をしたのは「完全に続けることだけが目的化していて、
これ以上は続けても意味がない」と気付いたところにあったのを考えると、
本当の休止の理由は「必要な変化を完遂できなかった」ことだったのでしょう。
やっぱり何度考えてもあのとき休止を決めたことは間違いとは思えず、
今年1月から自分自身を生々しく表現すると考えたことも間違いとは思えない、
とすると、ここから導かれる結論は一つしかなくなるのですよね。
それは「模索はしたけど生々しくなり切れなかったこと」こそが本当の失敗だった、と。
もう自分が2022年にブログを続けるには、その変化によって
これまでの殻を打ち破るということが必須だったのでしょう。
だけどそれが頓挫してだんだんと元の(1)に戻って行ってしまって、
さらには「ただ続いてるだけ」と(3)にまで漂流していってしまった、
本当は変化を見据えた時点で「いずれはカップ麺ブログではなく、
自分自身を素直に出すブログにする」と腹を括るしかなかったのです。
でもそこまでの勇気を持てなかったのが、この1年間だったのでしょう。
再び休止を決めたあたりの時点での心境に戻って考えると、
「もしこの延長線上でブログを続けていった場合、
自分自身もこのブログも『自分』からどんどん離れて行ってしまう」、
そういうことを自分は感じ取ったんじゃないかと思うんですよ。
あそこまで自分とブログが乖離するようになってしまうと、
ブログを続ける中において自分らしさを追求できなくなるし、
ブログの中から自分自身を表現することもだんだんできなくなる、
「それだったら休止しよう」ということだったように思います。
そこで軌道修正の道が見つかればそれで良かったのでしょうが、
ある意味で休止を決めたタイミングは
「自分とブログが離れて行ったピークの瞬間」だったのでしょうね。
それを食い止められる唯一の道が「休止」だったのでしょう。
うちのブログは自分が望むか望んでなかったかにかかわらず、
結果的に「カップ麺ブログ」として運用されていたわけですが、
では「カップ麺ブログでなくなったこのブログ」は何かと問えば、
それは「自分自身の素を出すことのできる場所」なのですよね。
皮肉なことですが、ブログを休止したことによって、
今年1月から求めていたものが手に出来たわけです。
それはある意味ではさみしいことではあるのですけれども。
継続的なブログ更新とそれを両立できるのが理想できたからね。
でも理想とは完全に同じではなくても、
良くも悪くも今のここも自分には十分に意味のある場所になりました。
もちろんこれをもうちょっと再構築したいという思いはありますが。
でも当分の間はこんなふうに自分が今考えていることや、
自分の素をそのまま出すための場として使いたいと思っています。
せっかくやっと自分自身とブログが一つに戻ったわけですからね。
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まだ混乱中
相変わらず混乱の渦の中でもがき続けているかーとでございます;
8月15日にCOPD増悪で入院した母が10月29日に退院し、
そこから要介護5の母を介助する生活が始まりましたが、
11月13日に再びCOPD増悪が起きて母がまた入院しました。
9年前に大きな肺炎になって、そこから退院して以降、
「まだ肺炎の兆候は出てないけどSpO2(血中酸素飽和度)が
急激に下がるなどするCOPD増悪」で入院することは何度かありましたが、
それが退院してからほんの2週間で起きることは完全に予想外でした。
「ん、なんかここ数日怪しいぞ」とかそうした兆候もなく、
父に呼ばれてSpO2を確認したら「在宅酸素してるのにこの数字!?」
となって、即行で救急車を呼んで入院ということになりました。
10月末に母が退院してから、訪問看護師さんなどを家に呼びつつ、
「要介護5の母を介助する生活」が始まったばかりで、
それがここから日常になっていく、と思っていたタイミングで、
首根っこを掴まれてまた入院前の状態への戻された感覚です。
しかしながら同じ症状でも2回連続で起きると不安の大きさも違います。
前回の入院時は「よくあるCOPD増悪」というふうにとらえていて、
内科的な治療も問題なく終わり、そこは軽く流されたのですよね。
主治医の先生からも特に深刻になるような話も聞かされませんでしたし、
むしろメインは入院時以降の意欲低下などの介護の話の方でした。
でも今回は「退院から2週間後の再発」ということで、
主治医の先生からの話も肺そのものが長年のCOPDによって
かなり弱っていて、末期状態に近いことがメインになりました。
COPD増悪の直接的な要因は細菌か何かではあると思われるものの、
血中二酸化炭素濃度は前回入院時よりも高い数字を示しており、
在宅酸素導入がこれらの問題の解決にほとんど寄与していない、
むしろ何らかの悪くなる要因が生じていることも示唆していました。
いくつかの原因は推察できますが、全部書くと長くなるので割愛し、
メインになりそうな部分のみにしぼってちょっと書くことにします。
前回入院前ぐらいから、母は移動した直後のSpO2低下が激しかったのですよね。
それが前回退院後にはさらに顕著になるという傾向が見られました。
ベッドから椅子に移る、椅子からベッドに移るという小さな移動でも、
在宅酸素ありでもSpO2が70台後半まで下がってしまうということがあり、
こうした現象があればあるほど、血中二酸化炭素濃度も高くなります。
本来はそこを在宅酸素の調整でカバーすべきでもあるのですが、
その方法がわからず十分な管理ができなかった面もあるでしょう。
ただこれだけ血中二酸化炭素濃度がたまりやすい状況にあるとするなら、
もう足腰のリハビリや普通にトイレまで歩かせるのは不可能になります。
動きを最小限に抑えることで血中二酸化炭素濃度が高まる機会を減らし、
呼吸の回数を上手く増やすことで二酸化炭素を排出できるようなリハビリをし、
在宅酸素の数値の調整で身体に呼吸を上手く促すような酸素供給をし、
さらに他の面でもそうしたことをサポートする状況を作ることが必要です。
でもこれって、普通の生活に戻すことは諦めて半分寝たきりになるのを受け入れ、
ギリギリの血中二酸化炭素のラインを保つことだけを考えた生活にする、
というかなり諦めの色の強い選択肢を取るしかないことでもあるのですよね。
とはいえ、最も大きいのは身体に細菌やウイルスが入らないようにすることですが、
それがなくてもCOPDがかなりの段階まで進んでしまった人の場合は
COPDの悪化→呼吸する筋肉の衰弱→二酸化炭素排出の減少→・・・
という悪循環に入り、どこかで亡くなることになるのですよね。
それゆえ今回の入院そのものは退院にこぎつけることはできそうですが、
それなりに近い時期に死がやってくることを意識せざるをえませんでした。
あるいは今回のように頻繁な入院をくり返す可能性も大きいでしょう。
なので、今回ばかりは「またCOPD増悪での入院か」のように、
軽く受け流すということが全くできなかったのですよね。
前回の退院から2週間でおもいっきりハンマーで頭を叩かれた感覚です。
自分自身の心の問題もまだ整理しきれてないような状態の中で、
母の介護の話が飛び込んできて、今度は死も意識しないといけない、
そしてそれを回避するためにはギリギリの道を通っていくしかない、
こんなことが立て続けに起こるとぶっ倒れてしまいそうになりますね。
もっともこれに関しては運による部分もかなり大きくて、
細菌やウイルスを避けられればCOPD増悪になる可能性は下がるものの、
風邪をひかずに済むかどうかは神のみぞ知る部分がありますからね。
今回もCOPD増悪時には38℃を超える発熱が起きていたので、
やはり何らかの細菌かウイルスの感染があったのはたしかでしょうし。
だから、次の退院以降はCOPD増悪を長く避けられる可能性もある一方で、
目の前で「前回の退院2週間後での再発」を見せつけられてしまうと、
不安感の方ばかりが増大してしまうというのは間違いなくありますね。
それに肺の状態そのものはやはり徐々に悪くなり続けているわけですし。
ということで、いまだ混乱しっぱなしの近況報告となりました。
ストレスから解放されていい意味で活動的になれるのは遥か先のようです。
Bon Jovi - Save a Prayer (1992) [Hard Rock]
8月15日にCOPD増悪で入院した母が10月29日に退院し、
そこから要介護5の母を介助する生活が始まりましたが、
11月13日に再びCOPD増悪が起きて母がまた入院しました。
9年前に大きな肺炎になって、そこから退院して以降、
「まだ肺炎の兆候は出てないけどSpO2(血中酸素飽和度)が
急激に下がるなどするCOPD増悪」で入院することは何度かありましたが、
それが退院してからほんの2週間で起きることは完全に予想外でした。
「ん、なんかここ数日怪しいぞ」とかそうした兆候もなく、
父に呼ばれてSpO2を確認したら「在宅酸素してるのにこの数字!?」
となって、即行で救急車を呼んで入院ということになりました。
10月末に母が退院してから、訪問看護師さんなどを家に呼びつつ、
「要介護5の母を介助する生活」が始まったばかりで、
それがここから日常になっていく、と思っていたタイミングで、
首根っこを掴まれてまた入院前の状態への戻された感覚です。
しかしながら同じ症状でも2回連続で起きると不安の大きさも違います。
前回の入院時は「よくあるCOPD増悪」というふうにとらえていて、
内科的な治療も問題なく終わり、そこは軽く流されたのですよね。
主治医の先生からも特に深刻になるような話も聞かされませんでしたし、
むしろメインは入院時以降の意欲低下などの介護の話の方でした。
でも今回は「退院から2週間後の再発」ということで、
主治医の先生からの話も肺そのものが長年のCOPDによって
かなり弱っていて、末期状態に近いことがメインになりました。
COPD増悪の直接的な要因は細菌か何かではあると思われるものの、
血中二酸化炭素濃度は前回入院時よりも高い数字を示しており、
在宅酸素導入がこれらの問題の解決にほとんど寄与していない、
むしろ何らかの悪くなる要因が生じていることも示唆していました。
いくつかの原因は推察できますが、全部書くと長くなるので割愛し、
メインになりそうな部分のみにしぼってちょっと書くことにします。
前回入院前ぐらいから、母は移動した直後のSpO2低下が激しかったのですよね。
それが前回退院後にはさらに顕著になるという傾向が見られました。
ベッドから椅子に移る、椅子からベッドに移るという小さな移動でも、
在宅酸素ありでもSpO2が70台後半まで下がってしまうということがあり、
こうした現象があればあるほど、血中二酸化炭素濃度も高くなります。
本来はそこを在宅酸素の調整でカバーすべきでもあるのですが、
その方法がわからず十分な管理ができなかった面もあるでしょう。
ただこれだけ血中二酸化炭素濃度がたまりやすい状況にあるとするなら、
もう足腰のリハビリや普通にトイレまで歩かせるのは不可能になります。
動きを最小限に抑えることで血中二酸化炭素濃度が高まる機会を減らし、
呼吸の回数を上手く増やすことで二酸化炭素を排出できるようなリハビリをし、
在宅酸素の数値の調整で身体に呼吸を上手く促すような酸素供給をし、
さらに他の面でもそうしたことをサポートする状況を作ることが必要です。
でもこれって、普通の生活に戻すことは諦めて半分寝たきりになるのを受け入れ、
ギリギリの血中二酸化炭素のラインを保つことだけを考えた生活にする、
というかなり諦めの色の強い選択肢を取るしかないことでもあるのですよね。
とはいえ、最も大きいのは身体に細菌やウイルスが入らないようにすることですが、
それがなくてもCOPDがかなりの段階まで進んでしまった人の場合は
COPDの悪化→呼吸する筋肉の衰弱→二酸化炭素排出の減少→・・・
という悪循環に入り、どこかで亡くなることになるのですよね。
それゆえ今回の入院そのものは退院にこぎつけることはできそうですが、
それなりに近い時期に死がやってくることを意識せざるをえませんでした。
あるいは今回のように頻繁な入院をくり返す可能性も大きいでしょう。
なので、今回ばかりは「またCOPD増悪での入院か」のように、
軽く受け流すということが全くできなかったのですよね。
前回の退院から2週間でおもいっきりハンマーで頭を叩かれた感覚です。
自分自身の心の問題もまだ整理しきれてないような状態の中で、
母の介護の話が飛び込んできて、今度は死も意識しないといけない、
そしてそれを回避するためにはギリギリの道を通っていくしかない、
こんなことが立て続けに起こるとぶっ倒れてしまいそうになりますね。
もっともこれに関しては運による部分もかなり大きくて、
細菌やウイルスを避けられればCOPD増悪になる可能性は下がるものの、
風邪をひかずに済むかどうかは神のみぞ知る部分がありますからね。
今回もCOPD増悪時には38℃を超える発熱が起きていたので、
やはり何らかの細菌かウイルスの感染があったのはたしかでしょうし。
だから、次の退院以降はCOPD増悪を長く避けられる可能性もある一方で、
目の前で「前回の退院2週間後での再発」を見せつけられてしまうと、
不安感の方ばかりが増大してしまうというのは間違いなくありますね。
それに肺の状態そのものはやはり徐々に悪くなり続けているわけですし。
ということで、いまだ混乱しっぱなしの近況報告となりました。
ストレスから解放されていい意味で活動的になれるのは遥か先のようです。
Bon Jovi - Save a Prayer (1992) [Hard Rock]
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