パンクロックができるまで 第3回
ということで、「パンクロックができるまで」の最終回である第3回です。
前回記事でSex Pistols、すなわちロンドンパンクの始まりまで紹介しましたが、
「Sex Pistolsの影響だけでイギリスでパンクバンドが広まったわけではなく、
実はもう一つ大事なピースがある」ということを書きました。
その大事なピースとなるのが、パブロック(Pub Rock)と呼ばれるシーンです。
パブロック、その名の通りイギリスのパブで演奏されていたロックです。
70年代中期にかけてこのパブロックが一つのシーンを形成していました。
このパブロックにはおおむね次の2つの特徴がありました。
・シンプルでストレートなロックを志向していた
・原初的なロックンロールからの影響を強く受けていた
「シンプルでストレート」、これはまさにパンクロックに通じる要素です。
一方で原初的なロックンロール志向が強かったという点は
実際には過去の音楽から影響を受けながらも、
過去の音楽へのリスペクトをあえて見せないようにしていた
後のパンクロックとは大きく異なるところと言っていいでしょう。
またパブというこじんまりとしたシーンにおいて
演奏していたというのもパンクロックとは異なるところです。
さて、そんなパブロックのバンドの代表格である
Dr. Feelgoodの代表曲"She Does It Right"を聴いてもらいましょう。
Dr. Feelgood - She Does It Right (1975) [Pub Rock / Proto-Punk]
まさに先ほど紹介した音楽性がモロに体現されていますね。
シンプルでストレート、そしてどこか原初的なロックンロールの味わいがある、
またそれなりに強い攻撃性を感じさせてくれるところも大きな特徴です。
ただ、この時点ではまだパンクロックとは一定の距離があるのも事実です。
この曲が出た時点で1975年、Ramonesが登場する1年前ですね。
しかしこのパブロックシーンから次のようなサウンドも顔を出してきます。
Eddie and the Hot Rods - Why Can't It Be (1976) [Proto-Punk / Pub Rock]
この曲が1976年、ニューヨークでRamonesが登場したよりは後ですが、
ロンドンでSex Pistolsがレコードをリリースする1977年よりは前の曲です。
しかしこれはもはやロンドンパンクそのものと言っていい音です。
メロディラインにはいかにもロンドンパンクっぽい箇所すらあります。
言われてみればたしかにパブロック的なロックンロール色はありますが、
それはかなり薄く、もうパブロックからパンクへの脱皮寸前の音です。
それゆえこの曲を含んだ彼らの1976年のアルバム"Teenage Depression"は、
「パブロックとパンクロックのミッシングリンク」とも評されます。
さて、この事実は次の2つの大きなポイントを教えてくれます。
まず一つ目は、一般的にロンドンパンクは、
「ニューヨークの地下シーンにおけるニューヨークパンクが
Sex Pistolsを経由してイギリスに伝わってきて形成された」
と理解されていますが、実はそれと同時期に
イギリスのパブロックシーンからもそれと同様の音が作られ、
この2つの流れが融合してロンドンパンクが完成したということです。
そして二つ目は、イギリスにはパンクと共通性の深い
パブロックシーンがすでに形成されていたことによって、
Sex Pistolsによる影響がパブロックシーンへと急速に広がる土壌があり、
そこからロンドンパンクのバンドが数多く形成され、
さらに大衆的人気を得ることに繋がっていったという点です。
パブロックシーンがあったことで、ロンドンパンクは加速的に広がったのですね。
ただしEddie and the Hot RodsとSex Pistolsの関係性の時系列は
やや難しいところもあり、1976年の2月にはすでに一緒にライブをしているなど、
1976年の段階でピストルズとパブロックシーンが相互に影響を与え合っていて、
それが1977年ぐらいまでの段階には完成していたとも解釈できます。
またSex Pistolsは初期の頃はパブロックバンドのオープニングアクトを務めることが多かったなど、
この点についてもパブロックとロンドンパンクの関係性の深さを知ることができます。
さて、このパブロックと極めて密接な関係にあるロンドンパンクバンド、
それがSex Pistolsと肩を並べる存在であるThe Clashです。
The Clashのフロントマンであるジョー・ストラマーは
もともとパブロックシーンでThe 101ersというバンドをしていたのです。
まさにパブロックがパンクロックへと脱皮していった例なのですね。
他にもエルヴィス・コステロもパブロックからパンクシーンへ移行した人物の一人です。
ということで、記事の締めくくりにそのThe Clashの曲を紹介しましょう。
The Clash - White Riot (1977) [Punk Rock]
ピストルズからの影響とパブロックの融合、
それがロンドンパンクに強烈な勢いをつけたことがわかる例ですね。
というわけで、パンクロックが生まれるまでを紹介いたしました。
【関連記事】
・パンクロックができるまで 第3回
・パンクロックができるまで 第2回
・パンクロックができるまで 第1回
前回記事でSex Pistols、すなわちロンドンパンクの始まりまで紹介しましたが、
「Sex Pistolsの影響だけでイギリスでパンクバンドが広まったわけではなく、
実はもう一つ大事なピースがある」ということを書きました。
その大事なピースとなるのが、パブロック(Pub Rock)と呼ばれるシーンです。
パブロック、その名の通りイギリスのパブで演奏されていたロックです。
70年代中期にかけてこのパブロックが一つのシーンを形成していました。
このパブロックにはおおむね次の2つの特徴がありました。
・シンプルでストレートなロックを志向していた
・原初的なロックンロールからの影響を強く受けていた
「シンプルでストレート」、これはまさにパンクロックに通じる要素です。
一方で原初的なロックンロール志向が強かったという点は
実際には過去の音楽から影響を受けながらも、
過去の音楽へのリスペクトをあえて見せないようにしていた
後のパンクロックとは大きく異なるところと言っていいでしょう。
またパブというこじんまりとしたシーンにおいて
演奏していたというのもパンクロックとは異なるところです。
さて、そんなパブロックのバンドの代表格である
Dr. Feelgoodの代表曲"She Does It Right"を聴いてもらいましょう。
Dr. Feelgood - She Does It Right (1975) [Pub Rock / Proto-Punk]
まさに先ほど紹介した音楽性がモロに体現されていますね。
シンプルでストレート、そしてどこか原初的なロックンロールの味わいがある、
またそれなりに強い攻撃性を感じさせてくれるところも大きな特徴です。
ただ、この時点ではまだパンクロックとは一定の距離があるのも事実です。
この曲が出た時点で1975年、Ramonesが登場する1年前ですね。
しかしこのパブロックシーンから次のようなサウンドも顔を出してきます。
Eddie and the Hot Rods - Why Can't It Be (1976) [Proto-Punk / Pub Rock]
この曲が1976年、ニューヨークでRamonesが登場したよりは後ですが、
ロンドンでSex Pistolsがレコードをリリースする1977年よりは前の曲です。
しかしこれはもはやロンドンパンクそのものと言っていい音です。
メロディラインにはいかにもロンドンパンクっぽい箇所すらあります。
言われてみればたしかにパブロック的なロックンロール色はありますが、
それはかなり薄く、もうパブロックからパンクへの脱皮寸前の音です。
それゆえこの曲を含んだ彼らの1976年のアルバム"Teenage Depression"は、
「パブロックとパンクロックのミッシングリンク」とも評されます。
さて、この事実は次の2つの大きなポイントを教えてくれます。
まず一つ目は、一般的にロンドンパンクは、
「ニューヨークの地下シーンにおけるニューヨークパンクが
Sex Pistolsを経由してイギリスに伝わってきて形成された」
と理解されていますが、実はそれと同時期に
イギリスのパブロックシーンからもそれと同様の音が作られ、
この2つの流れが融合してロンドンパンクが完成したということです。
そして二つ目は、イギリスにはパンクと共通性の深い
パブロックシーンがすでに形成されていたことによって、
Sex Pistolsによる影響がパブロックシーンへと急速に広がる土壌があり、
そこからロンドンパンクのバンドが数多く形成され、
さらに大衆的人気を得ることに繋がっていったという点です。
パブロックシーンがあったことで、ロンドンパンクは加速的に広がったのですね。
ただしEddie and the Hot RodsとSex Pistolsの関係性の時系列は
やや難しいところもあり、1976年の2月にはすでに一緒にライブをしているなど、
1976年の段階でピストルズとパブロックシーンが相互に影響を与え合っていて、
それが1977年ぐらいまでの段階には完成していたとも解釈できます。
またSex Pistolsは初期の頃はパブロックバンドのオープニングアクトを務めることが多かったなど、
この点についてもパブロックとロンドンパンクの関係性の深さを知ることができます。
さて、このパブロックと極めて密接な関係にあるロンドンパンクバンド、
それがSex Pistolsと肩を並べる存在であるThe Clashです。
The Clashのフロントマンであるジョー・ストラマーは
もともとパブロックシーンでThe 101ersというバンドをしていたのです。
まさにパブロックがパンクロックへと脱皮していった例なのですね。
他にもエルヴィス・コステロもパブロックからパンクシーンへ移行した人物の一人です。
ということで、記事の締めくくりにそのThe Clashの曲を紹介しましょう。
The Clash - White Riot (1977) [Punk Rock]
ピストルズからの影響とパブロックの融合、
それがロンドンパンクに強烈な勢いをつけたことがわかる例ですね。
というわけで、パンクロックが生まれるまでを紹介いたしました。
【関連記事】
・パンクロックができるまで 第3回
・パンクロックができるまで 第2回
・パンクロックができるまで 第1回
パンクロックができるまで 第2回
さて、「パンクロックができるまで」の第2回記事がやってきました。
前回記事ではMC5やThe Stoogesなどのストレートなガレージロック、
70年代前半のグラムロックがパンクに与えた影響を見てきました。
そしてパンクロックの成立において欠かすことができないのが、
ニューヨークのアンダーグラウンドシーンにおける動きです。
ニューヨークの地下シーンはThe Velvet Undergroundをはじめとして、
実験的で先鋭的な音楽の確立につねに大きな寄与をしてきました。
パンクロックもまたこのニューヨークシーンから生まれたのです。
その中でも最重要とも言えるバンドがNew York Dollsです。
まずは彼らの代表曲である"Personality Crisis"を聴いてもらいましょう。
New York Dolls - Personality Crisis (1973) [Proto-Punk / Glam Punk]
もうすでにパンクのエッセンスが凝縮されていることが伝わるかと思います。
ストレートでラウドで攻撃的、でもガレージロックとは少し異なり、
感覚的にはすでに後のパンクロックに繋がる部分がかなり大きいです。
しかもこの曲が登場したのはパンクロックが成立したとされる1976年の3年前、
The Stoogesの"Raw Power"のアルバムと同時期にあたるわけですね。
さて、ここで少し注目してもらいたいのが彼らの衣装です。
この派手な衣装はパンクではなく、明らかにまだグラムロックの流れです。
またピアノの使われ方に着目すると、これもまたグラムの流れにあります。
すなわち彼らは全く新しいスタイルのものを創造したというよりは、
グラムロックの流れからよりストレートな音楽性を作り出したと言えます。
なので、ここからパンクそのものに至るにはもう一段必要になるのですね。
しかしそうでありながらも、このNew York Dollsにはもう一つ大きな注目点があり、
それがこのバンドのマネージャーを務めていたマルコム・マクラーレンが
後にロンドンへと渡りSex Pistolsの結成へと動いたということです。
すなわち、New York Dollsの音楽性はピストルズなどの
ロンドンパンクの直接的な始祖と言ってもいいわけですね。
そしてついに1976年、同じくニューヨークシーンから画期的なバンドが登場します。
それが最初のパンクバンドと呼ばれることになるRamonesです。
Ramones - Blitzkrieg Bop (1976) [Punk Rock]
これはもうどこからどう見てもパンクロックそのものと言えます。
ただRamonesが最初に目指したのは
「ストレートで攻撃的」なサウンドとは少し異なります。
ミュージックビデオではかなり攻撃的な演奏となっていますが、
アルバムでは他のパンクバンドに比べると演奏は比較的優しいのです。
むしろ彼らが最も志向したのは「極限まで単純化させたロック」です。
70年代はプログレッシブロックを筆頭にロックの複雑化が進んでおり、
それに対するある種のアンチテーゼとしてのロックのミニマル化、
それを目指して実現したのがRamonesだったと言えるのですね。
さて、こうしたニューヨークシーンにおける
RamonesやNew York Dollsのサウンドがロンドンへと渡って
重要なバンドが生まれます。
それがあのSex Pistolsですね。
Sex Pistolsはまさにパンクのイメージを体現しきったバンドです。
ストレートでシンプルで攻撃的、そして社会的なメッセージも強く内包している。
RamonesやNew York Dollsが作り出したものをさらに一段高めたとも言えます。
こうした社会的なメッセージ性は先に触れたMC5などを受け継いでいるとも言えますね。
Sex Pistols - God Save the Queen (1977) [Punk Rock]
ニューヨークパンクは地下シーンでの注目にとどまったところがありましたが、
このSex Pistolsはイギリスにおいて商業的な成功を得ることになりました。
そしてSex Pistolsの影響を受けてイギリスでパンクバンドが増えていき、
イギリスの音楽シーンを席巻することになる・・・はおおむね正しいのですが、
そこに繋がるには実はまだパズルのピースが一つ足りないのです。
イギリスでパンクロックが一気に広がった背景にはもう一つの理由があるのです。
最終回となる第3回では、イギリスのシーンが持っていたその個性を見ていきます。
【関連記事】
・パンクロックができるまで 第3回
・パンクロックができるまで 第2回
・パンクロックができるまで 第1回
前回記事ではMC5やThe Stoogesなどのストレートなガレージロック、
70年代前半のグラムロックがパンクに与えた影響を見てきました。
そしてパンクロックの成立において欠かすことができないのが、
ニューヨークのアンダーグラウンドシーンにおける動きです。
ニューヨークの地下シーンはThe Velvet Undergroundをはじめとして、
実験的で先鋭的な音楽の確立につねに大きな寄与をしてきました。
パンクロックもまたこのニューヨークシーンから生まれたのです。
その中でも最重要とも言えるバンドがNew York Dollsです。
まずは彼らの代表曲である"Personality Crisis"を聴いてもらいましょう。
New York Dolls - Personality Crisis (1973) [Proto-Punk / Glam Punk]
もうすでにパンクのエッセンスが凝縮されていることが伝わるかと思います。
ストレートでラウドで攻撃的、でもガレージロックとは少し異なり、
感覚的にはすでに後のパンクロックに繋がる部分がかなり大きいです。
しかもこの曲が登場したのはパンクロックが成立したとされる1976年の3年前、
The Stoogesの"Raw Power"のアルバムと同時期にあたるわけですね。
さて、ここで少し注目してもらいたいのが彼らの衣装です。
この派手な衣装はパンクではなく、明らかにまだグラムロックの流れです。
またピアノの使われ方に着目すると、これもまたグラムの流れにあります。
すなわち彼らは全く新しいスタイルのものを創造したというよりは、
グラムロックの流れからよりストレートな音楽性を作り出したと言えます。
なので、ここからパンクそのものに至るにはもう一段必要になるのですね。
しかしそうでありながらも、このNew York Dollsにはもう一つ大きな注目点があり、
それがこのバンドのマネージャーを務めていたマルコム・マクラーレンが
後にロンドンへと渡りSex Pistolsの結成へと動いたということです。
すなわち、New York Dollsの音楽性はピストルズなどの
ロンドンパンクの直接的な始祖と言ってもいいわけですね。
そしてついに1976年、同じくニューヨークシーンから画期的なバンドが登場します。
それが最初のパンクバンドと呼ばれることになるRamonesです。
Ramones - Blitzkrieg Bop (1976) [Punk Rock]
これはもうどこからどう見てもパンクロックそのものと言えます。
ただRamonesが最初に目指したのは
「ストレートで攻撃的」なサウンドとは少し異なります。
ミュージックビデオではかなり攻撃的な演奏となっていますが、
アルバムでは他のパンクバンドに比べると演奏は比較的優しいのです。
むしろ彼らが最も志向したのは「極限まで単純化させたロック」です。
70年代はプログレッシブロックを筆頭にロックの複雑化が進んでおり、
それに対するある種のアンチテーゼとしてのロックのミニマル化、
それを目指して実現したのがRamonesだったと言えるのですね。
さて、こうしたニューヨークシーンにおける
RamonesやNew York Dollsのサウンドがロンドンへと渡って
重要なバンドが生まれます。
それがあのSex Pistolsですね。
Sex Pistolsはまさにパンクのイメージを体現しきったバンドです。
ストレートでシンプルで攻撃的、そして社会的なメッセージも強く内包している。
RamonesやNew York Dollsが作り出したものをさらに一段高めたとも言えます。
こうした社会的なメッセージ性は先に触れたMC5などを受け継いでいるとも言えますね。
Sex Pistols - God Save the Queen (1977) [Punk Rock]
ニューヨークパンクは地下シーンでの注目にとどまったところがありましたが、
このSex Pistolsはイギリスにおいて商業的な成功を得ることになりました。
そしてSex Pistolsの影響を受けてイギリスでパンクバンドが増えていき、
イギリスの音楽シーンを席巻することになる・・・はおおむね正しいのですが、
そこに繋がるには実はまだパズルのピースが一つ足りないのです。
イギリスでパンクロックが一気に広がった背景にはもう一つの理由があるのです。
最終回となる第3回では、イギリスのシーンが持っていたその個性を見ていきます。
【関連記事】
・パンクロックができるまで 第3回
・パンクロックができるまで 第2回
・パンクロックができるまで 第1回
パンクロックができるまで 第1回
「あるロックのジャンルができるまで」シリーズの第2弾は
70年代中期にイギリスとニューヨークで広がったパンクロックです。
「パンクロックって極端にシンプル化させたロックなのだから、
特にルーツみたいなものはないのでは」と思われがちかもですが、
実際にはパンクロックも成立するまでにいろいろな経緯があります。
決して突然変異的にSex PistolsやRamonesが登場したわけではないのですね。
ちょっとここですでにパンクに詳しい人向けの注意事項を書いておきますが、
今回のシリーズではPatti SmithやTelevisionなどのニューヨークシーンの
アートパンク系のミュージシャンについてはあえて扱っていません。
もちろんこれらのバンドもパンクシーンにおける重要な存在ですが、
こちらはピストルズやラモーンズ的なシンプルなパンクよりは
後のポストパンクに繋がる存在といった意義のほうが大きいので、
いずれ執筆するポストパンクの成立過程記事に回すこととしています。
さて、ということでまた話をパンクロックの成立過程へと戻しましょう。
パンクロックが目指したものはいくつかありますが、
その主要なものの一つが「シンプルでストレートで攻撃的」なことです。
あえてややこしいことは排除して、とにかくストレートに攻める音楽性です。
こうした音楽のルーツは60年代のガレージロックにさかのぼれますが、
ガレージロックはサイケデリックムーブメントが勃発するにしたがって、
サイケと一体化し、攻撃的ながらも実験性も内包するようになります。
要するに「シンプルなストレートさ」からは少し離れるのですね。
しかしこのサイケデリックムーブメントがやや下り坂に差し掛かった1969年に、
サイケ感を排除し、それ以前のガレージロックをさらに過激にしたバンドが登場します。
それがMC5で、彼らの代表曲である"Kick Out the Jams"は、
「シンプルでストレートで攻撃的」なロックに大きな歴史を刻みました。
そしてこれは後のパンクロックにも強い影響を与えることとなります。
MC5 - Kick Out the Jams (1969) [Garage Rock / Proto-Punk]
パンクロックの成立は一般的に1976年であるとされるので、
1969年の段階でこの音を鳴らしたのは驚きというほかありません。
最初の"Kick out the jams! motherfuc*er!"という掛け声からして突き抜けてます。
そしてMC5と同時期に、攻撃的なガレージロックバンドとしてThe Stoogesも誕生します。
The StoogesはMC5ほどではないものの、
1stアルバムから攻撃的なサウンドを鳴らしていましたが、
同時にまだサイケデリックな質感も残していました。
しかしそれが3rdアルバムの"Raw Power"において、
サイケ要素を大幅に減退させ、ストレートな攻撃性を
ひたすら追求したようなサウンドを鳴らします。
この"Raw Power"の名前の通りの「生々しいサウンド」は
間違いなくパンクに巨大な影響を与え、パンクの先鞭となりました。
そのアルバム"Raw Power"の代表曲がこの"Search and Destroy"です。
もう曲のタイトルからして、破壊性が前面に押し出されていますね。
Iggy and the Stooges - Search and Destroy (1973) [Proto-Punk / Garage Rock]
さて、これらのガレージロック系のバンド以外にも
パンクロックの成立に大きな影響を与えたジャンルがあります。
それがDavid Bowieをはじめとしたグラムロックです。
そのデヴィッド・ボウイは1971年の段階で、
パンクロックを先取りするようなスタイルの楽曲
"Queen Bitch"を制作しています。
David Bowie - Queen Bitch (1971) [Glam Rock / Proto-Punk]
攻撃性はあまり前面に出してはいないですが、
このシンプルな組み立ては演奏をもう少しパンク風にすれば
もう完全にパンクロックになりえるような形になっています。
David Bowieなどのグラムロックと、The Stoogesなどのガレージロック、
一見無関係そうですが、実は両者には繋がりがあり、
先に触れたThe Stoogesの"Raw Power"のアルバムのプロデュースには
このデヴィッド・ボウイが直接的に関わっているのですね。
おそらくボウイもThe Stoogesのストレートなサウンドから
少なからず影響を受け、それを取り込んでいったのでしょう。
さて、まだこの段階では「パンクに繋がる音楽」を紹介しただけですが、
「パンクロックができるまで」の第1回記事はここまでとなります。
次回の第2回では、この流れが加速してついにパンクが確立していきます。
というわけで、第2回記事もどうぞお楽しみにしてくださいませ。
【関連記事】
・パンクロックができるまで 第3回
・パンクロックができるまで 第2回
・パンクロックができるまで 第1回
70年代中期にイギリスとニューヨークで広がったパンクロックです。
「パンクロックって極端にシンプル化させたロックなのだから、
特にルーツみたいなものはないのでは」と思われがちかもですが、
実際にはパンクロックも成立するまでにいろいろな経緯があります。
決して突然変異的にSex PistolsやRamonesが登場したわけではないのですね。
ちょっとここですでにパンクに詳しい人向けの注意事項を書いておきますが、
今回のシリーズではPatti SmithやTelevisionなどのニューヨークシーンの
アートパンク系のミュージシャンについてはあえて扱っていません。
もちろんこれらのバンドもパンクシーンにおける重要な存在ですが、
こちらはピストルズやラモーンズ的なシンプルなパンクよりは
後のポストパンクに繋がる存在といった意義のほうが大きいので、
いずれ執筆するポストパンクの成立過程記事に回すこととしています。
さて、ということでまた話をパンクロックの成立過程へと戻しましょう。
パンクロックが目指したものはいくつかありますが、
その主要なものの一つが「シンプルでストレートで攻撃的」なことです。
あえてややこしいことは排除して、とにかくストレートに攻める音楽性です。
こうした音楽のルーツは60年代のガレージロックにさかのぼれますが、
ガレージロックはサイケデリックムーブメントが勃発するにしたがって、
サイケと一体化し、攻撃的ながらも実験性も内包するようになります。
要するに「シンプルなストレートさ」からは少し離れるのですね。
しかしこのサイケデリックムーブメントがやや下り坂に差し掛かった1969年に、
サイケ感を排除し、それ以前のガレージロックをさらに過激にしたバンドが登場します。
それがMC5で、彼らの代表曲である"Kick Out the Jams"は、
「シンプルでストレートで攻撃的」なロックに大きな歴史を刻みました。
そしてこれは後のパンクロックにも強い影響を与えることとなります。
MC5 - Kick Out the Jams (1969) [Garage Rock / Proto-Punk]
パンクロックの成立は一般的に1976年であるとされるので、
1969年の段階でこの音を鳴らしたのは驚きというほかありません。
最初の"Kick out the jams! motherfuc*er!"という掛け声からして突き抜けてます。
そしてMC5と同時期に、攻撃的なガレージロックバンドとしてThe Stoogesも誕生します。
The StoogesはMC5ほどではないものの、
1stアルバムから攻撃的なサウンドを鳴らしていましたが、
同時にまだサイケデリックな質感も残していました。
しかしそれが3rdアルバムの"Raw Power"において、
サイケ要素を大幅に減退させ、ストレートな攻撃性を
ひたすら追求したようなサウンドを鳴らします。
この"Raw Power"の名前の通りの「生々しいサウンド」は
間違いなくパンクに巨大な影響を与え、パンクの先鞭となりました。
そのアルバム"Raw Power"の代表曲がこの"Search and Destroy"です。
もう曲のタイトルからして、破壊性が前面に押し出されていますね。
Iggy and the Stooges - Search and Destroy (1973) [Proto-Punk / Garage Rock]
さて、これらのガレージロック系のバンド以外にも
パンクロックの成立に大きな影響を与えたジャンルがあります。
それがDavid Bowieをはじめとしたグラムロックです。
そのデヴィッド・ボウイは1971年の段階で、
パンクロックを先取りするようなスタイルの楽曲
"Queen Bitch"を制作しています。
David Bowie - Queen Bitch (1971) [Glam Rock / Proto-Punk]
攻撃性はあまり前面に出してはいないですが、
このシンプルな組み立ては演奏をもう少しパンク風にすれば
もう完全にパンクロックになりえるような形になっています。
David Bowieなどのグラムロックと、The Stoogesなどのガレージロック、
一見無関係そうですが、実は両者には繋がりがあり、
先に触れたThe Stoogesの"Raw Power"のアルバムのプロデュースには
このデヴィッド・ボウイが直接的に関わっているのですね。
おそらくボウイもThe Stoogesのストレートなサウンドから
少なからず影響を受け、それを取り込んでいったのでしょう。
さて、まだこの段階では「パンクに繋がる音楽」を紹介しただけですが、
「パンクロックができるまで」の第1回記事はここまでとなります。
次回の第2回では、この流れが加速してついにパンクが確立していきます。
というわけで、第2回記事もどうぞお楽しみにしてくださいませ。
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・パンクロックができるまで 第1回
Alice in Chains - Down in a Hole 歌詞和訳
近況報告以外のブログ記事復活の第1弾は歌詞対訳コーナーにしました。
というのも、ブログを再開するにあたっては、
どうしてもこの"Down in a Hole"という曲の和訳から始めたかったのですよね。
もともと歌詞対訳コーナーの次の更新予定は別の曲だったのですが、
自分の生活に大きな変化があったことからこの曲が頭に浮かんできて、
「この曲の和訳をきっかけにして再開しよう」と考えたのですよね。
今回の"Down in a Hole"はAlice in Chainsというバンドの曲ですが、
前回紹介したNirvanaと同じく、90年代のグランジシーンで活躍したバンドです。
簡単に言えば、ダークでシリアスな世界観を持ったバンドですね。
自分はそうした世界観を持ったバンドが特に好きということもあって、
Alice in Chainsの曲の和訳はこのコーナーでも取り上げたいと思っていました。
もともとは別の曲を最初に取り上げる予定だったのですが、
今回はどうしてもこの曲がいいということで予定を変更しました。
歌詞の意味については一部の箇所を除いておおむね読みやすいので、
まずは楽曲のリンクを貼りつつ、歌詞の和訳をそのまま書いていきます。
Alice in Chains - Down in a Hole (1992) [Grunge]
Bury me softly in this womb
僕が生まれたところへとそっと葬っておくれ
I give this part of me for you
僕の一部を君へと捧げるよ
Sand rains down and here I sit
砂が降り注いで、僕は埋められていく
Holding rare flowers
In a tomb... in bloom
そこにしかない咲き誇る花を抱きながら、墓となる穴の中で
Down in a hole and I don't know if I can be saved
穴の中で生気を失い、救われることができるかすらもわからない
See my heart, I decorate it like a grave
僕の心を見ておくれ、墓のように彩ったこの心を
You don't understand who they thought I was supposed to be
君は知らない、皆が僕をどんな存在と思っていたかを
Look at me now I'm a man who won't let himself be
でも今の僕を見ておくれ、僕はもう自分自身であることすらできない存在なんだ
Down in a hole, feeling so small
穴の中で生気を失い、縮こまるような思いで
Down in a hole, losing my soul
穴の中で生気を失い、魂も消え失せそうで
I'd like to fly
ここから飛び立ちたい
But my wings have been so denied
でも僕の翼はとうに消えてしまっているんだ
Down in a hole and they've put all the stones in their place
穴に落ちて生気も失い、皆がそこにたくさんの石を並べていった
I've eaten the Sun so my tongue has been burned of the taste
太陽を食らってしまったがゆえに、僕の舌はもう焼け落ちてしまってるんだ
I have been guilty of kicking myself in the teeth
そして自らの歯を蹴り飛ばして崩した罪も背負ってる
I will speak no more of my feelings beneath
だからもう僕は地中深くで自分の思いを口にすることすらできないんだ
Down in a hole, feeling so small
穴の中で生気を失い、縮こまるような思いで
Down in a hole, losing my soul
穴の中で生気を失い、魂も消え失せそうで
I'd like to fly
ここから飛び立ちたい
But my wings have been so denied
でも僕の翼はとうに消えてしまっているんだ
Bury me softly in this womb
僕が生まれたところへとそっと葬っておくれ
(Oh I want to be inside of you)
(ああ、僕を君と一体の存在にさせておくれ)
I give this part of me for you
僕の一部を君のために捧げるよ
(Oh I want to be inside of you)
(ああ、僕を君と一体の存在にさせておくれ)
Sand rains down and here I sit
砂が降り注いで、僕は埋められていく
(Oh I want to be inside of you)
(ああ、僕を君と一体の存在にさせておくれ)
Holding rare flowers in a tomb... in bloom
そこにしかない咲き誇る花を抱きながら、墓となる穴の中で
(Oh I want to be inside)
(ああ、僕を君と一体の存在に)
Down in a hole, feeling so small
穴の中で生気を失い、縮こまるような思いで
Down in a hole, losing my soul
穴の中で生気を失い、魂も消え失せそうで
Down in a hole, feeling so small
穴の中で生気を失い、縮こまるような思いで
Down in a hole, out of control
穴の中で生気を失い、動くことすらできなくなって
I'd like to fly
ここから飛び立ちたい
But my wings have been so denied
でも僕の翼はとうに消えてしまっているんだ
この曲の大まかな意味は和訳を読むだけでおおよそ伝わるとは思います。
これは「死にゆく存在が、残された大切な人に向けて思いを伝えている曲」ですね。
すなわち、今にも命が失われそうな、あるいは命を失った存在の立場から、
その残された命や魂を通じて残された人へとメッセージを伝えているわけです。
とはいえ、この曲を聴く多くの人はまだ命が残された存在ですから、
この曲は「命が失われそうな人」が自らの立場から感情移入する曲というよりは、
大切な存在(人でも動物でも)を失った、あるいは失いそうになっている人が
「あの子は自分にどんな思いを抱きながら旅立ったのだろう」と考え、
そこに思いを巡らすことに対して寄り添う曲と言ったほうがより適切でしょう。
だから大切な人でも、ペットという家族でも、それを失って間もない人にとって
その心に寄り添ってくれる、救いを与えてくれる曲ということができるでしょう。
私がこの曲の歌詞で最も好きな箇所は、
>Oh I want to be inside of you
なのですよね。
命が失われ、肉体も消えそうになっている存在が、残された人に対して、
「僕はもう命は失われるけど、魂として君の中で一体となって生きたいんだ」
という願いを言葉にしているのですね。
自分はいつもこの箇所を聴くたび、胸がギュッと締め付けられるような思いになります。
ただ、実はこの曲は作者であるAlice in Chainsのジェリー・カントレルによると、
もともとは彼自身のかなり長い間恋愛関係にあった女性との別れがテーマだったそうです。
とはいえ、この曲をストレートに恋愛と別れの歌詞として読むのは難しく、
おそらくはその別れを死にたとえて、別れ行く自分=死にゆく自分の立場から、
大切な相手へのメッセージを送るという歌詞として組み立てたのでしょう。
なので、やはり全体としては「死にゆく存在から残された人へのメッセージ」
として書かれているのは間違いなく、あえてそこまで抽象化していることを考えても、
ジェリー・カントレルの恋愛と別れの話はあくまでこの曲の裏話として受け取り、
歌詞は「死にゆく存在から残された人へのメッセージ」として読めばいいでしょう。
今回の和訳では、いつものように「俺」と「おまえ」という表現を使わず、
「僕」と「君」という表現にしたことも一つの特徴になっています。
これは「自分にとって大切な死にゆく存在」が動物でも女性でも、
自分の中で感情移入しやすくするには「俺」とするよりも、
「僕」としてほうが受け入れられやすいだろうと感じたためです。
「俺」だと、どうしても「人間の男性」のイメージが強すぎますからね。
言葉遣いを普段よりやわらかめにしたのもそのあたりが理由です。
この曲はなかなか文法的にも厄介なところも多く、
ちょっと悩ませられる言葉のチョイスも多いのですよね。
なので、いくつか迷ってしまったところもありますが、
数行を続けて眺めて読むと意味がわかることもあるなど、
なかなかクセのある表現が多用されているといった印象です。
>Bury me softly in this womb
まずここ、文法事項としては簡単なのですが、
なぜいきなりwomb(子宮)が出るのかに迷いました。
この箇所は基本的に埋葬が描写されている部分ですから、
womb(子宮)はちょっと違和感があるのですよね。
でもこれは「死によって、自分を生まれたところ(=子宮)へと帰してほしい」
というメッセージととらえると、なるほどと思えるのですよね。
そう考えると、womb(子宮)という言葉を選んだことにセンスを感じますね。
>Sand rains down and here I sit
このrainは「雨が降る」という動詞と見ていいでしょう。
すなわち、「砂が雨のように降り注いだ」ということですね。
もちろんこれは命を亡くした者を穴に埋めて砂をかける描写ですね。
>Down in a hole and I don't know if I can be saved
実はこの曲の最も難しいところはdownの解釈かもしれません。
シンプルに「穴に落ちて」と考えてもいいでしょうけども、
もうすでに墓の穴の中には入っている状況とも読めるので、
「その穴の中でdownな状態」と考えるほうがいいのではと、
それで「穴の中で生気を失い」という訳を採用しました。
I don't know if I can be saved の if は「~かどうか」の意味の
名詞節を導く接続詞であると判断すればいいでしょうね。
>You don't understand who they thought I was supposed to be
>君は知らない、皆が僕をどんな存在と思っていたかを
>Look at me now I'm a man who won't let himself be
>でも今の僕を見ておくれ、僕はもう自分自身であることすらできない存在なんだ
ここは今回の訳で特に迷った部分の一つですね。
2つ目の文についてはそこまで難しくはないのですが。
1つ目の文でまず鍵になるのは who の存在ですよね。
先行詞の the man が省略された関係代名詞としてとらえるか、
疑問詞 who に導かれた節としてとらえるかがまず問題になりますが、
前者だと意味が通らないので、これは後者だと考えられます。
そして who 節を眺めると、この who は supposed to be の目的語、
すなわち [they thought I was supposed to be whom] のように考えて、
訳していくべきということになるでしょう。
しかしこうなると supposed to be をどうとらえるかが厄介なのですよね。
supposed to be って、けっこういろんな解釈の仕方がありますからね。
特にこの一文だけを見ると、意図を読むのが非常に難しいのです。
でも次の文を見ると、2文目が「今の自分」を表していて、
1文目が「過去の自分」(生きていた頃の自分)を指しているとわかります。
そのあたりを考慮して、supposed to be はあまり深く考えずシンプルに訳しました。
2文目は let himself be が鍵になりますが、
これは「自分自身のままでいる」というふうに解釈できますね。
let ○○ be の解釈は日本人には慣れないところがありますが、
この曲の場合はけっこうわかりやすい感じで使われていると言えますね。
>I've eaten the Sun so my tongue has been burned of the taste
>I have been guilty of kicking myself in the teeth
>I will speak no more of my feelings beneath
急に解釈が難解な表現が登場する、この曲で最も訳しにくい箇所です。
これは1文ずつ解釈するより、最後の文に着目したうえで、
トータルとして何が言いたいのかを読み取るのがいいでしょう。
この3つの文、よく見ると全部「口」にフォーカスを当てているのですよね。
1文目は「舌」、2文目は「歯」、3文目は「口が発する言葉」です。
すなわち、この3文の趣旨は「もう自分は命が失われて、
舌も歯を含めて口がボロボロになってしまっていて、
そうであるがゆえに言葉を伝えることもできない」
というところにあると読み取ることができるでしょう。
そうすると、1文目の eat the Sun や、2文目の kicking myself in the teeth などの箇所は、
本当に「太陽を食べた」とか「自分の歯を蹴り飛ばした」わけではなくて、
舌や歯がボロボロであることを示すための比喩的な表現だと読めます。
eat the Sun にはあまり使われない熟語表現として、
「ドラッグの大量摂取」という意味があるそうですが、
「舌が焼けた」などの表現も見るにそれとは関係はなさそうです。
be guilty は feel guilty の「罪悪感を感じている」とは異なり、
「実際に罪を負っている」という意味になるので、そちらを採用しました。
kick ○○ in the △△ は「○○の△△を蹴った」という意味です。
こうした表現は英語圏の人はけっこうよく使うのですよね。
kick 以外にも slap me in the face みたいに書くと、
「俺の顔をはたいた」という意味になります。
>I will speak no more of my feelings beneath
ここは beneath の訳にちょっと迷ったのですが、
beneath はあくまで高低の「低い」という意味のみで、
精神的な意味での「低い」は意味しないようなので、
「穴の中で感じている思い」みたいに考えました。
Alice in Chainsの曲はもっとヘヴィでドロドロしたものが多いのですが、
この曲は彼らの中では比較的しっとりとして聴きやすいですし、
曲のテーマ性もけっこう広く受け入れられやすいとは思うのですよね。
どんな人間でも大切な存在を失うときというのはやってきますし、
そのことについて思いを馳せるときというのは必ずありますからね。
そういうときに支えになってくれる曲があるというのはありがたいことだとも思いますし。
最後にこの曲のアンプラグドライブバージョンも貼っておきます。
アコースティックのみで演奏しているのでより聴きやすいですし、
セットが葬式を模していることもあって、雰囲気がよく合っているのですよね。
この曲の持っている良さがより伝わりやすいのではないかとも思います。
Alice in Chains - Down in a Hole (MTV Unplugged) (1996) [Grunge]
というのも、ブログを再開するにあたっては、
どうしてもこの"Down in a Hole"という曲の和訳から始めたかったのですよね。
もともと歌詞対訳コーナーの次の更新予定は別の曲だったのですが、
自分の生活に大きな変化があったことからこの曲が頭に浮かんできて、
「この曲の和訳をきっかけにして再開しよう」と考えたのですよね。
今回の"Down in a Hole"はAlice in Chainsというバンドの曲ですが、
前回紹介したNirvanaと同じく、90年代のグランジシーンで活躍したバンドです。
簡単に言えば、ダークでシリアスな世界観を持ったバンドですね。
自分はそうした世界観を持ったバンドが特に好きということもあって、
Alice in Chainsの曲の和訳はこのコーナーでも取り上げたいと思っていました。
もともとは別の曲を最初に取り上げる予定だったのですが、
今回はどうしてもこの曲がいいということで予定を変更しました。
歌詞の意味については一部の箇所を除いておおむね読みやすいので、
まずは楽曲のリンクを貼りつつ、歌詞の和訳をそのまま書いていきます。
Alice in Chains - Down in a Hole (1992) [Grunge]
Alice in Chains - Down in a Hole lyrics 歌詞和訳
Bury me softly in this womb
僕が生まれたところへとそっと葬っておくれ
I give this part of me for you
僕の一部を君へと捧げるよ
Sand rains down and here I sit
砂が降り注いで、僕は埋められていく
Holding rare flowers
In a tomb... in bloom
そこにしかない咲き誇る花を抱きながら、墓となる穴の中で
Down in a hole and I don't know if I can be saved
穴の中で生気を失い、救われることができるかすらもわからない
See my heart, I decorate it like a grave
僕の心を見ておくれ、墓のように彩ったこの心を
You don't understand who they thought I was supposed to be
君は知らない、皆が僕をどんな存在と思っていたかを
Look at me now I'm a man who won't let himself be
でも今の僕を見ておくれ、僕はもう自分自身であることすらできない存在なんだ
Down in a hole, feeling so small
穴の中で生気を失い、縮こまるような思いで
Down in a hole, losing my soul
穴の中で生気を失い、魂も消え失せそうで
I'd like to fly
ここから飛び立ちたい
But my wings have been so denied
でも僕の翼はとうに消えてしまっているんだ
Down in a hole and they've put all the stones in their place
穴に落ちて生気も失い、皆がそこにたくさんの石を並べていった
I've eaten the Sun so my tongue has been burned of the taste
太陽を食らってしまったがゆえに、僕の舌はもう焼け落ちてしまってるんだ
I have been guilty of kicking myself in the teeth
そして自らの歯を蹴り飛ばして崩した罪も背負ってる
I will speak no more of my feelings beneath
だからもう僕は地中深くで自分の思いを口にすることすらできないんだ
Down in a hole, feeling so small
穴の中で生気を失い、縮こまるような思いで
Down in a hole, losing my soul
穴の中で生気を失い、魂も消え失せそうで
I'd like to fly
ここから飛び立ちたい
But my wings have been so denied
でも僕の翼はとうに消えてしまっているんだ
Bury me softly in this womb
僕が生まれたところへとそっと葬っておくれ
(Oh I want to be inside of you)
(ああ、僕を君と一体の存在にさせておくれ)
I give this part of me for you
僕の一部を君のために捧げるよ
(Oh I want to be inside of you)
(ああ、僕を君と一体の存在にさせておくれ)
Sand rains down and here I sit
砂が降り注いで、僕は埋められていく
(Oh I want to be inside of you)
(ああ、僕を君と一体の存在にさせておくれ)
Holding rare flowers in a tomb... in bloom
そこにしかない咲き誇る花を抱きながら、墓となる穴の中で
(Oh I want to be inside)
(ああ、僕を君と一体の存在に)
Down in a hole, feeling so small
穴の中で生気を失い、縮こまるような思いで
Down in a hole, losing my soul
穴の中で生気を失い、魂も消え失せそうで
Down in a hole, feeling so small
穴の中で生気を失い、縮こまるような思いで
Down in a hole, out of control
穴の中で生気を失い、動くことすらできなくなって
I'd like to fly
ここから飛び立ちたい
But my wings have been so denied
でも僕の翼はとうに消えてしまっているんだ
◎Alice in Chains “Down in a Hole”の歌詞和訳の解説
この曲の大まかな意味は和訳を読むだけでおおよそ伝わるとは思います。
これは「死にゆく存在が、残された大切な人に向けて思いを伝えている曲」ですね。
すなわち、今にも命が失われそうな、あるいは命を失った存在の立場から、
その残された命や魂を通じて残された人へとメッセージを伝えているわけです。
とはいえ、この曲を聴く多くの人はまだ命が残された存在ですから、
この曲は「命が失われそうな人」が自らの立場から感情移入する曲というよりは、
大切な存在(人でも動物でも)を失った、あるいは失いそうになっている人が
「あの子は自分にどんな思いを抱きながら旅立ったのだろう」と考え、
そこに思いを巡らすことに対して寄り添う曲と言ったほうがより適切でしょう。
だから大切な人でも、ペットという家族でも、それを失って間もない人にとって
その心に寄り添ってくれる、救いを与えてくれる曲ということができるでしょう。
私がこの曲の歌詞で最も好きな箇所は、
>Oh I want to be inside of you
なのですよね。
命が失われ、肉体も消えそうになっている存在が、残された人に対して、
「僕はもう命は失われるけど、魂として君の中で一体となって生きたいんだ」
という願いを言葉にしているのですね。
自分はいつもこの箇所を聴くたび、胸がギュッと締め付けられるような思いになります。
ただ、実はこの曲は作者であるAlice in Chainsのジェリー・カントレルによると、
もともとは彼自身のかなり長い間恋愛関係にあった女性との別れがテーマだったそうです。
とはいえ、この曲をストレートに恋愛と別れの歌詞として読むのは難しく、
おそらくはその別れを死にたとえて、別れ行く自分=死にゆく自分の立場から、
大切な相手へのメッセージを送るという歌詞として組み立てたのでしょう。
なので、やはり全体としては「死にゆく存在から残された人へのメッセージ」
として書かれているのは間違いなく、あえてそこまで抽象化していることを考えても、
ジェリー・カントレルの恋愛と別れの話はあくまでこの曲の裏話として受け取り、
歌詞は「死にゆく存在から残された人へのメッセージ」として読めばいいでしょう。
今回の和訳では、いつものように「俺」と「おまえ」という表現を使わず、
「僕」と「君」という表現にしたことも一つの特徴になっています。
これは「自分にとって大切な死にゆく存在」が動物でも女性でも、
自分の中で感情移入しやすくするには「俺」とするよりも、
「僕」としてほうが受け入れられやすいだろうと感じたためです。
「俺」だと、どうしても「人間の男性」のイメージが強すぎますからね。
言葉遣いを普段よりやわらかめにしたのもそのあたりが理由です。
◎文法事項の解説
この曲はなかなか文法的にも厄介なところも多く、
ちょっと悩ませられる言葉のチョイスも多いのですよね。
なので、いくつか迷ってしまったところもありますが、
数行を続けて眺めて読むと意味がわかることもあるなど、
なかなかクセのある表現が多用されているといった印象です。
>Bury me softly in this womb
まずここ、文法事項としては簡単なのですが、
なぜいきなりwomb(子宮)が出るのかに迷いました。
この箇所は基本的に埋葬が描写されている部分ですから、
womb(子宮)はちょっと違和感があるのですよね。
でもこれは「死によって、自分を生まれたところ(=子宮)へと帰してほしい」
というメッセージととらえると、なるほどと思えるのですよね。
そう考えると、womb(子宮)という言葉を選んだことにセンスを感じますね。
>Sand rains down and here I sit
このrainは「雨が降る」という動詞と見ていいでしょう。
すなわち、「砂が雨のように降り注いだ」ということですね。
もちろんこれは命を亡くした者を穴に埋めて砂をかける描写ですね。
>Down in a hole and I don't know if I can be saved
実はこの曲の最も難しいところはdownの解釈かもしれません。
シンプルに「穴に落ちて」と考えてもいいでしょうけども、
もうすでに墓の穴の中には入っている状況とも読めるので、
「その穴の中でdownな状態」と考えるほうがいいのではと、
それで「穴の中で生気を失い」という訳を採用しました。
I don't know if I can be saved の if は「~かどうか」の意味の
名詞節を導く接続詞であると判断すればいいでしょうね。
>You don't understand who they thought I was supposed to be
>君は知らない、皆が僕をどんな存在と思っていたかを
>Look at me now I'm a man who won't let himself be
>でも今の僕を見ておくれ、僕はもう自分自身であることすらできない存在なんだ
ここは今回の訳で特に迷った部分の一つですね。
2つ目の文についてはそこまで難しくはないのですが。
1つ目の文でまず鍵になるのは who の存在ですよね。
先行詞の the man が省略された関係代名詞としてとらえるか、
疑問詞 who に導かれた節としてとらえるかがまず問題になりますが、
前者だと意味が通らないので、これは後者だと考えられます。
そして who 節を眺めると、この who は supposed to be の目的語、
すなわち [they thought I was supposed to be whom] のように考えて、
訳していくべきということになるでしょう。
しかしこうなると supposed to be をどうとらえるかが厄介なのですよね。
supposed to be って、けっこういろんな解釈の仕方がありますからね。
特にこの一文だけを見ると、意図を読むのが非常に難しいのです。
でも次の文を見ると、2文目が「今の自分」を表していて、
1文目が「過去の自分」(生きていた頃の自分)を指しているとわかります。
そのあたりを考慮して、supposed to be はあまり深く考えずシンプルに訳しました。
2文目は let himself be が鍵になりますが、
これは「自分自身のままでいる」というふうに解釈できますね。
let ○○ be の解釈は日本人には慣れないところがありますが、
この曲の場合はけっこうわかりやすい感じで使われていると言えますね。
>I've eaten the Sun so my tongue has been burned of the taste
>I have been guilty of kicking myself in the teeth
>I will speak no more of my feelings beneath
急に解釈が難解な表現が登場する、この曲で最も訳しにくい箇所です。
これは1文ずつ解釈するより、最後の文に着目したうえで、
トータルとして何が言いたいのかを読み取るのがいいでしょう。
この3つの文、よく見ると全部「口」にフォーカスを当てているのですよね。
1文目は「舌」、2文目は「歯」、3文目は「口が発する言葉」です。
すなわち、この3文の趣旨は「もう自分は命が失われて、
舌も歯を含めて口がボロボロになってしまっていて、
そうであるがゆえに言葉を伝えることもできない」
というところにあると読み取ることができるでしょう。
そうすると、1文目の eat the Sun や、2文目の kicking myself in the teeth などの箇所は、
本当に「太陽を食べた」とか「自分の歯を蹴り飛ばした」わけではなくて、
舌や歯がボロボロであることを示すための比喩的な表現だと読めます。
eat the Sun にはあまり使われない熟語表現として、
「ドラッグの大量摂取」という意味があるそうですが、
「舌が焼けた」などの表現も見るにそれとは関係はなさそうです。
be guilty は feel guilty の「罪悪感を感じている」とは異なり、
「実際に罪を負っている」という意味になるので、そちらを採用しました。
kick ○○ in the △△ は「○○の△△を蹴った」という意味です。
こうした表現は英語圏の人はけっこうよく使うのですよね。
kick 以外にも slap me in the face みたいに書くと、
「俺の顔をはたいた」という意味になります。
>I will speak no more of my feelings beneath
ここは beneath の訳にちょっと迷ったのですが、
beneath はあくまで高低の「低い」という意味のみで、
精神的な意味での「低い」は意味しないようなので、
「穴の中で感じている思い」みたいに考えました。
◎まとめ
Alice in Chainsの曲はもっとヘヴィでドロドロしたものが多いのですが、
この曲は彼らの中では比較的しっとりとして聴きやすいですし、
曲のテーマ性もけっこう広く受け入れられやすいとは思うのですよね。
どんな人間でも大切な存在を失うときというのはやってきますし、
そのことについて思いを馳せるときというのは必ずありますからね。
そういうときに支えになってくれる曲があるというのはありがたいことだとも思いますし。
最後にこの曲のアンプラグドライブバージョンも貼っておきます。
アコースティックのみで演奏しているのでより聴きやすいですし、
セットが葬式を模していることもあって、雰囲気がよく合っているのですよね。
この曲の持っている良さがより伝わりやすいのではないかとも思います。
Alice in Chains - Down in a Hole (MTV Unplugged) (1996) [Grunge]
フォークロックができるまで 第2回
さて、前回の第1回記事でThe ByrdsやThe Turtlesといったバンドが
フォークの曲をロックのスタイルでカバーすることによって
フォークロックという両者の垣根を超えた音楽を確立したことを解説しました。
しかし、まだこの段階では「フォークを基盤にロックのスタイルで演奏する
新進気鋭のフォークロックと呼ばれるバンドが出てきた」というだけで、
あくまでそうした「新しいフォークロックバンド」のみの動きでした。
しかし、この動きは従来のフォークミュージシャンにも大きな刺激を与えます。
そしてフォークの第一人者であったボブ・ディランは
次のアルバム"Highway 61 Revisited"でその動きに明確に答えました。
ロックのスタイルを大幅に導入し、従来のフォークの殻を大きく破り、
それとともにフォークロックの傑作"Like a Rolling Stone"を発表したのです。
まずは何よりそれを実際に聴いていただきましょう。
Bob Dylan - Like a Rolling Stone (1965) [Folk Rock]
ボブ・ディランとしての個性を受け継ぎ、フォークの香りを残しながら、
一気に壁を壊しロックを取り入れフォークとの見事な融合を果たします。
この「フォークからのフォークロックへの回答」が生まれたことで、
真にフォークロックは確立したと言ってもいいでしょう。
さて、フォークを代表するもう一つのミュージシャンとして
あのサイモン&ガーファンクルもいます。
彼らはいったいフォークロックの動きにどのように答えたのでしょうか。
Simon & Garfunkelは1stの"Wednesday Morning, 3 A.M."ではほぼ純粋なフォークでした。
その収録曲である"The Sound of Silence"を聴いていただきましょう。
Simon & Garfunkel - The Sound of Silence (1964) [Folk]
改めて聴くとフォークギターのみの非常にシンプルな構成ですよね。
この曲は教科書などにも載っているので多くの人が知っていますね。
しかしこの曲は次の2ndアルバムで再レコーディングされることになります。
なんとそこでは、この曲が一気にフォークロックへと生まれ変わったのです。
Simon & Garfunkel - The Sound of Silence (1966) [Folk Rock]
エレクトリックギターになったことで厚みが増し、ドラムによってロックらしさが高まり、
まさにこの曲が基本の構成を変えずにフォークロックに生まれ変わったことがわかります。
これもまたフォークのロック化を象徴する曲の一つと言っていいでしょう。
もっともこれは純粋なフォークだった原曲の"The Sound of Silence"を受けて、
ボブ・ディランの"Like a Rolling Stone"にも関わったプロデューサーのトム・ウィルソンが
半ば勝手に行ったリミックスだったりもしたわけですが。
このバージョンはもともとシンプルなフォークだった曲を
エレクトリックなロックにアレンジしたというものでしたが、
この2ndアルバムでは他にも優秀なフォークロックがたくさんあります。
そんな新たに作られたフォークロックについても見ていきましょう。
Simon & Garfunkel - I Am a Rock (1966) [Folk Rock]
最初はフォークギター一本で始まりフォークらしいと思わせながら、
途中でドラムとエレクトリックギターやオルガンが入って、
一気に「フォークグループによるフォークロック」らしいサウンドになります。
これもまたフォークロックの確立に大きな役割を果たした曲と言えるでしょう。
フォークロックの誕生による影響はフォークミュージシャンのみにとどまりませんでした。
逆にロックバンドがフォークやフォークロックに接近する動きも生み出したのです。
その代表格とも言えるのが、The Beatlesの"Rubber Soul"というアルバムです。
ロックの歴史の中でも非常に重要視されているアルバムの一つですが、
これは実は「The Beatlesによるフォークロックへの回答」という側面を持っており、
明確にフォークやフォークロックに接近した曲が多く含まれています。
その中から1曲、いかにもThe Byrds流のフォークロックを意識した曲を紹介しましょう。
前回記事で紹介したThe Byrdsの"Mr. Tambourine Man"あたりを思い浮かべると、
その影響や共通性などをしっかりと感じ取ることができるだろうと思います。
The Beatles - Nowhere Man (1965) [Folk Rock]
このあたりの新しい音楽スタイルの昇華の仕方であったり、
それを新たに自分のものにする上手さはさすがThe Beatlesですね。
ということで、フォークロックの成り立ちについてのお話でした!(゚x/)
【関連記事】
・フォークロックができるまで 第2回
・フォークロックができるまで 第1回
フォークの曲をロックのスタイルでカバーすることによって
フォークロックという両者の垣根を超えた音楽を確立したことを解説しました。
しかし、まだこの段階では「フォークを基盤にロックのスタイルで演奏する
新進気鋭のフォークロックと呼ばれるバンドが出てきた」というだけで、
あくまでそうした「新しいフォークロックバンド」のみの動きでした。
しかし、この動きは従来のフォークミュージシャンにも大きな刺激を与えます。
そしてフォークの第一人者であったボブ・ディランは
次のアルバム"Highway 61 Revisited"でその動きに明確に答えました。
ロックのスタイルを大幅に導入し、従来のフォークの殻を大きく破り、
それとともにフォークロックの傑作"Like a Rolling Stone"を発表したのです。
まずは何よりそれを実際に聴いていただきましょう。
Bob Dylan - Like a Rolling Stone (1965) [Folk Rock]
ボブ・ディランとしての個性を受け継ぎ、フォークの香りを残しながら、
一気に壁を壊しロックを取り入れフォークとの見事な融合を果たします。
この「フォークからのフォークロックへの回答」が生まれたことで、
真にフォークロックは確立したと言ってもいいでしょう。
さて、フォークを代表するもう一つのミュージシャンとして
あのサイモン&ガーファンクルもいます。
彼らはいったいフォークロックの動きにどのように答えたのでしょうか。
Simon & Garfunkelは1stの"Wednesday Morning, 3 A.M."ではほぼ純粋なフォークでした。
その収録曲である"The Sound of Silence"を聴いていただきましょう。
Simon & Garfunkel - The Sound of Silence (1964) [Folk]
改めて聴くとフォークギターのみの非常にシンプルな構成ですよね。
この曲は教科書などにも載っているので多くの人が知っていますね。
しかしこの曲は次の2ndアルバムで再レコーディングされることになります。
なんとそこでは、この曲が一気にフォークロックへと生まれ変わったのです。
Simon & Garfunkel - The Sound of Silence (1966) [Folk Rock]
エレクトリックギターになったことで厚みが増し、ドラムによってロックらしさが高まり、
まさにこの曲が基本の構成を変えずにフォークロックに生まれ変わったことがわかります。
これもまたフォークのロック化を象徴する曲の一つと言っていいでしょう。
もっともこれは純粋なフォークだった原曲の"The Sound of Silence"を受けて、
ボブ・ディランの"Like a Rolling Stone"にも関わったプロデューサーのトム・ウィルソンが
半ば勝手に行ったリミックスだったりもしたわけですが。
このバージョンはもともとシンプルなフォークだった曲を
エレクトリックなロックにアレンジしたというものでしたが、
この2ndアルバムでは他にも優秀なフォークロックがたくさんあります。
そんな新たに作られたフォークロックについても見ていきましょう。
Simon & Garfunkel - I Am a Rock (1966) [Folk Rock]
最初はフォークギター一本で始まりフォークらしいと思わせながら、
途中でドラムとエレクトリックギターやオルガンが入って、
一気に「フォークグループによるフォークロック」らしいサウンドになります。
これもまたフォークロックの確立に大きな役割を果たした曲と言えるでしょう。
フォークロックの誕生による影響はフォークミュージシャンのみにとどまりませんでした。
逆にロックバンドがフォークやフォークロックに接近する動きも生み出したのです。
その代表格とも言えるのが、The Beatlesの"Rubber Soul"というアルバムです。
ロックの歴史の中でも非常に重要視されているアルバムの一つですが、
これは実は「The Beatlesによるフォークロックへの回答」という側面を持っており、
明確にフォークやフォークロックに接近した曲が多く含まれています。
その中から1曲、いかにもThe Byrds流のフォークロックを意識した曲を紹介しましょう。
前回記事で紹介したThe Byrdsの"Mr. Tambourine Man"あたりを思い浮かべると、
その影響や共通性などをしっかりと感じ取ることができるだろうと思います。
The Beatles - Nowhere Man (1965) [Folk Rock]
このあたりの新しい音楽スタイルの昇華の仕方であったり、
それを新たに自分のものにする上手さはさすがThe Beatlesですね。
ということで、フォークロックの成り立ちについてのお話でした!(゚x/)
【関連記事】
・フォークロックができるまで 第2回
・フォークロックができるまで 第1回
フォークロックができるまで 第1回
さて、これまで「ロックの歴史」シリーズを通じて、
それぞれの時代ごとにどのようなスタイルの音楽が生まれ、
それがどのようなミュージックシーンを作ってきたか語ってきました。
しかしながら、それらがどのような音楽であるか言葉で語りながらも、
それを感覚として理解することは難しい文章でもありました。
このように「ロックの歴史」シリーズはそれだけで全体像をとらえるのは難しく、
歴史の流れをおおまかに知る点ではそれなりに役に立つとは思えるものの、
それを感覚として体や耳に染みつけるところにまでは至らないものでした。
なので、ここからは「ロックの歴史」の中で紹介した様々なジャンルを
それがどのように形成されていったか、どのように確立されていったかを
実際の音楽動画紹介も含めながら伝えていきたいと思っています。
まずは60年代中期に形成された「フォークロック」について見ていきましょう!
60年代前半まではフォークとロックは完全に別々の音楽として存在していました。
それが60年代中期にかけて、フォークとロックの間の垣根が崩れて、
フォークをロックのスタイルでもって演奏するようになったり、
フォークミュージシャンがロックを取り入れるケースが出てきました。
このようにして生まれたのが、フォークとロックを融合した
「フォークロック」というスタイルです。
これ以降はエレキギターやドラムなどを使わない純粋なフォークは少なくなり、
フォークを土台としたミュージシャンもロックの様式を取り入れるのが一般的となります。
さて、この「フォークロック」はどのようにして生まれていったのでしょう。
まずはフォークの第一人者であるボブ・ディランの
"Mr. Tambourine Man"という曲を聴いてもらいましょう。
(5thアルバム"Bringing It All Back Home"に収録)
これは紛うことなき、ドラムなども入らない実に純粋なフォークです。
Bob Dylan - Mr. Tambourine Man (1965) [Folk]
そしてこのボブ・ディランの"Mr. Tambourine Man"を
ロックのスタイルでカバーしたバンドがいました。
それがフォークロックのスタイルを確立したとも言える存在であるThe Byrdsです。
まずはそちらを実際に聴いていただきましょう。
原曲であるボブ・ディラン版との違いがはっきりと伝わると思います。
The Byrds - Mr. Tambourine Man (Bob Dylan cover) (1965) [Folk Rock]
このバージョンだけを聴くと、ほぼギター一本のみの
純粋なフォークのカバーだとは気付かないかもしれませんね。
それぐらいに上手くロックのスタイルへと落とし込んでいます。
一般的なロックに比べると、緊張したようなピリッとした感触をあえて減らし、
ややのんべんだらりとした雰囲気にしているところが特徴ではありますが。
いずれにしても、このカバーがフォークとロックの垣根を壊す大きなきっかけとなりました。
面白いのはカバー曲によってイノベーションを起こしたという点ですね。
普通は音楽的なイノベーションはオリジナル曲で起きることが多いですが、
「フォークをロックの手法でカバー」したからこそ音楽的な変革が起きたのですよね。
そしてこうした「フォークをロックの手法でカバーする」のは、
このThe Byrdsにとどまらず、他のバンドにも広がっていきました。
そのもう一つの代表とも言えるのが"It Ain't Me Babe"という曲です。
まずはオリジナルであるボブ・ディラン版を聴いてくださいませ。
(4thアルバム"Another Side of Bob Dylan"に収録)
Bob Dylan - It Ain't Me Babe (1964) [Folk]
これはもう非常に原初的なスタイルのフォークと言っていいでしょうね。
そしてこの曲をThe Turtlesというバンドがロックのスタイルでカバーしました。
The Byrdsとはまたちょっと違った切り口ですが、明確にロックになっていますね。
The Turtles - It Ain't Me Babe (Bob Dylan cover) (1965) [Folk Rock]
こうしたフォークとロックの垣根を壊す動きは、
The ByrdsやThe Turtlesのようなフォークロックのバンドを生むだけでなく、
ボブ・ディランをはじめとしたフォークのミュージシャンにも影響を与え、
さらに従来のロックバンドがフォークに接近するきっかけをも作りました。
次回の「フォークロックができるまで 第2回」ではその動きを見ていきましょう!(゚x/)
【関連記事】
・フォークロックができるまで 第2回
・フォークロックができるまで 第1回
それぞれの時代ごとにどのようなスタイルの音楽が生まれ、
それがどのようなミュージックシーンを作ってきたか語ってきました。
しかしながら、それらがどのような音楽であるか言葉で語りながらも、
それを感覚として理解することは難しい文章でもありました。
このように「ロックの歴史」シリーズはそれだけで全体像をとらえるのは難しく、
歴史の流れをおおまかに知る点ではそれなりに役に立つとは思えるものの、
それを感覚として体や耳に染みつけるところにまでは至らないものでした。
なので、ここからは「ロックの歴史」の中で紹介した様々なジャンルを
それがどのように形成されていったか、どのように確立されていったかを
実際の音楽動画紹介も含めながら伝えていきたいと思っています。
まずは60年代中期に形成された「フォークロック」について見ていきましょう!
60年代前半まではフォークとロックは完全に別々の音楽として存在していました。
それが60年代中期にかけて、フォークとロックの間の垣根が崩れて、
フォークをロックのスタイルでもって演奏するようになったり、
フォークミュージシャンがロックを取り入れるケースが出てきました。
このようにして生まれたのが、フォークとロックを融合した
「フォークロック」というスタイルです。
これ以降はエレキギターやドラムなどを使わない純粋なフォークは少なくなり、
フォークを土台としたミュージシャンもロックの様式を取り入れるのが一般的となります。
さて、この「フォークロック」はどのようにして生まれていったのでしょう。
まずはフォークの第一人者であるボブ・ディランの
"Mr. Tambourine Man"という曲を聴いてもらいましょう。
(5thアルバム"Bringing It All Back Home"に収録)
これは紛うことなき、ドラムなども入らない実に純粋なフォークです。
Bob Dylan - Mr. Tambourine Man (1965) [Folk]
そしてこのボブ・ディランの"Mr. Tambourine Man"を
ロックのスタイルでカバーしたバンドがいました。
それがフォークロックのスタイルを確立したとも言える存在であるThe Byrdsです。
まずはそちらを実際に聴いていただきましょう。
原曲であるボブ・ディラン版との違いがはっきりと伝わると思います。
The Byrds - Mr. Tambourine Man (Bob Dylan cover) (1965) [Folk Rock]
このバージョンだけを聴くと、ほぼギター一本のみの
純粋なフォークのカバーだとは気付かないかもしれませんね。
それぐらいに上手くロックのスタイルへと落とし込んでいます。
一般的なロックに比べると、緊張したようなピリッとした感触をあえて減らし、
ややのんべんだらりとした雰囲気にしているところが特徴ではありますが。
いずれにしても、このカバーがフォークとロックの垣根を壊す大きなきっかけとなりました。
面白いのはカバー曲によってイノベーションを起こしたという点ですね。
普通は音楽的なイノベーションはオリジナル曲で起きることが多いですが、
「フォークをロックの手法でカバー」したからこそ音楽的な変革が起きたのですよね。
そしてこうした「フォークをロックの手法でカバーする」のは、
このThe Byrdsにとどまらず、他のバンドにも広がっていきました。
そのもう一つの代表とも言えるのが"It Ain't Me Babe"という曲です。
まずはオリジナルであるボブ・ディラン版を聴いてくださいませ。
(4thアルバム"Another Side of Bob Dylan"に収録)
Bob Dylan - It Ain't Me Babe (1964) [Folk]
これはもう非常に原初的なスタイルのフォークと言っていいでしょうね。
そしてこの曲をThe Turtlesというバンドがロックのスタイルでカバーしました。
The Byrdsとはまたちょっと違った切り口ですが、明確にロックになっていますね。
The Turtles - It Ain't Me Babe (Bob Dylan cover) (1965) [Folk Rock]
こうしたフォークとロックの垣根を壊す動きは、
The ByrdsやThe Turtlesのようなフォークロックのバンドを生むだけでなく、
ボブ・ディランをはじめとしたフォークのミュージシャンにも影響を与え、
さらに従来のロックバンドがフォークに接近するきっかけをも作りました。
次回の「フォークロックができるまで 第2回」ではその動きを見ていきましょう!(゚x/)
【関連記事】
・フォークロックができるまで 第2回
・フォークロックができるまで 第1回
ロックをジャンルの視点から語る意義
私は洋楽ロックの様々なバンドについて語るときに、
必ずと言っていいほどその曲がどのジャンルに属するか、
という視点を盛り込むようにしています。
それを見て、
「なんでこの人はいちいちジャンルにこだわるのだろう」
と感じる人も少なからずいるかもしれません。
ミュージシャンの間ではジャンルで括られるのを嫌う人もいますし、
「音楽をジャンルという枠にはめるのは解釈を狭くする」
と考える人も少なくないと思います。
そこで、ここでは「ロックをあえてジャンルの視点から語る意義」
について語っていきたいと思います。
たとえばあるゲームに興味を持ったとき、
他の人に「これってどんなゲーム?」とたずねたとしましょう。
そうすると、聞かれた人の多くは「これはRPGだよ」とか、
「これはシューティングゲームだよ」といったように、
どういうタイプのゲームなのかをまず答えるでしょう。
そうすることで、聞いた側も「あぁ、おおよそその方向性のゲームなのだな」
と理解でき、そのゲームをプレイするかどうかの大きな手掛かりにできます。
さらに「このゲームはドラクエに近い」とか、
「このゲームはゼルダの伝説に近い」みたいに固有名詞付きで言われれば、
そのイメージはより明確なものになるでしょう。
これは様々なロックに触れるうえでも同様だと言えます。
「これはスラッシュメタルですよ」「これはパンクロックですよ」、
というふうに音のタイプを説明すると、イメージがしやすくなり、
実際に音を聴いたときにも「なるほどこういう音か」と解釈が容易になります。
さらに「このバンドはLed ZeppelinとBlack Sabbathの影響を受けてる」
のように固有名詞で聞くと、そのイメージはより明確になるでしょう。
ただし、ゲームと違ってロックではいくぶん弱点を含むのも事実です。
まず第一にジャンルがあまりに細分化されすぎているうえに、
各々のジャンルについてよく知らない人のほうが多数派なため、
「これはプログレですよ」とか言っても、
これからロックを聴き始めようとしている人には通じません。
かといって、「プログレとは何か」を説明しようとすると、
時代背景や成立の流れまで含めたりすると長くなりすぎるなど、
ジャンルの情報を提供しても理解してもらえることに難しさがあります。
これはバンド名の固有名詞を挙げて説明する場合はさらに問題になります。
すでにそのバンドを聴いている人にしか理解ができないですからね。
そして何より厄介なのが、ゲームの分類と比べて、
音楽のジャンルの分類はその境界線がかなりの曖昧さを含んでいます。
「AのバンドもBのバンドもどっちも同じジャンルなの?」とか、
「Aのバンドはこの2つのどちらのジャンルになるの?」とか、
ゲームのジャンルほどスパッと切れない難しさがあります。
そうすると、やはりロックのジャンル分けは一長一短に見えます。
それでもあえてジャンルで語ることの意義はいったい何なのでしょう。
ロックの歴史を見ていくと、音楽は決して単発でポツポツ生まれてはいないのです。
ある時代に「こういう方向性の音楽を作るべきではないだろうか」
と考えるミュージシャンが同時多発的に表れ、
それぞれの人達が似た方向を向いて音楽を作り、
それが一つの音楽文化を形成していくという経緯があることが、
ロックの歴史を見ていくと非常にはっきりと伝わってきます。
この事実を踏まえると、
「この都市とあの都市などが集まって、この国はできたんですよ」
と語ることであったり、
「この都市はこの国が成立する経緯の中で生まれたんですよ」
と見ることが意義を持ってきます。
「ジャンル」とだけ聞くと、まるで本来は関係ない別々の都市を
無理やり「ジャンル」という枠でくくっているように聞こえます。
しかし実はそうではなく、様々なバンドが似通った目標を持って
新たなミュージックシーンを形成することでジャンルが成立しているのです。
なので、実は私が「ジャンル」として語っているのは、
本当は「(時代なども踏まえた)ミュージックシーン」のことなのです。
このようにバンドは決して単体で存在しているのではなく、
「様々な都市が似通った目標や文化背景を持って成立し国を形成した」
というふうにとらえると、1つの都市(=バンド)に触れたときに
得られるイメージが横の厚みを持ってくることになるのですね。
時代背景も見えてくるし、同じミュージックシーンを形成した
他のバンドも聴くことで、国全体のイメージも頭の中にできていきます。
バンドだけをぶつ切りで聴くと、世界中の各都市だけの知識が
バラバラに断片的に頭に入ってくることだけで終わってしまいますが、
ジャンルというかミュージックシーンを意識しながら聴いていくと、
各都市の知識が有機的に結びつき、さらには国もイメージも見えてきて、
まるで「音楽による地図」のようなものがどんどん広がっていくのです。
どんな知識も断片的なつまみ食いでは見えてこないものがあります。
その横の繋がりや、まとまりなどを意識することによって、
知識はネットワークとなり、頭の中に世界地図のように完成します。
ジャンル、すなわちミュージックシーンを考える意義はそこにあります。
前節で「ジャンルというより、むしろミュージックシーンとして理解しよう」
ということを説明しました。
しかしそうすると、「音のタイプで分類するジャンル」と違って、
ミュージックシーンは時代なども大きく影響してくるはずで、
ではジャンルの分類も時代によって変えるべきなのか、
という問いが出てくることになります。
その答えですが、私は迷わず「Yes」と答えます。
私としては「ジャンルはむしろミュージックシーンを指す言葉であり、
たとえ音が近くあっても、時代やミュージックシーンが異なるのであれば、
また別のジャンル名をつけたほうがいい」というスタンスでいます。
たとえば「サイケデリックロック」と言えば、
自分は60年代中盤から70年代前半までの
サイケデリックシーンのバンドのみを指すようにしています。
その時代以降のサイケ風の音楽は「ネオサイケ」のように呼んだり、
「サイケデリック・リバイバル」のように呼ぶほうが適切だと見ています。
全てのジャンルについてそうすることを求めるのは難しいですが、
本来ならこのようにジャンルの名前を聴けば、
「あぁ、あの時代にあのような音で文化を形成したシーンのことだな」
と思い浮かぶ、そのほうが実際にはわかりやすいと考えています。
「ジャンルをミュージックシーンとしてとらえ、
各バンドの音楽をミュージックシーンを意識しつつ聴くことで、
頭の中の音楽の世界の地図が有機的に完成していく」
と述べてきましたが、そのためには大きなハードルがあります。
「それぞれのジャンル、ミュージックシーンがどの時代に
どのように形成されたのか」がわからないと、理解のしようがないことです。
しかし、それについてはこのブログの「ロックの歴史」シリーズで詳しく触れてきました。
あのシリーズはまさに「それぞれのミュージックシーンが
どの時代にどのような背景を持って形成され、それがどのような音楽だったか」
をあらゆる角度から解説したものです。
もちろん洋楽ロックに詳しくない人から見れば、
あまりに固有名詞が多くて全ての理解は非常に困難でしょう。
でもあの文章をいつでも読めるような状態にしておけば、
新たに聴いたバンドのジャンルを見て、
それをあの文章と照らし合わせることでバンドを「断片的な都市」ではなく、
「その都市の背景とどんな国を形成することに寄与したか」が見えてきて、
これによって一気にバンドの理解というものが厚みを持ってくるのですね。
あの「ロックの歴史」の文章を何となく頭の中に入れつつ、
音楽を聴くことで知識を有機的に結び付けやすくなるでしょう。
そのための入口という意味を込めた文章でもあったのですね。
なので、音楽に入るときはミュージックシーンも意識しながら聴くと、
「その音楽が目指したもの」なども見えてきて、より深く楽しめますよ。
必ずと言っていいほどその曲がどのジャンルに属するか、
という視点を盛り込むようにしています。
それを見て、
「なんでこの人はいちいちジャンルにこだわるのだろう」
と感じる人も少なからずいるかもしれません。
ミュージシャンの間ではジャンルで括られるのを嫌う人もいますし、
「音楽をジャンルという枠にはめるのは解釈を狭くする」
と考える人も少なくないと思います。
そこで、ここでは「ロックをあえてジャンルの視点から語る意義」
について語っていきたいと思います。
◎理解を助けるためのジャンルという手がかり
たとえばあるゲームに興味を持ったとき、
他の人に「これってどんなゲーム?」とたずねたとしましょう。
そうすると、聞かれた人の多くは「これはRPGだよ」とか、
「これはシューティングゲームだよ」といったように、
どういうタイプのゲームなのかをまず答えるでしょう。
そうすることで、聞いた側も「あぁ、おおよそその方向性のゲームなのだな」
と理解でき、そのゲームをプレイするかどうかの大きな手掛かりにできます。
さらに「このゲームはドラクエに近い」とか、
「このゲームはゼルダの伝説に近い」みたいに固有名詞付きで言われれば、
そのイメージはより明確なものになるでしょう。
これは様々なロックに触れるうえでも同様だと言えます。
「これはスラッシュメタルですよ」「これはパンクロックですよ」、
というふうに音のタイプを説明すると、イメージがしやすくなり、
実際に音を聴いたときにも「なるほどこういう音か」と解釈が容易になります。
さらに「このバンドはLed ZeppelinとBlack Sabbathの影響を受けてる」
のように固有名詞で聞くと、そのイメージはより明確になるでしょう。
ただし、ゲームと違ってロックではいくぶん弱点を含むのも事実です。
まず第一にジャンルがあまりに細分化されすぎているうえに、
各々のジャンルについてよく知らない人のほうが多数派なため、
「これはプログレですよ」とか言っても、
これからロックを聴き始めようとしている人には通じません。
かといって、「プログレとは何か」を説明しようとすると、
時代背景や成立の流れまで含めたりすると長くなりすぎるなど、
ジャンルの情報を提供しても理解してもらえることに難しさがあります。
これはバンド名の固有名詞を挙げて説明する場合はさらに問題になります。
すでにそのバンドを聴いている人にしか理解ができないですからね。
そして何より厄介なのが、ゲームの分類と比べて、
音楽のジャンルの分類はその境界線がかなりの曖昧さを含んでいます。
「AのバンドもBのバンドもどっちも同じジャンルなの?」とか、
「Aのバンドはこの2つのどちらのジャンルになるの?」とか、
ゲームのジャンルほどスパッと切れない難しさがあります。
そうすると、やはりロックのジャンル分けは一長一短に見えます。
それでもあえてジャンルで語ることの意義はいったい何なのでしょう。
◎都市が集まって文化を中心に国を作るイメージでとらえる
ロックの歴史を見ていくと、音楽は決して単発でポツポツ生まれてはいないのです。
ある時代に「こういう方向性の音楽を作るべきではないだろうか」
と考えるミュージシャンが同時多発的に表れ、
それぞれの人達が似た方向を向いて音楽を作り、
それが一つの音楽文化を形成していくという経緯があることが、
ロックの歴史を見ていくと非常にはっきりと伝わってきます。
この事実を踏まえると、
「この都市とあの都市などが集まって、この国はできたんですよ」
と語ることであったり、
「この都市はこの国が成立する経緯の中で生まれたんですよ」
と見ることが意義を持ってきます。
「ジャンル」とだけ聞くと、まるで本来は関係ない別々の都市を
無理やり「ジャンル」という枠でくくっているように聞こえます。
しかし実はそうではなく、様々なバンドが似通った目標を持って
新たなミュージックシーンを形成することでジャンルが成立しているのです。
なので、実は私が「ジャンル」として語っているのは、
本当は「(時代なども踏まえた)ミュージックシーン」のことなのです。
このようにバンドは決して単体で存在しているのではなく、
「様々な都市が似通った目標や文化背景を持って成立し国を形成した」
というふうにとらえると、1つの都市(=バンド)に触れたときに
得られるイメージが横の厚みを持ってくることになるのですね。
時代背景も見えてくるし、同じミュージックシーンを形成した
他のバンドも聴くことで、国全体のイメージも頭の中にできていきます。
バンドだけをぶつ切りで聴くと、世界中の各都市だけの知識が
バラバラに断片的に頭に入ってくることだけで終わってしまいますが、
ジャンルというかミュージックシーンを意識しながら聴いていくと、
各都市の知識が有機的に結びつき、さらには国もイメージも見えてきて、
まるで「音楽による地図」のようなものがどんどん広がっていくのです。
どんな知識も断片的なつまみ食いでは見えてこないものがあります。
その横の繋がりや、まとまりなどを意識することによって、
知識はネットワークとなり、頭の中に世界地図のように完成します。
ジャンル、すなわちミュージックシーンを考える意義はそこにあります。
◎ジャンルという言葉へのイメージを変えよう
前節で「ジャンルというより、むしろミュージックシーンとして理解しよう」
ということを説明しました。
しかしそうすると、「音のタイプで分類するジャンル」と違って、
ミュージックシーンは時代なども大きく影響してくるはずで、
ではジャンルの分類も時代によって変えるべきなのか、
という問いが出てくることになります。
その答えですが、私は迷わず「Yes」と答えます。
私としては「ジャンルはむしろミュージックシーンを指す言葉であり、
たとえ音が近くあっても、時代やミュージックシーンが異なるのであれば、
また別のジャンル名をつけたほうがいい」というスタンスでいます。
たとえば「サイケデリックロック」と言えば、
自分は60年代中盤から70年代前半までの
サイケデリックシーンのバンドのみを指すようにしています。
その時代以降のサイケ風の音楽は「ネオサイケ」のように呼んだり、
「サイケデリック・リバイバル」のように呼ぶほうが適切だと見ています。
全てのジャンルについてそうすることを求めるのは難しいですが、
本来ならこのようにジャンルの名前を聴けば、
「あぁ、あの時代にあのような音で文化を形成したシーンのことだな」
と思い浮かぶ、そのほうが実際にはわかりやすいと考えています。
◎ミュージックシーンをどう理解するか
「ジャンルをミュージックシーンとしてとらえ、
各バンドの音楽をミュージックシーンを意識しつつ聴くことで、
頭の中の音楽の世界の地図が有機的に完成していく」
と述べてきましたが、そのためには大きなハードルがあります。
「それぞれのジャンル、ミュージックシーンがどの時代に
どのように形成されたのか」がわからないと、理解のしようがないことです。
しかし、それについてはこのブログの「ロックの歴史」シリーズで詳しく触れてきました。
あのシリーズはまさに「それぞれのミュージックシーンが
どの時代にどのような背景を持って形成され、それがどのような音楽だったか」
をあらゆる角度から解説したものです。
もちろん洋楽ロックに詳しくない人から見れば、
あまりに固有名詞が多くて全ての理解は非常に困難でしょう。
でもあの文章をいつでも読めるような状態にしておけば、
新たに聴いたバンドのジャンルを見て、
それをあの文章と照らし合わせることでバンドを「断片的な都市」ではなく、
「その都市の背景とどんな国を形成することに寄与したか」が見えてきて、
これによって一気にバンドの理解というものが厚みを持ってくるのですね。
あの「ロックの歴史」の文章を何となく頭の中に入れつつ、
音楽を聴くことで知識を有機的に結び付けやすくなるでしょう。
そのための入口という意味を込めた文章でもあったのですね。
なので、音楽に入るときはミュージックシーンも意識しながら聴くと、
「その音楽が目指したもの」なども見えてきて、より深く楽しめますよ。
ロックの歴史 第6回(2000年代前半まで)
前回の「ロックの歴史 第5回(1990年代前半)」までで、
1991年からのオルタナティブロックムーブメントを紹介しましたが、
その「オルタナティブ後」のシーンの変遷を今回は見ていきます!
オルタナティブロックの流れを受け継ぎつつ、
同時に90年代前半の音楽への反動という側面も持つ、
そうした音楽がいろいろと浮上してくることになります!
-------------
Nirvanaの大きなヒットは、それまでアメリカではあまり広がることのなかった、パンクを直接的なルーツとするバンドが強く認知されたことでもあり、パンク色の強いサウンドが受け入れられやすくなる素地を作ったという側面も持っていた。その一方で、グランジやオルタナティブロックの隆盛によって、メインストリームの音楽シーンがダークでシリアスなムードに覆われることとなったため、その反動としてポップで明るい曲調を求めるようなニーズも徐々に高まりつつあった。
そうした流れの中から、グランジからの影響を一定程度受けながらも、ポップで受け入れやすさを持ったパンクバンドが90年代中期からアメリカで浮上してくることとなる。Green Day[グリーン・デイ]のヒットを皮切りに、The Offspring[オフスプリング]、Rancid[ランシド]などのバンドがヒットを飛ばしていく。また90年代後半から2000年代にかけて、新たにBlink-182[ブリンク182]やSum 41[サム41]などのバンドがシーンを活性化させていった。パンクロックはもともと社会的でシリアスなテーマを取り入れることが多かったが、これらのバンドはもっと楽観的なテーマ性を持っていたのも大きな特徴であった。そのため、従来のパンクファンからは嫌われることも少なくなかった。これらのバンドはポップパンク(Pop Punk)と呼ばれることになる。ただし、Green Dayは後に"American Idiot"(アメリカン・イディオット)で社会的なテーマを大きく扱うなど、つねにポップなテーマだけを維持していたわけではなかった。
また、イギリスでもオルタナティブロックの波は訪れてはいたものの、グランジはアメリカほど強く受け入れられていたわけではなかった。そうした中からThe Beatlesを代表とする60年代のイギリスのロックとパンクロックなどをミックスし、オルタナティブな要素を持ちながらイギリス的なポップ感覚を持ち合わせたサウンドとして、ブリットポップ(Britpop)と呼ばれるジャンルが浮上してくる。その最大の立役者となったのはOasis[オアシス]で、リリースしたアルバムが続けざまにイギリスで巨大なセールスを記録していき、さらにBlur[ブラー]やSuede[スウェード]やPulp[パルプ]といったバンドもヒットを飛ばしていった。この時期はアメリカとイギリスのシーンの乖離が激しく、グランジがイギリスでそれほど受け入れられなかった一方で、ブリットポップもまたアメリカではそれほど浸透することはなかった。
ブリットポップではないものの、イギリスではRadiohead[レディオヘッド]が革新的な音楽を模索する動きを見せていた。彼らの3rdアルバムである"OK Computer"(オーケー・コンピューター)は極めて高い評価を受け、エレクトロニカの要素を取り入れていくバンドが増える大きなきっかけを生み出した。
しばしば1994年に起きたNirvanaのカート・コバーンの死去をもってグランジムーブメントが終息したと言われるが、実際のところはそれ以後もグランジの勢いは少なからず維持されていた。Pearl Jam、Soundgarden、Stone Temple Pilots、The Smashing Pumpkinsなどの主要なバンドはその後も大きなヒットを飛ばしており、また新たなバンドとしてイギリス出身のBush[ブッシュ]やオーストラリア出身のSilverchair[シルヴァーチェアー]などが注目を集めていた。また、カート・コバーンの妻であるコートニー・ラヴによるHole[ホール]もカートの死後に大きな成功を収めている。
一方で1996年あたりになると、グランジそのものといった音を鳴らすバンドの数は減っていき、そのかわりに「グランジ直系のサウンドではあるものの、歌モノとしての要素が強まっている」バンドがシーンに数多く浮上してくることになる。その最大のきっかけとなったのはCreed[クリード]であろう。Creedはいかにもグランジ直系といったサウンドで、もし90年代初期に登場していればほぼ間違いなくグランジにくくられたと言えるような音楽性を持っていた。その音楽性はPearl JamとStone Temple Pilotsに非常に近く、そこにAlice in ChainsとMetallicaの91年のアルバムをミックスしたような、典型的な90年代ヘヴィロックサウンドであった。このCreedのヒット以来、グランジ直系のサウンドも「グランジ」そのものとは呼ばれることはほとんどなくなり、ポストグランジ(Post-Grunge)の中にくくられることが一般的になっていく。こうした流れからは、Nickelback[ニッケルバック]、Staind[ステインド]、3 Doors Down[スリー・ドアーズ・ダウン]、Puddle of Mudd[パドル・オブ・マッド]などが浮上してくる。90年代中期までもLiveやCollective Soulなど、ポストグランジと呼ばれるバンドはあったが、Creed以降はジャンル名こそ同じであるものの、その性質は大幅に変化したと言っていいだろう。
また、一方で90年代中期までのポストグランジをさらにポップ化したようなサウンドも浮上してくる。その代表格として挙げられるのがMatchbox Twenty[マッチボックス・トゥエンティ]である。彼らのヒットによって、ポストグランジは「グランジ直系の歌モノ系ロック」から「グランジの香りがするポップロック」まで幅広いものを指す用語へと変化していくこととなった。このラインからはLifehouse[ライフハウス]などのバンドも浮上している。
また、90年代中期からはオルタナティブメタルバンドであったKornを起点に新たな音楽が浮上してくることになる。Kornは前身バンドがファンクメタルだったこともあり、アルバムを重ねるにつれてラップの要素を高めていくことになるが、このラップとヘヴィな重低音サウンドをミックスしたスタイルが支持を集めていくこととなった。こうしたサウンドはニューメタル(Nu Metal)やラップメタル(Rap Metal)と呼ばれるようになり、Limp Bizkit[リンプ・ビズキット]の登場に伴って、一気にメインストリームの中心へと躍り出ていくことになった。さらにSlipknot[スリップノット]やLinkin Park[リンキン・パーク]などもこのラインから浮上してくる。この時期のヘヴィロックはポストグランジ、ニューメタル、オルタナティブメタルなどが混在しており、しかもそれぞれの境界も曖昧であった。たとえばStaindやGodsmack[ゴッドスマック]などはポストグランジであるとともに、ニューメタルとしても語られることがあった。また、ラップとメタルの融合はファンクメタルでも行われていたが、それらがよりダイレクトな形でニューメタルに取り込まれたこともあり、ファンクメタルはその後急速に収束していくこととなった。
こうしてダークなサウンドではありながらもエンターテインメント色が強いニューメタルや、グランジ本来の激しさを失ってしまったポストグランジがシーンの中心を占めるようになったことに対して強い不満をおぼえる動きも表面化してくることになる。90年代後期頃からグランジやパンクのストレートな攻撃性を受け継ぎ、60年代ガレージロックのような荒々しさを内包したガレージロックリバイバル(Garage Rock Revival)/ポストパンクリバイバル(Post-Punk Revival)といった動きが浮上してくる。The White Stripes[ホワイト・ストライプス]を先頭にThe Strokes[ストロークス]、The Libertines[リバティーンズ]、Jet[ジェット]などのバンドがこの中から浮上してくることとなった。
--------------
1991年からのオルタナティブロックムーブメントによって、
音楽シーン全体がシリアスでダークなムードに覆われましたが、
そうした流れを受け継ぎつつもいろいろな変化が起きてきました!
さて、それでは2000年代以降はどうなっていくのかということですが、
実はこの「ロックの歴史」シリーズは今回で終わりだったりします;
というのも、これ以降のロックのシーンの変遷をあまり詳しく追ってなくて、
流れをイマイチ把握しきれていないというのが最大の理由です;
いずれこのあたりの時代についても把握できれば記事にしたいですが、
とりあえずこれで1960年代から2000年代の始まりまでは紹介できたので、
これでそれなりに歴史の流れを読み取ることはできるかなと思います!
今後もここで紹介した様々なロックのスタイルに関する記事を書いていくので、
この「ロックの歴史」シリーズと合わせて読んでくださると幸いです!
【関連記事】
・ロックの歴史 第6回(2000年代前半まで)
・ロックの歴史 第5回(1990年代前半)
・ロックの歴史 第4回(1980年代のアンダーグラウンドシーン)
・ロックの歴史 第3回(1980年代のメインストリームシーン)
・ロックの歴史 第2回(1970年代)
・ロックの歴史 第1回(1960年代)
1991年からのオルタナティブロックムーブメントを紹介しましたが、
その「オルタナティブ後」のシーンの変遷を今回は見ていきます!
オルタナティブロックの流れを受け継ぎつつ、
同時に90年代前半の音楽への反動という側面も持つ、
そうした音楽がいろいろと浮上してくることになります!
-------------
◎ポップパンクの浮上とイギリスにおけるブリットポップ(90年代中盤)
Nirvanaの大きなヒットは、それまでアメリカではあまり広がることのなかった、パンクを直接的なルーツとするバンドが強く認知されたことでもあり、パンク色の強いサウンドが受け入れられやすくなる素地を作ったという側面も持っていた。その一方で、グランジやオルタナティブロックの隆盛によって、メインストリームの音楽シーンがダークでシリアスなムードに覆われることとなったため、その反動としてポップで明るい曲調を求めるようなニーズも徐々に高まりつつあった。
そうした流れの中から、グランジからの影響を一定程度受けながらも、ポップで受け入れやすさを持ったパンクバンドが90年代中期からアメリカで浮上してくることとなる。Green Day[グリーン・デイ]のヒットを皮切りに、The Offspring[オフスプリング]、Rancid[ランシド]などのバンドがヒットを飛ばしていく。また90年代後半から2000年代にかけて、新たにBlink-182[ブリンク182]やSum 41[サム41]などのバンドがシーンを活性化させていった。パンクロックはもともと社会的でシリアスなテーマを取り入れることが多かったが、これらのバンドはもっと楽観的なテーマ性を持っていたのも大きな特徴であった。そのため、従来のパンクファンからは嫌われることも少なくなかった。これらのバンドはポップパンク(Pop Punk)と呼ばれることになる。ただし、Green Dayは後に"American Idiot"(アメリカン・イディオット)で社会的なテーマを大きく扱うなど、つねにポップなテーマだけを維持していたわけではなかった。
また、イギリスでもオルタナティブロックの波は訪れてはいたものの、グランジはアメリカほど強く受け入れられていたわけではなかった。そうした中からThe Beatlesを代表とする60年代のイギリスのロックとパンクロックなどをミックスし、オルタナティブな要素を持ちながらイギリス的なポップ感覚を持ち合わせたサウンドとして、ブリットポップ(Britpop)と呼ばれるジャンルが浮上してくる。その最大の立役者となったのはOasis[オアシス]で、リリースしたアルバムが続けざまにイギリスで巨大なセールスを記録していき、さらにBlur[ブラー]やSuede[スウェード]やPulp[パルプ]といったバンドもヒットを飛ばしていった。この時期はアメリカとイギリスのシーンの乖離が激しく、グランジがイギリスでそれほど受け入れられなかった一方で、ブリットポップもまたアメリカではそれほど浸透することはなかった。
ブリットポップではないものの、イギリスではRadiohead[レディオヘッド]が革新的な音楽を模索する動きを見せていた。彼らの3rdアルバムである"OK Computer"(オーケー・コンピューター)は極めて高い評価を受け、エレクトロニカの要素を取り入れていくバンドが増える大きなきっかけを生み出した。
◎ポストグランジへの移行とニューメタルの勃興(90年代後半から2000年代前半)
しばしば1994年に起きたNirvanaのカート・コバーンの死去をもってグランジムーブメントが終息したと言われるが、実際のところはそれ以後もグランジの勢いは少なからず維持されていた。Pearl Jam、Soundgarden、Stone Temple Pilots、The Smashing Pumpkinsなどの主要なバンドはその後も大きなヒットを飛ばしており、また新たなバンドとしてイギリス出身のBush[ブッシュ]やオーストラリア出身のSilverchair[シルヴァーチェアー]などが注目を集めていた。また、カート・コバーンの妻であるコートニー・ラヴによるHole[ホール]もカートの死後に大きな成功を収めている。
一方で1996年あたりになると、グランジそのものといった音を鳴らすバンドの数は減っていき、そのかわりに「グランジ直系のサウンドではあるものの、歌モノとしての要素が強まっている」バンドがシーンに数多く浮上してくることになる。その最大のきっかけとなったのはCreed[クリード]であろう。Creedはいかにもグランジ直系といったサウンドで、もし90年代初期に登場していればほぼ間違いなくグランジにくくられたと言えるような音楽性を持っていた。その音楽性はPearl JamとStone Temple Pilotsに非常に近く、そこにAlice in ChainsとMetallicaの91年のアルバムをミックスしたような、典型的な90年代ヘヴィロックサウンドであった。このCreedのヒット以来、グランジ直系のサウンドも「グランジ」そのものとは呼ばれることはほとんどなくなり、ポストグランジ(Post-Grunge)の中にくくられることが一般的になっていく。こうした流れからは、Nickelback[ニッケルバック]、Staind[ステインド]、3 Doors Down[スリー・ドアーズ・ダウン]、Puddle of Mudd[パドル・オブ・マッド]などが浮上してくる。90年代中期までもLiveやCollective Soulなど、ポストグランジと呼ばれるバンドはあったが、Creed以降はジャンル名こそ同じであるものの、その性質は大幅に変化したと言っていいだろう。
また、一方で90年代中期までのポストグランジをさらにポップ化したようなサウンドも浮上してくる。その代表格として挙げられるのがMatchbox Twenty[マッチボックス・トゥエンティ]である。彼らのヒットによって、ポストグランジは「グランジ直系の歌モノ系ロック」から「グランジの香りがするポップロック」まで幅広いものを指す用語へと変化していくこととなった。このラインからはLifehouse[ライフハウス]などのバンドも浮上している。
また、90年代中期からはオルタナティブメタルバンドであったKornを起点に新たな音楽が浮上してくることになる。Kornは前身バンドがファンクメタルだったこともあり、アルバムを重ねるにつれてラップの要素を高めていくことになるが、このラップとヘヴィな重低音サウンドをミックスしたスタイルが支持を集めていくこととなった。こうしたサウンドはニューメタル(Nu Metal)やラップメタル(Rap Metal)と呼ばれるようになり、Limp Bizkit[リンプ・ビズキット]の登場に伴って、一気にメインストリームの中心へと躍り出ていくことになった。さらにSlipknot[スリップノット]やLinkin Park[リンキン・パーク]などもこのラインから浮上してくる。この時期のヘヴィロックはポストグランジ、ニューメタル、オルタナティブメタルなどが混在しており、しかもそれぞれの境界も曖昧であった。たとえばStaindやGodsmack[ゴッドスマック]などはポストグランジであるとともに、ニューメタルとしても語られることがあった。また、ラップとメタルの融合はファンクメタルでも行われていたが、それらがよりダイレクトな形でニューメタルに取り込まれたこともあり、ファンクメタルはその後急速に収束していくこととなった。
こうしてダークなサウンドではありながらもエンターテインメント色が強いニューメタルや、グランジ本来の激しさを失ってしまったポストグランジがシーンの中心を占めるようになったことに対して強い不満をおぼえる動きも表面化してくることになる。90年代後期頃からグランジやパンクのストレートな攻撃性を受け継ぎ、60年代ガレージロックのような荒々しさを内包したガレージロックリバイバル(Garage Rock Revival)/ポストパンクリバイバル(Post-Punk Revival)といった動きが浮上してくる。The White Stripes[ホワイト・ストライプス]を先頭にThe Strokes[ストロークス]、The Libertines[リバティーンズ]、Jet[ジェット]などのバンドがこの中から浮上してくることとなった。
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1991年からのオルタナティブロックムーブメントによって、
音楽シーン全体がシリアスでダークなムードに覆われましたが、
そうした流れを受け継ぎつつもいろいろな変化が起きてきました!
さて、それでは2000年代以降はどうなっていくのかということですが、
実はこの「ロックの歴史」シリーズは今回で終わりだったりします;
というのも、これ以降のロックのシーンの変遷をあまり詳しく追ってなくて、
流れをイマイチ把握しきれていないというのが最大の理由です;
いずれこのあたりの時代についても把握できれば記事にしたいですが、
とりあえずこれで1960年代から2000年代の始まりまでは紹介できたので、
これでそれなりに歴史の流れを読み取ることはできるかなと思います!
今後もここで紹介した様々なロックのスタイルに関する記事を書いていくので、
この「ロックの歴史」シリーズと合わせて読んでくださると幸いです!
【関連記事】
・ロックの歴史 第6回(2000年代前半まで)
・ロックの歴史 第5回(1990年代前半)
・ロックの歴史 第4回(1980年代のアンダーグラウンドシーン)
・ロックの歴史 第3回(1980年代のメインストリームシーン)
・ロックの歴史 第2回(1970年代)
・ロックの歴史 第1回(1960年代)
Nirvana - Come As You Are 歌詞和訳
この洋楽ロックの歌詞対訳コーナーを始めて以来、
ずっと「いずれNirvanaの歌詞対訳をしたい」と言っていましたが、
やっと第4回記事である今回になってNirvanaの和訳に挑戦しました。
自分がずっと和訳をしたいと思っていたNirvanaの曲が
この"Come As You Are"で、ただ自分の和訳の解釈が正しいと言えるのか、
という点に多少の不安がありましたが、当時のカート・コバーンなどの発言から、
適切な解釈ができそうだとの確信に至り、Nirvanaの和訳第1弾に選びました。
「Nirvanaの歌詞対訳をしたい」と思っていた最大の理由は、
日本においてNirvanaのソングライターでありフロントマンであった
カート・コバーンの人となりへの理解があまりに誤解に満ちていると感じていたためです。
英語圏の人達ならリアルタイムにカートの発言を多く聞いていて、
そこからカートの社会的な問題への見解や価値観を理解していたでしょうが、
日本だとそうした情報はどうしても伝わりにくくはなってしまうため、
日本盤のCDについている和訳ぐらいしか情報がないのですよね。
しかし、大抵の場合はCDについてる和訳はひどく雑で、
そこに込められた本当は意図は全然伝わらないのがほとんどです。
しかもカート・コバーンはわざと表面的にわかりにくい歌詞を書いたり、
彼の価値観を理解していないと逆の意味に理解しかねない曲も多いのです。
さらにカートは若くして自殺したこともあって、
変に物語化されて受け止められてしまうことも多く、
生身の彼の生き方や考え方が日本ではあまり伝わってないのですよね。
自分はそのことに対して以前から強い不満を持っていて、
それを変えるためにもカートの人となりや価値観をちゃんと伝えるため、
カートの本来の意図に沿った和訳をしたいと思っていたのです。
日本盤のCDの和訳では、カートは「何だか危ない人」にばかり見えますが、
彼はあえて極端な言葉を使うことがあれど、決してそういう人ではありません。
まずはこの"Come As You Are"の和訳で、多少なりともそれが伝わればと思っています。

この曲はキーフレーズとなっている
"I don't have a gun"という言葉に関しては、
何を意図しているかはけっこう簡単に読むことができます。
しかし問題はそれ以外の部分の歌詞です。
ひたすら矛盾するような複数の要求が投げかけられるわけですが、
これは以下のように様々な解釈を取ることができます。
(1) カートがその相手に矛盾した複数の要求をしている
(2) その相手が(カート以外の)他人から複数の矛盾した要求をされていることの描写
(3) 複数の選択肢を提示し、それをどのように選ぶか委ねている
この疑問を解くのが、この曲に関するカート・コバーン本人と
アルバム"Nevermind"のプロデューサーをしたブッチ・ヴィグの発言です。
カート・コバーンの発言
>about people, and what they're expected to act like.
「これは人々についてのことで、彼らがどのように振る舞うかを期待されてることについての歌だ」
ということが語られている。
すなわち、「誰もが様々な人間から『こう振る舞え』と要求を投げつけられている」
というテーマが含まれていることがここから読み取れます。
これによって歌詞の大半の部分がどのような意図で書かれているかがわかります。
ブッチ・ヴィグの発言
>I think that song is about acceptance, and about misfits
>You're cool no matter how screwed up you are.
>‘Come As You Are’ is an ode to accepting someone for who they are.
「この歌は『受け入れる』ことについての歌であり、社会に適応できない人についてでもある」
「君がどんなに混乱させられていたとしても問題なんてないんだよ」
「'Come As You Are'はあるがままでいたいとする人を受け入れる歌なんだ」
この2人の発言によって、歌詞の読み取り方のピースはきれいに埋まります。
それをもとにしながら、実際の歌詞対訳へと取りかかっていきましょう。
Nirvana - Come As You Are (1991) [Grunge]
Come as you are, as you were
今のおまえのままでいろよ いや、昔のおまえへと戻れよ
As I want you to be
とにかく俺が望むように振る舞ってくれ
As a friend, as a friend
友達のように、友達のようになってくれ
As an old enemy
いや、昔からの敵のようになってくれよ
Take your time, hurry up
ゆっくりしろ いや、急げよ
Choice is yours
どうするかはおまえが選べ
Don't be late, take a rest
遅れるな いや、休憩しろよ
As a friend, as an old memoria
友達のようになれ いや、昔の思い出のようになれよ
Memoria
思い出のように
Memoria
思い出のように
Memoria
思い出のように
Come doused in mud, soaked in bleach
泥に浸かって黒くなれ いや、漂白剤に浸かって白くなれよ
As I want you to be
とにかく俺が望むようになれよ
As a trend, as a friend
流行り物のようになれ いや、友達のようになれ
As an old memoria
いや、昔の思い出のようになれよ
Memoria
思い出のように
Memoria
思い出のように
Memoria
思い出のように
And I swear that I don't have a gun
ああ、誓うよ 俺はおまえに何か要求するつもりなんてないよ
No, I don't have a gun
ああ、俺はおまえを責めるつもりなんてない
No, I don't have a gun
そうさ、俺はおまえを責めるつもりなんてないんだ
Memoria
思い出のようになれよ
Memoria
思い出のようになれ
Memoria
思い出のようになれ
Memoria
思い出のようになれ
(No, I don't have a gun)
(気にするな 俺はおまえを責めるつもりなんてないから)
And I swear that I don't have a gun
誓うよ 俺はおまえに何か要求するつもりなんてない
No, I don't have a gun
ああ、俺はおまえを責めるつもりなんてない
No, I don't have a gun
ああ、俺はおまえを責めるつもりなんてない
No, I don't have a gun
ああ、俺はおまえを責めるつもりなんてない
No, I don't have a gun
そうさ、俺はおまえを責めるつもりなんてないんだ
まずこの曲は全体の大きな意味をとらえないといけません。
そのために事前に触れたカート・コバーンとブッチ・ヴィグの発言趣旨をもとに
全体の持つ大きな流れと意味を探っていきましょう。
ヴァースの"Come as ~"と何度も連続して語られている部分は、
「ある人物が多くの他人から様々な要求や期待をぶつけられている」
場面の描写だと解釈することができます。
「今のおまえのままでいろ」、「昔のおまえのようになれ」、
「俺の望むようになれ」などと人によって相反する要求をぶつけられるわけです。
「友達のようになれ」「宿敵のようになれ」もそうですし、
「泥にまみれて黒くなれ」「漂白剤で白くなれ」もそうです。
そしてこうした様々な相反する期待や要求をぶつけられることで、
その人物は疲弊し、社会への適応が難しくなっている状況なわけです。
そこでカートがその人物にこう語りかけるわけです。
「俺は銃なんか持っていないよ(=I don't have a gun)」と。
これはどういうことかと言うと、
「俺はおまえのことを攻撃しようなんて全く考えていない」
ということであり、「俺はおまえを受け止める」という言葉です。
なので、ヴァースとコーラスで場面が切り替わっているのですね。
ヴァースではある人物が他人から要求をぶつけられている場面が書かれ、
コーラスではカートがその人物に対して「受容」の姿勢を示すわけです。
なのでヴァースとコーラスの行間に
「こうしていろんな要求をぶつけられてきたんだろ」
のようなニュアンスが込められていると理解すると読みやすくなるでしょう。
さらにここでタイトルの"Come As You Are"が効いてくるわけです。
「俺はおまえに何も要求する気なんてない。あるがままでいればいい(=come as you are)」と。
カートが言っていた「期待されている人についての歌」という話と、
ブッチ・ヴィグの「そうした人を受け止める歌」という話がきれいに繋がるわけです。
カートは一見すると繋がりが見えにくい歌詞をあえて書きますが、
この曲における大事な2点を踏まえると、一気に解釈がクリアになります。
なので、この曲はカートがNirvanaの中で書いた歌詞の中でも
最も優しさを持ったものであると言ってもいいでしょう。
こうしたカートの側面は日本ではあまり知られてないところですよね。
そしてこの曲の歌詞は、ものすごく90年代らしいとも思わせてくれます。
90年代のミュージシャンは総じて「飾らない」という特徴がありました。
これは派手さや虚飾をアピールしがちだった80年代とは実に対照的です。
そしてこの曲では聴く者に「あるがままでいいんだよ。それを責める気なんてない」
と受け入れる姿勢を示すわけです。
「飾る必要なんてない。そのままでいい。弱くても混乱していてもいい。
俺はそのままで受け入れるよ」と語りかけているわけですね。
そう考えると、まさに90年代的なテーマを内包していることを実感しますね。
この曲を読むうえで重要になってくるのは、やはりasの扱いでしょう。
asは接続詞として、後ろに文の形(節)を取ることもできるし、
as a friendのようにシンプルに名詞を取ることもできます。
細かいことを言えば前者は接続詞で後者は前置詞だと言えますが、
それよりも「asは文の形も名詞も後ろに取ることができる」と理解するのがいいでしょう。
>Come as you are, as you were
そして和訳が最も難しいと感じられがちなのはこの部分でしょう。
asが「~のように」となるのはいいとして、その後ろが「主語+be動詞」だけなので、
慣れていない人はこれをどう解釈すればいいかを迷ってしまうのですよね。
この場合は時制に合わせて「(そのとき)主語がそうであったように」と考えればいいです。
as you wereと過去形なら「あなたがかつてそうだったように」と考え、
as you areと現在形なら「あなたが今そうであるように」と考えることができます。
この文では現在と過去をあえて並べていることから、
「今のおまえのままでいろ」「昔お前のようになれ」と解釈できます。
しかし、単独でcome as you areと出てくると、解釈に幅が生まれます。
というのも、現在形には「普遍的な変わらないもの」というイメージがあるため、
「今に限定した話」ではなく「本質についての話」という意味も持ちえます。
すなわち、「あるがままのおまえでいればいい」という訳にもなります。
タイトルとしてのcome as you areはこちらでとらえるのが適切でしょう。
そう考えると、この曲ではcome as you areという言葉の2つのニュアンスを上手く使っているわけですね。
>Come doused in mud, soaked in bleach
ここは直訳すると「泥の中に浸かれ、漂白剤に浸かれ」となりますが、
これだけでは何が言いたいのかわからず、単なる怖い言葉に見えます。
でもここの趣旨は「泥(=黒)」と「漂白剤(=白)」との対比にあります。
「黒くなれ」と「白くなれ」という要求が同時に浴びせられるという描写ですね。
>As a trend, as a friend
「なぜここで急に流行り物(=trend)が?」と思われるでしょうが、
これは単にtrendとfriendで韻を踏んだ言葉遊びの類いでしょう。
カート・コバーンは意外とこうした言葉遊びをしますからね。
なので、訳についてはあまり深く考えなくていいでしょう。
何の予備知識もなしにこの曲の歌詞を見た人は、
「なんだか矛盾した要求をひたすらぶつけてるわ、泥や漂白剤に浸かれとか言ってるわ、
唐突に銃は持ってないと言いだすわ、なんだかよくわからないけど怖い曲だな」
みたいになりがちですが、実際には怖い曲でも何でもないわけですね。
むしろ「俺はおまえがあるがままでいることを受け入れるよ」という受容の歌なのです。
今回のこの"Come As You Are"の和訳を読むことによって、
カート・コバーンの人となりへのイメージが変わった人もいると思います。
カートはしばしば単語だけを見るとギョッとする歌詞を書く人ですが、
そこに込められた意図を読んで理解すると実は深い言葉が多いのです。
今後もNirvanaのそうした歌詞の姿について伝えていきたいと思います。
ずっと「いずれNirvanaの歌詞対訳をしたい」と言っていましたが、
やっと第4回記事である今回になってNirvanaの和訳に挑戦しました。
自分がずっと和訳をしたいと思っていたNirvanaの曲が
この"Come As You Are"で、ただ自分の和訳の解釈が正しいと言えるのか、
という点に多少の不安がありましたが、当時のカート・コバーンなどの発言から、
適切な解釈ができそうだとの確信に至り、Nirvanaの和訳第1弾に選びました。
◎カート・コバーンの人となり
「Nirvanaの歌詞対訳をしたい」と思っていた最大の理由は、
日本においてNirvanaのソングライターでありフロントマンであった
カート・コバーンの人となりへの理解があまりに誤解に満ちていると感じていたためです。
英語圏の人達ならリアルタイムにカートの発言を多く聞いていて、
そこからカートの社会的な問題への見解や価値観を理解していたでしょうが、
日本だとそうした情報はどうしても伝わりにくくはなってしまうため、
日本盤のCDについている和訳ぐらいしか情報がないのですよね。
しかし、大抵の場合はCDについてる和訳はひどく雑で、
そこに込められた本当は意図は全然伝わらないのがほとんどです。
しかもカート・コバーンはわざと表面的にわかりにくい歌詞を書いたり、
彼の価値観を理解していないと逆の意味に理解しかねない曲も多いのです。
さらにカートは若くして自殺したこともあって、
変に物語化されて受け止められてしまうことも多く、
生身の彼の生き方や考え方が日本ではあまり伝わってないのですよね。
自分はそのことに対して以前から強い不満を持っていて、
それを変えるためにもカートの人となりや価値観をちゃんと伝えるため、
カートの本来の意図に沿った和訳をしたいと思っていたのです。
日本盤のCDの和訳では、カートは「何だか危ない人」にばかり見えますが、
彼はあえて極端な言葉を使うことがあれど、決してそういう人ではありません。
まずはこの"Come As You Are"の和訳で、多少なりともそれが伝わればと思っています。
◎Nirvana “Come As You Are”の概要

この曲はキーフレーズとなっている
"I don't have a gun"という言葉に関しては、
何を意図しているかはけっこう簡単に読むことができます。
しかし問題はそれ以外の部分の歌詞です。
ひたすら矛盾するような複数の要求が投げかけられるわけですが、
これは以下のように様々な解釈を取ることができます。
(1) カートがその相手に矛盾した複数の要求をしている
(2) その相手が(カート以外の)他人から複数の矛盾した要求をされていることの描写
(3) 複数の選択肢を提示し、それをどのように選ぶか委ねている
この疑問を解くのが、この曲に関するカート・コバーン本人と
アルバム"Nevermind"のプロデューサーをしたブッチ・ヴィグの発言です。
カート・コバーンの発言
>about people, and what they're expected to act like.
「これは人々についてのことで、彼らがどのように振る舞うかを期待されてることについての歌だ」
ということが語られている。
すなわち、「誰もが様々な人間から『こう振る舞え』と要求を投げつけられている」
というテーマが含まれていることがここから読み取れます。
これによって歌詞の大半の部分がどのような意図で書かれているかがわかります。
ブッチ・ヴィグの発言
>I think that song is about acceptance, and about misfits
>You're cool no matter how screwed up you are.
>‘Come As You Are’ is an ode to accepting someone for who they are.
「この歌は『受け入れる』ことについての歌であり、社会に適応できない人についてでもある」
「君がどんなに混乱させられていたとしても問題なんてないんだよ」
「'Come As You Are'はあるがままでいたいとする人を受け入れる歌なんだ」
この2人の発言によって、歌詞の読み取り方のピースはきれいに埋まります。
それをもとにしながら、実際の歌詞対訳へと取りかかっていきましょう。
Nirvana - Come As You Are (1991) [Grunge]
Nirvana - Come As You Are lyrics 歌詞和訳
Come as you are, as you were
今のおまえのままでいろよ いや、昔のおまえへと戻れよ
As I want you to be
とにかく俺が望むように振る舞ってくれ
As a friend, as a friend
友達のように、友達のようになってくれ
As an old enemy
いや、昔からの敵のようになってくれよ
Take your time, hurry up
ゆっくりしろ いや、急げよ
Choice is yours
どうするかはおまえが選べ
Don't be late, take a rest
遅れるな いや、休憩しろよ
As a friend, as an old memoria
友達のようになれ いや、昔の思い出のようになれよ
Memoria
思い出のように
Memoria
思い出のように
Memoria
思い出のように
Come doused in mud, soaked in bleach
泥に浸かって黒くなれ いや、漂白剤に浸かって白くなれよ
As I want you to be
とにかく俺が望むようになれよ
As a trend, as a friend
流行り物のようになれ いや、友達のようになれ
As an old memoria
いや、昔の思い出のようになれよ
Memoria
思い出のように
Memoria
思い出のように
Memoria
思い出のように
And I swear that I don't have a gun
ああ、誓うよ 俺はおまえに何か要求するつもりなんてないよ
No, I don't have a gun
ああ、俺はおまえを責めるつもりなんてない
No, I don't have a gun
そうさ、俺はおまえを責めるつもりなんてないんだ
Memoria
思い出のようになれよ
Memoria
思い出のようになれ
Memoria
思い出のようになれ
Memoria
思い出のようになれ
(No, I don't have a gun)
(気にするな 俺はおまえを責めるつもりなんてないから)
And I swear that I don't have a gun
誓うよ 俺はおまえに何か要求するつもりなんてない
No, I don't have a gun
ああ、俺はおまえを責めるつもりなんてない
No, I don't have a gun
ああ、俺はおまえを責めるつもりなんてない
No, I don't have a gun
ああ、俺はおまえを責めるつもりなんてない
No, I don't have a gun
そうさ、俺はおまえを責めるつもりなんてないんだ
◎Nirvana “Come As You Are”の歌詞和訳の解説
まずこの曲は全体の大きな意味をとらえないといけません。
そのために事前に触れたカート・コバーンとブッチ・ヴィグの発言趣旨をもとに
全体の持つ大きな流れと意味を探っていきましょう。
ヴァースの"Come as ~"と何度も連続して語られている部分は、
「ある人物が多くの他人から様々な要求や期待をぶつけられている」
場面の描写だと解釈することができます。
「今のおまえのままでいろ」、「昔のおまえのようになれ」、
「俺の望むようになれ」などと人によって相反する要求をぶつけられるわけです。
「友達のようになれ」「宿敵のようになれ」もそうですし、
「泥にまみれて黒くなれ」「漂白剤で白くなれ」もそうです。
そしてこうした様々な相反する期待や要求をぶつけられることで、
その人物は疲弊し、社会への適応が難しくなっている状況なわけです。
そこでカートがその人物にこう語りかけるわけです。
「俺は銃なんか持っていないよ(=I don't have a gun)」と。
これはどういうことかと言うと、
「俺はおまえのことを攻撃しようなんて全く考えていない」
ということであり、「俺はおまえを受け止める」という言葉です。
なので、ヴァースとコーラスで場面が切り替わっているのですね。
ヴァースではある人物が他人から要求をぶつけられている場面が書かれ、
コーラスではカートがその人物に対して「受容」の姿勢を示すわけです。
なのでヴァースとコーラスの行間に
「こうしていろんな要求をぶつけられてきたんだろ」
のようなニュアンスが込められていると理解すると読みやすくなるでしょう。
さらにここでタイトルの"Come As You Are"が効いてくるわけです。
「俺はおまえに何も要求する気なんてない。あるがままでいればいい(=come as you are)」と。
カートが言っていた「期待されている人についての歌」という話と、
ブッチ・ヴィグの「そうした人を受け止める歌」という話がきれいに繋がるわけです。
カートは一見すると繋がりが見えにくい歌詞をあえて書きますが、
この曲における大事な2点を踏まえると、一気に解釈がクリアになります。
なので、この曲はカートがNirvanaの中で書いた歌詞の中でも
最も優しさを持ったものであると言ってもいいでしょう。
こうしたカートの側面は日本ではあまり知られてないところですよね。
そしてこの曲の歌詞は、ものすごく90年代らしいとも思わせてくれます。
90年代のミュージシャンは総じて「飾らない」という特徴がありました。
これは派手さや虚飾をアピールしがちだった80年代とは実に対照的です。
そしてこの曲では聴く者に「あるがままでいいんだよ。それを責める気なんてない」
と受け入れる姿勢を示すわけです。
「飾る必要なんてない。そのままでいい。弱くても混乱していてもいい。
俺はそのままで受け入れるよ」と語りかけているわけですね。
そう考えると、まさに90年代的なテーマを内包していることを実感しますね。
◎文法事項の解説
この曲を読むうえで重要になってくるのは、やはりasの扱いでしょう。
asは接続詞として、後ろに文の形(節)を取ることもできるし、
as a friendのようにシンプルに名詞を取ることもできます。
細かいことを言えば前者は接続詞で後者は前置詞だと言えますが、
それよりも「asは文の形も名詞も後ろに取ることができる」と理解するのがいいでしょう。
>Come as you are, as you were
そして和訳が最も難しいと感じられがちなのはこの部分でしょう。
asが「~のように」となるのはいいとして、その後ろが「主語+be動詞」だけなので、
慣れていない人はこれをどう解釈すればいいかを迷ってしまうのですよね。
この場合は時制に合わせて「(そのとき)主語がそうであったように」と考えればいいです。
as you wereと過去形なら「あなたがかつてそうだったように」と考え、
as you areと現在形なら「あなたが今そうであるように」と考えることができます。
この文では現在と過去をあえて並べていることから、
「今のおまえのままでいろ」「昔お前のようになれ」と解釈できます。
しかし、単独でcome as you areと出てくると、解釈に幅が生まれます。
というのも、現在形には「普遍的な変わらないもの」というイメージがあるため、
「今に限定した話」ではなく「本質についての話」という意味も持ちえます。
すなわち、「あるがままのおまえでいればいい」という訳にもなります。
タイトルとしてのcome as you areはこちらでとらえるのが適切でしょう。
そう考えると、この曲ではcome as you areという言葉の2つのニュアンスを上手く使っているわけですね。
>Come doused in mud, soaked in bleach
ここは直訳すると「泥の中に浸かれ、漂白剤に浸かれ」となりますが、
これだけでは何が言いたいのかわからず、単なる怖い言葉に見えます。
でもここの趣旨は「泥(=黒)」と「漂白剤(=白)」との対比にあります。
「黒くなれ」と「白くなれ」という要求が同時に浴びせられるという描写ですね。
>As a trend, as a friend
「なぜここで急に流行り物(=trend)が?」と思われるでしょうが、
これは単にtrendとfriendで韻を踏んだ言葉遊びの類いでしょう。
カート・コバーンは意外とこうした言葉遊びをしますからね。
なので、訳についてはあまり深く考えなくていいでしょう。
◎まとめ
何の予備知識もなしにこの曲の歌詞を見た人は、
「なんだか矛盾した要求をひたすらぶつけてるわ、泥や漂白剤に浸かれとか言ってるわ、
唐突に銃は持ってないと言いだすわ、なんだかよくわからないけど怖い曲だな」
みたいになりがちですが、実際には怖い曲でも何でもないわけですね。
むしろ「俺はおまえがあるがままでいることを受け入れるよ」という受容の歌なのです。
今回のこの"Come As You Are"の和訳を読むことによって、
カート・コバーンの人となりへのイメージが変わった人もいると思います。
カートはしばしば単語だけを見るとギョッとする歌詞を書く人ですが、
そこに込められた意図を読んで理解すると実は深い言葉が多いのです。
今後もNirvanaのそうした歌詞の姿について伝えていきたいと思います。
ロックの歴史 第5回(1990年代前半)
前回の「ロックの歴史 第4回」で1980年代のアンダーグラウンドシーンについて
解説しましたが、これが基盤となって90年代の音楽が大きく動き始めます!
オルタナティブロックが徐々にメインストリームへと進出していく中、
1991年についにある曲がシーンを動かし、音楽界は一気に変わります!
今回はロックの歴史に残る巨大なムーブメントの流れを見ていきましょう!(`・ω・´)
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1991年が始まった頃はまだメインストリームシーンにおいてはポップメタルが隆盛を極めていたが、そこに風穴を開けるような動きが出始めてくる。オルタナティブロックの先駆者でもあるR.E.M.がその年にリリースしたアルバム"Out of Time"(アウト・オブ・タイム)は発売されてすぐに大きなヒットを記録し、最終的にアメリカ国内だけで400万枚のセールスを獲得した。
また、スラッシュメタルの元祖であったMetallicaは、それまでのスピード重視のメタルから方向性を変え、ヘヴィネスを強調したどっしりとしたサウンドを軸に据えたアルバムである"Metallica"を発表し、これが巨大なセールスを収めることに成功する。こうした流れを通じて、「オルタナティブでヘヴィなサウンドを求めるニーズ」が顕在化されつつあった。
そこに登場したのがNirvanaの"Smells Like Teen Spirit"(スメルズ・ライク・ティーン・スピリット)であった。この曲はMTVなどを通じてミュージックビデオが公開されるや否や人気が爆発し、アルバム"Nevermind"(ネヴァーマインド)も急速にチャートを駆け上がっていくことになった。これによって、シーンの主流はあっという間にオルタナティブロックが席巻していくこととなる。
Nirvanaのヒットに次いで、同じくシアトルシーンの出身であるPearl Jam[パール・ジャム]も大きなヒットを獲得し、さらにAlice in Chains[アリス・イン・チェインズ]やSoundgardenも成功を収めていった。シアトルのミュージックシーンは80年代後期まではBlack Flagからの影響を受けた「テンポが遅い地下臭の漂うハードコアパンクにメタルをミックスしたもの」が主流であったが、そこから音楽性が広がっていき、「音楽的なルーツはそれぞれ異なるものの、ダークでヘヴィなサウンドとシリアスなテーマ性」という共通性を帯びた緩やかなつながりを持つようになり、これらのサウンドがグランジ(Grunge)と総称されるようになっていく。
シアトル以外からも同様の音楽性を持ったバンド達がメインストリームに侵攻していき、グランジムーブメントはさらに進行していった。サンディエゴのStone Temple Pilots[ストーン・テンプル・パイロッツ]、シカゴのThe Smashing Pumpkins[スマッシング・パンプキンズ]、ロサンゼルスのBlind Melon[ブラインド・メロン]なども大きな成功を収めていく。
そしてこのグランジムーブメントを皮切りに、様々なオルタナティブロックがシーンに浮上していくこととなる。ファンクメタルの先駆者だったRed Hot Chili Peppersも1991年のアルバム"Blood Sugar Sex Magik"(ブラッド・シュガー・セックス・マジック)で巨大なセールスを収め、ファンクメタルもグランジと並ぶオルタナティブロックの主流としてシーンに定着していく。その流れで他のファンクメタルバンドもシーンに浮上すると同時に、変態ベーシストであるレス・クレイプール率いるPrimus[プライマス]やラップとLed Zeppelin的なハードロックを融合させ、社会的なテーマを扱ったRage Against the Machine[レイジ・アゲンスト・ザ・マシーン]なども大きなセールスを収めていった。
さらにコンピュータサウンドを多用しつつダークでヘヴィなサウンドを構築するインダストリアル・メタル(Industrial Metal)もシーンに大きく浮上していく。Ministry[ミニストリー]によって完成させられたこうしたサウンドは、その音楽性を受け継いだNine Inch Nails[ナイン・インチ・ネイルズ]のヒットによって、完全にシーンへと定着することに成功する。その後もNine Inch Nailsのトレント・レズナーの助力を得たMarilyn Manson[マリリン・マンソン]やWhite Zombie[ホワイトゾンビ]などのバンドが人気を獲得した。
またそれら以外に90年代に浮上したオルタナティブロックのミュージシャンとしてはBeck[ベック]やJeff Buckley[ジェフ・バックリー]などを挙げることができるだろう。
オルタナティブロックは全体的に攻撃的で実験的なサウンドを持つバンドが支配的ではあったが、その中にはThe Replacementsなどの流れを汲んだ、オーガニックで土の香りがするような温かいサウンドを持ったバンドも大きく含まれており、これらのバンドもシーンへと浮上していくこととなった。
Soul Asylum[ソウル・アサイラム]やThe Goo Goo Dolls[グー・グー・ドールズ]はその好例で、いずれももともとはハードコアパンクバンドだったが、徐々にそうした温かみのあるパンク由来のサウンドへ移行し、新たなアメリカンロックの形を提示することになった。パンクからの影響がそれほど強くないバンドとしてはCounting Crows[カウンティング・クロウズ]やDave Matthews Band[デイヴ・マシューズ・バンド]、Gin Blossoms[ジン・ブロッサムズ]などが大きなセールスを獲得していくことになる。また、80年代後期からThe Black Crowes[ブラック・クロウズ]やBlues Traveler[ブルース・トラベラー]、Spin Doctors[スピン・ドクターズ]などのルーツ志向の強いジャム系のバンドがポツポツと生まれており、これらのバンドを総称してアメリカン・トラッド・ロック(American Trad Rock)や大人向けのオルタナティブロックという意味でアダルト・オルタナティブ(Adult Alternative)と呼ぶようになっていった。また、90年代中盤に大きな人気を獲得した女性シンガーのSheryl Crow[シェリル・クロウ]もこのラインを代表する存在として語ることができるだろう。
またグランジムーブメントの拡大に伴い、グランジそのものとは言い難いものの、グランジからの影響を少なからず感じさせるオルタナティブロックバンドも数多く生まれていた。これらのバンドはポストグランジ(Post-Grunge)と呼ばれるようになる。その代表格であるLive[ライヴ]は2ndアルバムである"Throwing Copper"(スローイング・コッパー)で800万枚という巨大なセールスを収めることに成功する。また女性ヴォーカリストのAlanis Morissette[アラニス・モリセット]は1995年の"Jagged Little Pill"(ジャグド・リトル・ピル)で1000万枚を遥かに超えるセールスを記録する。他にもCollective Soul[コレクティヴ・ソウル]などもこのラインから浮上していく。また、Nirvanaの解散後に結成されたFoo Fighters[フー・ファイターズ]もこうした流れの中にあると見ることができる。
オルタナティブロックの中にはメタルの要素を強く取り入れたバンドも数多く存在していた。グランジの枠組みで浮上したAlice in ChainsやSoundgardenもそうであったし、またプログレッシブかつオルタナティブな感性とメタリックなサウンドを融合させたTool[トゥール]、ノイジーでありながら整合性を持ったメタリックなサウンドを鳴らしたHelmet[ヘルメット]、90年代中期以降の実験的なメタルを主導したDeftones[デフトーンズ]、ファンクメタル的な要素に重低音を強く効かせたゴリゴリとしたヘヴィサウンドを提示したKorn[コーン]などのバンドは、オルタナティブメタル(Alternative Metal)と呼ばれるようになっていく。
また、グランジやオルタナティブロックの浮上によって、80年代に主流を極めたポップメタルはメインストリームのシーンからの退場を余儀なくされることとなった。それに伴い、メタルの分野においても主流となるサウンドに大きな変化が起きてくる。Pantera[パンテラ]が90年のアルバム"Cowboys from Hell"(カウボーイズ・フロム・ヘル)でスラッシュメタルにさらなる重さと咆哮的なヴォーカルを重ね合わせたアルバムを発表したのを皮切りに、さらにMetallicaが1991年に示したヘヴィなサウンドの影響も加わり、80年代のポップメタルとは全く異なった、ヘヴィでザクザクとしたメタルサウンドがメタルシーンの中核を担っていくことになる。こうしたサウンドはグルーヴメタル(Groove Metal)と呼ばれるようになっていく。
シーンの先駆者であるPanteraだけにとどまらず、Machine Head[マシーン・ヘッド]やブラジルのSepultura[セパルトゥラ]などのバンドもシーンに浮上し、さらに80年代のメタルバンドもこうしたサウンドへと移行していくケースが数多く見られることとなった。シーンそのものはそこまで大きくならなかったものの、90年代中期以降のヘヴィロックに多大な影響を残したことは特筆されるべき点であろう。
また80年代中期から地下シーンにおいて様々な実験的なサウンドが試みられてきたことに伴い、メタルとパンクの双方において音楽性の極端化を目指す動きも顕在化してくる。その先鞭ともなったのがNapalm Death[ナパーム・デス]で、ハードコアパンクのスピードを極端なレベルにまで速め、もはや音楽と評していいのかわからないレベルのエクストリームなサウンドを完成させる。これはグラインドコア(Grindcore)と呼ばれることになる。こうした動きはメタルにも派生し、グラインドコアと同様の要素をメタルに持ち込んだデスメタル(Death Metal)が生まれることとなった。
これらはテンポをひたすら速めることによって攻撃性を高めることを狙う方向性であったが、同時にそれとは全く逆の方向の極端化を目指す動きも登場してくる。そうした流れの中から生まれたのがドゥームメタル(Doom Metal)、ストーナーロック(Stoner Rock)、スラッジメタル(Sludge Metal)であった。
ドゥームメタルは端的に言えば、Black Sabbath直系のドロドロとしたスローなヘヴィメタルである。ドゥームメタルは80年代中期からTrouble[トラブル]、Candlemass[キャンドルマス]、Saint Vitus[セイント・ヴィータス]といったバンドによってシーンが形成されていったが、そこに最も大きなインパクトを与えたのはCathedral[カテドラル]であろう。CathedralはNapalm Deathにいたリー・ドリアンによって結成されたバンドで、Black Sabbathを徹底して煮詰めたようなドロドロとしたサウンドを構築していく。リー・ドリアンはNapalm Deathという速さを追求したバンドから、今度は逆に遅さと重さを追求する方向へと向かったのである。
ストーナーロックは「マリファナ中毒者のロック」を意味したもので、ドゥームメタルと同様にBlack Sabbathからの影響を受けてはいるものの、それ以上に60年代ヘヴィサイケを代表するBlue Cheerや70年代にスペーシーなサウンドを指向したHawkwind[ホークウィンド]からの影響が強く、強い酩酊感とドライブ感をともなったサウンドを特徴としている。その直接的な開祖はKyuss[カイアス]とされ、他にもMonster Magnet[モンスター・マグネット]やFu Manchu[フー・マンチュ]などがその代表的なバンドとして数えられる。また、Kyussの解散後に結成されたQueens of the Stone Age[クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ]はストーナー的なサウンドを継承しながら、商業的な成功を収めている。
スラッジメタルは名前こそメタルではあるものの、むしろハードコアパンクの流れから生まれたジャンルである。グランジと同様にBlack Flagが提示した「遅くてヘヴィなハードコア」を直接的なルーツとしており、ここにノイジーなポストパンクであったSwans[スワンズ]やFlipper[フリッパー]の影響を重ね合わせたサウンドとなっている。スラッジメタルを語るうえで欠かせない存在といえば、まずはMelvinsであろう。グランジの黎明期を支えたバンドでもあるMelvinsは、他のグランジバンドとは異なり、その後も大衆的な要素を取り入れていこうとはせず、ひたすらアンダーグラウンド的なヘヴィネスを追求し、このスラッジメタルの直接的なルーツとなっていく。その後はEyehategod[アイヘイトゴッド]などもこのジャンルを代表する存在として浮上していく。
これらのジャンルからはさらなる極端化を目指し、徹底的に遅く弛緩したサウンドを追求するバンドも生まれてきた。その代表格がEarth[アース]であり、彼らの1993年の作品である"Earth 2 -special low frequency version-"はそうした極端化の究極の形として語られることも多い。このあたりになると、もはや相当なマニアでもない限りは受け入れることが難しくなってくるであろう。
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こうして音楽の歴史に残る最大のムーブメントの一つである
オルタナティブロックによるシーンの変革が巻き起こりました!
そしてそれに沿う形でメタルの世界も大きな変化が起こりました!
これによって90年代の音楽シーンは80年代とは一気に変わります!
次回はこの「オルタナティブムーブメント後のシーン」を見ていきます!(゚x/)
【関連記事】
・ロックの歴史 第6回(2000年代前半まで)
・ロックの歴史 第5回(1990年代前半)
・ロックの歴史 第4回(1980年代のアンダーグラウンドシーン)
・ロックの歴史 第3回(1980年代のメインストリームシーン)
・ロックの歴史 第2回(1970年代)
・ロックの歴史 第1回(1960年代)
解説しましたが、これが基盤となって90年代の音楽が大きく動き始めます!
オルタナティブロックが徐々にメインストリームへと進出していく中、
1991年についにある曲がシーンを動かし、音楽界は一気に変わります!
今回はロックの歴史に残る巨大なムーブメントの流れを見ていきましょう!(`・ω・´)
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◎グランジムーブメントとオルタナティブロックの隆盛(90年代前半)
1991年が始まった頃はまだメインストリームシーンにおいてはポップメタルが隆盛を極めていたが、そこに風穴を開けるような動きが出始めてくる。オルタナティブロックの先駆者でもあるR.E.M.がその年にリリースしたアルバム"Out of Time"(アウト・オブ・タイム)は発売されてすぐに大きなヒットを記録し、最終的にアメリカ国内だけで400万枚のセールスを獲得した。
また、スラッシュメタルの元祖であったMetallicaは、それまでのスピード重視のメタルから方向性を変え、ヘヴィネスを強調したどっしりとしたサウンドを軸に据えたアルバムである"Metallica"を発表し、これが巨大なセールスを収めることに成功する。こうした流れを通じて、「オルタナティブでヘヴィなサウンドを求めるニーズ」が顕在化されつつあった。
そこに登場したのがNirvanaの"Smells Like Teen Spirit"(スメルズ・ライク・ティーン・スピリット)であった。この曲はMTVなどを通じてミュージックビデオが公開されるや否や人気が爆発し、アルバム"Nevermind"(ネヴァーマインド)も急速にチャートを駆け上がっていくことになった。これによって、シーンの主流はあっという間にオルタナティブロックが席巻していくこととなる。
Nirvanaのヒットに次いで、同じくシアトルシーンの出身であるPearl Jam[パール・ジャム]も大きなヒットを獲得し、さらにAlice in Chains[アリス・イン・チェインズ]やSoundgardenも成功を収めていった。シアトルのミュージックシーンは80年代後期まではBlack Flagからの影響を受けた「テンポが遅い地下臭の漂うハードコアパンクにメタルをミックスしたもの」が主流であったが、そこから音楽性が広がっていき、「音楽的なルーツはそれぞれ異なるものの、ダークでヘヴィなサウンドとシリアスなテーマ性」という共通性を帯びた緩やかなつながりを持つようになり、これらのサウンドがグランジ(Grunge)と総称されるようになっていく。
シアトル以外からも同様の音楽性を持ったバンド達がメインストリームに侵攻していき、グランジムーブメントはさらに進行していった。サンディエゴのStone Temple Pilots[ストーン・テンプル・パイロッツ]、シカゴのThe Smashing Pumpkins[スマッシング・パンプキンズ]、ロサンゼルスのBlind Melon[ブラインド・メロン]なども大きな成功を収めていく。
そしてこのグランジムーブメントを皮切りに、様々なオルタナティブロックがシーンに浮上していくこととなる。ファンクメタルの先駆者だったRed Hot Chili Peppersも1991年のアルバム"Blood Sugar Sex Magik"(ブラッド・シュガー・セックス・マジック)で巨大なセールスを収め、ファンクメタルもグランジと並ぶオルタナティブロックの主流としてシーンに定着していく。その流れで他のファンクメタルバンドもシーンに浮上すると同時に、変態ベーシストであるレス・クレイプール率いるPrimus[プライマス]やラップとLed Zeppelin的なハードロックを融合させ、社会的なテーマを扱ったRage Against the Machine[レイジ・アゲンスト・ザ・マシーン]なども大きなセールスを収めていった。
さらにコンピュータサウンドを多用しつつダークでヘヴィなサウンドを構築するインダストリアル・メタル(Industrial Metal)もシーンに大きく浮上していく。Ministry[ミニストリー]によって完成させられたこうしたサウンドは、その音楽性を受け継いだNine Inch Nails[ナイン・インチ・ネイルズ]のヒットによって、完全にシーンへと定着することに成功する。その後もNine Inch Nailsのトレント・レズナーの助力を得たMarilyn Manson[マリリン・マンソン]やWhite Zombie[ホワイトゾンビ]などのバンドが人気を獲得した。
またそれら以外に90年代に浮上したオルタナティブロックのミュージシャンとしてはBeck[ベック]やJeff Buckley[ジェフ・バックリー]などを挙げることができるだろう。
オルタナティブロックは全体的に攻撃的で実験的なサウンドを持つバンドが支配的ではあったが、その中にはThe Replacementsなどの流れを汲んだ、オーガニックで土の香りがするような温かいサウンドを持ったバンドも大きく含まれており、これらのバンドもシーンへと浮上していくこととなった。
Soul Asylum[ソウル・アサイラム]やThe Goo Goo Dolls[グー・グー・ドールズ]はその好例で、いずれももともとはハードコアパンクバンドだったが、徐々にそうした温かみのあるパンク由来のサウンドへ移行し、新たなアメリカンロックの形を提示することになった。パンクからの影響がそれほど強くないバンドとしてはCounting Crows[カウンティング・クロウズ]やDave Matthews Band[デイヴ・マシューズ・バンド]、Gin Blossoms[ジン・ブロッサムズ]などが大きなセールスを獲得していくことになる。また、80年代後期からThe Black Crowes[ブラック・クロウズ]やBlues Traveler[ブルース・トラベラー]、Spin Doctors[スピン・ドクターズ]などのルーツ志向の強いジャム系のバンドがポツポツと生まれており、これらのバンドを総称してアメリカン・トラッド・ロック(American Trad Rock)や大人向けのオルタナティブロックという意味でアダルト・オルタナティブ(Adult Alternative)と呼ぶようになっていった。また、90年代中盤に大きな人気を獲得した女性シンガーのSheryl Crow[シェリル・クロウ]もこのラインを代表する存在として語ることができるだろう。
またグランジムーブメントの拡大に伴い、グランジそのものとは言い難いものの、グランジからの影響を少なからず感じさせるオルタナティブロックバンドも数多く生まれていた。これらのバンドはポストグランジ(Post-Grunge)と呼ばれるようになる。その代表格であるLive[ライヴ]は2ndアルバムである"Throwing Copper"(スローイング・コッパー)で800万枚という巨大なセールスを収めることに成功する。また女性ヴォーカリストのAlanis Morissette[アラニス・モリセット]は1995年の"Jagged Little Pill"(ジャグド・リトル・ピル)で1000万枚を遥かに超えるセールスを記録する。他にもCollective Soul[コレクティヴ・ソウル]などもこのラインから浮上していく。また、Nirvanaの解散後に結成されたFoo Fighters[フー・ファイターズ]もこうした流れの中にあると見ることができる。
◎オルタナティブロック時代のメタルやパンクの変化(80年代後半から90年代前半)
オルタナティブロックの中にはメタルの要素を強く取り入れたバンドも数多く存在していた。グランジの枠組みで浮上したAlice in ChainsやSoundgardenもそうであったし、またプログレッシブかつオルタナティブな感性とメタリックなサウンドを融合させたTool[トゥール]、ノイジーでありながら整合性を持ったメタリックなサウンドを鳴らしたHelmet[ヘルメット]、90年代中期以降の実験的なメタルを主導したDeftones[デフトーンズ]、ファンクメタル的な要素に重低音を強く効かせたゴリゴリとしたヘヴィサウンドを提示したKorn[コーン]などのバンドは、オルタナティブメタル(Alternative Metal)と呼ばれるようになっていく。
また、グランジやオルタナティブロックの浮上によって、80年代に主流を極めたポップメタルはメインストリームのシーンからの退場を余儀なくされることとなった。それに伴い、メタルの分野においても主流となるサウンドに大きな変化が起きてくる。Pantera[パンテラ]が90年のアルバム"Cowboys from Hell"(カウボーイズ・フロム・ヘル)でスラッシュメタルにさらなる重さと咆哮的なヴォーカルを重ね合わせたアルバムを発表したのを皮切りに、さらにMetallicaが1991年に示したヘヴィなサウンドの影響も加わり、80年代のポップメタルとは全く異なった、ヘヴィでザクザクとしたメタルサウンドがメタルシーンの中核を担っていくことになる。こうしたサウンドはグルーヴメタル(Groove Metal)と呼ばれるようになっていく。
シーンの先駆者であるPanteraだけにとどまらず、Machine Head[マシーン・ヘッド]やブラジルのSepultura[セパルトゥラ]などのバンドもシーンに浮上し、さらに80年代のメタルバンドもこうしたサウンドへと移行していくケースが数多く見られることとなった。シーンそのものはそこまで大きくならなかったものの、90年代中期以降のヘヴィロックに多大な影響を残したことは特筆されるべき点であろう。
また80年代中期から地下シーンにおいて様々な実験的なサウンドが試みられてきたことに伴い、メタルとパンクの双方において音楽性の極端化を目指す動きも顕在化してくる。その先鞭ともなったのがNapalm Death[ナパーム・デス]で、ハードコアパンクのスピードを極端なレベルにまで速め、もはや音楽と評していいのかわからないレベルのエクストリームなサウンドを完成させる。これはグラインドコア(Grindcore)と呼ばれることになる。こうした動きはメタルにも派生し、グラインドコアと同様の要素をメタルに持ち込んだデスメタル(Death Metal)が生まれることとなった。
これらはテンポをひたすら速めることによって攻撃性を高めることを狙う方向性であったが、同時にそれとは全く逆の方向の極端化を目指す動きも登場してくる。そうした流れの中から生まれたのがドゥームメタル(Doom Metal)、ストーナーロック(Stoner Rock)、スラッジメタル(Sludge Metal)であった。
ドゥームメタルは端的に言えば、Black Sabbath直系のドロドロとしたスローなヘヴィメタルである。ドゥームメタルは80年代中期からTrouble[トラブル]、Candlemass[キャンドルマス]、Saint Vitus[セイント・ヴィータス]といったバンドによってシーンが形成されていったが、そこに最も大きなインパクトを与えたのはCathedral[カテドラル]であろう。CathedralはNapalm Deathにいたリー・ドリアンによって結成されたバンドで、Black Sabbathを徹底して煮詰めたようなドロドロとしたサウンドを構築していく。リー・ドリアンはNapalm Deathという速さを追求したバンドから、今度は逆に遅さと重さを追求する方向へと向かったのである。
ストーナーロックは「マリファナ中毒者のロック」を意味したもので、ドゥームメタルと同様にBlack Sabbathからの影響を受けてはいるものの、それ以上に60年代ヘヴィサイケを代表するBlue Cheerや70年代にスペーシーなサウンドを指向したHawkwind[ホークウィンド]からの影響が強く、強い酩酊感とドライブ感をともなったサウンドを特徴としている。その直接的な開祖はKyuss[カイアス]とされ、他にもMonster Magnet[モンスター・マグネット]やFu Manchu[フー・マンチュ]などがその代表的なバンドとして数えられる。また、Kyussの解散後に結成されたQueens of the Stone Age[クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ]はストーナー的なサウンドを継承しながら、商業的な成功を収めている。
スラッジメタルは名前こそメタルではあるものの、むしろハードコアパンクの流れから生まれたジャンルである。グランジと同様にBlack Flagが提示した「遅くてヘヴィなハードコア」を直接的なルーツとしており、ここにノイジーなポストパンクであったSwans[スワンズ]やFlipper[フリッパー]の影響を重ね合わせたサウンドとなっている。スラッジメタルを語るうえで欠かせない存在といえば、まずはMelvinsであろう。グランジの黎明期を支えたバンドでもあるMelvinsは、他のグランジバンドとは異なり、その後も大衆的な要素を取り入れていこうとはせず、ひたすらアンダーグラウンド的なヘヴィネスを追求し、このスラッジメタルの直接的なルーツとなっていく。その後はEyehategod[アイヘイトゴッド]などもこのジャンルを代表する存在として浮上していく。
これらのジャンルからはさらなる極端化を目指し、徹底的に遅く弛緩したサウンドを追求するバンドも生まれてきた。その代表格がEarth[アース]であり、彼らの1993年の作品である"Earth 2 -special low frequency version-"はそうした極端化の究極の形として語られることも多い。このあたりになると、もはや相当なマニアでもない限りは受け入れることが難しくなってくるであろう。
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こうして音楽の歴史に残る最大のムーブメントの一つである
オルタナティブロックによるシーンの変革が巻き起こりました!
そしてそれに沿う形でメタルの世界も大きな変化が起こりました!
これによって90年代の音楽シーンは80年代とは一気に変わります!
次回はこの「オルタナティブムーブメント後のシーン」を見ていきます!(゚x/)
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・ロックの歴史 第6回(2000年代前半まで)
・ロックの歴史 第5回(1990年代前半)
・ロックの歴史 第4回(1980年代のアンダーグラウンドシーン)
・ロックの歴史 第3回(1980年代のメインストリームシーン)
・ロックの歴史 第2回(1970年代)
・ロックの歴史 第1回(1960年代)