とりあえずの生き甲斐を捨てて
カップ麺コラムではない、普通のコラムも始めることにしました!
まぁ例によって、内省的なコラムになることは目に見えていますが!
人間、何か大きな趣味を持つことなどによって、
それを生き甲斐として生きていくことがよくあります。
たとえばラーメンオタクの人にとっては
ラーメンの食べ歩きは趣味であると同時に生き甲斐でしょう。
何かのスポーツが生き甲斐の人、あるバンドが生き甲斐の人、
ゲームをするのが生き甲斐の人、様々な人がいるでしょう。
一方で人間にはそうした「周縁的な趣味」とはまた異なった、
人生の核になる部分、仕事、家庭といった要素もあります。
人生の核になる部分がそのまま趣味、生き甲斐になればいいのですが、
なかなかそうはならず、その核の外側に生き甲斐を持つ人は多いでしょう。
一方で人生の周縁的な部分がひたすら拡大していけば、
核となる友人や恋人関係、家庭をないがしろにすることもあり、
両者の間でどのようにバランスを取るのかは難しい問題でもあります。
さらには核となる足元の仕事や家庭などが安定していないのに、
周縁的な部分での活動、趣味活動ばかりが大きくなる人もいるでしょう。
本来であれば、人生の核となる部分に生き甲斐を持つべきはずが、
それを持つことができずに、生き甲斐を人生の周縁部に頼ってしまう、
こうした生き甲斐のことを、「とりあえずの生き甲斐」と呼ぶことにします。
自分にもかつて「とりあえずの生き甲斐」と呼べるものがありました。
古くからの読者の方はご存じの通り、ラーメンの食べ歩きです。
当時は仕事の関係で阿倍野に定期的に出る必要があったので、
鉄道が利用しやすく、空いた時間にどこかのお店でラーメンを食べる、
これを阿倍野に行くときの日課のようにしていることがありました。
そして、自分の人生の核となる部分は「まあいいや」と横に置いて、
「いろんなラーメンを食べて、ラーメンに対する知識を増やすぞ」
ということを紛れもない生き甲斐にして過ごしていました。
思えばこのときは心理的には非常に幸せではありました。
行くべきお店を一つクリアするたびに達成感を味わえる、
「あそこにも行けた、あのお店にも行った」と自信が持て、
それをブログに書くことで実にいいサイクルが生まれていました。
それが崩れ始めたのが2016年の10月頃でした。
阿倍野方面での仕事で過剰なストレスがかかり始めた頃です。
極度の緊張状態につねに置かれて自律神経失調症になり、
12月にはつねに微熱、倦怠感、慢性的な下痢に悩まされ、
それは改善されることなく2017年2月にはさらに悪化しました。
そして2月下旬にさらに問題が拡大したことによって、
「もう自分の力では続けられない」と思ってその件は辞めました。
このときの精神的なダメージは大きく、
微熱は3月下旬ぐらいには治ってはきましたが、
急にめまいがしたり、何もないのにすぐに熱が上がったり、
自分が眠れているのかすらまともに自覚できない日々でした。
別の仕事は続けてましたが、それ以外の日常生活がまともに送れないほどでした。
この不調は4月の造幣局の桜の通り抜けへの訪問でかなり良くなり、
それからは「やれることを少しずつ増やしていこう」と決めて、
月ごとに何らかの課題をクリアして日常生活を取り戻していく、
そうした回復を目指した生活が2018年の1月まで続きました。
その頃には症状も全て治まり、日常生活に困難はなくなりました。
しかし2018年の1月にネットの友人4人と会ったときに、
「こうした回復過程を目指した生活にはピリオドを打とう」
と思ったのです。
「もうその段階は過ぎた、もう一度人生の足元を固める時期だ」と。
ラーメンの話がすっかり消えましたが、阿倍野の仕事をやめたことで、
仕事は自転車で行ける範囲のものばかりになってしまったのです。
そうなれば、必然的に大阪市内などのお店に行く機会は減ります。
それでもラーメン店の訪問数を減らしたくない思いはありましたが、
自転車で行ける範囲のチェーン店などに行く機会が増えるにつれて、
ラーメン店へ行くモチベーションはだんだんと下がっていきました。
そして大阪で100店舗訪問をきっかけに、
「もう無理にラーメン屋巡りをするのはやめよう」
となりました。
言い換えると、阿倍野の仕事の終わり頃までは
ラーメン店巡りが自分にとっての「とりあえずの生き甲斐」で、
それ以降2018年1月までは「日常生活を取り戻すこと」が生き甲斐でした。
両者にピリオドを打ったことで、
2018年2月からは「とりあえずの生き甲斐」がない生活が始まります。
その影響は驚くほどに顕著でした。
明らかに精神的な落ち込みが以前よりも大きくなったのです。
自分の人生の足元を、核の部分を構築するのは非常に大事なことです。
2018年は2月3月にもあれこれ試行錯誤してどうすればいいか考え、
5月に大きな着想を得て、それが8~10月に花開いて大きな効果を得ました。
間違いなく、2018年の「自分の足元への集中」は成功だったのです。
そうであるにもかかわらず、日々の楽しい感情は大きく減りました。
「とりあえずの生き甲斐」があるときは、たとえ足元が不安定でも、
「自分には生き甲斐があるし、そのために生きるんだ」と思えるものです。
生き甲斐を得た瞬間に、人は自分の人生に意義を感じることができますから。
たとえそれが人生の周縁部にある「とりあえずの生き甲斐」であっても。
思えば「推し活」ブームにも似たようなところがあるのでしょう。
はっきり言って、推し活に人生の核にとっての重要な意義などありません。
しかし、間違いなく「とりあえずの生き甲斐」を与えてくれるでしょう。
自分の人生の核や足元の部分からだけでは十分な生き甲斐が得られない、
だからこそ精神的な充足感を得るために「とりあえずの生き甲斐」を作る、
冷静に考えると空虚なはずの「推し活」がここまで人気となったのは、
「どんな形でもいいから生き甲斐だと思えるものが欲しい」との思いの表れなのでしょう。
本当のことなのかどうかはわかりませんが、
「自分のことを考える時間が長い人はメンタルが苦しくなりがちである」
という説があるようです。
これはまさに今回の「とりあえずの生き甲斐」の話と大きく繋がっています。
自分の人生の核の部分や足元の部分を固めるということは、
「自分自身について深く考える」ということに他なりません。
「とりあえずの生き甲斐はいったん捨てて、自分のことに集中しよう」
というのは、「自分以外のことを考えたり楽しんだりするのはやめて、
自分のことを考える時間を増やそう」ということになるわけです。
これはまさに2018年2月以降の自分の精神的な状況に当てはまります。
「自分の人生を良くするには、自分について考えないといけない」、
「自分のことを考える時間が長すぎると、メンタルが苦しくなる」、
この2つの狭間で人はいったいどのようにバランスを取ればいいのでしょう。
そしてこの状況はまさに今の自分にも当てはまっているのです。
2018年1月以降、自分はあえて「とりあえずの生き甲斐」を作ろうとはしませんでした。
いや、「とりあえずの生き甲斐にしたいものが特に見つからない」のかもしれません。
しかしそれでも、自分には間違いなく大事な生き甲斐がありました。
それは2021年10月に亡くなったにゃんこです。
「とりあえずの生き甲斐」すらなく、紛れもない生き甲斐だった存在も失った、
この数ヶ月の自分の足掻きは「生き甲斐が見出すことができない」からでもあるのでしょう。
そしてにゃんこを失って以来、「死」という概念について考える日々が続いています。
死について考えることは、人生について考えることであり、
それは当然ながら自分自身について考えることでもあります。
そう、延々と自分のことばかりを考える時間が今の自分は続いているのです。
先の説が正しいのならば、精神的に足掻くことになるのは必然的と言えます。
一方でこのブログで始めた新企画「深海・BOLERO考察」は、
徹底的に自分について、死について考えるという行為を
「とりあえずの生き甲斐」にまでせんとする足掻きかもしれません。
たしかにこの新企画の記事が一つ完成するたびに感じる喜びは
ここ数年の間ずっと忘れていたような感覚のものでしたから。
一方で別のネット活動で「自分の言葉を必要としてくれる人が意外に多い」
ことを知り、「それならば別の表現活動も考えてみては良いのでは」
というアイデアが自分の中にあったりもします。
「深海・BOLERO考察」が終了した後に動き出す可能性もあるでしょう。
それは果たして「とりあえずの生き甲斐」になるのか、
それとも「人生の核としての生き甲斐」になるのか、
はたまた自分の人生を考える中で今年新たな生き甲斐を得られるのか、
それについてはまだわかりません。
2018年以降の「とりあえずの生き甲斐」を捨てて以降の生活は、
確実に果実をもたらした一方で、楽しさを失うことにもなりました。
自分の生活の足元を固めるために、
「とりあえずの生き甲斐」を捨てるべきときはあるでしょう。
現実逃避のように「とりあえずの生き甲斐」にすがるときもあるでしょう。
あなたは自らの「とりあえずの生き甲斐」とどんな関係を築きますか?
まぁ例によって、内省的なコラムになることは目に見えていますが!
◎とりあえずの生き甲斐
人間、何か大きな趣味を持つことなどによって、
それを生き甲斐として生きていくことがよくあります。
たとえばラーメンオタクの人にとっては
ラーメンの食べ歩きは趣味であると同時に生き甲斐でしょう。
何かのスポーツが生き甲斐の人、あるバンドが生き甲斐の人、
ゲームをするのが生き甲斐の人、様々な人がいるでしょう。
一方で人間にはそうした「周縁的な趣味」とはまた異なった、
人生の核になる部分、仕事、家庭といった要素もあります。
人生の核になる部分がそのまま趣味、生き甲斐になればいいのですが、
なかなかそうはならず、その核の外側に生き甲斐を持つ人は多いでしょう。
一方で人生の周縁的な部分がひたすら拡大していけば、
核となる友人や恋人関係、家庭をないがしろにすることもあり、
両者の間でどのようにバランスを取るのかは難しい問題でもあります。
さらには核となる足元の仕事や家庭などが安定していないのに、
周縁的な部分での活動、趣味活動ばかりが大きくなる人もいるでしょう。
本来であれば、人生の核となる部分に生き甲斐を持つべきはずが、
それを持つことができずに、生き甲斐を人生の周縁部に頼ってしまう、
こうした生き甲斐のことを、「とりあえずの生き甲斐」と呼ぶことにします。
◎「ラーメンの食べ歩き」を生き甲斐に
自分にもかつて「とりあえずの生き甲斐」と呼べるものがありました。
古くからの読者の方はご存じの通り、ラーメンの食べ歩きです。
当時は仕事の関係で阿倍野に定期的に出る必要があったので、
鉄道が利用しやすく、空いた時間にどこかのお店でラーメンを食べる、
これを阿倍野に行くときの日課のようにしていることがありました。
そして、自分の人生の核となる部分は「まあいいや」と横に置いて、
「いろんなラーメンを食べて、ラーメンに対する知識を増やすぞ」
ということを紛れもない生き甲斐にして過ごしていました。
思えばこのときは心理的には非常に幸せではありました。
行くべきお店を一つクリアするたびに達成感を味わえる、
「あそこにも行けた、あのお店にも行った」と自信が持て、
それをブログに書くことで実にいいサイクルが生まれていました。
◎崩壊への道筋と回復
それが崩れ始めたのが2016年の10月頃でした。
阿倍野方面での仕事で過剰なストレスがかかり始めた頃です。
極度の緊張状態につねに置かれて自律神経失調症になり、
12月にはつねに微熱、倦怠感、慢性的な下痢に悩まされ、
それは改善されることなく2017年2月にはさらに悪化しました。
そして2月下旬にさらに問題が拡大したことによって、
「もう自分の力では続けられない」と思ってその件は辞めました。
このときの精神的なダメージは大きく、
微熱は3月下旬ぐらいには治ってはきましたが、
急にめまいがしたり、何もないのにすぐに熱が上がったり、
自分が眠れているのかすらまともに自覚できない日々でした。
別の仕事は続けてましたが、それ以外の日常生活がまともに送れないほどでした。
この不調は4月の造幣局の桜の通り抜けへの訪問でかなり良くなり、
それからは「やれることを少しずつ増やしていこう」と決めて、
月ごとに何らかの課題をクリアして日常生活を取り戻していく、
そうした回復を目指した生活が2018年の1月まで続きました。
その頃には症状も全て治まり、日常生活に困難はなくなりました。
◎「とりあえずの生き甲斐」に別れを告げて
しかし2018年の1月にネットの友人4人と会ったときに、
「こうした回復過程を目指した生活にはピリオドを打とう」
と思ったのです。
「もうその段階は過ぎた、もう一度人生の足元を固める時期だ」と。
ラーメンの話がすっかり消えましたが、阿倍野の仕事をやめたことで、
仕事は自転車で行ける範囲のものばかりになってしまったのです。
そうなれば、必然的に大阪市内などのお店に行く機会は減ります。
それでもラーメン店の訪問数を減らしたくない思いはありましたが、
自転車で行ける範囲のチェーン店などに行く機会が増えるにつれて、
ラーメン店へ行くモチベーションはだんだんと下がっていきました。
そして大阪で100店舗訪問をきっかけに、
「もう無理にラーメン屋巡りをするのはやめよう」
となりました。
言い換えると、阿倍野の仕事の終わり頃までは
ラーメン店巡りが自分にとっての「とりあえずの生き甲斐」で、
それ以降2018年1月までは「日常生活を取り戻すこと」が生き甲斐でした。
両者にピリオドを打ったことで、
2018年2月からは「とりあえずの生き甲斐」がない生活が始まります。
◎「とりあえずの生き甲斐」のない生活
その影響は驚くほどに顕著でした。
明らかに精神的な落ち込みが以前よりも大きくなったのです。
自分の人生の足元を、核の部分を構築するのは非常に大事なことです。
2018年は2月3月にもあれこれ試行錯誤してどうすればいいか考え、
5月に大きな着想を得て、それが8~10月に花開いて大きな効果を得ました。
間違いなく、2018年の「自分の足元への集中」は成功だったのです。
そうであるにもかかわらず、日々の楽しい感情は大きく減りました。
「とりあえずの生き甲斐」があるときは、たとえ足元が不安定でも、
「自分には生き甲斐があるし、そのために生きるんだ」と思えるものです。
生き甲斐を得た瞬間に、人は自分の人生に意義を感じることができますから。
たとえそれが人生の周縁部にある「とりあえずの生き甲斐」であっても。
◎「推し活」ブーム
思えば「推し活」ブームにも似たようなところがあるのでしょう。
はっきり言って、推し活に人生の核にとっての重要な意義などありません。
しかし、間違いなく「とりあえずの生き甲斐」を与えてくれるでしょう。
自分の人生の核や足元の部分からだけでは十分な生き甲斐が得られない、
だからこそ精神的な充足感を得るために「とりあえずの生き甲斐」を作る、
冷静に考えると空虚なはずの「推し活」がここまで人気となったのは、
「どんな形でもいいから生き甲斐だと思えるものが欲しい」との思いの表れなのでしょう。
◎自分のことを考える時間が長い人
本当のことなのかどうかはわかりませんが、
「自分のことを考える時間が長い人はメンタルが苦しくなりがちである」
という説があるようです。
これはまさに今回の「とりあえずの生き甲斐」の話と大きく繋がっています。
自分の人生の核の部分や足元の部分を固めるということは、
「自分自身について深く考える」ということに他なりません。
「とりあえずの生き甲斐はいったん捨てて、自分のことに集中しよう」
というのは、「自分以外のことを考えたり楽しんだりするのはやめて、
自分のことを考える時間を増やそう」ということになるわけです。
これはまさに2018年2月以降の自分の精神的な状況に当てはまります。
「自分の人生を良くするには、自分について考えないといけない」、
「自分のことを考える時間が長すぎると、メンタルが苦しくなる」、
この2つの狭間で人はいったいどのようにバランスを取ればいいのでしょう。
◎生き甲斐なき「自分」から離れられない
そしてこの状況はまさに今の自分にも当てはまっているのです。
2018年1月以降、自分はあえて「とりあえずの生き甲斐」を作ろうとはしませんでした。
いや、「とりあえずの生き甲斐にしたいものが特に見つからない」のかもしれません。
しかしそれでも、自分には間違いなく大事な生き甲斐がありました。
それは2021年10月に亡くなったにゃんこです。
「とりあえずの生き甲斐」すらなく、紛れもない生き甲斐だった存在も失った、
この数ヶ月の自分の足掻きは「生き甲斐が見出すことができない」からでもあるのでしょう。
そしてにゃんこを失って以来、「死」という概念について考える日々が続いています。
死について考えることは、人生について考えることであり、
それは当然ながら自分自身について考えることでもあります。
そう、延々と自分のことばかりを考える時間が今の自分は続いているのです。
先の説が正しいのならば、精神的に足掻くことになるのは必然的と言えます。
一方でこのブログで始めた新企画「深海・BOLERO考察」は、
徹底的に自分について、死について考えるという行為を
「とりあえずの生き甲斐」にまでせんとする足掻きかもしれません。
たしかにこの新企画の記事が一つ完成するたびに感じる喜びは
ここ数年の間ずっと忘れていたような感覚のものでしたから。
一方で別のネット活動で「自分の言葉を必要としてくれる人が意外に多い」
ことを知り、「それならば別の表現活動も考えてみては良いのでは」
というアイデアが自分の中にあったりもします。
「深海・BOLERO考察」が終了した後に動き出す可能性もあるでしょう。
それは果たして「とりあえずの生き甲斐」になるのか、
それとも「人生の核としての生き甲斐」になるのか、
はたまた自分の人生を考える中で今年新たな生き甲斐を得られるのか、
それについてはまだわかりません。
◎とりあえずの生き甲斐を捨ててみて
2018年以降の「とりあえずの生き甲斐」を捨てて以降の生活は、
確実に果実をもたらした一方で、楽しさを失うことにもなりました。
自分の生活の足元を固めるために、
「とりあえずの生き甲斐」を捨てるべきときはあるでしょう。
現実逃避のように「とりあえずの生き甲斐」にすがるときもあるでしょう。
あなたは自らの「とりあえずの生き甲斐」とどんな関係を築きますか?
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