自分の人生観と哲学 その5

こうして毎日「死にたい」と考えながら過ごしていた20歳の秋頃、
自分の中で「そこから脱出したい」という意識が強く出てきたのですね。

自分がいる心理状態の客観的な危険性に自分なりに気付いて、
「ここから何とかして出ないといけない」と思うようになったのです。

ただそこでもどうしても壁にぶつからざるをえないわけです。

「この絶望から脱出しようとするとして、
じゃあこれからの人生、自分は何に楽しさを見出せばいいの?
何を楽しめるものが、救いになるものがあるっていうの?」という、
価値観の変化による「楽しいと思えるものが見つからない」問題が横たわるのです。

ただこれはこの時期に何となく見えてきたのですよね。

「自分が20歳の大人という視点にこだわるからダメなのではないか。
思えば子どもの頃はもっといろんなことを純粋さを持って楽しめたじゃないか。
だったら、子どもの頃のような楽しさを大人でも手にすればいいじゃないか。」
というようなところにたどり着いたのですね。

要は自分が絶望していたことは、
いわゆる「大人の楽しみ」みたいに形容されるものだったわけです。

本当なら人間は成長するにつれて、大人になるにつれて、
より動物的だった子どもから理性的な存在になっていくべきなのに、
実際にはより欲望のタガを外して、より下品な物事の楽しみ方ばかり手にしてしまう、
そうした人間のあり方に対する絶望だったわけです。

「大人になったから、大人らしい物事の楽しみ方をしなければならない。
でもそんなものは楽しいどころか、人間の愚かさとしか思えない。」
と、自分はここでストップしてしまっていたわけですね。

そこを逆転させて「大人らしい物事の楽しみ方なんて捨ててしまえばいい。
いっそ子どもの価値観を取り戻して、子どもの頃にいくつか持っていた
純粋な物事の楽しみ方をできる大人になればいい」と考えたわけです。

もちろん子どもの物事の楽しみ方が全部純粋なわけではないです。
子どもであるがゆえの残酷さもありますし、良くない部分も多いです。

でも無邪気に探検したり、公園で遊んだり、ただ走り回ったり、
それも欲求の一つであることはたしかではあるものの、
「大人の楽しみ」のようなドロドロとした汚い欲望とは全くの別物です。

そうした物事の楽しみ方は大人だって、別にやったっていいはずです。

そう考えたときに、
「あぁ、今の自分にも物事を楽しむ方法はある」と気付けたのですね。

だからそうした発想に至ってまずやったことが、
近くの大きな公園に行ってのんびりと歩いて過ごしたり、
芝生の上に寝転んで延々と空を眺めたりすることだったのですよね。

子ども達が無邪気に遊んでるのを見たりするのも好きでした。

今でもときどき公園に出向いて一人でいろんなところを散歩したり、
花を見たり写真を撮るのが好きなのはそうしたところから来ています。

遊具で遊んでもいいのですが、さすがにそれは恥ずかしいですからね。
というか、大人になると遊具ってけっこう怖かったりしますからね。

そうした考えを得た後に帰省したときには、
子どものときに歩いた道が今どうなってるかを
一人で散歩しながら探検するなんてこともしましたね。

「あぁ、こういう楽しみ方でいいんだな」って思えましたね。

「人間は自分も含めてひどく愚かな存在だ」といった価値観は
これ以降も特に変わってはいないのですが、
「そんな絶望の淵に落ちた自分でもそれなりに何かを楽しむことはできる」
ということが大きな救いになったことは間違いなかったですね。

ただそうしてるうちに20歳の頃ほど極端にストイックではなくなりましたが。
根本的な哲学は当時と同じですが、良くも悪くも丸くなったところはありますね。

どうしても20歳のときほど強固な価値観だと、あまりに生きにくくもありますし。

ただやっぱり今でも「自分は完全に理性的な存在を目指したい」という意識や、
「自分が愛を実践するなら、無私の愛になるように徹底的に努める」という意識は
変わらず持っていますけども。

世の中の恋愛をひどく冷ややかな目で見てることなんかは変わらないですからね。

自分達の恋愛関係を神秘的な永遠の愛かのように称揚しつつ、
良くて数年しかもたないくせに
「自分のやってることは本当に愛と呼ぶに値するのだろか」
とは考えもせず、それを真に愛と呼べるものにしようとも努めない、
にもかかわらず自分のしてることを愛と呼ぶことはやめようとはしない、
という人間の行動については今もやっぱり軽蔑の念しか持ってないですし。

ただ自分は「だから愛なんて幻想なんだ」と言いたいわけではなく、
「それでも自分は無私の愛があると信じてそれを人間として実践したい」
とずっと願い続けてはいるのですけどもね。

そしてやっぱり先に述べた通り、「大人の楽しみ」的なものは腹の底から嫌悪してます。

キャバクラとかに行きたいと思う人の気持ちは1ピコメートルたりとも理解できませんし、
性接待的なものとか、興味がないどころかもし自分がそんなものを得たら
ひたすら自己嫌悪に駆られて「死にたい」としか思えなくなるでしょうね。

そういうものは「本当は欲しいと思うけど我慢してる」とかではなくて、
「そんなものを欲しいと思う人間になんて死んでもなりたくない」
という意識なのですよね。

今でもやっぱり自分の意識の根幹には、
「なんで人間は大人になるほど理性を磨くどころか、欲望まみれになっていくわけ?」
という強烈な疑問はありますからね。

たぶん原理的に言えば子どものほうが本能的で、
大人のほうが理性は成長してるはずなのですよね。

でもその理性を欲望を抑制する方向で使うどころか、
欲望を満たすため、増強させるために人間は使ってるのですよね。

やっぱりこういう生き方は自分としては愚かだとしか思えないのは変わらないです。

もう今更この記事で本音を隠しても仕方ないからストレートに言いますが、
70代とか80代にもなって精力増強剤とかバイアグラとか欲しがる奴等、
心底「頭腐ってんじゃねーの」としか思えませんからね。

せっかく年齢を重ねて無駄な欲望が減って行ってくれるにもかかわらず、
わざわざそれに抗して欲望を増強させようとするなんて自分には理解できません。

幸い自分は性欲がゼロといっていいぐらいの状態に達しつつあるので、
「やった!やっとそういう境地に達してきた!」と心から喜んでいます。

なんか記事の後半になって書きたいことをひたすら書き殴りましたが、
とりあえず今回の記事に関してはこのあたりで締めようと思います。

このシリーズそのものはたぶんもうちょっと続くと思いますが、
次の記事で何を書くかはちょっと頭の中で練りたいと思います。

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自分の人生観と哲学 その4

前回までの記事で自分が「人間とは理性的な存在を目指すべきだ」という
価値観に至るまでの過程を書きつつ、その副作用が生じてきたことに触れました。

自分が「まぁ人間なんて欲望で動いてるもんだし、自分もそうだし」と
それに疑問を持たずに受け入れているときは普通に見えていたものが、
「たしかに人間は欲望を持っているが、理性を持っているのだから、
生きていく中でそれを克服していくべきだ」という価値観に達すると、
その「普通に見えていたもの」が「人間がいかに愚かで欲望から脱することができないか」
を示すものとしてしか映らなくなっていってしまうのですね。

これは「その2」の記事でアルコールへの忌避感を持つようになったことで、
飲み会などで人が理性を飛ばしている姿を見ると苦痛をおぼえるようになった、
という話と根っこの部分では繋がっています。

「まぁ人間いろいろあるし、たまには理性のタガを外したくなるさ」と思っていれば、
別に他人がアルコールで理性を飛ばしていてもどうとも思わないわけですね。

でも「いかに理性的な存在になろうとするか」にのめり込むようになると、
その理性の飛んだ姿は「人は年齢を重ねても愚かさから逃れられない」という
現実をただただ突き付けられているようにしか感じず、絶望ばかりが募るのです。

こういう現象があらゆるところで起きるようになっていったのですね。

たとえばこのあたりの時期から、
自分はバラエティ番組などのテレビを見られなくなっていきました。

よくおぼえているのが、以前は普通に笑って見ていた
当時の人気番組だった「恋のから騒ぎ」が全く笑えなくなったのですね。

要は恋愛に関する馬鹿げた話を笑うような番組ですが、
「人間とは無償の愛を目指すべきであるはずなのに、
愛という言葉を弄んでるだけで実際には剥き出しのエゴの綱引きでしかなく、
永遠の無償の愛なんてものとは程遠いことしかできていない」
という価値観が生まれている自分には、もはや恋愛にまつわる与太話は
「いかに人間とは愚かか」を見せつけられてる気分にしかならなくなったのですね。

だからそれを笑い話にできる出演者の姿も、それを笑って眺める視聴者も
そうした構図全体がもう自分には耐え難いものになってしまったのです。

あらゆるテレビ番組についてそうした心境になったわけではないですが、
「以前は普通に感じたものに絶望する」という現象はどんどん拡大していきました。

そしてこうした現象が起きると、友人関係にも一定の問題が生じてきます。
それまで笑えた話が笑えなくなってくるみたいな現象が起きてきますからね。

ただそこは折り合いをつけるために、特に心境の変化はないように振る舞い、
以前の自分の“フリ”をすることに徹していたところがありましたね。

だから顔で笑って心は完全に冷え切っている、みたいなことが増えていきました。

でも19歳ぐらいのときにはだんだんとそれを隠せなくなっていってましたが。
それでもまだ他人から見れば「それなりに普通に見える」範疇だったとは思います。

その状態が一線を超え始めたのがちょうど20歳になったあたりでした。

このときに自分の環境が非常に大きく変わったのですよね。
なので、従来の人間関係などもリセットする機会を得たのです。

18歳から19歳にかけて、いかに自分の欲望と向き合うかなども努力し、
でもやっぱり自分も所詮人間なのでそれはあまり上手くいかないわけです。

そうしたこともあって、自分も含むあらゆる人間への絶望が深まっていて、
人間という存在であることが嫌になり、人間を全く信じられなくなっていました。

そういう状態で環境の変化が訪れれば、
当然ながら友人を作ろうなんていうことすら考えなくなります。

自分から孤独を選び、ほぼ人間関係をシャットアウトした状態に入っていきます。

先に価値観の変化から以前笑えたものを笑えなくなったということを書きましたが、
それに連動して「自分はいったい何を楽しめばいいのか」がわからなくなってきました。

20歳の大学生がやる遊びとして連想されるものは、
ことごとく「人間の欲望の発散に過ぎない」としか見えなくなり、
楽しめるどころか強烈な嫌悪の対象にしかならなくなってるわけです。

「じゃあそうすれば、自分は何を楽しむことができるのか」と
自分に問うたときに、何も答えが出なくなってしまったのですね。

こういう状態が加速すれば、行き着く先は希死念慮しかありません。

実際に20歳のときは「死にたい」ということしか頭にありませんでした。

先にも書いたように自分が人間という愚かな存在であることが耐えられなかったし、
自分以外の人間という存在に囲まれながら生きることにも耐えられなかったですからね。

この頃の自分は他人から見てもおそらくはっきりと危険な状態だったと思います。

もう24時間つねに目があからさまに死んでる状態でしたからね。

友人と電話してるときに「死にたい」って言ったら絶句されて、
そのときは「あれ、そんな変なこと言ったっけ」と思ってましたが、
それぐらい感覚が他の人とはズレてしまっていたのですよね。

自分でもおぼえてるのは夏休みに帰省してきたときに
兄の家の部屋の隅でただずっとうつむいていて、
何の用事もないのに3日ぐらいで独り暮らし先に戻ったときですね。

親族も含めて、とにかく人との関わりを避けたかったのでしょうね。

別に用事も何もなかったので夏休みの間ずっと大阪にいても良かったのに、
逃げるように3日ぐらいで独りでの生活に逃げ帰ったような感じでしたね。

このときに大阪の駅にいるときに電車が通過するときに
ふらふらと無意識に電車に近づきかけてハッとしたのですよね。

もう体が無意識に死を望んでいるという、そんな状態でした。

そんなメチャクチャとしか言いようのない状態でしたが、
こうした状態が進んだ18~20歳の時期に大きくプラスに変化したこともありました。

それは自分が他人やいろんな生き物にものすごく優しくなったことです。
人に対して心は閉ざしてるけど、優しさは明らかに大きく増しました。

これはもちろん「理性的な存在でありたい」という価値観からきたものですね。
言い換えれば「慈愛に満ちた存在でありたい」ということでもありますので。

これは今も続いていて、たとえば懐いてくれる近所の小学生姉妹に対して
やたらと優しくするのも、こうしたところが出発点にあるわけですね。

この後も自分の基本的な価値観に関しては変わらないものの、
この強烈な絶望と希死念慮からは脱出する方向に向かっていきます。

次回はそのあたりの心境の変化などについて書いていきたいと思います。

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自分の人生観と哲学 その3

自分の人生観に最も強烈なインパクトを与えた出来事は1997年にありました。

とはいえ、1997年に先に述べたような価値観が完成したわけではなくて、
そこから2、3年ほど思考する時間を要したうえでのことでしたが。

自分の価値観を強烈に揺るがしたのは実はMr.Childrenでした。

でもそれはMr.Childrenの歌全般でもなく、ファンだったからでもないです。

ここでもしかしたら気付いた人もいるかもしれませんが、
ブログ休止の直前頃に「Mr.Children 深海・BOLERO考察」シリーズを始めたのは、
自分の人生観、というか死生観に強烈な爪痕を残した存在だったからなのですね。

だからブログの休止直前期、「死とは何か」を考えていた自分にとって、
『深海』『BOLERO』の2枚のアルバムの考察記事を書くことを通じて、
自分の死生観を間接的に表現しようと思ってあのシリーズを始めたのですね。

Mr.Childrenというと、ポップなイメージを持っている人が大半でしょうが、
1996年から1998年にかけてひどく暗くなっていった時期があったのですね。
(厳密には1995年からですが)

最初に「あれ、Mr.Childrenに何かあったのかな」と思ったのは、
問題作とされるアルバム『深海』がリリースされたときでした。

ただこのときは「何か暗いアルバムを作ってみたくなったのかな」
ぐらいにしかとらえず、アルバムも買わずそこまで関心は持たなかったのですね。

この『深海』には以前に出していたシングル曲があまり入っておらず、
そこに収録しなかった曲を含めてシングル曲を5曲含んだ
『BOLERO』というアルバムが出たのが1997年でした。

自分は別にその時点では「暗いMr.Children」に興味を持っていたわけでもなく、
「シングルも大量に入ってるし、ジャケットも明るい感じだしお得そうだから買うか」
と思って、その『BOLERO』を買いました。

これがある意味では自分の人生にとって、最大の「罠」だったのです。

シングル曲以外の収録曲はあまりにギスギスしていて絶望に満ちているわ、
アルバムと一緒に渡されたインタビュー記事は恐ろしく暗いわでひどく困惑しました。

その中でも封入されていたインタビュー記事の内容には価値観を大きく揺さぶられました。

「僕は音楽で成功するっていう夢に向けて、10代の頃からずーっとそれだけを
目がけてやってきたところがあって、じゃあそこに行き着いた時に何があったかといえば、
そこにはやっぱり描いていたような夢があったわけでもなく。そこで一度絶望している」
「もう死のうと思うこともある」
といったことが語られており、目にも明らかに生気がないのです。

人間って普通は何かしらの成功を手にしたいと思うものですし、
夢を描いてそれを叶えれば幸せになれると思うものです。

でもそこには日本で最大とも言えるほど成功した人物が
「夢を叶えた先には何もなかった」と絶望して、
人生や人間のあり方への絶望ばかりを歌っているのですね。

これには今まで自分が大切と思っていたものに本当に価値はあるのか、
人間が本当に大切にすべきものは何なのかを強烈に突き付けられた思いになりました。

『深海』だけなら「一時の気の迷いだったのかな」とも思えたでしょう。

でも続くアルバムでもあれだけ強烈な絶望を見せつけられると、
「これは本当に絶望の淵に落ちて死にたいと思っている人が絞り出している言葉だ」
と正面から受け止めるほかなく、それが多大に自分を揺さぶったのですよね。

もちろん人によっては、「シングル曲は好きだけど、アルバム曲はなんか暗くて嫌だ」
と思う人も多かったでしょうが、自分はそのアルバム曲に込められたものに引き込まれ、
単に好きかどうかを超えて、自分はこれを受け止めて人生や人間というものを
もっと真面目に考えなければいけないとそういう思いに駆られたのですね。

当然ながらそのために『深海』も当時のB面曲なども全て集めました。

今でも印象に残っている歌詞を少しだけピックアップしてみます。

「やがて来る“死の存在”に目を背け過ごすけど
残念ですが僕が生きている事に意味はない」
(「マシンガンをぶっ放せ」より)

「安定した暮らしに 老いてくだけの自分ならいらんのだ」
(「タイムマシーンに乗って」より)

「生きる意味」って、結局誰もが目を背けて考えないフリをするけど、
本当はそんなものなんてないということを突き付けてくる言葉ですね。

とりわけ“ただ生きるだけ”のことに意味なんてあるのか考えさせられました。

「安直だけど純粋さが胸を打つのです 分かってながら僕らは猥褻」
(「旅人」より)

「愛さえも手に入る自動販売機さ 屈折した欲望が溢れる街
とことんやってくれ 僕を飲み込んでくれ
でないとこんな歌 明日も作んだろう 夢も希望もありゃしないさ」
(「傘の下の君に告ぐ」より)

愛という美辞麗句を語りながら、実際にしているのは単なる欲望の撒き散らしでしかない、
そういう人間の愚かさを正面から突き付けるものでした。

「人生はアドベンチャー たとえ踏み外しても 結局楽しんだ人が笑者です」
(「タイムマシーンに乗って」より)

人生にあるべき生き方を見出しても、
何も考えずに楽しんだほうが幸せになれてしまう矛盾がここにはあります。

かといって、今更もう「じゃあ何も考えずに楽しもうぜ」とは思えないのです。
この矛盾の中でただもう苦しむ以外に道はないのです。

『深海』や『BOLERO』の巨大なテーマは
「自分達人間は愛という理想にたどり着ける存在なのか」
ということでしたが、とりわけ印象に残ったのは次の言葉でした。

「大人を気取れど 自我を捨てれない」
(「ありふれたLove Story」より)

注:ここでの「自我」は「エゴ」の意味

愛というものを目指すとき、それはどうあるべきかを考えると、
ほぼ必然的に「無私の愛」「無償の愛」というところにたどり着くと思います。

しかし実際に人間が行うものは、そこからは程遠く
エゴと密接に結びついてしまう、そうした愛を取り巻く人間の現実、
そうしたものを端的に突き付ける言葉です。

ここからもわかるように、この当時のMr.Children(というか桜井和寿氏)の苦悩の源泉は
「どんな理想を掲げようが、それとは程遠いことしかできない人間と自分の愚かさ」
に起因してるわけです。

そこから導き出そうとしてる結論は複数あったのでここでは横に置きますが、
この苦悩は私の中に当時うっすらとできあがっていた
「人間は欲望やエゴから解放されて理性的な存在になろうとすべきである」
という価値観と強く共鳴することになったのですね。

ただ当然ながらそこには強烈な副作用もありました。

こうした人間の醜さ、愚かさという現実を突き付けられることによって、
「自分は何とかして理性を突き詰めた人間を目指すんだ」
という前向きな気持ちではなく、
「人間というのは理性的な存在なんてものからはあまりにも遠く愚かで、
そんなものは目指すだけ無駄だし、そう願うだけ苦痛にもがくだけなのだ」
という葛藤にさいなまれるようになってしまったのです。

もっともこれは『深海』や『BOLERO』と出会わなくても、
いずれどこかでその壁にぶつかった可能性はあります。

なんせ「理性的な人間でありたい」「人間は理性的な存在を目指すべきだ」
という思いを強く持てば持つほど、他人の見え方が必然的に変わってくるからです。

「人間なんてどうだっていいじゃん」と思いながら暮らしているときと、
「人間はどうあるべきか」が確立した後では他人の生き方や価値観の見え方が変わる、
そうなるとどこかで人間というものに絶望するのは避けられないのですよね。

そしてもちろん同じく人間でしかない自分への絶望も避けられないわけです。

次回の記事ではその絶望の淵に最も深く落ちていた時期について書いていきます。

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自分の人生観と哲学 その2

第1回記事では原始仏教の価値観が自分に与えた影響について見てきました。
その中でも「生老病死」が自分に与えた影響は極めて多大なものでした。

◎人間とは何か - ホモ・サピエンス


人間は他の動物とは何が違っていて、何が人間ならではの個性を作っているのか、
これは昔から多くの哲学者の人達が考えていたことです。

その中で有力な考えとされたのが、
人間を「ホモ・サピエンス」ととらえるというものです。

これは平たく言うと「理性を持った存在」という意味です。

私はこれを聞いたとき、目からうろこが落ちるような気持ちになったのですね。

「人間を人間たらしめているものは理性なのか」と。

◎人間の目指す道とは理性を高めることだ


この「人間だけが理性的な存在である」という考えと、
原始仏教の「煩悩からの解放を目指すべき」という考えが自分の中で結びついたのですね。

「煩悩からの解放」と「理性を高めること」はおおむね同一方向の考えですからね。

人間はたしかに理性を持っていますが、極めて不完全な存在です。

理性を持ってはいるものの、それを超えるほどの強い欲望も持っています。

ただ人間だけが理性的な存在であると考えるのであれば、
人間が生きるうえで本当の意味で目指すべきものは
「欲望を克服し、100%理性的な存在になること」なのではないかと。

こうした考えがだんだんと自分の中で完成していったのですね。

ただこれは倫理の授業でそれを学んですぐにそうなったわけではないです。

後の記事で紹介するよりインパクトのある出来事などもあって、
おおよそ18~19歳ぐらいでそのような考えが確立されていきました。

◎人間とは考える葦である


これは余談なのですが、他に自分に強い影響を与えた
哲学者の言葉としては「人間とは考える葦である」があります。

けっこう人間って、考えて考えて考え抜くことを軽視しがちなのですよね。
「考えるより行動しろ」みたいなことってよく言われますし。

この言葉から得たのは、結局人間は考えられることにこそ価値があって、
何かをひたすら突き詰めて考えることは決して無駄ではないということですね。

それゆえ普段から何かをひたすら思いつめるような人間になりましたが、
「人間とは考える存在である」を胸に留めて考えることを大事にしています。

◎なぜ自分はアルコールを飲まないのか


次の主要な話題に移るにはちょっと残りの行数が少なすぎるので、
余談にはなりますが今回の記事と関係する話を書くことにします。

私はしばしば「自分はアルコールは飲まない」と明言していて、
実際に誰かと出かけるときでもアルコールは全く飲みません。

ここまで記事を読んできた人なら想像がつく人ももう多いでしょうね。

自分がアルコールを飲まないのは決して飲めないからではないのです。

アルコールの効用は端的に言えば「理性を麻痺させる」ことです。

「理性を麻痺させてより本能をむき出しにして、本能的な存在になる」、
「人間の目標とは理性的な存在になることだ」と考えている
私がそれをするわけがないのですよね。

「なんで理性的な存在として生まれてきたのに、
その大事な理性をわざわざ自分から麻痺させないといけないのだ」
と思うから、自分はアルコールを飲まないのです。

だから当然のことですが、違法かどうかと関係なくドラッグにも全く興味はありません。
ドラッグをテーマにしたロックは好きですし、話題にもしますが、ドラッグへの関心はないです。

まぁしかしこんなことを書いたら、
「こいつは何とも気むずかしい奴だなぁ」とは思われるでしょうね。

でもそれが自分なのでどうしようもないのですよね。

このアルコールとの向き合い方はもともとはシンプルな信念でしたが、
あるときに30人ぐらいの飲み会に参加したときに痛烈に確信させられたのですよね。

自分はもちろんこうした信念を持っているのでアルコールは飲みませんでしたが、
周りの人達の理性が飛んでいる姿を見て強烈に絶望的な感情に襲われたのです。

もう言葉が出ないぐらいに気持ちが沈んでしまったのですね。

そのときに本気で確信したのですよね。

「今の自分はもう普通(の俗世間的な人間)とは全く違うものになってしまったんだ」と。

そういうこともあって、今でもそこそこ大人数の飲み会はひどく苦手ですね。

次回の第3回記事では、自分に強烈な影響を与えたある人物(?)について話していきます。

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自分の人生観と哲学 その1

自分が人生というものを、あるいは人間のあるべき姿というものを
どのように考えているのかについて記事にしていこうと思います。

言葉にすると非常に長いので1記事だけでは終わらせず、
一つのシリーズとして連載していこうと思います。

読者の方はうすうす感じられているところがあると思うのですが、
私の人生観はかなりねじれているというか、普通ではないようなのですよね。

それは自分でもそれなりに自覚しているのですが、
今はもうこのブログの話題から制限を取っ払ったので、
そうしたこともそのまま吐き出して行ってしまおうと思います。

◎原始仏教からの影響


私の人生観の少なくない部分は高校時代の倫理の授業で学んだ
様々な哲学者や宗教者からの影響というものがあります。

ただ倫理を学んですぐに人生観が変わったかというとそうでもなく、
最初はあくまで「なるほどなぁ」ぐらいに思っていたものが、
その後にさらに別のインパクトのある出来事などを通じて
過去に学んだ知識が身になっていったというところが大きいです。

またそうした過去の哲学を学ぶ中で、
自分がすでに漠然と考えていたこととの一致を見て、
「これだ!」というふうに確信を深めたことなどもあります。

その中で、私が最も強い影響を受けたものの一つが原始仏教の価値観です。

私は個人的には日本に伝わっている大乗仏教にはほぼ関心はないのですよね。

というのも、宗教というのは人に伝道していく中で
どうしても一般的な俗世間の人に合わせて変質していくので、
そうした「俗世間に合わせた宗教」にあまり意義を感じないのです。

また、私は宗教のいわゆる「宗教らしい部分」への関心も薄いです。

要は「神はいるのかどうか」「人は死んだら何になるのか」という類の話です。

私が本当に強い関心を抱いているのは「人はどう生きるべきか」という、
宗教における哲学的要素の部分なのですね。

◎人間の根源的な苦としての「生老病死」


原始仏教の哲学的要素の中で私に決定的な影響を与えたのが、
「人生の根源的な苦は『生老病死』である」という考えでした。

いや、これはもともと自分の中に漠然とあった考えが
この教えによって「これだ!」と思えたとも言えます。

「人間の苦とは生(生きる・生まれる)老(老いる)病(病気になる)死(死ぬ)」、
非常にシンプルな考えです。

これ、「生」以外はごくごく普通の話でしかないのですよね。

人間というもの、老いること、病気になること、死ぬことは辛いものです。
そんなのは誰かに言われなくても誰でもそう思っているでしょう。

問題はこの4つの苦の最初に「生」が位置付けられていることです。

これは「生きること自体が苦である」と考えてもいいですが、
「全ての苦の源泉は『生』である」と言ったほうがより適切でしょう。

これこそが自分の中に深く突き刺さり、自分の人生観の根幹となっています。

すなわち「人生とは苦」なのです。「苦痛を背負った旅」そのものなのです。
人間は生まれてきたがゆえに全ての苦を背負わねばならないのです。

「生が苦だと言うなら、じゃあ死ねば楽になれるじゃないか」と思うかもしれません。

しかしこの世に生まれ落ちてしまったら、
今度は生きる中での最大の苦は「死」になってしまうのです。

だから人間は死を避けて生に執着してしようとしまう。
生が全ての苦の根源であるにもかかわらずです。

この板挟みの中で苦しむことことが人生なのだと、そう突き付けられたのですね。

余談になりますが、こうした人生観なので
私は個人としてはかなり強固な反出生主義です。

他の人に対して「そうあるべきだ」と言うつもりはないですが、
私自身はどうあっても「子どもを作る」という選択肢を取ることはないです。

生という苦を我が子に与えるだなんてことは私には絶対に出来ません。

◎煩悩と悟り


人間は何ゆえ苦しむのか、原始仏教においてはその答えを
「煩悩によって何かに執着するがゆえに苦しみが生じる。
その執着を自分から解き放てばいい」というふうに考えます。

煩悩というとわかりにくいので、欲望と言い換えればまぁいいでしょう。

何かを欲しい、何かを手放したくない、そういう意識があるから、
それが手に入らなかったときに、それを失ったときに苦しむのだと、
それならば何かに対する執着そのものを捨てればいいと考えるわけです。

さすがにこれをそのまま飲み込むことは自分にはできなかったですが、
「人間が目指すべき姿とは、欲望から解放された姿である」
という価値観を自分の中に生む大きなヒントにはなりました。

食欲と睡眠欲は満たさないと死んでしまうのでやむをえないとして、
それ以外の欲望は本来は捨て去る方向に向かうべきなのだと。

これを100%遂行して生きるというのはおそらく不可能でしょうが、
この価値観と他の哲学的な考えが融合することによって、
自分の人生観や哲学の根幹をなす部分が作られていると言っていいでしょう。

大げさに言えば、煩悩を解き放った境地、
すなわち悟りの境地のようなものを心のどこかで目指してはいるのですよね。

「ラーメン旨いとか言ってる俗物が何を言ってるんだ」と言われてしまうかもですが。

ちょっと長くなってきたので、続きは第2回の記事に委ねることにします。

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とりあえずの生き甲斐を捨てて

カップ麺コラムではない、普通のコラムも始めることにしました!
まぁ例によって、内省的なコラムになることは目に見えていますが!

◎とりあえずの生き甲斐


人間、何か大きな趣味を持つことなどによって、
それを生き甲斐として生きていくことがよくあります。

たとえばラーメンオタクの人にとっては
ラーメンの食べ歩きは趣味であると同時に生き甲斐でしょう。

何かのスポーツが生き甲斐の人、あるバンドが生き甲斐の人、
ゲームをするのが生き甲斐の人、様々な人がいるでしょう。

一方で人間にはそうした「周縁的な趣味」とはまた異なった、
人生の核になる部分、仕事、家庭といった要素もあります。

人生の核になる部分がそのまま趣味、生き甲斐になればいいのですが、
なかなかそうはならず、その核の外側に生き甲斐を持つ人は多いでしょう。

一方で人生の周縁的な部分がひたすら拡大していけば、
核となる友人や恋人関係、家庭をないがしろにすることもあり、
両者の間でどのようにバランスを取るのかは難しい問題でもあります。

さらには核となる足元の仕事や家庭などが安定していないのに、
周縁的な部分での活動、趣味活動ばかりが大きくなる人もいるでしょう。

本来であれば、人生の核となる部分に生き甲斐を持つべきはずが、
それを持つことができずに、生き甲斐を人生の周縁部に頼ってしまう、
こうした生き甲斐のことを、「とりあえずの生き甲斐」と呼ぶことにします。

◎「ラーメンの食べ歩き」を生き甲斐に


自分にもかつて「とりあえずの生き甲斐」と呼べるものがありました。
古くからの読者の方はご存じの通り、ラーメンの食べ歩きです。

当時は仕事の関係で阿倍野に定期的に出る必要があったので、
鉄道が利用しやすく、空いた時間にどこかのお店でラーメンを食べる、
これを阿倍野に行くときの日課のようにしていることがありました。

そして、自分の人生の核となる部分は「まあいいや」と横に置いて、
「いろんなラーメンを食べて、ラーメンに対する知識を増やすぞ」
ということを紛れもない生き甲斐にして過ごしていました。

思えばこのときは心理的には非常に幸せではありました。

行くべきお店を一つクリアするたびに達成感を味わえる、
「あそこにも行けた、あのお店にも行った」と自信が持て、
それをブログに書くことで実にいいサイクルが生まれていました。

◎崩壊への道筋と回復


それが崩れ始めたのが2016年の10月頃でした。
阿倍野方面での仕事で過剰なストレスがかかり始めた頃です。

極度の緊張状態につねに置かれて自律神経失調症になり、
12月にはつねに微熱、倦怠感、慢性的な下痢に悩まされ、
それは改善されることなく2017年2月にはさらに悪化しました。

そして2月下旬にさらに問題が拡大したことによって、
「もう自分の力では続けられない」と思ってその件は辞めました。

このときの精神的なダメージは大きく、
微熱は3月下旬ぐらいには治ってはきましたが、
急にめまいがしたり、何もないのにすぐに熱が上がったり、
自分が眠れているのかすらまともに自覚できない日々でした。

別の仕事は続けてましたが、それ以外の日常生活がまともに送れないほどでした。

この不調は4月の造幣局の桜の通り抜けへの訪問でかなり良くなり、
それからは「やれることを少しずつ増やしていこう」と決めて、
月ごとに何らかの課題をクリアして日常生活を取り戻していく、
そうした回復を目指した生活が2018年の1月まで続きました。

その頃には症状も全て治まり、日常生活に困難はなくなりました。

◎「とりあえずの生き甲斐」に別れを告げて


しかし2018年の1月にネットの友人4人と会ったときに、
「こうした回復過程を目指した生活にはピリオドを打とう」
と思ったのです。

「もうその段階は過ぎた、もう一度人生の足元を固める時期だ」と。

ラーメンの話がすっかり消えましたが、阿倍野の仕事をやめたことで、
仕事は自転車で行ける範囲のものばかりになってしまったのです。

そうなれば、必然的に大阪市内などのお店に行く機会は減ります。

それでもラーメン店の訪問数を減らしたくない思いはありましたが、
自転車で行ける範囲のチェーン店などに行く機会が増えるにつれて、
ラーメン店へ行くモチベーションはだんだんと下がっていきました。

そして大阪で100店舗訪問をきっかけに、
「もう無理にラーメン屋巡りをするのはやめよう」
となりました。

言い換えると、阿倍野の仕事の終わり頃までは
ラーメン店巡りが自分にとっての「とりあえずの生き甲斐」で、
それ以降2018年1月までは「日常生活を取り戻すこと」が生き甲斐でした。

両者にピリオドを打ったことで、
2018年2月からは「とりあえずの生き甲斐」がない生活が始まります。

◎「とりあえずの生き甲斐」のない生活


その影響は驚くほどに顕著でした。
明らかに精神的な落ち込みが以前よりも大きくなったのです。

自分の人生の足元を、核の部分を構築するのは非常に大事なことです。

2018年は2月3月にもあれこれ試行錯誤してどうすればいいか考え、
5月に大きな着想を得て、それが8~10月に花開いて大きな効果を得ました。

間違いなく、2018年の「自分の足元への集中」は成功だったのです。

そうであるにもかかわらず、日々の楽しい感情は大きく減りました。

「とりあえずの生き甲斐」があるときは、たとえ足元が不安定でも、
「自分には生き甲斐があるし、そのために生きるんだ」と思えるものです。

生き甲斐を得た瞬間に、人は自分の人生に意義を感じることができますから。
たとえそれが人生の周縁部にある「とりあえずの生き甲斐」であっても。

◎「推し活」ブーム


思えば「推し活」ブームにも似たようなところがあるのでしょう。

はっきり言って、推し活に人生の核にとっての重要な意義などありません。
しかし、間違いなく「とりあえずの生き甲斐」を与えてくれるでしょう。

自分の人生の核や足元の部分からだけでは十分な生き甲斐が得られない、
だからこそ精神的な充足感を得るために「とりあえずの生き甲斐」を作る、
冷静に考えると空虚なはずの「推し活」がここまで人気となったのは、
「どんな形でもいいから生き甲斐だと思えるものが欲しい」との思いの表れなのでしょう。

◎自分のことを考える時間が長い人


本当のことなのかどうかはわかりませんが、
「自分のことを考える時間が長い人はメンタルが苦しくなりがちである」
という説があるようです。

これはまさに今回の「とりあえずの生き甲斐」の話と大きく繋がっています。

自分の人生の核の部分や足元の部分を固めるということは、
「自分自身について深く考える」ということに他なりません。

「とりあえずの生き甲斐はいったん捨てて、自分のことに集中しよう」
というのは、「自分以外のことを考えたり楽しんだりするのはやめて、
自分のことを考える時間を増やそう」ということになるわけです。

これはまさに2018年2月以降の自分の精神的な状況に当てはまります。

「自分の人生を良くするには、自分について考えないといけない」、
「自分のことを考える時間が長すぎると、メンタルが苦しくなる」、
この2つの狭間で人はいったいどのようにバランスを取ればいいのでしょう。

◎生き甲斐なき「自分」から離れられない


そしてこの状況はまさに今の自分にも当てはまっているのです。

2018年1月以降、自分はあえて「とりあえずの生き甲斐」を作ろうとはしませんでした。
いや、「とりあえずの生き甲斐にしたいものが特に見つからない」のかもしれません。

しかしそれでも、自分には間違いなく大事な生き甲斐がありました。
それは2021年10月に亡くなったにゃんこです。

「とりあえずの生き甲斐」すらなく、紛れもない生き甲斐だった存在も失った、
この数ヶ月の自分の足掻きは「生き甲斐が見出すことができない」からでもあるのでしょう。

そしてにゃんこを失って以来、「死」という概念について考える日々が続いています。

死について考えることは、人生について考えることであり、
それは当然ながら自分自身について考えることでもあります。

そう、延々と自分のことばかりを考える時間が今の自分は続いているのです。
先の説が正しいのならば、精神的に足掻くことになるのは必然的と言えます。

一方でこのブログで始めた新企画「深海・BOLERO考察」は、
徹底的に自分について、死について考えるという行為を
「とりあえずの生き甲斐」にまでせんとする足掻きかもしれません。

たしかにこの新企画の記事が一つ完成するたびに感じる喜びは
ここ数年の間ずっと忘れていたような感覚のものでしたから。

一方で別のネット活動で「自分の言葉を必要としてくれる人が意外に多い」
ことを知り、「それならば別の表現活動も考えてみては良いのでは」
というアイデアが自分の中にあったりもします。

「深海・BOLERO考察」が終了した後に動き出す可能性もあるでしょう。

それは果たして「とりあえずの生き甲斐」になるのか、
それとも「人生の核としての生き甲斐」になるのか、
はたまた自分の人生を考える中で今年新たな生き甲斐を得られるのか、
それについてはまだわかりません。

◎とりあえずの生き甲斐を捨ててみて


2018年以降の「とりあえずの生き甲斐」を捨てて以降の生活は、
確実に果実をもたらした一方で、楽しさを失うことにもなりました。

自分の生活の足元を固めるために、
「とりあえずの生き甲斐」を捨てるべきときはあるでしょう。

現実逃避のように「とりあえずの生き甲斐」にすがるときもあるでしょう。

あなたは自らの「とりあえずの生き甲斐」とどんな関係を築きますか?

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テーマ : ひとりごとのようなもの | ジャンル : 日記

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