11年目の「いのちの日」を迎えました
「いのちの日」は簡潔に言うと、飼っていた金魚さんが亡くなった日で、
その日から11年が経ったということになります。
その6月4日を「いのちの日」と呼ぶようになったのは昨年からで、
今年もその「いのちの日」という呼び方を継承しています。
例年はこの記事の冒頭で金魚さんが亡くなるまでの経過を
詳しく書いていたのですが、今年はそれについては割愛します。
またいつもはこの6月4日の1週間ぐらい前から、
当時書いた文章などを読み返すことによって、
自分の気持ちを当時の状態に引き戻して行って、
そこから湧き上がってくる感情と向き合うことで、
新たな発見をするという流れで過ごしていたのですが、
今年はあえてそれはしないという選択を取りました。
それにはいくつか理由があるのですが、
その最大の理由は今ちょうど精神面が非常に安定していることもあり、
自分の気持ちをあえて深いところ、暗いところに潜らせていくような
そうしたことは避けたいと思ったということがあります。
もともとこの時期はそのプログラムをこなすことで
1週間ほどかなりバタバタした過ごし方になっていましたし、
そうした過ごし方を避けたかったというのもあります。
要するに今は気持ちの安定の継続を優先したかったのですね。
もちろん自分にとって6月4日やその日までのプログラムというのは
非常に重要ではあるのですが、あえて違う選択肢を取りました。
そして第二の理由はこの時期に湧き出てくる感情が
ここ数年ほど停滞気味になっていたということがあります。
この時期はとにかく過去に書いた文章などを読み直しつつ、
この時期の意義などについていろいろ考えを巡らせていたのですが、
5年目と6年目に非常に多くの発見があったことによって、
考えることがもう出尽くしてしまった感があったのですよね。
そのため7年目からは何か他の出来事と絡めて考えることが多く、
純粋に金魚さんとの記憶を振り返る感じではなくなってきていました。
特に9年目のときは他に絡めて考えることもあまりなかったため、
過去の文章などを読んでもそこまで気持ちが揺れ動くこともなく、
非常に淡々とした過ごし方になったりしていたのですね。
昨年の6月4日の記事はそれなりに重いものにはなっていましたが、
金魚さんというよりはにゃんこの死と向かい合ったという感覚が強く、
やっぱり6年目までとはかなり違っていたことは否めないのですよね。
昨年は「にゃんこを亡くしたことへの虚無感によって、
この日の感情の動きが弱まってしまった」と書いていましたが、
これも今読み直すと「昨年はそう解釈した」という感じが強く、
実際には9年目の時点で感情の動きが弱まっていたことを考えると、
本当は直接的な要因は9年目と特に変わらなかったと思います。
このようにプログラムをこなしても感情の揺れ動きが弱く、
気持ちを当時に引き戻すことが上手くいかなくなってくると、
この時期を毎年同じように過ごす意義も薄れてくるのですよね。
それでいったん例年の流れを変えてみる試みを考えたわけです。
それが「あえてプログラムをこなさない」ということに繋がりました。
第3の理由は、今年あえて例年と違う過ごし方をすることによって、
来年以降の選択肢を増やしたかったということもあります。
自分の感じ方などが大きく変わってきているのに、
過ごし方だけはずっと例年と同じようにしていると、
どうしても形骸化していくことは否めないですからね。
7年目からずっと停滞気味になっていたことを考えると、
どこかで一度違う過ごし方をすることは必要だったように思います。
もっとも来年のこの時期をどのように過ごすことになるかはわかりません。
これまでのプログラム通りに過ごすということもあり得ますし、
今年のようにあえて何もせずに過ごすというのもありますし、
さらに第三の選択肢を考えるということもあり得るでしょう。
また毎年書いているこの6月4日の記事についても、
来年以降も続けるべきなのかどうかは決めていません。
どうしてもさすがに11年目ということになると、
見ている方からは「いつまで引きずっているんだ」
という感覚はどうしても出てくるでしょうし、
そのあたりも改めて考える必要はあるのでしょうね。
しかも7年目からはだんだんと内容も薄まってきていますし。
さて、そうしたことから今年はお庭の写真もなしです。
今年はお花を飾ってないので写真を撮っても仕方ないですしね。
6月3日には「お花を買いに行こうかな」と思ったりもしましたが、
「いや、今年はあえてそうしない選択をしたのだからやめておこう」と、
なんだか微妙に転倒したような考えでもありますが、それを貫きました。
やっぱり6月4日がすぐそこに近づいてくると、
いつものように過ごしたいという気持ちも湧いては来ますね。
そして例年はここで金魚草の紹介もしていたのですが、
今は金魚草を庭に植えていないのでその写真もないです。
ただこれは意図したものではなく、不運が理由ではあるのですが。
本当は5月の初旬に金魚草を買いに行って植える予定だったのです。
でも5月13日頃から精神転落期になって記憶がおぼろげになったことで、
金魚草を買いに行くタイミングを逸してしまったのですね。
5月20日ぐらいになると、金魚草も残り物ぐらいしかなくなるので、
「仕方ないから、次に金魚草を買ういいタイミングになる10月にするか」
と金魚草を買う時期を先送りすることになったのです。
本当ならせめて金魚草の写真ぐらいはこの記事に載せたかったのですが。
そうしたこともあり、ほんと今年のこの記事は特に何もなくなっちゃいました。
来年どのようにするかは、来年のこの時期にどのような感情が湧いてくるか、
それによって来年改めて考えて決めようと思います。
ただ今年のように「あえて何もしない」ことにはならないように思います。
せめてお花は飾って、金魚草は普通に育てるようにしたい気持ちがありますね。
やっぱり何もしないというのは、どこかさみしい気持ちも湧いてきますし。
ということで、「あえて何もしない」ということにした今年の6月4日でした。
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5月が終わりました!
今年の中だけでなく、ここ数年間単位で見た中でも、
特に強い記憶に残る1ヶ月だったことは間違いないですね!
でもって、自分にとって大きなターニングポイントになった
1ヶ月というふうにも表現していいように思います!
やっぱり今月を語るうえで絶対に欠かすことができないのが、
5月16日までの精神転落期と自分の認識が壊れていったこと、
そしてそれが幻覚を見るところまで至ったということですね!
この精神転落期や幻覚については既に多くの記事で触れてきましたが、
こんなあからさまな幻覚は今まで生きてきた中で初めての出来事でしたし、
「幻覚なんて本当に起きるんだ」という強い驚きがありましたね!
さらにそれに加えていつもなら毎日普通にできていたことが、
認識がぼやけていったことでできなくなってしまう、
しかもそのときはできなくなっていることにすら気付いていない、
こういう状態に陥ったことも自分としては大きな驚きでした。
頭がクリアになった今だから「こんな状態に陥っていたのか」と
精神転落期を客観的に見ることができるようになりましたが、
回復できずに長く続いていたらそうはなってなかったでしょうしね;
今回の精神転落期から得た最大の教訓を考えるとするなら、
「異常なレベルでストレスやプレッシャーが自分の中にたまっていくと、
それがきっかけでとんでもない状態にまで陥ってしまうので、
ストレスが強くなって来たときは早め早めに対処することで、
それを上手くコントロールしていくことが大事だ」ということですね!
とにかく「深く落ちるまで放置しない」ことが大事だと学べました!(●・ω・)
それを学べたことで今後は同様の状態には陥りにくくなるでしょうし、
これが今後の生活の安定にも繋がっていけばいいと思いますね!
そしてこの精神転落期に起きたこと以上に驚きだったのが、
このひどい状態が5月17日になった途端にほぼ全て治ったことです!
5月16日は最も幻覚がひどく、精神転落期の底だったとも言えるのですが、
それがたったの1日で回復したということだったのですよね!
精神的な強い落ち込みなどは過去にも何度かありましたが、
普通は1日で回復するなんていうことはまずないのですよね!
特にひどかった2017年のときは、微熱や全身倦怠感が数ヶ月ほど続いていて、
そのストレスの原因から離れて以降もそれらの症状が全部治まるには
おおむね3ヶ月ぐらいはかかったのですよね!
今回の幻覚や認識の崩れなども症状としてはかなりひどかったわけで、
普通に考えれば少なくとも回復に2週間は必要だと思っていたのですが、
1日でいろんな感覚が戻ってフレッシュになったのは本当に驚きました!
これはもともと今回の精神転落の直接的な引き金が、
母の介護でプレッシャーがものすごくかかっていたところに
いつもの訪問看護師さんが2週間ほど来られなくなったことで、
その看護師さんが5月15日に復帰したということから、
そのあたりから急速に回復するというのはありえる話ではありましたが、
それを考慮してもやっぱり1日で回復というのは普通はないことでしょうからね!
もちろんこれは5月15日と16日に回復に繋がる多くのことが連鎖的に起きたからですが、
それでもやはり驚きの経過であったことは間違いないですね!
ただこの経過を見ると、メンタルクリニックから処方される薬を
数日飲んでいなかったところに5月16日から再び飲むようになったことで
回復したというふうに解釈される方も多いとは思うのですが、
おそらくそれは直接的な要因ではないように思うのですよね!
その第一の理由はそもそもの症状悪化は普通に薬を飲んでるときに起きたこと、
そして第二の理由は自分が飲んでいる薬は飲んで12時間後ぐらいから効く薬はなく、
薬を飲んだ時間と回復を感じた時間が12時間であることと矛盾するためです!
ただこれまでの経験からも薬を飲んで1秒後には気持ちがすっきりしたことはあり、
でも薬が1秒で効くわけなんて絶対にないことを考慮すると、
薬を飲むことが自分の中で「これで安定した日常のスイッチが入りました」と
そういう気持ちの切り替えが起きることのほうが大きかったように思います!
要するに今回もそれと同じ現象が起きたというふうに思えるのですね!
なので、もし出されているのが薬を装った単なるビタミン剤だったとしても、
普通に気持ちは切り替わったというのは起きたように思うのですよね!
5月17日から気持ちが一気にフレッシュになったことはこれまでにも触れましたが、
それ以外にも非常にいい効果が起きているのですよね!
自分はここ数ヶ月ほど、「どうも毎日を無為に過ごしてしまっている感が強く、
この月に何をしていたのかイマイチ自分でもわからない」ということがありましたが、
5月17日からはそういう「無為に過ごしている感」がなくなったのですよね!
なので、以前にあった「いつのまにか1日が過ぎてる」みたいなこともなくなり、
1日の中の時間を有意義に使うことができているという感覚があります!
それによって、1日が以前よりも長く感じられていて、
なおかつ時間が余っているように感じるところがありますね!
要するにそれだけいろんな日常の活動を手早く行えていて、
それによって余暇の時間が増えているのですよね!
これは間違いなく非常にいい効果ではあるので、
こうした日々を今後を続けていくことを大事にしたいですね!
でもって、また「1日を無為に過ごしている感」が復活してくるとしたら、
その原因は自分の中のストレスやプレッシャーであるでしょうから、
そうしたことが起きたときにすぐにストレスの原因を突き止めて、
その軽減をはかるということをやっていきたいですね!
とにもかくにも5月17日からの好調をこれからも維持したいですね!
それでは、6月もどうぞよろしくお願いいたしますね!(゚x/)
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謎の「きのこの山」と白昼夢
今月の精神転落期に見た幻覚の中でも一つのハイライトとなります。
でもって、今回からちょっとギャグテイストというか、
笑えるような雰囲気が強まっていくと思います。
ただそれは別に笑えるように脚色してるわけではなく、
素直にそのときに見えた幻覚を表現しているだけではありますが。
さて、今回も幻覚がピークを迎えていた5月16日の話となります。
このところうちの家には近所の小学生がおやつをねだりに来るのですが、
5月16日には自分と兄がメンタルクリニックに向かう直前に来たのです。
そこで自分は買っておいた「きのこの山」をあげたのですね。
そしてメンタルクリニックに向かったのですが、
そのときにこの時期は時間の感覚が変になってる自覚はありつつも、
「なんかタイムパラドックスの中にいるみたい」みたいに
変な解釈をしていたので、それがそのときも頭の中をよぎって、
「今回のきのこの山をあげたことでもタイムパラドックスが起きそう」
と思っていたのです。
そして家に帰ってくると、門の中に子どもの自転車が1つあり、
さらに家の中に入ると渡したはずの「きのこの山」が玄関に残っていたのです。
しかもご丁寧に箱をちょっと開けたような状態になっていました。
この子どもの自転車と玄関に残った「きのこの山」を見て、
自分は「あぁ、やっぱりタイムパラドックスが起きた」
みたいに思っていたのです。
そして家に戻ってきて1時間ぐらいした後にまたその小学生の子が来て、
そのときに玄関にあった「きのこの山」を再び(?)渡したうえで、
外に出てその子達を見送ったのです。
でもまた少し後に玄関を見ると、まださっきの「きのこの山」があるのです。
ただし帰宅時に見た子どもの自転車についてはなくなっていました。
そしてその日は寝て、翌日の5月17日になると玄関の「きのこの山」は消えていました。
5月17日にはまだその子達は来ていなかったにもかかわらずです。
さて、いったいこれはどういうことだったのでしょうか。
笑い話というよりホラーになってないか;(・ω・*)
(*・ω・)改めて文章にすると怖い;
おそらく事実は「メンタルクリニックに行く直前にきのこの山を渡したのは本当で、
それ以降に見た子どもの自転車や玄関に残ったきのこの山は幻覚だった」でしょう。
もちろん「翌日の5月17日にきのこの山を渡した」ということもないでしょう。
そう判断できる理由はいくつかあって、まずは門の中で見た子どもの自転車は
明らかにお菓子をもらいに来る子達の自転車とは別物だったことです。
かといって5月16日だけ見知らぬ子どもがうちの家に自転車を置くわけはなく、
そのときの自分の状態も含めて総合的に判断すると、
「帰宅時に見た自転車は幻覚だった」と考えるのが妥当と思えるのですね。
そして夕方の二度目のその子達の訪問と「きのこの山」を二回目に渡した場面ですが、
これも今思うといやに記憶がおぼろげで、病院に行く直前に渡した場面の記憶が鮮明なのに比べ、
明らかに奇妙な差があるうえに、その子達も同じお菓子を二度も素直にもらうのはおかしく、
やはりこれについても幻覚だったと考えるのが適切なのだと思います。
さらに付け加えると、この子達は1日に2回来たことは今までないのですよね。
なので、「5月16日だけ2回来て、2回とも同じお菓子を受け取っていった」
と考えるのは難しく、やはり幻覚だったと結論付けるべきなのでしょう。
とすると、なんでそんな奇妙な幻覚を見たのかということが問題になります。
もちろん最大の原因はそのときの自分の精神状態が非常に悪くなっていて、
それによって幻覚を見るようになっていたということなのですが、
直接の引き金はこのときの自分が「タイムパラドックスが起きるに違いない」
という考えに支配されていた点です。
今回の精神転落期になんで幻覚をいくつも見ることになったかというと、
当時の自分のおかしな感覚に脳が順応して反応してしまったことで、
「あなたが思い込んでいることは事実ですよ」と脳が自分に見せかけてしまう、
そういう現象が起きていたと思うのですね。
だから「タイムパラドックスが起きるに違いない」と思ってしまった時点で、
「はい、本当にタイムパラドックスが起きてますよ」
と思わせるような反応を脳がしてしまう、
それによって「タイムパラドックスできのこの山が子どもの自転車が残っている」
と自分に見せる結果になったというふうに解釈できます。
なので、今回の様々な幻覚の直接的な要因をまとめると、
「精神状態の悪化による感覚のズレと、脳のそれに対する順応」
ということだったと思います。
さて、ここからは少し話が変わります。
前回記事では記事中で少し触れたものの、
その後ほとんど説明をしなかった話がありました。
それは単に文章量の問題ではあったのですが。
>・5月15日と16日にかけて見えた時間や日付に対する幻覚
>・5月13日ぐらいから頭の中で自動再生されていた不思議な話
精神転落期に見た2タイプの幻覚についてこう紹介したのですが、
今回の「きのこの山」の話で前者については全部紹介したものの、
後者についてはまだ全然触れていなかったのですよね。
ここに書いているように、自分の認識がおぼろげになっていった
5月13日のあたりから奇妙な記憶がいくつも残っているのです。
自分は「何かで見た」というふうにそのとき認識していたのですが、
頭がクリアになった5月17日以降にそれらの記憶を改めて調べてみても、
どこにも情報がなく、どうもこれは映像や動画で見たのではなく、
自分の頭の中で自動的に再生されていたもののようなのです。
とはいえ、「目に見えていた」というよりは脳内再生的なものなので、
幻覚というよりは白昼夢に分類したほうが適切なのかもしれません。
5月13日と14日は自分で何をしていたのかよくわかっていないのですが、
大量に白昼夢を見ながら過ごしている間に時間が過ぎて行った、
と考えると辻褄が合うところもあるのですよね。
そしてこれらの白昼夢の中には、必殺仕事人の中村主水が出ていて、
いろいろな物語について語るというものがなぜかよくありました。
中村主水が出てきた理由はたぶん時代劇チャンネルをよく見てるせいだと思います。
次回以降の記事ではこの時期に見た白昼夢を少しずつ紹介していきます。
面白いのは記憶がおぼろげな時期に見たものだと、
認識がクリアに戻った時点で忘れてしまいがちだと思うのですが、
おそらく起きていた時間帯に脳内再生されていたっぽいためか、
これらの白昼夢はどれもけっこう鮮明におぼえているのですね。
そんな白昼夢話が今後は登場しますが、どうぞ見守ってやってください(゚x/)
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精神転落期に見た幻覚話とその時期の意味不明な行動
今回の記事ではそれがどういうものだったかについて触れていきます。
読むにあたっては別に深刻にとらえてほしいということは全然なく、
むしろもう笑ってほしいというつもりで記事にしています。
あまりにも変な幻覚が目白押しで、それをけっこう記憶しているので、
ブログのネタにでもしようというふうに思ったのがきっかけですしね。
さて、これまでは幻覚を見ていたというふうに一言で言ってましたが、
この精神転落期に見ていた幻覚はおおむね次の2パターンがありました。
・5月15日と16日にかけて見えた時間や日付に対する幻覚
・5月13日ぐらいから頭の中で自動再生されていた不思議な話
前者はたとえば「5月15日」と書かれている日付が
自分にはなぜか「5月16日」と見えていたみたいな話です。
特に強烈だったのは5月16日の午後11時以降で、
目の前の時計の針は11時を指しているのに、
テレビ画面の時計は「午前0時30分」とか「午前1時20分」
とかに見えていたという話です。
これは決して時計の針のほうが止まっていたとかではなく、
テレビ画面のほうの時間が自分には見るたびに
進んだり戻ったりしてるように見えていたのですね。
もちろん見ながら「あぁ変な感じに見えているな」という自覚はあるのですよ。
でも見てるときは「何かタイムパラドックスの中にいるみたい」みたいな感じで、
それを幻覚というふうにはとらえていなかったのですよね。
幻覚だと明確に認識したのは、意識がはっきりした5月17日以降でしたね。
他にも周りの人がおかしな行動をとってるように聞こえたりしていました。
特に印象に残ってるのが、これも5月16日の午後11時台の話ですが、
風呂に入っていた父が出る直前に風呂のカバーの開け閉めを何度も繰り返していたことです。
他にも桶に入っていた水かお湯を何度もはらっているように聞こえたりしました。
これはそのときは「なんか父が変なことをしてるな」「変なふうに聞こえるなぁ」
なんて思っていたのですが、今思うと父がその日だけ変な行動をとったというのは
ちょっと奇妙なのですよね。
おそらくこれは自分がまるで時間が前後しているような感覚に陥っていて、
それゆえに1つの行動が何度も発生しているように認識していただけで、
幻覚や幻聴の類いだったと解釈したほうが正しいはずなのですよね。
なんでこんなことが起きていたのかということを今自分なりに解釈すると、
記憶や認識がこの時点ではおかしくなっていたので、
そのときの自分なりに辻褄を合わせるために「これは5月16日のはず」
みたいな感覚ができていて、脳が勝手にそれに合わせていたのでしょうね。
人間の脳の順応性ならでは、という現象だったとも言えるのですが、
それで周りに対する認識がズレてしまうとしたらかなり困りますよね。
さて、今回の記事ではこの精神転落期に自分でもよくわからないままにしていた
いくつかの支離滅裂な行動についても紹介していきます。
幻覚とは別物ですが、周りのものや自分の行動に対する認識が
すごく変になっていたことがよくわかる事例ではありますからね。
・サプリメントをキャンディ代わりに?
まずはサプリメントをよくわからない使い方をした話です。
自分が飲んでいたサプリメントにものすごく苦いものがあったのですが、
何を思ったのかそれを口に入れてキャンディのように舐め始めたのですね。
そしたら当然異様に苦いわけで、ティッシュに吐き出したりするわけです。
でもそれをまた口に入れて悶えて、また出してみたいなことを繰り返して、
最終的にそれを自分の部屋のテーブルに置きというよくわからないことをしていました。
今思えばなんでそんなことをしたのかはさっぱりとわかりません。
・口内炎パッチの無駄遣い
自分は口内炎ができると、そこに貼るシールタイプのパッチを使うのですが、
今回の精神転落期には、口内炎も何もできてないのでそれを口の中に貼っては
舐めて剥がして捨てるというよくわからないことを繰り返していました。
そのおかげで正気に戻ったときにはそのパッチを全部使い果たしていました;
ほんとこれも訳の分からない行動で、いかに自分のやっていることなどについて
正常な判断ができない状態になっていたのかというのがよくわかりますよね。
ただ興味深いのはその行動の記憶がないわけではないということですね。
せん妄のように記憶の無い状態で意味不明な行動を取っているのではなく、
その時点では普通の判断のつもりでこれをやっていたということです。
なので正常に戻ったときにもちゃんとその行動を覚えていたわけですね。
・ごみ袋の中にごみ袋
自分はもともと部屋にあるごみ箱にごみ袋を1枚かぶせて使っているのですが、
今回の精神転落期には、そのごみ箱の上にさらにごみ袋を何枚もかぶせたり、
それを繰り返してごみ箱の中が一杯になったら、ごみ袋の中にごみ袋が何枚も
かぶさっているだけの状態でくくって捨てたりと、ひたすらごみ袋だけを使って、
この時期だけでごみ袋を50枚ぐらい消費するという行動をしていました。
もちろん意味不明な行動なのですが、正気に戻ったときに
その「ごみ袋だけを詰めたごみ袋」が部屋に一つ残っていて、
それを見たときに我ながら苦笑いをしてしまいましたね。
「何これ? 俺こんなことしてたの?」って笑ってしまいました。
今でもこのごみ袋を思い出すとドン引きするより笑ってしまいますね。
文章量がそれなりになったので、今回の記事はいったんここで締めますね。
次回は幻覚話の続きで、今回の幻覚の中でのハイライトを紹介します。
「今回の幻覚のハイライト」って何なんだ、と自分でも思ってしまいますが。
当分はこの精神転落期に見た幻覚をブログのネタにしていきます。
それでは、また次回記事でもよろしくお願いしますね(゚x/)
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今回の精神的転落と回復についてつらつらと
とはいっても、今回は思いついたことをつらつらと書いていくだけですが。
前回記事では5月初めからの急転落に絞って書いていきましたが、
普通に考えれば訪問看護師さん関連のことだけで落ちるはずはなく、
自覚はなかったものの5月初めの段階で危ない状態ではあったのでしょうね。
その傍証とも言えるのが3月の中旬ぐらいに再発した過敏性腸症候群ですね。
その前に過敏性腸症候群にかかったときはかなりストレスフルだったので、
今回もそれが再発した時点でいろんなものが心の中に溜まっていたはずなのですよね。
ただ3月時点ではそれに全く気付かず、4月に過敏性腸症候群と診断を受けても、
「そんなにひどい状態じゃないはずなのに、なんで再発したんだろう」と
自分でよくわかってなかったのですよね。
一方で今回の流れの大きな特徴の一つが回復の異様な早さだったのですが、
これはおそらく次のあたりのことがポイントだったのように思うのですね。
・5月17日にストレスの原因などについて一気に気付いて自覚できたこと
・5月16日に父や兄といろいろ話したことで肩の荷が下りたこと
・5月16日にいつものメンタルクリニックの先生の診察を受けることができ、
また数日ぶりに薬についても再開できたこと
この中でもとりわけ上の2つが大きかったようには思いますね。
そう考えると、「ストレスやプレッシャーに関して自覚できること」というのは、
この手の精神的なものから来る身体症状にはものすごく重要だということですね。
そのことに気付いて「あぁこれだ!」という発見があるだけで全然違う、
だから体からのサイン、「どうもこれは精神から来てる身体症状では」
と思うようなものがあったら、自分の中で探るのがすごく大事なのでしょうね。
だから自分は本当は3月の過敏性腸症候群のときに考えるべきだったのですよね。
「なんで過敏性腸症候群がこのタイミングで?」と思うだけに終わらず、
「過分性腸症候群が来たということは、今は自覚はないけど何かあるはず。
自分にストレスを与えてるのは何だ?」ということをきちんと考えて、
そのタイミングで発見できていれば5月の転落はなかった可能性がありますね。
ただ今思うなら、5月の転落と回復は自分として必要な出来事だったようにも思うのですね。
というのも、5月17日からの頭のフレッシュ感がものすごくて、
「この回復は5月の転落がなかったら起きなかった」のも事実で、
結果的に転落が自分を一気に空の上まで運んでくれたとも言えるのですよね。
でもそう思えるのは、結果的に運良く転落から回復できたからなのですが。
転落状態が続いていたら、想像以上に危険な状態になった可能性がありますからね。
5月13日ぐらいからは周りのことがまともに認識できなくなっていたので、
そんな錯乱状態が数ヶ月単位で続いたら何をしでかしていたかわからないわけです。
自分でわからないうちに事件を起こす可能性もありますし、
場合によっては命を絶ってしまった可能性もあったと思います。
だからひどい転落状態が数日で済んだのは非常に運が良かったですね。
この点は兄の存在も非常に大きかったので、大いに感謝していますね。
さらに振り返ってみると、昨年6月ぐらいからときどき起きていた24時間睡眠とか、
もうこのあたりからたぶん精神的に正常じゃなかったのでしょうね。
もちろんこのときは変な錯乱とかはなかったですし、
日常の行動も普通にはできてはいたのですが、
24時間寝ようと思うとか、それを実行してしまうとか、
その時点で異変としてとらえるべきではあったのでしょうね。
ただこの24時間睡眠は数ヶ月前からできなくなってきたので、
今ではもうあの状態に戻ることはないとは思うのですが、
いずれにしても変な状態は5月初めからだけでも、ここ数ヶ月だけでもなく、
もっと長いスパンで起きていたと見るのが正しいのでしょうね。
さらに昨年2月頃から海外輸入品の向精神薬に手を出していましたが、
これも確実に自分としてはマイナスにはたらいていたでしょうね。
ちなみにこれらの薬については5月16日にきっぱりやめました。
精神的に回復して意志が強くなってる今が大きなチャンスですからね。
今の間に生活のいろんな贅肉をそぎ落としていくとともに、
気持ちの安定を保つための方策を確立するのが大事でしょうからね。
今思えば、なんで市販の向精神薬などに手を出したのかと思いますね。
そもそも向精神薬って依存性があるものも少なくないわけですから、
医者から処方されるもの以外に手を出してしまうと、
ずっとコンスタントに続けなきゃいけくなったり、
あるいは1日の飲む量をきちっと調整しないといけないとか、
さらにはその薬で高額のお金が飛ぶとか悪影響が多方面に及ぶわけです。
そして手元に何個もあるがゆえに起こしがちなのが「薬の飲み過ぎ」ですよね。
自分が購入していたのは主にバスピン(抗不安薬系)、ハイプロン(睡眠薬系)、
ルネスタ(睡眠薬系)の3種でしたが、バスピン以外は飲み過ぎてましたからね。
飲む→効かない→さらに飲む、みたいなことをやってしまうわけですね。
でも病院で処方された薬だと、これは基本的にしないわけです。
というのも、飲み過ぎると当然ながら足りなくなるからですね。
こういう点も含めて、海外輸入の向精神薬に関しては
「絶対に手を出さないほうがいい」と自分の経験として断言します。
ほんと「お金をドブに捨てる」とはこのことだと今では大いに反省してますね。
それでは今日はこのあたりで。
次回は精神転落期に見ていた幻覚について詳しく触れていきます。
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過去最大の一つと呼べる精神的転落から何とか帰ってきました
5月7日から8日にかけてコメントをもらいながら長い間放置しているなど、
ちょっと今までにない動きを見せてしまっていた自分ではありますが、
実はこの間に過去最大の一つに近いほどの精神的な落ち込みがあって、
さらにそこから驚くほど一気に復活して戻ってくる出来事がありました。
今回はそのことについて、できるだけまとめて書き進めていきます。
まず問題はいったい何が原因でそこまで急速に落ちたのかということです。
これは復活した5月17日以降に気付いたことではあるのですが、
一言で言ってしまうと「母の介護関連のプレッシャー」です。
と言うと「あぁ、そういえば記事でもときどき触れてたよね」
と感じられると思いますが、たしかに母の介護には触れていながら、
5月の最初の段階ではそれが巨大なプレッシャーになっていることに
自分では全然気付けていなかったのですよね。
そして、5月の始めからこのように急速に転落をしていきました。
5月2日
母の訪問看護師さんから、
訪問した患者さんにコロナの人がいたため、
当分の間はそちら訪問できなくなり、
その間は同じステーションの訪問看護師が対応する、
という旨の連絡がある
5月3日・4日
かわりの訪問看護師さんが来てくれるが、
やはりどうしてもいつもの看護師さんほど母とは噛み合わず、
どことなくチグハグな印象を受けてしまい、
母も上手くリラックスできなかったのか疲れた様子を見せる
5月7日
母の普段の訪問看護師から、
「私自身もコロナ陽性が判明したので、14日までは訪問できない」
という旨の連絡がある
このあたりから自分のブログにもらったコメントに対して
返事ができなくなる。
厳密に言うと、自分の行動が徐々におかしくなっていき、
できない行動が少しずつ出てきて、
放置状態になるものが表れてしまう。
また、このあたりから部屋のごみ箱に嘔吐することが増えている
5月12日
この日を最後に友人のブログなどへの訪問が途絶える
要はブログ訪問などの認識ができない状態に陥っていた
このあたりで食事や水分摂取も曖昧になり、ひげそりや歯みがきも認識できなくなり、
ほとんど記憶の無いよくわからない日々を過ごすようになる
5月13日
本来は普段のメンタルクリニックに通う日だが、
そのことも認識できず、通わない状態が続いてしまう
5月14日
例年は必ず花を買ってきて母にあげるはずの母の日なのに、
今年はその認識も全くなくなり、記憶も曖昧になっていて、
何かを買いに行くという意識もないまま過ごしてしまう
5月15日
母のいつもの訪問看護師さんが復帰する
その人に顔を見せると、顔色がすごく良くないと心配され、
聴診器を当ててもらい、腸が全く動いてないと言われ、
「近くの病院に行ってみたら」と提案される
夕方に父と一緒にその病院に向かうが、
そのときにまともに歩けないことに気付き、
父の手を握りながらフラフラの状態でその病院に行く
その病院では字を書く際にも手が震えまともに書けない状態
そこで「何か自分がおかしくなってる」と気付く
しかしその病院で先生に診察してもらうも、
「所見で言われるほど、何か状態が悪いようには見えない」
「(腸の動きをチェックされたうえで)腸も動いている」
「いつものメンタルクリニックにまず行ってくれないと話にならない」
と基本的にはかなり冷たく対処され、
とにかくいつもの病院に行くことを強く念押しされる
この日あたりから時間・日付に関する幻覚や幻聴が発生する
ただしこの日の段階ではそのことへの自覚はなかった
5月16日
昼に兄が家に訪問してきたので、父と3人で話をする
しかし自分の時間や日付に関する記憶が曖昧になっていることから
自分のする話は支離滅裂なところがあり、そのことが兄にはすぐに伝わり、
「何かおかしくなってるな」というところはすぐに理解される
そこでの話し合いの結果、「いつもの病院に自分と行こう」と兄から提案され、
そこにもともと気持ちが傾きつつあった自分もそれを承諾し、
夕方に兄と一緒にタクシーでいつもの病院(メンタルクリニック)へと向かう
メンタルクリニックで先生、兄、自分の3人で話をする
先生に「最近何かストレスに感じることとかありましたか?」と聞かれるも、
そのときは特に思い当たる節がなく、その点については何も答えずに終わる
夜になると外部の世界への認識がだいぶ奇妙になっていて、
父が同じ行動を何度も繰り返しているように聞こえたり、
目の前の時計の針とテレビに表示されてる時刻が違うように見えるなど、
とりわけ日付や時間に関する幻覚が強く発生するような状態になる
午前3時台に父に促されて自分の部屋に行くも、
寝る前に飲む薬を上手く出せず、薬を飲むだけで30分以上かかる
5月17日
朝起きるとずいぶんと気持ちがすっきりしていて、
おにぎりを食べてみるとものすごくおいしく感じ、
味覚に対する鋭敏さが戻っていることに気付く
夕方にスマホなどを確認しながら振り返っているうちに、
「そうだ、5月2日の訪問看護師さんからの連絡や、
5月7日の訪問看護師さんからのコロナ陽性の発覚などの連絡が
どうも大きなきっかけになったんだ」ということや、
「そうか、母の介護関連のことがすごい重圧になってんたんだ」
ということに気付き出し、すごい勢いで頭の中がクリアになっていく
そしてこの日には幻覚は消え、足取りなども含め一気に普通に戻っていく
5月18日
ほとんどの感覚が普通に戻り、2日前までの状態が嘘だったように正常化していく
数年前どころか、ここ20年ぐらいの中でもトップクラスに入るぐらいの
精神的なフレッシュさに戻り、2日前まで幻覚を見ていたことなども記憶が戻るなど、
驚くようなスピードであらゆるものが普通へと戻っていった
ということで、もちろん今はすごく安定的な状態に戻っています。
今でこそ笑い話にもできるものの、5月16日までは本当にとんでもない状態で、
それがこんなに数日程度で戻ることがあるのかと自分でも驚いています。
当時の幻覚を見ていたときの話などは今後のブログでも紹介していきます。
とりあえず今日はここまでということにして、また今後ともよろしくお願いします。
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4月が終わりました!
今月の目標は「下痢+吐き気問題の解決」と「気持ちのリフレッシュ」でした!
そしてこの2つについてはどちらも達成度80%ぐらいはいけたように思います!(`・ω・´)
下痢+吐き気問題についてはいつもの病院に相談してみたところ、
「やはり過敏性腸症候群だろう」という診断になって、
専用の薬を出してもらったところずいぶんとマシになりました!
100%とはいえないものの、下痢に関しては改善しましたし、
吐き気についても感じる機会はかなり減ってきましたね!
そして4月ということで「造幣局 桜の通り抜け」も行ってきました!(=゚ω゚)
これで3~4月の3大お花見は全て行けたということになりました!
ただ今年はそれだけで終わらせたくない思いがあったのですね!
いつもだったらとりあえずこの3つのイベントだけはこなして、
あとは平凡な日常を送るということになってしまうのですが、
今月は日常的な「気持ちのリフレッシュ」がテーマでした!
まずは先月の月末記事にも書いた夜の散歩や自転車での旅、
これを復活させてみるとなかなか気持ち良かったですね!(*゚ー゚)
以前は考えごとをしながら散歩をすることが多かったですが、
今は気持ちを整えるというような感じで歩いていますね!
もちろん考えごとをしながら歩くというのもしたいですが!
ほんと3/31の花見の中で思いついたことが役に立っています!

そして数年ぶりの一人カラオケも敢行してきました!(=゚ω゚)
コロナもあったので、一人カラオケは避けていたのですよね!
でも今後は2・3ヶ月に1回ぐらいのペースでは行きたいと思います!
しかしこの一人カラオケ、訪問する前に3回失敗したのですよね;
Googleの営業情報だと、定休日なし、12:00~29:00営業だったので、
まずは火曜日の24:00頃に行くと「定休日」となっていたのですね;
これは後に聞くと、今は火曜日はときどき休んでいるそうです;
次に何曜日かの24:00前に行くと、「今は営業時間の終わりはまちまちで、
早ければ24:00、遅ければ28:00ぐらいに終わって、今は営業終了15分前です」
と告げられ、二度目も撃沈しました;
ということで、三度目の正直で18:00ぐらいに訪問して入れました!
まぁ何よりこのお店が潰れてなかったことに助かりましたね!
家のある程度近くのお店はもうここしかない状態ですので;
今はフリータイムはなく、最大で3時間パックとなってましたので、
3時間入りましたが、やっぱり体がなまっていることは否めませんね;
昔習得した発声のノウハウに関してはちゃんと残ってはいるものの、
体全体に無駄な力が入りやすく、緊張でバランスが崩れがちでしたね;
ただ2時間後半ぐらいになってくると、徐々にこなれてくる感じがあったので、
歌うための腹筋を鍛えると共に、体の使い方の慣れを取り戻したいですね!
そしてカラオケから2・3日はおもいっきり疲れが取れなかったですね;
年齢もあるでしょうし、体の使い方の劣化なども絡んでいるでしょうね:

(造幣局近くの大川:2023年4月撮影)
そして月末の4月30日にはほんとひさしぶりに銭湯に行ってきました!
以前の行きつけの銭湯は残念ながら潰れてしまったので、
そことはまた違った別の近くのスーパー銭湯に行きました!
銭湯はリフレッシュとして好きなので、やっぱりいいですね!
そしてこれもまた銭湯に行った2日間ぐらいは疲れが残りましたが;
この疲れが残る体になったというのはちょっとショックでしたね;
それ以上に40kg台だった体重が大幅増加してたのもダメージでしたが;
さすがにこればかりはひさしぶりのダイエットをするしかなさそうです;
母の状態に関しては、今月は二度ほどピンチがあったのですよね;
SpO2(酸素飽和度)が70台ぐらいで止まってしまうことがあって、
以前だったらもう救急車を呼ぶしかないというものでした;
ただ今は在宅酸素があるので、まずは酸素濃度を一時的に上げることで、
呼吸を正常に整え、そこから少しずつ酸素濃度を下げることによって、
機械の酸素濃度もSpO2も安定させるということにどちらも成功しました!
在宅酸素の機械を利用して呼吸を安定させられるようになったのですね!
これただ単に機械の酸素濃度を上げて放置するのは危険なのですよね;
それをやると、SpO2が急上昇するかわりに呼吸が止まる危険性があるので、
こういうときは数時間は機械とにらめっこしつつ、
最終的には酸素濃度はもとの状態に戻さないといけないのですよね!
さぁ、これで4月に関しては目標通りの過ごし方をすることができました!
次はこれを維持しつつ、仕事を増やすなどの次のステップが問題になります!
ここがまたハードルが高いのですが、何とかクリアに向けて進みたいです!
また4月中旬には以前の知り合いから連絡があって、
5月以降に交流が始まることになったことから、
このあたりもどのようになるのか、それも5月以降の課題ですね!
3月31日の発見を上手く発展させることができた4月になりました!(゚x/)モキュゥー
The Smashing Pumpking - Tonight, Tonight (1995) [Alternative Rock]
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3月が終わりました!
自分としては3月の初旬にいつものように大阪城公園に梅を観に行って、
3月31日に大泉緑地にソメイヨシノを観に行ってきたということで、
梅に始まり桜に終わった3月という印象が強く残りましたね!(●・ω・)
でもって、3月31日の花見で自分の中で大きな転換があったので、
最後の1日で3月を上手く締めくくることができたという感が強いです!
ただ3月全体を眺めてみると「相変わらず停滞してるなぁ;」という感じなのですよね;
特に今月困ったのは下痢がひどかったということなのですよね;
でも数年前にかかった過敏性腸症候群とはどうも違う感じで、
おそらく普段から処方されている薬の副作用がここに来て出てきて、
それで腸が動き過ぎて下痢になってるのではないかという感じなのですよね;
今は市販の下痢止め薬を飲んで対応しているところなのですが、
厄介なのが今回下痢だけでなく、どうもお腹の調子が悪くなってるときに、
同時に並行して軽い吐き気のようなものまで出てきてるのですよね;
正直なところ下痢そのものよりもこっちのほうが嫌なのですよね;
「うー」となるような気持ち悪さがあると気分まで落ちてきますからね;
まだ100%確定できないですが、どうも根っこにあるのは動き過ぎの腸で、
それが下痢→吐き気みたいに派生していってる感じがあるので、
根本の下痢を止めるのがやっぱり大事ではあるのでしょうけども。
もう一つ今月痛感したのは、気持ちのリフレッシュがすごく下手になってる点ですね;
これは3月31日の花見をしている中で感じたことでもあったので、
むしろそれを発見できて良かったというところのほうが大きいのですが!
3月31日は運悪くお腹の調子が最悪で軽い吐き気を感じつつ花見をしていたのですが、
桜を見ながら気持ちをリフレッシュされていく中で気分も吐き気も軽くなっていって、
「あぁ、やっぱりこうしてリフレッシュする機会をちゃんと作っておかなきゃいけないな」
と感じたのですよね!(=゚ω゚)
花見中に吐き気が収まったのは、単に薬の効果や空腹感の度合いなども関係していたのかもですが、
いずれにしてもこのところ 気持ちが停滞する→休日になっても出かける気がなくなって家に籠る
→リフレッシュできずに気持ちがさらに落ちる という悪循環に入ってる感があって、
せっかく過ごしやすい季節に入ったのだから、ここを改善することによって、
全体にいい循環を作っていかないといけないなぁと感じたのですよね!
そのことを発見できただけでも3月は多少の価値はあったかなとは思えますね!
昔から大きなスパンで見た気持ちの維持は下手なほうではあったのですが、
それでも日常の中でのリフレッシュはもうちょっとマシではあったのですよね!
「ちょっと悶々としてるから散歩でもしてこようか」とか、
「ちょっと自転車であれこれ走ってきて気分転換でもするか」とか、
そのあたりをもっと上手く組み込むことはできていたのですよね!
で、今思えば「じゃあそれを復活させればいいんじゃない?」となるので、
たしかにこのあたりが4月以降の一つのヒントになりそうな気はしますね!
最近はそのあたりの過ごし方がほんと最悪で、
ボケーッとしてときどき時計を見て「あぁ、いつのまにか数時間経ったから寝るか」
みたいな、休日なのに何の生産性もない過ごし方をしてたりしますしね;
でもこの傾向、よくよく振り返ると奇妙な長時間睡眠のリズムが出てきた
昨年6月ぐらいからときどきあって、それが悪化した結果という感もありますね;
あぁ、でもあのよくわからない長時間睡眠は3月に入ってできなくなって、
むしろやや睡眠不足っぽい日が続くように変わってしまいましたね!
まぁあの変な長時間睡眠は癖にしないほうが良さそうな感じがあるので、
もうやらないようにして、この機会にそこから脱しておこうと思ってますが!
さらに改めて振り返ってみると、この日常の気分転換を軽視する癖は
数年前にそうしたリフレッシュなどを「人生の根幹に直接関係しない無駄なこと」
と切り捨てたあたりから始まっていたのかなとも思いますね!
いやそうじゃないな、とやっと今になって気付いたと言えるのかもしれません!
リフレッシュを上手くしないと根幹の部分を動かすのも無理になるという、
そういうふうに考え方を切り換えるときがきたということなのかもですね!
そう考えると、いろいろなリフレッシュを切り捨ててはきながらも、
春の花見などを通した気分転換だけは残すようにしておいて、
それがちょうど今のタイミングで来てくれたのは幸運だったのかもですね!

(大泉緑地の大芝生広場:2023年3月31日撮影)
あとこの問題、ブログの毎日更新の終了とも無関係ではないのですよね;
何かどうしても他にやりたいことがあるからブログの更新を止めたわけではなく、
あくまで袋小路に入ってストップせざるを得なくなったということだったので、
日課が減ってその分の時間が変に宙に浮いた結果というところもあるのですよね;
以前だったら「まぁブログは更新してるからいいや」みたいに思えたのでしょうけども、
今はそこがただの空白になっちゃったので、余計に悪循環に入りやすくもなったのでしょうね;
ということで、4月の課題は「日常のリフレッシュの再構築」と、
下痢・吐き気問題の解決の2つが軸ということになりそうですね!
ブログも梅の写真と大泉緑地の桜の写真は紹介しておきたいですね!
食事を通じての気持ちのリフレッシュというのもやっていきたいですが、
吐き気が微妙にある今の段階ではまだそこに入るのは無理っぽいですね;
吐き気がある状態で「何か食べに行くか!」という気持ちにはなりませんからね;
それでも目標はある程度はっきり見えてきたので、4月は上手く過ごしたいと思います!(゚x/)
The Cyrkle - Red Rubber Ball (1966) [Sunshine Pop]
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2月が終わりました!
2月が終わると3月上旬、自分としては梅林に行く時期になりますね!
ということは、ここから徐々に春が始まっていくということになります!
それにしても、どうにも1月と2月が苦手なのは変わらないですね!
日常的な活動やお出かけをするには寒すぎますし、
どうしても家にこもりたくなってしまう時期ではあります!
やっぱり自分が活動的になるのは4月と5月あたりなのですよね!
だからこそ今年は3~5月を無駄にしたくないという思いが強いですが!
ここを無駄にしてしまうと、気持ちそのものも落ち込みそうですし;
で、結局この2月は1月に続いて「虚無」だったという感じですね;
これは12月から一つの大きな予定が止まっているのが原因なのですが、
それもあってなんだかふわふわと淡々と時間が過ぎている印象です;
ただそのかわり母の状態は安定しているというのも1月と同じですね!
3月あたりからはちょっとリハビリにも意識を持っていきたいですね!
父と自分の介護の役割分担なんかもはっきりとしてきていますし、
介護に関しては一応は安定期に入っていると言える気がします!
ただこれは自分の用事が増えると、どうしても多少ブレますからね;
そのあたりがどうなるかは3月以降になってみないとわからないですね;
日常が虚無的なのは、やはりにゃんこがいないのが大きいですよね!
にゃんこがいれば、にゃんこと遊ぶだけでたっぷりと心を潤してくれる、
そしてその姿で笑わせてくれる、そういうことがなくなりましたからね;
まぁ、1月と2月のことは深く考え過ぎないほうがいいような気もしますね!
1月と2月はさっさと終わらせて、3月から今年がスタートする、
そういうイメージで過ごしたほうが自分としては良さそうです!
その3月からのスタートが失敗してしまう可能性ももちろんありますが;
まぁ、とりあえず3月は大阪城の梅林に行ってパワーをもらってきますか!
例年よりは簡潔にするつもりではありますが、梅林は記事にする予定ですし!
とにかく春・春・春! その気持ちで3月を迎えたいと思います!
Bush - Everything Zen (1994) [Grunge]
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大泉緑地に行ってきました 2022 Part2
大泉緑地はいつも春にも記事を書いてはいるのですが、
春の場合はほとんどソメイヨシノの紹介ばかりになるので、
公園そのものを紹介する機会は意外と少ないのですよね!

この日の「中央花壇」ではちょっとした企画がやっていました!
軽トラの荷台にミニチュアの庭を作るという企画ですね!
そうした軽トラが数台置いてあって、なかなか見どころがありました!

これは「中央花壇」と「大芝生広場」の間にある道ですね!
ここには風力発電と太陽光発電をミックスさせた発電機があります!(*゚◇゚)
ちっこい発電機ではありますが、一つのデザインとしていいのですよね!

再び「中央休憩所」の近くに戻って、そのそばにある「ふれあいの庭」です!
この「ふれあいの庭」に関してはブログでもけっこう紹介していますね!
とはいえ、紹介するのはほとんど春の「ふれあいの庭」ばかりになるので、
秋の「ふれあいの庭」を紹介するのはかなり珍しいかもしれませんね!(●・ω・)
ここは季節によってちゃんと植える花を替えていっていますからね!

さて、「中央休憩所」や「中央花壇」のあたりから離れて別のコースに戻ります!
ここは小学校高学年から中学生向けの「冒険ランド」という公園になります!
「冒険ランド」といったら、何と言ってもこの巨大な滑り台ですね!
ここはいつ行っても子ども達が一杯で、大人気のスポットですね!

これは「冒険ランド」から少し進んだところの池のそばにある「バーゴラ」です!
ちょっと地味ではあるのですが、軽く休憩するにはうってつけではありますね!

そして今回の大泉緑地シリーズのラストは「大芝生広場」です!
夕方ぐらいにこの芝生の上に寝転ぶとすごく気持ちいいのですよね!
夕方あたりになると、人も減っているのですごくくつろげますからね!(*・ω・)
大泉緑地の中でも最もゆったりとできるスポットだと言えますね!
ということで、これで昨年10月に撮影した大泉緑地の写真は全て紹介しました!
また月末記事のときに再登場することがときどきあるかもしれませんが!
自分の中では大泉緑地の写真は非常に気持ちが落ち着きますからね!
それでは、このブログとしては珍しい秋の大泉緑地でした!(゚x/)モシュー
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